02.23
昨年秋に初めて鳥の劇場を訪れて以来いろいろ縁もあり6度目となる鳥取入りです。
昨晩は、久しぶりの「とりっとダンス」のメンバーと初稽古。みなさんそれぞれで随分作品の復習、工夫をしてきてくれていてスムーズに稽古は進みました。前回の「鳥の演劇祭」に続いて、今回の踊りに行くぜ!!2では地元鳥取に加えて、とりっとにとっては初のアウェイである京都での公演も控えているので、自然メンバーの稽古にも熱が入ります。
今日は稽古は夜からなので、まずは露天風呂に入り、鹿野に来ると必ず行く「鹿野十割そば」を食し、「足湯」に浸りながら携帯で仕事をし、そしてお魚が断然安い「スーパーはらだ」で買った蟹をゆでて食しました。 今日のリハーサルに向けてのエネルギー、チャージ満タンの坂本と森でした。
01.09
原発事故後、読み返した本、新たに読んだ本がいつくかあります。
その中の一節。
『閃光』
そして閃光がやってきた。僕は笑ってしまいそうになったー閃光だよ。大陸から大陸まで、赤い閃光、銀色の閃光、無色の明るい閃光、むきだしのエネルギー、目の眩むような物理学の法則、緑と金の閃光、
稲光のようにびりびりと走る不安定な黄色い閃光、クローム色の空をバックにした黒い閃光。中性子、陽子、全然落ちてこない高くあがったポップ・フライ、野球帽をかぶった少年が手をかざして上を見上げている。ぐるぐると円を描くようにして歩きながら永遠に待ち続けている。ピンクの閃光、オレンジと青。(中略)主婦が電話めがけて走っていく。詩人は最後の一行をしぼりだそうとしている。
何もかもー人も動物もー何もかもー大いなる遺伝子プール、なにもかも全てが巨大
なブラック・ホールに呑み込まれていく。
世界は安全ではなかったのだ。
ーティム・オブライエン『ニュー・クリア・エイジ』(訳:村上春樹)の一節です。
この文章が最初に書かれたのは’70年代ではないのかな?(オブライエンは何度も何度も自作を書き直す)。
東西冷戦下(つまり核戦争の恐怖下)に生きた自分の青春を痛烈に想い出させる文章です。
(というか想い出して読んだ)。
いつのまにか真剣に考えることを辞めてしまっていた核の問題。
だけど、確かに、生々しくリアルに感じていた思春期の恐怖を想い出させてくれる文章です。
12.20
今日から少しづつ製作日誌を書き綴ろうと思います。
さて、私のクリエイションは、どうしても幸福な出会いとは言い難いのですが、
3/11以後に出会った詩にこんなものがあります。そこから作品がスタートしました。
『灰が降る』
灰が降る灰が降る 成層圏から灰が降る
灰が降る灰が降る 世界一列灰が降る
北極熊もペンギンも 椰子も菫も鶯も 知らぬが仏でゐるうちに 世界一列店だてだ
一つの胡桃をわけあって
彼らが何をするだろう
死の総計の灰をまく とんだ花咲爺さんだ
螢いつぴき飛ぶでなく いつそさつぱりするだろか
学校といふ学校が それから休みになるだろう
銀行の窓こじあける ギャングもゐなくなるだろう
それから六千五百年 地球はぐつすり寝るだろう
それから六万五千年 それでも地球は寝てるだろう
小さな胡桃をとりあつて 彼らが何をしただろう
お月様が 囁いた
昔々あの星に 悧巧な猿がすんでゐた
-『灰が降る』三好達治
11.25
坂本公成 作・振付・演出作品「それから六千五百年地球は寝ているだろう」の
作者本人によるクリエイションブログです。
作品詳細はこちら。