京都1日目。

初日乾杯。
煮え切らないままホテルに戻った。

実は昨日も禁酒で今日は身体が軽かった。
そのせいで、はしゃいじゃったんだね。
いつもやらないことにトライしてしまったのだよ。
本番前のリハーサル中に首を痛めた。
ので、今日も禁酒。

今まで乾杯がノンアルコールなことはなかったのではないか!?
それも、ケガをして飲めないなんて。
身体って、すごい。

それはさておき、

自分の動きだけのことを考えると、やりたいことをやりべきだと思っていたが、作品全体の中で見てみると成立していないかもしれない。自分のやりたいことは、自分の作品の中でやるべきなんだ。と、葛藤で煮え切らない。

別府でのクリエイションの10日間が思い出される。

いろんな人にいろんな事を言われたし、私もきつい言い方をしたり、黙ってしまったりして停滞することもあったけど、結局、菅原が答えを出すと、私はその答えに共感したし、度肝を抜かされた。畑は違えど、考えるテーマや着眼点はいつも共通している。
だから、私は菅原さちゑを信じてきた。
って、言うと大袈裟だし、恥ずかしいけど、でもそんな感じ。

こんな巡り合わせで、私はここにいて、こうして作品を作っている。もちろん、私の作品ではない。あくまでも、菅原さちゑの作品だ。でも、なんだか、そう言って無責任になりきれない。やらされてるなんて思いたくもないし、思えない。

昨年の夏から、メールでのやりとりから始まって、毎月定期的に稽古とディスカッションを重ねてきた。
まあね、
論点ずれてるよ!とか、ふざけっちゃったよ〜とか、あったけど、時間を重ねて行くうちに、菅原が変化してゆく思考が作品に反映されていく。

作品は、もちろんコミュニケーションのための手段であるかもしれなくて、外部に向けられているのだから、まさにそうあるべきかもしれないが、〝作品をつくる〟ことが、その作家の生き方に働きかけ、人生を変えてゆく、世界に触れたり、自分に籠もってみたり、他者に提示してみたり、そんなことができるなら、〝作品をつくる〟ということは、まさに、生きること、なのではないか。

と、私は一人で考えているわけです。

明日、京都本番2日目。
具体策はもう目星を付けてある。

明日は、どんな菅原が出てくるのだろうか。

田中夢