2010/12/6 @鳥の劇場
聞き手:JCDN R.Mizuno
2010年9月20日21日の2日間、鳥の演劇祭3の上演プログラムとして、「ANONYM」-とりっとバージョンーの初演を終えた。同作品を「踊りに行くぜ!!」Ⅱ鳥取公演でさらにブラッシュアップして上演する。
昨年の鳥の演劇祭2で、鳥の劇場がある町、鹿野町に住む人々を中心に“とりっとダンス”が結成された。山田珠実の作、演出作品で、鳥の劇場近隣の寺、町屋、川辺などの町並で繰り広げられるダンスを観客が巡行し鑑賞するスタイルで開催した。普段見慣れた風景が、ダンスが加わることで、新鮮な風景をつくり出すことになった。
今年も引き続き鳥の演劇祭3で、とりっとダンスを継続して実施することになり、ダンスシアタールーデンスの岩淵多喜子のディレクション、太田ゆかりアシスタントで作品制作に取組んだ。
今年は、「踊りに行くぜ!!」Ⅱとして新作のアイデアを公募し、作品制作を行うプロジェクトとして開始した年でもあり、Bプログラムにおいては、ワークショップ参加者の自己実現のための発表作品ではなく、作家の作品に出演者として表現に参加するという、作品制作の軸をもった方法に転換していきたいと考えていた。そういう意味でも、昨年からの継続2年目のとりっとダンスは、GOODタイミングだ。
最初の“とりっとダンス”説明会では、鳥の劇場主宰 中島諒人さんが、料理にたとえた説明をした。「にんじん、じゃがいも、玉ねぎがあるからカレーを作ろう、ではなくて、カレーをつくりたいから、何が必要か、どうすればカレーはできるか、ということを考えるということなんだ。」
そうして作品制作を開始した。8月の第1回目のリハーサルでは、岩淵が谷川俊太郎の詩を題材にエチュードを行なったり、参加者に原風景を絵に描いてもらったり、素材集めを行い、9月6日から公演直前の13日間のリハーサルでは、作品の構成、ダンスをつめていった。9月19日20日の公演当日、出演者のひきしまった表情に、「別人のようだ」と知り合いの観客は驚いていた。
— 最初、とりっとダンスのメンバーと顔あわせしたとき、どんな印象を持ちましたか?
リハーサルの集合時間は決まっていても、みんな自分の時間感覚でスタジオに現れたり消えたりするので、いつになったら全員と会えるのかな。。。というのがはじめの印象でした。(笑) しかも、名前を覚えるのが得意ではないのですが、とりっとのメンバーはニックネームのような英語のセカンドネームを持っていたので、一体誰が誰なのか?覚えるのが大変でしたね。(笑)
— 昨年このニックネームをつけたんですよ。参加者の一人、リンダさんの提案で。普段の生活、日常から切り離して思いっきりよく表現するためには、別名を持つことが必要なんだ、って。別名を持ち別人になった気持ちになりたい、ということから始めたみたい。
初めてお会いした時の印象は、メンバーが性別、年代、外見、全てがとてもバリエーションに富んでいたので、この個性を作品にどうまとめることができるか、という不安と期待を同時に持ちました。ただ、皆さん大人で、佇まいがとても自然で、温かく、鳥の劇場の雰囲気も落ち着いていたので、比較的すぐに雰囲気に慣れることができたように思います。
— 作品制作を進めていく中で、出演者の様子にはどのような変化がおきましたか?
最初の5日間はワークショップ形式で、色々なことを試していったのですが、初めての課題で、谷川俊太郎さんの詩からイメージした動き、場面をそれぞれに出して踊ってもらったのですが、それを見てびっくりでした!
— そうですね。わたしも正直、驚いた。いろいろな地域のクリエイション ワークショップをみてきたけど、この“とりっとダンス”の人たちから出てくる表現は、観た人を説得させるリアルさがありますよね。
やはり、昨年からの継続というのは、すごい力なんだと思いましたね。
それぞれとても個性的で、率直で、とても刺激を受けたのを覚えています。人によっては、自分からアイデアや動きを出すことにはじめは抵抗がある方もいたのですが、作業を進めていくうちに日に日に顔つきが生き生きと変化し、それに応じてメンバー内の結束、作品に対しての理解も深まっていったように思います。
©Haruchika Watanabe
— 岩淵さんが作品制作を開始するコンセプトやテーマを探していた当初、出演者となる“とりっとダンス”のメンバーとはまだ会っていなかったわけですが、そこはあまり関係なく何をやりたい作品なのか、がまず、ありきだったのでしょうか?
作品は谷川俊太郎さんの「Anonym」という詩をモチーフに、無名の個々から出る些細なことを集め、「記憶」と「時」をテーマに作品をつくりたい、という大まかな構想から始めました。美術と空間のアイデアは大まかに決めていましたね。作品のコンセプト自体が、とるに足りない小さな個々の、言葉にはし難いけれど何か大切なものに光を当てる、というものだったので、中身は皆さんに会ってから、という感じでした。鳥取の風土も作品に取り込みたいと思っていたので、大枠のイメージは持っておいて、できるだけ頭をからっぽに、アンテナだけしっかり張っていよう、という感じでした。
最初の8月5日間のリハーサルで行ったモチーフを一度東京に持ち帰り、そこから作品を具体的に組み立てていきました。皆さんから出た動きや場面、個性と、私が抱いた鹿野の風土の印象、空気感みたいなものを一つの流れに落とし込んでいった感じです。
— 今回の作品制作をとおして、岩淵さん伝えたかったことは、上演を終えたいま、作品として落としこめたと感じていますか?
自分としてはとても満足しています。作品には、コンセプトの「取るに足りない個々の、言葉にはし難いけれど何か大切なもの」がメンバーそれぞれの生き生きとした等身大の表現として、そして、それを大きく包み込む時間の流れのようなものを現わすことができたと思います。誰が欠けても成り立たない作品になったと思います。anonymは「無名」という意味ですが、歴史には残らない、小さな個々の些細な歴史、だけど、その小さな一つ一つが実は大切で、かけがえのない唯一のものだと思っています。
“とりっと”の皆さんの表現は、そのかけがえのないものを感じさせてくれるものになっていると思います。是非多くの方にご覧頂きたい作品です。
©Haruchika Watanabe
— 鳥の劇場は、初めてだと思いますが、鳥の劇場の活動や、鳥の演劇祭についてどのような印象を持たれましたか?また、今回の作品制作にあたり、民家での滞在やクリエイションの環境など、いかがでしたか?
鳥の劇場は創作の現場として大変理想的な環境だと思います。滞在期間中はスタジオが全日使用可能で、メンバーの方とのリハーサルは1日2-3時間でしたが、リハーサル以外の時間もスタジオが使用出来たため、昼間はセットや音楽やアイデアの断片などをアシスタントの太田さん、美術、テクニカルの方とメンバーとのリハーサルとは別に進行することができました。そのゆとりの時間があったからこそ、短期間でも作品をしあげることができたのだと思います。
また、劇場スタッフの方々は私たちが自由に活動できるよう、最適の距離感を保ちつつ、とても暖かく活動を見守って下さり、必要となれば即時色々対応して頂けたので、安心感を持ちながら滞在、創作を進めることが出来ました。鳥の劇場は地域に根差した、建物というハードの中に本当に機能する、生きたソフトを持つ日本では数少ない劇場の一つだと思います。
また「鳥の演劇祭」は、一般の方から専門的な方までが満足できる、多様でしっかりとしたコンセプトのある演劇祭だと感じました。“とりっと”の作品の公演日と同日に、スイスのジル・ジョバンの公演が組まれていて、観客の方はコミュニティダンスと海外で活躍するアーティストの作品を同時に見ることができ、おのずとダンスの表現の広さ、多様さを感じることが出来るプログラムとなっていました。
また、とりっとの公演で感じたことですが、本当観客層が多様で、文字通り老若男女、子供からご年配の方までがいらっしゃって、反応、反響も様々でした。いかに普段、東京で私たちが限られた一部の観客層の前で作品を発表しているんだろう。。。と感じさせられました。私は今回この企画をやらせて頂くまで、コミュニティダンスは参加者が一般の方だからと思っていましたが、観客も含め地域や社会に根ざしているからコミュニティダンスなんだな、、とあらためて実感しました。
— とりっとダンスの公演後、ご自身のカンパニーのリハーサルを鳥の劇場で行いたいと思われたとか。
そうなんです。今回は残念ながら実現できなかったのですが。今、自分の主宰するカンパニーの新作の創作を行っています。タイトルはとりっとと同じ「anonym」で同じ箱馬のセットを使っています。全く別の作品ですが、出発点としてのコンセプトは“とりっと”の作品と共通する部分も多く、今後、鳥の劇場とりっとバージョンとLUDENSバージョンを同時に上演する機会があったら素晴らしいな、、なんて思っています。それにはまずLUDENSバージョンを“とりっとダンス”に負けないくらいの作品に仕上げなければいけませんが。。(笑)
いずれにしても、いつかまた鳥の劇場に戻れる日があれば、、と思っています。鹿野と鳥の劇場は、「戻ってきたい」と思わせる場所です。劇場関係者の方々、とりっとのメンバー、観客の皆さん、そして機会を与えてくださったJCDNに心から感謝致します。
— ありがとうございました。とりっとダンスとルーデンスの「ANONYM」公演、楽しみですね。