2011/10/25 @華子アトリエ
聞き手:JCDN R.Mizuno
収録は村山華子のアトリエ、東京下町の築60年の日本家屋で行なった。2階が住居部分で、玄関を入ったすぐ1階部分をアトリエにし、自身の作品制作の場所にあて、また子供の造形ワークショップも開催しているそうだ。村山さんと会うのは、6月に京都の公募選考面接で1回目、夏にこのアトリエでミーティング、そして、今回リハーサルを終えてのインタビューで、再びアトリエを訪れ3回目となる。細い体形だが、それに見合わぬ声量のある、しっかりとした通る声。繊細そうな少女の面影を残しながらも、意志の強い決意が見えかくれする表情と語り口。
会うたびにたくましくなっているように見える。たぶん、日々、ぐんぐんと発見していくものがあるからだろう。ダンス作品制作は初となるが、美術作家としてのキャリアから、つくることへのアプローチ方法、経験値は高いとみた。来年の初演までに、まだまだいくつかの峠を越え、その先に華子ワールドをしっかりとみせてほしい。作品テーマは、村山自身のコアな部分である「家族」。作品制作スタート半ば、その手ごたえを聞いてみた。
— 今回の作品をつくろうと思ったきっっかけは何だったのですか?
夏のはじめに、家をきれいにしようと、持っている全部の荷物のかたづけを始めたんです。その時は、まだ自分の中に「家族」っていうテーマを持っているということさえ、実は自覚がなかったんですけど。整理するにつれ、無意識に「家族」にまつわるモノを集めていたことに気がついて。「家族」がタイトルに入ってる本や雑誌を複数持っていたり。
あと、自分専用の資料として、写真とかグラフィックとか、気に入ったものを集めてファイルしていたんですけれども、その中にも、自分にとって家族をイメージさせるものが多くて。
整理する段階で決めてたのは、どうしても取っておきたいなと思うものだけ残そうということ。で、結果、理由はわからないけど、残そうと思うものに共通してるのが、「家族」ってテーマでした。本当の「家族」でなくとも、人がこう、家族のように、繋がっているような姿というものにすごく何か思いがあったんですよね。で、それは絶対捨てられないものとして、残して置くほうに選別されるんですね、無意識に。
その時にわかったことは、おそらく自分が、これから何かをつくっていくときには、形ありきの「家族」ではなくて、家族のように人同士が、一人一人が繋がっていくことだったり、繋がっていける可能性っていうものを提案する何かをテーマに選んでいくんだろなってことです。だから、「家族」です。
©ohashi sho
— 村山さんはその頃、美術家として既に名前が出てきて活動していたわけですよね。この「家族」をテーマに、美術作品ではなく、何故、ダンス作品をつくろうと思ったのですか?
どうして「家族」か、っていうのを考えると、それはやっぱり、ダンスとの出会いが大きくて。ちょうどこの家で一人暮らしを始めて、始めたらすぐにダンスに巻き込まれていく感じで。(笑) そう、本当に巻き込まれたってのいうのが正しい言い方だと思う。
つまり、「一人」になって生活を始めた、一人になった途端に、形として「家族」っていうものはなくなって。その代わりというか、一人になったら急に、家族のような繋がりを持とうとしてくれる仲間やダンサーが現れて。なんか本当によくわからない内に、ダンスの仕事をしていたり、ダンスの現場を共にしていた。それで、強く感じたのは、やっぱりなんかこう、家族って形ではないんだな、と。形じゃないところで人が繋がるってことは、法律で定義される以上に家族的繋がりを生み出すんだなと感じました。立場とかお金ではないところで、人がつながっていくことを大事にできる感覚は、日常的に体と向き合ってるからこそ強く感じられることなのかなと、思います。体は、ウソをつかないですよね。変なプライドとか、お金を目指してがんばることを体は選ばない。ウソをつけたとしても、舞台の上では、おもしろいくらいしっかりウソ臭いものに見えちゃう。だから、あえて、ダンスをやってる人達と、ダンスの舞台で、「家族」をやりたい、と思いました。今回の出演メンバーの組合わせは、年齢的に考えても絶対に本物の家族には見えないですけど、でも、家族感みたいなものは、現実味を帯びて伝えることができるって思うんですね。
— なるほど。そういう実感、体験があって、そこから「家族」をテーマにダンス作品をつくろうと。ある意味、自分の存在をかけたクリエイションですね。実際、作品制作に入る時、どういうことから始めたのですか?
そうですね。創っていく過程で、最初にやったのは、いわゆる“マイホーム神話”に対してのリサーチ。本とか、映像とか、記事とか、写真とか。ひたすら検索、チェック、考えて、メモして、って作業です。内容的には、窓のオレンジ色の光に包まれて〜(笑)、っていう、いわゆる形としての家族像へのあこがれが今どれくらいあるのかな、ということ。逆に言うと、幸福の象徴としてのマイホームは、どれぐらい今の世の中で疑われてるのかなっていうこと。世論みたいなものを、まず自分が実感として知りたかったんでリサーチしました。例えば「家族と幸福の戦後史」という本を読むと、昭和から今まで、やっぱり戦後っていうのが現在の家族って形をつくるカギになっていて。戦前戦後で家族のあり方が違うし、核家族っていう定義が出てきたり。あと、住宅の歴史に関する本を見ると、家のキカクから家族を見た論説もあったりして。
©ohashi sho
— 家族のキカク?
「規格」です。2LDK とか。器としての家の規模。家族の入れ物として「家」を販売する、家を一つのプロダクトと捉える考え方ですね。これも、日本で戦後にスタートした商品計画だけど、モノの売買が選考して、規格に家族を当てはめられるようになってしまった。家族が形ばっかり先行しちゃったっていうことが見えてきましたね。
リサーチすると、「核家族」っていう形をこの先も保とうとすることは自然ではない、疑がった方がよい、という意見にかなり出くわしたんですよね。まあでも、自分自身も、それに共感するところが多いなー、と。数ある家族観にたいして、自分の家族観ってものがうっすら見えてきたなと思いました。
自分が思っている家族観みたいなものは、きっと契約や建前で保たれる人間の関係に反するものだな、と。それってすごくなんか、舞台の現場と似通ったところがあって。利益が出るかどうかでいうと、もちろん儲かるからやる、ということではないわけで。そういうことでなく、気持ちで仲間が集まってくるわけですね。そういう環境においては、リハーサルでやることが多すぎて疲れて沈んでても、だれかが入れてくれるコーヒーが妙においしかったり。凄い夜遅くなっちゃって、ファミレスしかやってなくても、そこでを食べたものを結構覚えてたり。また別の全然違う場所で会っても、「なんかあの時ってさー」みたいな話にすっと入れたりするんです。そういう人の繋がり方が、これからの家族像のヒントになってくる気がして。自分の中に一つストーリーができそうに思えたんですね。
— 実際に作品制作がスタートしてみて2-3ヶ月というところですが、どんな感じですか?今回は、村山さんは役割が多いですよね?作・構成・演出・振付・出演・美術・映像・小道具・衣裳デザインと、作品クレジット全てに名前が入っていますが、大変そうですね?
ついこないだまで、それで自分がすごく混乱していたことには気づきました。今回は、とにかく自分一人で何役もこなさなければいけないんですよね。「作」っていう重要なところも含め。以前のダンス作品制作での関わりは、美術・衣装というところだけ、単独でした。ただ、既にある他人の「作」に対して、美術・衣裳でどうアプローチするか、美術・衣裳をどう生かすかということに関しては、振付・演出をするダンサーに、けっこう踏み込んで意見してきたとは思います。つまり、クリエイションできる立場、衣装や美術という役割は変わっても、作品をお客さんに伝えたいという根本は変わらないし、そのためにアイデアを出すというアプローチは変わらない。
でも今回、作品の全てを自分がつくる立場で始めて、自分のやり方に混乱したなと思う部分は、美術的なアイデアや演出も含めて並行してつくり出してしまったことですね。最初はもう、ごちゃごちゃに考えちゃったんですよね(笑)。作の構想を練りながら美術をこうしたいとか。当初は、「それがまあ正しいのかな、それがその、二役担うっていうことかな」と思ったけど、どうもうまくいかない。
ある日、リハーサルで自分の作品構想を絵コンテを描いて出演メンバーに伝えていたんです。すると、「短くていいから、言葉で目次が欲しい。」と言われたことで、すごくハッとしたんですよ。ストーリーをつくる村山ってのが一人いて、全然別の人格として、美術の村山ってのがいるっていう。やっているのは同じ自分なんだけど、作をやっている自分と、美術をやってる自分っていうのは、引き離して考えないと、これはできないことなんだっていうのに、気がついたんです。
©ohashi sho
— なるほど。リアルな実感だね。村山さんは美術畑の出身というのもあるから、まず人に説明する時、テキストより絵のほうがツールとして自然に出てくるのだろうし、伝えやすいということもあるのだろうね。だけど、それは他の人には、ビジュアルイメージはよく伝わっても、「言葉」がないと、「はぁ?」ってことになるんだろうね。
それに気がついてから、ここ何日かで、「作」にあたる文章・テキストだけをひたすら直しているんです。自分のなかでは、絵本作家にでもなった気分です。絵本でいう「ぶん」を書いているんだと。でも、それくらい美術とは割り切ってテキスト作成をやる必要は感じています。「作」と「美術」をやる人格を分ければ、文章・テキストも、描くときと同じように自由に書いていいってことに気がついたんです。(笑) まあ、でもそこが今の自分の中で、初チャレンジだし、一番、大変なところでもあります。どういうことかというと、形のプランがとりあえずなかったとしても、ストーリーはストーリーで、伝えたいこととして、それを表現する言葉っていうのは、自由なんだ、ってことです。
― そうか。美術系じゃない人にとっては、あたり前のことだけど、美術のほうから常にモノをみていた村山さんにとっては、ビジュアルと言葉の壁が意外にあったということですね。これは表現する上で、言葉と美術がどちらが自由か、ということを一人の中で考えるというおもしろい体験でもあったね。
ええ、そうなんですよ。少し前までは、やっぱり絵や視覚的なことで主に舞台に関わってきたから、何か形にならなさそうな言葉の表現は、ストーリー上で使ってはいけないんじゃないかっていうふうに勝手に思っちゃって。だからお話として、例えば家族の食卓風景のシーンで、「食べ物の写真達が、光り輝いていて」という一節があるとすると、「写真が光輝く」とか、そういう表現っていうのが、言葉でもなんか書けなかったんですよ。“写真が光輝く”って形に出来ないからダメだって思っちゃって。だけど、結局、参加してくれているメンバーと話をすると、「この写真ってどういうイメージ?すごく大事にしているの?何か感情がこもっていたりするの?どういう風に置いてみせる動きがいいのかな?」とか、「じゃあここは、もっと大きいダンスにするの?」とか、そういうところで突っ込んでくれるから、それは作者の意図に沿って、それをさらに言葉で伝えないと、皆にはわからないことなんだって思いました。メンバーとのコミュニケーションは、絵じゃなくて、言葉が先だから。「それは昔からみんなが大事にしているもの」とかいうことは、まず言葉で書いてよかったんだなと。いまさらながらわかりました。
だから、作・構成ということを、自分の中で、別の人格にしてくっていう。大変だけど、でもトライしていきます。
©ohashi sho
― 今回の構成メンバーはどうやって集めたのですか?紹介してください。
えっとー、では決まっていった順で。まず晴ちゃんですね。笠井晴ちゃんは、一番最初に私がダンスに巻き込まれた現場から、実はずっと縁があって一緒で。よく楽屋とかで、ポロポロと話をしていました。晴ちゃんも、ダンサーであるだけじゃなくて、自分は次、何をつくりたいかとか、自分はこれから何をしていきたいかとかを、同じように考えてる人なんだなっていうところで仲良くなって。それは楽屋での他愛のない話から、お互いにそんなことを感じていて。あと、私が楽屋近辺で、美術の作業とかをしていると、度々「私、手空いたからなんかやろうか?」って作業を手伝ってくれてたんです。
― 晴ちゃんはダンサーとして参加していたの?
そうですね、近藤良平さんの現場ではダンサーとして出演していたり、森下真樹さんの現場では演出助手だったり。
だけどよく、ひょろっと抜けて「華ちゃん、手伝うよ」って。手際がよくて、工作も衣装もできる人だな、っていう風に思って、そこでまた一段と仲良くなりましたね。何かをつくっていきたいという気持ちを強く持ってるな、いうことをお互いに感じていたんでしょうね。「華ちゃんは、何かつくる人だと思うからそういう機会があったら、一緒にやるよ」と、晴ちゃんが言ってくれたことが嬉しくて。何か凄く、いい距離にある仲間だな~という感じ。ものを生み出したりつくることでつながってこうという意思表示を晴ちゃんから感じました。
©ohashi sho
― 小笠原大輔さんと、中島晶子さんとは初めてのワークになるんですよね?
はい。二人には、ストーリーのお父さんとお母さん像のイメージが少し出てきたところで、声をかけました。結構直感的に。この二人が、お父さんとお母さんになってくれたらいいなって、ぱっぱって浮かんで。
あっこさんは、浦島太郎(2008年 主催:彩の国さいたま芸術劇場 「日本昔ばなしのダンス」うらしまたろう(構成・振付:森下真樹)でダンサーとして出演、私は美術で参加したので一緒でした。その時、あっこさんを見てて、この人すごく母性があるなって。何かこう、人が普通、気づかないところを見ていて、「大丈夫?」とか声をかけてくれる。みんな疲れがピークの時とかでも、颯爽として、上品なハーブティー買ってきてくれてたりとか。だけど、笑いをとるような面白いことも、かなりノリノリで真面目にやってくれる。そのギャップがおもしろいです。あー、笑いのセンスが合うなーとは思ってました。ただ、あっこさんはダンスの経歴も長いし、学校の先生という職業も続けていて、ちゃんと仕事を確立してるから、気軽に「一緒にやろうよ」と言える雰囲気でもないしなー、とは思ってました。
それでも、今回の作品の「お父さんとお母さん」は、古いものも大事にして、物をとにかく大事にする。食べ物の命をもらってるっていうことを、世間ずれするくらいちゃんとしっかり受けとめている設定のお父さんとお母さん、だったので、そこはやはり、日常のあっこさんにも通じる。そういうふとした日常は、よい形で舞台にのるはず、と思えて。どうしてもやってもらおうと思い声をかけました。
お父さん役の大ちゃんとは、共通の友達がいて。その友達を通じてお互いを知っていました。大ちゃんは、絵的にほんわかしてるけど、つくる事に対してはすごく強くて純粋なエネルギを燃やす人なんだろなー、と思ってました。あと笑いを追求する姿勢、日常的にコミカルなことばっかり考えてメモしていたり、ネタ帳を持っていると聞いていたので、気が合いそうだとなんとなく感じていました。それで、お父さん役が、大ちゃんだったらいいなって思ったんですが、ちょうどその時期に、たまたま晴ちゃんが、大ちゃんが主催する「撫肩GUYDANCE」の公演に出演することになって。それで、晴ちゃんも、同じタイミングで、「お父さん役さ、大ちゃんがいいなと思うんだけどどうかな」って言ってくれたので。その公演を見に行って、すぐお願いしました。それからなので、そうですね、顔を合わせて2ヶ月弱です。
©ohashi sho
― 早いものであと2ヶ月強で初演の公演ですね。これからの作品制作の計画は、勝算はどんなところに?
そうですね。ちょっとずつ動き始めて、さぐり探りここまで来ました。でも今のこの、ストーリーと構成が整理されていく感じに手ごたえがあります。今、テキストをPCで打っていますが、それが完成したら多分、今までみんなが言ってくれた事とかをひっくるめて整理できたっていう実感が持てると思うんですね。今回トライして初めて知りましたが、言葉をつくっていく作業って、段階を追って詰めていくと、言葉がちゃんと磨かれてくんですね。自分の中で。最初は本当に、ただしゃべっているだけだったのが、次に、修正した時には、ちゃんと言葉が必要なものだけ選ばれていってる。わかんなくなったらまた、ざーっと書き出して、また選びなおす。地道な作業の繰り返しですが、最初ダラダラとりとめなく書いて、4枚の紙にぎっしりだった言葉が、次第に選別、選抜されて、2枚くらいにおさまってくる。言葉にも、洗練されてくる過程があるんだなと。必然性のある言葉で綴られた内容は強さを持つということが実感できて、それが、今後の作品制作の過程の指針になる気がします。
どう勝算するか、そうですね、テキストを完成させて読み合わせして、多分メンバー皆がわかってきた、っていう風になってきてくれたら、そこから早いなって思います。
― なるほど。今月中にテキスト完成期限でしたよね。(笑)このあと集中してリハーサルを行なうダンスインレジデンスが12月半ばから和歌山県・上富田文化会館で予定していますが、そこではどのようなリハーサルを行なう計画にしていますか?
映像、小道具との兼ね合いを詰めて行くリハーサルがメインです。テクニカルスタッフの方と一緒に、投影する映像とダンスの兼ね合い、ライブカメラで映し出すダンスシーンの練習、影絵の見せ方などをつめていきたいと思っています。
あとは、小道具を絡ませながら動くシーンの練習ですね。4人が集まって、ひとつになるパズルのような道具も考えていますし、衣裳にもちょっとした仕掛けをしたいので、それらを効果的に見せる動きの試行錯誤もやりたいです。
― この和歌山、上富田文化会館で最終日に地域の方に観ていただくショーイングを行いますね。まずはそれを楽しみにしています。この和歌山のダンスインレジンス中に、vol.2のインタビューを予定しています。すごく進んだね、となっているか、課題がたくさんだーとなっているか、どっちだろうね。(笑) 本日は、ありがとうございました。
Vol.1 END