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菅原さちゑ作品クリエイションブログ

03.12

田中夢の場合

京都1日目。

初日乾杯。
煮え切らないままホテルに戻った。

実は昨日も禁酒で今日は身体が軽かった。
そのせいで、はしゃいじゃったんだね。
いつもやらないことにトライしてしまったのだよ。
本番前のリハーサル中に首を痛めた。
ので、今日も禁酒。

今まで乾杯がノンアルコールなことはなかったのではないか!?
それも、ケガをして飲めないなんて。
身体って、すごい。

それはさておき、

自分の動きだけのことを考えると、やりたいことをやりべきだと思っていたが、作品全体の中で見てみると成立していないかもしれない。自分のやりたいことは、自分の作品の中でやるべきなんだ。と、葛藤で煮え切らない。

別府でのクリエイションの10日間が思い出される。

いろんな人にいろんな事を言われたし、私もきつい言い方をしたり、黙ってしまったりして停滞することもあったけど、結局、菅原が答えを出すと、私はその答えに共感したし、度肝を抜かされた。畑は違えど、考えるテーマや着眼点はいつも共通している。
だから、私は菅原さちゑを信じてきた。
って、言うと大袈裟だし、恥ずかしいけど、でもそんな感じ。

こんな巡り合わせで、私はここにいて、こうして作品を作っている。もちろん、私の作品ではない。あくまでも、菅原さちゑの作品だ。でも、なんだか、そう言って無責任になりきれない。やらされてるなんて思いたくもないし、思えない。

昨年の夏から、メールでのやりとりから始まって、毎月定期的に稽古とディスカッションを重ねてきた。
まあね、
論点ずれてるよ!とか、ふざけっちゃったよ〜とか、あったけど、時間を重ねて行くうちに、菅原が変化してゆく思考が作品に反映されていく。

作品は、もちろんコミュニケーションのための手段であるかもしれなくて、外部に向けられているのだから、まさにそうあるべきかもしれないが、〝作品をつくる〟ことが、その作家の生き方に働きかけ、人生を変えてゆく、世界に触れたり、自分に籠もってみたり、他者に提示してみたり、そんなことができるなら、〝作品をつくる〟ということは、まさに、生きること、なのではないか。

と、私は一人で考えているわけです。

明日、京都本番2日目。
具体策はもう目星を付けてある。

明日は、どんな菅原が出てくるのだろうか。

田中夢


03.11

内田敦子の場合 其の2

それはやっぱりドラマトゥルクでしょ。』
水野さんが言った。
私の呼称を何にするか話していた時の話だ。

なんだ、それは。
一体何語だ。
夢野久作みたいだ。

どうやら、演劇の世界のタイトルらしく、
軌道修正役のようなものだという。

響きがかっこいいので、良いことにした。

菅原から頼まれた内容は三点。

・制作中、絶対に煮詰まるから、たまに話を聞いて欲しい。
・作品を見た感想を教えて欲しい。
・各公演に同行して欲しい。

オヤスイゴヨウ。
私は軽く引き受けた。
いろいろなところへ行けるる〜、
温泉、関サバ、小豆。
ちょっとしたウキウキ旅行気分。

甘かった。

非常に甘かった。

別府の、
ガラス張りの稽古場に初めて足を踏み入れたときの、
あの、重苦しい空気。
作家のディレクションに対する出演者の不満。
コンフリクトに継ぐコンフリクト。
そして、また、コンフリクト。
頭を抱えた。
逃げたかった。
鉛色のショーイング。
午前4時、
暖房の効かない築100年の長屋で、

鼻水と涙でぐちょぐちゃんになった菅原の顔。
初演一週間前、凍った渋谷。
まさかの交代劇。
再生。

Messyについて考える度、
自分の心のヒダを剥がすことになる。
痛い、イタイ。
見たくない。
触れずにそっとしときたい。
そう思いながら、また一枚剥がしていく。

多かれ少なかれ
みんなとっちらかっている。

だからこそ、いとおしい。

何せうぞ  くすんで

一期は夢よ  ただ狂へ

まだ続くかも。


03.10

内田敦子の場合

「内田さんを雇いたい」、そう言われた。

菅原は長年来の友人である。元々は私の部下であった。
世界のVIPやハリウッドスター、富裕層を相手にしたホテルで、菅原はすっぴんで働いていた。
何度も、頼むから綺麗に化粧をしてくれ、と懇願したが、言うことをきかなかった。
スタイルはいいのに、髪も眉もボサボサだった。
動きだけはバレエダンサーのように美しかった。

菅原は、数年前に私が結成した、『一人っ子の会』の一員である。
会員は4名。増えた試しがない。
閉鎖的なのである。
たまにゲストの参加が認められるが、ゲストは一人っ子でなくても構わない。
菅原はAB、私はA型、他の2人はBとOである。
つまり、てんでばらばらであり、故に、バランスがとれている。

一人っ子は、寂しがり屋である。
そのくせ、一人、膝小僧を抱える時間がないと窒息死してしまう。
もちろん、我が・ままである。
でも、自分では全くそうは思っていない。

菅原とMessyについて最初に話をしたのは
あれは確か、カンボジアの宿だったか。
異例の大洪水で、なす術もなく、
途方に暮れていた私を菅原が訪ねてきた。
菅原が滞在した5日間は不思議と雨が止み、美しい夕日にさえありつけた。
ああこの娘はアポロンをしょってるな、と感じたものである。

100年前の遺跡の上で踊ったり、
トゥクトゥクに揺られながら、黙々と働く痩せた灰色の牛を眺めたり、
50セントのビアを飲みながら、三線を弾き、
2人でとりとめのない話をした。

自分の中の衝動について話していたとき、
菅原は、裸になりたい、といい
私は、飛び降りたい、と応えた。

日本という国には、しばらく戻るつもりはなかったので、
彼女の初作品の手伝いができないことを残念に思い、
体だけは大事にしなさいね、と抱擁をして別れた 。

私が帰国したのはその二日後である。

かくして私は、友人に雇われることとなったのである。

つづく


02.23

「意味を付与する」

ドラムのスガタです。

気がつけば、仙台公演、福岡公演と終了。

「ドラムだけで、ダンス作品に関与する。」

ダンスという領域に対して、全くの門外漢が、
何の因果か関わった「踊りに行くぜ!!」は、
脳が触発される場になっている。

新しい発見や驚きが、山盛り。

菅原チームの面々や、各公演で共演した他チームと、
前日のゲネやリハの合間や本番前、また打ち上げの席などで、
酔っぱらいながら(もちろん酔っぱらっているのは、

打ち上げの時だけだが。)も、
様々な言葉を交わして行くうちに、
音楽とは異なる領域の視点に刺激される。

そのおかげで、
脳がオーバーフローをおこしてしまった。

刺激を受けた頭の回転は、目まぐるしい勢いで加速し、
浮かんでは消え、消えては浮かぶ幾つもの考えに翻弄されながら、
ようやくある結論にたどり着きそうになって、
その尻尾を捉えたと思った途端、
その結論は瞬く間に消え去り、と同時に、また別の視点に惑わされ、
気がつけば五里霧中。といった有様だ。

「考えが、まとまらない」

思考の上に思考を投げつける。

なんだ、これでは、
まるで頭の中がmessyじゃないか。。。。

作品が現実を浸食し、僕の意識を脅かす。

と、書きながら、現在の自分の部屋を見渡すと、、、、、、、

「・・・・・き、、、、き、、、きたない。。。。。」

なんだ、実際の自分の部屋もmessyじゃないか。。。。

しばし、沈黙。。。。。。

そして、、

また沈黙。。。。。

。。。。。。。

「あぁ、こういうことか」

と、ある思いがよぎる。

卵が先か、ニワトリが先か。
そんな議論はさておき、

こんな状況から、
僕が「messy」という作品とリンクした、
あまりにも短絡的だが、近すぎて見えなかった、
ある意味を見いだす。

というか、

こうして関わった運命に、
改めて意味を付与する。

「意味を付与する。」

作品を制作する過程で
「これは、どういう意味か?」と、問われる。

音楽の場合、
特に即興音楽の場合は、
即時性が求められるため、
その場では、それぞれの音の意味は考えない。
(ってか、そんなヒマがない。考えられない。)

演奏後、プレイバックを聴きながら、
考える場合もあるが、

基本的に、瞬間的に、その場で反応し判断し直観で応える。

極端な話、脳を介在しないで、耳から腕へ。自動的に。

ただ、「踊りに行くぜ」は、作品制作の場だ。
作家性が問われている。

人を惹き付ける動きが、
たとえそれが、
閃きや、思いつきであったとしても、
そこには、意図が求められる。

だから、作品全体を、ある場面を、
ある動きを、ある言葉を、
そして、その裏にある意識を、

微分し、意味を付与し、積分する。

そこから、こぼれ落ちたモノやコトがあるなら、
強引にでも、それらを、またひっくるめて、
再度、微分し、意味を付与し、積分する。

その繰り返し。

そうやって、意図が細部に浸透していくように、
感覚を言語化し、対象に意味を還元しながら、
作品をより強靭なものにするために鍛えていく。

って、

言葉で、こう言うのは、簡単だ。
実際には、こんなに、すんなり行かない。。。。

作品「messy」は、本番の数週間前に出演者が急遽変更になり、
東京で最終リハを行うも、仙台の本番前日に、内容に大幅変更があり、
また、仙台から福岡でも、手直しが施された。
その理由は、どうであれ、作品は、常に、変容し続けている。

それは、
成長か退化か?
熟成か腐敗か?
前進か後退か?
上昇か停滞か?

そのどちらを意味するかは、さておき、

二公演を終えた今、
作品自体のエネルギーは、
より大きな熱を持ち、
ある強度を獲得しそうな勢いだ。

舞台上のエントロピーが、それに比例して、
あるいは反比例して増大し、カオスになりながらも、

京都、東京と公演が続いて行く中で、
今後は、どれだけの意味を付与し、
作品の質と強度を高めて行くのかが、
問われているのではないか?。

また同時に、より一層、
その作品の枠を打ち壊して、
越えて行く表現が求められているのではないか?。

そんな気がする。

ふーっ。。。。。。。

やっと、まとまった。。。。。

か???

うううううむ、

なんだこれ、支離滅裂やないか、、、、、、うううううう。。。。

ま、とにかく、

今は、
三月の京都と東京も、
さらに変容して行く作品を、
目の当たりに出来そうな期待と予感があります。

その変容がもたらすものが、
喜びであろうと悲しみであろうと、
できるだけ、多くの方と、その瞬間が共有でき、
新たな多くの意味が付与されることを望んでいます。

んでは、京都、東京、叩きに行くぜ!


02.21

福岡公演終わりました。

はじめまして。

菅原チームの緒方祐香です。
あだ名は、小さい頃からユッピィです。水野さんだけは、「

ゆっぽ!!」っと呼びます。

つい先日、福岡公演を終えることができました。
=(イコール)私の夢1つ叶いました!!!

実は、私は生まれも育ちも福岡の隣の佐賀県で、高校卒業後、佐賀を離れて依頼、ダンスの公演で九州に来る事がずっと夢だったんです。

今回の「踊りに行くぜ!Ⅱ」会場のイムズホールの横に、市役所があって、今でも夜になると、何人ものストリートダンサーが、硝子の反射を鏡代わりに思い思いに練習をしてるんですが、私も高校生の頃はその中の1人でした。

ぁあ、まさかイムズに踊りに帰ってこれる日が来るとは。。。

感無量です!
菅原さっちゃん始め、関係者の方には感謝してもしきれんばい!!

初心に戻るっというか、もう1度私にとって踊ることとは、っと考えるチャンスがいっぱいあった福岡公演でした!

有難うございます。

さてさてー、京都、東京グイグイ頑張ります!

緒方祐香(ユッピィ)


02.11

フレームは映画の身体だ by諏訪敦彦(映画監督)

仙台公演にてmessy初演を終えました。

仙台に入って佐東さん、神前さん、千葉さんなどなどスタッフに初めて通しを見せて後、
佐東さん「半分しかできてないなーーー」
神前さん「あそこで終わって正直びっくりしました」
とばっさり切られた。
けれど、その瞬間に余計なものもばっさり切ってくれたみたいで
視界がクリアになりはじめた。
全然できてないのに妙に心がクリア。

で、佐東さんに「と3日だけ天才になれー」と変なまじないかけられて
3日だけ天才になったつもりで挑んだ。
結局天才にはなれなかったけど、これまでのリハで1番前進した3日間だった。

今は来週の福岡に向けて手直し中。
改善点はわかっているのだけど、具体的にどう直せばいいのか見えて来なくて
四苦八苦中です。けれども、1度本番を踏んで作品のイメージが出演者とも共有しやすく、私自身もどんな事がしたいのか簡潔になってきた事はとても大きい。
リハでは稽古と筋トレして1度トランス状態にまで持っていってからリハに入る。
そして、地味に下記の繰り返し。
動いて試してみる

話し合う(3割ふざける)

動いてみる

だけどまだ改善できていない。。。まずいぞ。。。

そんなわけで今日はこれから諏訪 敦彦監督の公開リハ&撮影に行く予定。
プロットだけがあってシナリオは一切無いというスワイズム。
楽しみです。

後は、相米慎二監督『台風クラブ』をもっかい見ようと思った。
台風の襲来をきっかけに、日頃の鬱屈とした感情を爆発させる中学生を通して
思春期の危うさや脆さが見える映画で、messyに足りない心情の複雑さを勉強しようと思った。

勉強勉強

で、タケヤアケミからメール来た。
「早く、こっちに遊びにおいでー、アーティスチックな刺激に絶対なるから。
脱出脱出!!!」

。。。

脱出のタイミングが近づいて来てる予感が最近する。

脱出脱出!!!!


01.13

人間は誰でも芸術家であり、自分自身の自由さから、「未来の社会秩序」という「総合芸術作品」内における他者とのさまざまな位置を規定するのを学ぶのである byJoseph Beuys

芸術家と主婦とサラリーマンは大体同じだと思う。具体的にやっている事は違うかもしれないけど、自分のしている行為が目に見えたり、数えられて世間に還元されているか目に見えない、数えられない形であるかの違いである。目に見えない事を選んだ場合は結果はないのですべては自分で考えて判断しなければならない。どちらにせよすべての事は数えられる事と数えられない事で両立している気がする。

「今日の考え事」

①作品ができた、できない
②ダンスとパフォーマンス
③作家性

最近はこの3つについてよく考えている。
特に”ダンスとパフォーマンス”については前々から気になっていた。

私の舞台履歴はモダンダンスから始まった。
そのうち「作品」を作ってみたいと思いまず振付を考えてみるのだがどうもしっくりこない。自分で作った振り付けであるにもかかわらず「なんでこのこの人踊ってるのだろうか」と感じて作り直す。作り直ししてもまた同じ事を感じてまた作り直す。だんだん踊りがなくなってくる。
でもダンス公演と告知している公演に参加する時などにはダンスを入れないといけないと思いとりあえず入れる。
そうすると何をやっているんだかわけがわからない作品になる。

テーマがないとか
身体的な技術が伴っていないとか
振付したものは私の振付ではなくてどこかで習ったり見たりしたものであるとか
そんな理由ももちろんある。

そんな事を繰り返してこの作品を作り始めて
ダンスとパフォーマンスの間がやりたいのだと分かった。
その間にかっこいい名前がまだない様な気がします。
自分で適当に作ってしまえばいいのでしょうがイマイチ思いつかない。

これが正しい解釈かはわからないけど(いやそれが正しいか正しくないかじゃなく自分の解釈があるかないかは大事だと思うからここは恐れずに言わせて頂きます)私が考える”パフォーマンス”は体を使い「動き」や「行為」を空間や時間を含めて構成したもの。
例としてオノ・ヨーコを作品をwikiから引用します。

『カット・ピース』(”Cut Piece”)がある。一言「切れ」(Cut)という破壊的な動詞があるのみで、観客 が舞台上に座っているオノの衣服を、オノが裸になるまで文字通り切るという作品である。『カット・ピース』は、作品を介して彼女の内的苦痛を伝えるとい う、彼女の作品にはよく見られるもののひとつである。大学で、オノはジャン=ポール・サルトル(Jean-Paul Sartre)の実存主義に触れ、自身の人間としての苦痛を鎮めるため、観客にアート作品を完成させるための協力を求めると同時に、自身のアイデンティ ティを確立させようともしていた。『カット・ピース』は、アイデンティティに対する問いかけに加え、社会的調和と愛の必要性も訴えている。

というように作者の、もしくは体を使った行為、行動自体に作家のメッセージ性が含まれている。パフォーマンスについての成り立ちや種類はパフォーマンスアートのwikiで見て下さい。

対してダンスは体を駆使(技術やメソッドを使い)して空間にうねりを生み出す事で時間軸をなくし、新しいうねりが重なったグルーヴと作家の世界観が一体化した舞台を観客が共有する事ができる。
すっごい抽象的な説明だけど。。。

で、私としては
パフォーマンス性を孕んだダンス作品がやりたいわけです。
それをどう孕ませるのか。
パフォーマンス性を孕んだダンスの身体性に挑むのか
パフォーマンスとダンスを組み合わせたものにするのか

決めないといかん。


01.07

ひらめきと思いつきは違います(田中夢)

たぶんこの二つの言葉、今から述べる内容に同意出来る人しか理解出来ないかもしれません。「ひらめき」とは抱えている課題に対してずっと考え続け、自分の頭の中の情報がいろいろと絡み合って出てきた応え。

かたや「思いつき」とは目の前にある課題に対して、その局面をなんとか打開、優勢にしたくて出てきた答え。もちろん、思いつきも無いよりはいいわけである。

常に課題を意識し、その答えを考え続けること。思いついても「なぜだ?」「どうして?」と5回くらい問い続ける事が大事だと思う。その応えに対するロジックが説明できなければ、人は納得しないし、心を動かすことはできない。すなわち誰も動かない。

短期間の間にいろいろな人や物事を見て、話して、混乱すればするほど、それを上手に分析して、結局何が今起こっているか、自分が何をするべきなのかを明確にする必要性を感じる。

****上記はwebsiteより引用しています******

うぐぐ。
一体化してこない。

シーンは出て来たのだがそれが一体化してくる自分の中での繋がりが見えてこなくて苦戦。そんな事考えてたらこれまで2、3年前にざつーなド感覚だけで作った断片作品(作品じゃなくて実験かな)が突然一体化した。なぜ今、別の作品がそーなるの。。。mESSYにそれが来てくれ。頼む!!

半年前のつぶやきをみたら今とあんまり変わってない。
1つ変わったのは自分への思考じゃなくてやり方とかスタイルについての思考に変わったぐらいかな。

全然思考がまとまらないし(今の所1番ヤバい問題)

全然閃かないし
全然痩せないし(慢性的な問題)

部屋が散らかってるし(精神状態にシンクロする)

顔がくすんできた(やる気が起きない証拠)

化粧が決まらない(集中力の欠落)

料理の味付けが決まらない(計画性の欠落)

がいー
ごごご
ぎゃー
みやー
きー
ぐぐぐ
おえー

(沈黙)

とりあえず金髪にしてみよう

そんな感じ

(また水野さんにチャラいって言われそうだな)


01.04

しびれ。。。

年末の30日に最後のリハで夢ちゃんに「やっとさちえスタイルが出来たじゃん」と言われた。出来てはいないけどすごい遠回りして結局元に戻ってきた。

ともかく。自分の頭にあるビジョンに忠実になろうと誓う。
それと同時に自己満でわたくしごとで終わっているんじゃないのかという思いとの葛藤中である。

初夢はもちろん作品について。
つーか大体最近はMESSYについてうなされて目が覚めるパターン。。。
そしたら元旦から腰痛からくる下半身のシビレにやられて動けず。。。
なんの呪いだ=====
先端恐怖症だが即効性がある鍼治療に行きやっと回復しました。
そしたらなんとなく脳みそのシビレもとれた。

いや、脳みそはしびれてるぐらいの方がよいのか???

どっちにしたって私の頭の中は相変わらずMESSY(散らかり)中。


12.28

転び問題2011

ある日の稽古中に転んでみようと盛り上がりひたすら転びまくった。
そしたらあややと夢ちゃんが
「さっちゃん転ぶのうまい」と言われてすっかり調子にノった。
水野さんにこの話をしたら
「あんたー転ぶといったら勅使川原さんよー」と言われさっそく動画を探す。
結局見つからなかったんだけど
かわりに銀色の室伏さんが転ぶのをみた。
前言撤回。
あれを転ぶなんて言ったら怒られるらしい。
あれは爆倒と言うらしい!!!
かっけーー

うちで猫を2匹一時的に飼っているので観察していたら
まだ若いからよく転がって遊んでる。

なるほど。良い転びするな。

さて、転び問題2011。

超えられるのか?!


12.26

MESSYとは人類のみなとっちらかった頭の中かなー?(水野立子)

別府の中盤以降からブログを書く体力と気力が残りませんでした。
やっと復活。

昨日と今日の考え事
1、迷い猫
2、マムシュカ
3、ヨン様を見に行くか行かないか
4、構成表作り
5、稽古内容見直し

1、迷い猫
昨日イベント終了後に夜中帰ってきて機材持って家に入ったら
「さっちゃん、猫!!」の声。
ぱっとみたら白い可愛い猫が部屋にちゃかり入ってきとるーーー
首輪もしてるし迷い猫らしい。
その日は元いた場所に戻してだんだけど、次の日マンションの管理室から住人に迷い猫連絡網が入った。見に行ったら昨日の白い猫ともう1匹茶色の猫もいた。
なんか凄い気になり見過ごせないがうちは金魚のお嬢ちゃん達がいて飼えないのだ。そこで里親募集係のエキスパート猫将軍様に相談して注意点を聞き、明日から私も里親募集係になる事にしました。
あーよかった。
にゃーさん達どうなったかと気になって段ボール探したり、管理人と相談したり、部屋掃除してたら全然やる事が進んでない!!
やばい今から集中だー。
い〜ち、に〜い、さ〜ん、ダッシュ!!(リー中川)

2、マムシュカ
昨日は怒濤のパフォーマンスイベント”マムシュカ”でした。
私はスタッフとして参加しているイベントで相当ピュアでレアなパフォーマンスが見れる驚愕爆笑爆裂イベントです。別府で目の前が真っ暗な世界を現実に初実感した私は羽田についた時、ここが現実なのかあの暗闇が現実なのか、いやここはバーチャルかも!!と自分がブレてて少々カオス状態で現場に入りました。
マムシュカにはあまり見た事がないパフォーマンスやジャンルわけできないものが多くあってそれが突抜けすぎると私は脳みそがついていけなくて置いていかれるんです。そんな事まったくお構い無しで貫く出演者達の自分の核のブレない強さを見てやりたい事を中途半端じゃなくやりきる事を別府で自分はどれだけしていたのか思い出してました。水野さんにも言われたけど「やりたい事やんないでどーすんの」「馬鹿なんだからもうかっこつけんのあきらめなさいよ」って言葉とパフォーマンスのカオスがぐるぐるしてました。

余談ですが、中島くん、佐々木さんがマムシュカに遊びに来ていてちょっと立ち話。傷のなめ合いしてもしょうがないけど目に見えない大きなものへ戦いにいく「同士」に見えてきてひとまず今度飲みに行こうとなった。
なんか心境としては”戦いに行くぜ!!”って感じです。

さて、MESSY会議の内容まとめるのでここらへんで失礼します。


12.19

そういう意味でわたしは嘘つきである(フェデリコ・フェリーニ)

別府。
何日目が若干怪しくなって参りました。

昨日はこちらで初めて通した。
覚悟はしていたけどイメージと現実の違いにまず凹む。
ひどい。。。
ふと見たら出演者の2人もすげえ顔してるし!!!
感想を言い合う。
予想していたより平常心な自分がつまらない。
しかしながら、タスクが山積みだし、他に助けてくれる人もいないから混乱してもしょうがないわけである。

今は作品の土台となるシナリオ作りに悪戦苦闘。向こう岸に置いてある夢や幻想という宝物を長い間放置していたため、取り出すのに苦労している。普通の生活にいるとそういう無駄な記憶はどんどん削除されていく。

昨日は、夢さんがコインランドリーに行ったら若い男子とお知り合いになり、リハーサル場所に差し入れの肉まんを持って来た。


12.17

ガールズトークと本心

宿題に悶々中。

夢ちゃんのシーンを通した時にでっかいクエスチョンマークが出て来た。
ナニガシタイノデスカ??
やばい。もう1度整理しなおさないといかん。

ノン・フィクションとフィクションの交差から作品作りが始まった事もあり、
本当の自分を持ち込み過ぎて収集がつかなくなってしまった。
こちらからのフィクションの提示が少なかったと反省。

そこでこのシーンでイメージ絵から単語で拾いあげてみた。
・鏡に向かえるヴィーナス
・毛皮を着たヴィーナス
・性の痛みと憤り
・幻想
・妄想
・屈折
・倒錯
・真実
・美
・現実

ここから”恋愛話”"ガールズトーク”というキーワードを引き出した。
恋愛話には実は話を友達にして自分が主役になれるという事に快感を覚えたりする。それが行き過ぎたりすると「あの子いつも恋愛話しかしないよね」と言われて嫌われたりしてしまう。なので多少脚色を付けして話したりする事がある。そこには様々なものが屈折気味に交錯している。
そしてその交錯地点には本心とか本質が隠れているように思う。
本当は今夜一緒にいたいけど、そうは言わずに言わせたり、態度で示したり、、、

知ろうとすればするほど分からなくなるものであり、伝えようとすればするほど誤って伝わるもの。当人の意図、各人の主観を裏切る全体性(wikiから)という自分の事なのに常に変動する「本心」とか「本性」というものに振り回されている。
それに惑わされない「自分の基準」を恋愛話を通じてここで見つめ直す。

3人のガールズトーク=本心


12.16

四露死苦。

今日の考え事

・毛皮フェチ
・華燭
・喧嘩上等
・ハプニング歓迎
・地域と

1日ブログを怠り反省。
今日から別府に地獄のクリエーション合宿にきました。

つい先日、出産をした友人を訪ねた際、壮絶な陣痛話を聞いた。
36時間以上に及ぶ陣痛と格闘して最後あまりの痛さにいたわってくれた旦那様に「さわんじゃなー(怒)」と叫んでしまったが、その理性をなくした時に初めて本当の陣痛がやってくるんだと語っていた。

同じく作品制作も自分が限界振り絞って初めて生まれるもので、誰かにに気をつかってうまくやろうとしている内はまだまだ生まれてこない。

私もこの別府で
「さわんじゃねーーーー」
と雄叫びを上げるほどの信念を持って突き進もうと誓った。

と、思いきや着いたそうそう
別府の温泉とお酒に惑わされそうになってしまいました。(惑わされた)

明日からレジデンスに行くと言った私に、上本大先輩から
「死ぬよ(笑)」と言われた言葉を胸に死ぬ程テンパり、あきらめない。
喧嘩上等
ハプニング歓迎
でこの10日間を過ごします


12.14

優越感と自己顕示欲ってどうやって減らすのさ。

これは私の女子高時代に実際にやっていた遊びです。

それは時々突然やってきます。
休み時間になると誰が合図するわけでもなく、誰かが指揮をとるわけでもなく始まるのです。
6、7人が集まって私の服を脱がすのです。
それは端から見れば「いじめ」に見えたかもしれませんが、私達にとっては「遊び」でした。
なんのきっかけで始まったのか正直記憶に無いのですが、始めは「カタパン」という肩にグーでパンチする遊びをしていました。ルールは簡単で参加者したい人6、7人でじゃんけんをし、負けた人に全員から「カタパン」をくらうのです。
私達はこれを「カタパンの舞」と名付け、殴る人が儀式っぽい踊りを披露してから殴ります。
「ビンタ」バージョンもあったのですがあまり流行りませんでしたね。
これの進化版が「服を脱がせる遊び」でした。
そして脱がされ役は常に私でした。
元々いじられやすいキャラだったからかもしれません。

暴力性や狂気はありません。行為が終わった後のなんともいえない体の中が喜びだけが残るのです。

実は私はこの脱がされる事で「私が注目されている」「人と違う所にいたい」とかの優越感を覚えてしまったためなのかそれ以降裸になりたい衝動が強く生まれました。

そして、私達の間の「儀式」でした。

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12.13

それでも踊りを続ける理由とは。

優越感を求める原因は劣等感からかもしれないですね。

私にはかなり幼い頃から「注目されてたい」「人と違うところにいたい」という願望がありました。それと同時に「出来ない」とか「間違える」という事への恐怖、それはつまり他人から馬鹿にされたくないという気持ちが強いです。

そのひとつに、「考えが浅い」と言う台詞をよく聞くし、自分も言ってしまったりするんですけどその人はその人なりの真剣な意見や考えた物に対して馬鹿にし た様にこの台詞を言う事に抵抗があるのと同時に、あんまり考えてなさそうだと思う事もホントにあってこれって一体何を基準に「考えが浅い」と言うのかわからないん です。自分が言われているようでショックだから聞きたくないだけですね。

この劣等感を隠そうと無意識な行為が重なって、それが元々の自分の本質であったかの様に勘違いしていると最近感じていて今までの化けの皮を剥がしたいのが今の一番の欲求です。


12.12

すべては私から始まる。それをいかにして人に見せるか。

先日、友人が合コンに行った時の話。
居酒屋で盛り上がって話をしていた時、食べ物を取ろうと腕を伸ばしたら手首に貼ったバンドエイドを見られて一瞬”間”が入った。2、3日前に手首をやけどしただけなのだが、誰もあえてそこには触れなかった。
その時に、私は周りにいる女子よりも優越感を感じてぞくっとする快感を覚えたらしい。

優越感・・・自分が他者より優れていると感じることや、これにより自分自身の在り様を好む状態で、自尊心はこういった自分に対する好意的な感情の総体であ ると解される。優越感は既に獲得した自分の属性に対して抱く感情であるが、いわゆる「努力した結果として獲得した能力」が他者より勝っていると感じる場合 において、そういった体験が努力などの自助活動を促す側面を持つ。(wikiより)


12.11

ある時を境に、決め事だらけの三味線が逆に自由だと感じるようになった(西松布咏/邦楽家)

学生時代は国語が万年2もしくはそれ以下でした。
自分の考えを他人に分かるように話す事が苦手だというコンプレックスがある。
というか恐怖に近い。

制作中、私の考えを伝える作業は胃痛との戦いでした。

そこで内田さん(ドラマトゥルク)に私の点在する考えを話し、それを文章にして出演者に通訳してもらう事をお願いしました。

それでも文章が話せるようになろうと単語力を強化中。
意識しているのは、このブログを毎日書く事と気になった言葉について調べる事です。
今日は”小ぎれい”のニュアンスが水野さんに通じず、この4単語について考えました。単語が自分の言葉で増えていくのが楽しいです。
・お洒落
・小綺麗
・小汚い
・小洒落

どうやら「お洒落」は「晒れ」「戯れ」から転じている。身なり、服装、髪型が垢抜けている、もしくは気を配ることに「他人からの視線」の意識が加わっているようだ。
これが「小綺麗」になると華美さではなく清潔さを指す事が多く、「自分が自分へ向ける目線」の意識である。対義語は「小汚い」。意味は、どことなくきたない。うすよごれている。なにせ明確に汚いものはないのだけれど全体的に汚れている、もしくは汚れているように見えるとそうなるのだ。
「小洒落」は「お洒落」に「気取る」が加わっている。この際の「小」をちょっとお洒落という意味で使うのは辞書的には誤っているらしい。

ちなみに、
オサレ=自分ではおしゃれと思っているが、他人から見ればおしゃれではない(あくまでもダサいではなく、おしゃれではない)(webより)

私は完成されてる所からひとつ綺麗を引いた「綺麗でダサイ」事が好き。


12.10

いい加減じゃなくて「良い加減」(古我地/沖縄音楽)

①自分のやりたい事をやったはずなのに何かが違う。
作家のやりたい意図とアウトプットされた舞台にズレを感じた場合、どこを、もしくはどうやって修正したら自分の意図に近づくのか。
その修正法が確立してないから、当たりが出るまですっごい時間がかかる。
これだー!!と思ったけど実は全然的外れだったり。

「3歩進んで100歩下がる」の繰り返し

②最近の私は全然良い人ではない。
作品制作してて私は他人の言葉に過度に耳を傾けすぎる傾向がある事が分かった。
そこで「良い人」ぶるのをやめた。
これは自分の問題で自分の事で自分の人生なんだから私が決めていいのだと意識して言い聞かせている。それが本当に必要なのか、そうじゃないのかを私が判断したい。そのためには、自分にとって何が大事なのかを知っていないといけない。
他人の意見を無視するって事ではない。

いい加減じゃなくて「良い加減」(古我地/沖縄音楽)

③牛になりたい
この間カンボジアに行ったら沢山の牛が道ばたにタムロっていた。
アンコールワットより牛。
その得体の知れない存在に魅了されてしまった。
1番衝撃を受けたのは水たまりにいた牛だった。
あの大きな体がまるごと浸かるぐらいの水たまりにまるでお風呂に入ってるみたいに顔だけが出ていた。その表情からは、気持ちいいのか、眠いのか、ぼーっとしてるのか、何か考えてるのか、怒っているのか。たぶん何も考えてないと思うのだが、悔しい事にすごいいろいろ考えてそうに見えて次に何をするかわからないのである。妙な緊張と緩和、実像と虚像、の隙間が見えた。


12.09

女は男の奴隷になるか暴君になるかのいずれかであって、絶対にともに肩を並べた朋輩にはなりえない「毛皮を着たヴィーナスより」

今日金魚を3匹買いました。更紗和金と黒出目金です。
レジで支払いするまでは愛情のかけらも無かったはずなのに、バケツ(仮住まい)に移したら突然愛しくなりました。
黒赤白の綺麗な着物を纏った姉さん達の名前は猪鹿蝶と言います。

《今日の考え事》

・金魚の名前
・単語力
・クリティカルレスポンスの方法
・毛皮を着たヴィーナス
・春琴抄

「毛皮を着たヴィーナス」
カルパチアの保養地で毛皮の似合う美しい貴婦人と出会った青年は、残酷なヴィーナスに足げにされ鞭打たれる喜びを発見する。二人はフィレンツェに旅し、青 年は婦人の奴隷になる契約を結ぶが、彼女に接近するギリシア人の出現に新たな苦悩の快楽を体験する—マゾヒズムの性愛を幻想的な世界に昇華させ、サドと並 び称されるザッヘル=マゾッホの傑作長編小説。(webより参照)
マゾヒズムやフェティズム以外にも様々な哲学がこの本には含まれているようですが、私は「主人」と「奴隷」の関係性が気になりました。

このSとMについては、言葉にするにはまだ時間がかかりそうなので、このぐらいで書き逃げします。

関係性という話で。。。
作品制作では作品に関わる人達との関係性をどう作るかが非常に重要な問題です。
組織で行動する時、ヒエラルキーがあってこそ無駄無くそれぞれが自分の役割にベストを尽くす事ができます。独裁者になってはいけないけれど、平等な関係は船頭多くて船進まずと言った所です。

世の中はSM。


12.08

只今am3:39。毎日ブログ書きますと言った自分を恨み中

《今日の考え事》
・言葉のチョイス
・ビジュアルが楽しいか
・別府に行くまでのやる事
・別府に行ってからのやる事
・私は自分の人生をどうすればいいのか、どうしたいのか。
・宗教

「私は自分の人生をどうすればいいのか、どうしたいのか」

私はこれまでダンスカンパニーに所属し、その振付家が考えた踊りを踊っていました。『誰かの』踊りを踊っているうちに、自分の踊りがしたくなった。それは、違うジャンルのアーティストに会った時「あなたはどんなダンスをしているの?」という質問に答えられなかった事がきっかけでした。
自分の足で立ち、自分の言葉で話したいと強く思うようになった。
自分の作品を作ってみたいと思うようになった。
そして、リハーサルの合間をぬって、自分の作品を制作するようになった。
けれども、『自分の作品』と言ったところで、所詮、私が考える振付は所属しているカンパニーの振付家の踊りとなんら変わらないものばかりだし、そもそも作品を通じて自分が何を 伝えたいのか、といった根本的なことすらだんだん曖昧になり、リハーサルをしていても、毎回方向性が違ったり、抽象的な話ばかりで作品は一向に出来上がらなかった。

今、舞台が始まった。
照明がつく。
けれども何も始まらない。
1人の女が出て来て話し始めた。
どうやら作品を発表しようとリハーサルを進めてきたのだが、諸事情により上演ができなくなったという。
そして彼女は言った。
「私は本当はどうしたいのか」

夢、願望、ビジョンがあります。
でもそれらを実現するには容易ではないと感じています。
そして、恋愛、仕事、家族の事も気になる。
様々な気になる事がまるでクモの巣の様に大きく広がっていて、そこに捕らえられてしまい身動きが取れないと勘違いするのです。
それを時に、混乱と呼びます。


12.07

うおおおぉおおおおおおおおお、愛してるぜぜぜぜぜぇええええ (by aokid/ダンサー)

今日の考え事
・シナリオの内容
・今日のリハの進行
・性欲
・鏡の前のヴィーナス
・眠い
・中途半端

《中途半端》

作品の中で「中途半端役の伊藤綾」と戦います。高校時代、テストはいつも赤点ぎりぎりの点数しか取らなかった。取れないのではない。赤点分の勉強しかしない。良い点数を取る事に興味がわかなかったのだが、そんな事を続けていたらいつのまにか本気を出すとか一所懸命になる事ができなくなっていた。そこからは中途半端の嵐となった。
趣味も特技も資格もない
自慢できることもない
やる気もないし
もの凄い下手というわけではないが決して上手くない
出来なくはないけど出来るって程でもないどまり

劣等感と鬱屈した自己顕示欲の葛藤に苦しんでるんだけど、
結局、自分が傷つくのが怖かったり自分をさらす事を恐れてるんだな。

1つ思うのは、中途半端って言うのはダメとか出来ないというニュアンスと違う。
何かをする過程で自分のベストを尽くせたのか
それが結果ダメでもOK。そこのダメを受け止めて次回頑張ろうとなれば良い。
舞台のパフォーマンスを後々映像で見た時の絶望感ったらないけど。。。
あとはこれが好き!!という気持ちのピュアさ。
大好きって大きい声で言えるものがあるって素敵です。


12.06

まずは気になる発言から。

わかりやすいと言われて何故か喜ぶヤツ。わからないと言われることに何故か怯えるヤツ。だいたいそのクリエーションの深い部分に居ない。(村井雄/開幕ペナントレース)

今日の考えごと
・今日こそシナリオ書かないと
・考えることをしようとしている
・考えが浅い
・誰に向けて作る作品なのか
・8 1/2の構造とMESSYの構造
・田中夢は何を生み出す記号なのか
・dotsみた
・フィクションとノンフィクション

《8 1/2の構造とMESSYの構造》
昨日から引き続き構造勉強中。
「81/2」はフェリーニ先生の映画です。水野さんにこの構造を参考にしたいんですけど見た事あります?と聞いたら「フェリーニ知ってるか?って私に聞くかーー?(笑)」と。どうやら白虎社時代にだいぶお世話になったらしい。
映画は新作がなかなか出来ない監督の話を軸に女優、妻、プロデューサー、etc…という様々なエゴが彼に降りかかかる(もしくはエゴを生み出す)。そして、現実と理想の世界(夢?幻想?)を行き来する構成を伴っている。
「MESSY」の場合と言うと、ダンス作品を制作中の作家の話を軸に出演者、音楽、テーマ、プロデューサー、恋愛etc…という様々な難題に縛られ、解放されていく。出演者、音楽などはそれぞれ難題の象徴である。
そして、最後に作品を完成できるのか、できないのか。

三線のチューニングは30分もかかったのですが、この短い文章書くのに1時間かかってしまいました。


12.05

これから毎日ブログ書きます。

こんばんは。
菅原さちゑです。

現在は東京都内にて別府集中合宿に向けて全速力で制作中であります。
制作モードに入ってから脳みその80%は「MESSY」関連ですが、考えてる事項が普段より多いためインプットできずに垂れ流し状態です。
そこで毎日何を考えていたかをリストアップしてその中でも特に書きたい事項について書き留めていきます。

今日考えてた事
・構造の仕組み
・シナリオの中身
・メールしないといけない
・ブログに何を書いたらいいか
・私小説とブログの違い

今日は「構造について」
デヴィット・リンチの「マルホランドドライブ」を見た後の感想は
「?????」と「!!!!!」。
どこかにストーリーみたいなものがあるようにも
感じるけどあっちにこっちにあなたもわたしもぐっちゃぐちゃでわけわからん!
なのに、私がおもしろいと思う理由はなんだろうか。
次から次へと謎解きをさせられて答えを探そうに必死に見ているのを見透かしたようにその答えを明かしてくれない。子供の頃「開けちゃダメだよ」と言われて渡された箱をなんとか見ようとする楽しさに似てるかも。開けると別になんて事なかったりするんだけど。。。

1つのストーリーだけでなく、2つ3つとストーリーが交差しさらに時間軸歪み、夢と現実も絡み合う。どうしたらそんな複雑構造になるのか教えてほしい。
この構造を舞台作品にしたらどうなるのか?
舞台の時点ですでに現実じゃないから行き来感が難しい。ストーリーとかの設定でそれらしく見せる事は出来るけどそこから生まれる渦が巻くいていく感覚は出て来ない。
同じ様な効果を出せるアプローチは??
時間軸の伸縮は舞台作品でも可能だけど映像に比べて多少時間がかかる。
1分のシーンと同じ効果を出すために30分ぐらいかかっちゃうのでは?!
言い出したらキリが無いです。
うーむ。映像恐るべし。

もし、舞台作品で上記みたいな作品つくっている人いたら教えて下さい。

あ。1人いました。
リチャード・フォアマン。


11.25

菅原さちゑ 作・演出作品「MESSY」

菅原さちゑ 作・演出作品「MESSY」の
作者本人によるクリエイションブログです。

作品詳細はこちら


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