05.09
こんにちは。永井です。
土・日と森下スタジオをかりてリハーサルをしました。各シーンの意味やあり方、それぞれの役割のありかた、見せ方を考え直したうえで、3月までのものから変更して、通しをしました。一つ一つのありかたはだいぶ整理されてきたと思います。リハーサル後に通しの映像を今回美術をしてくれている青木さんにみてもらい、意見をもらいました。それをふまえて、少し演出を考え直しているようです。
今日はリハーサルはお休み。なんだか、筋肉痛です。明日は最後のリハーサルで照明さんが稽古にみにきてくれます。
今回この作品におけるダンスのあり方について考えてきたときに、演出の上本からなげかけられていたのは、
どうしたらダンスを知らない人にとってダンスが大切だと納得してもらえるのかという問いかけでした。
演出の上本は自分のことをよく「ダンスや舞台芸術に関して専門的な場所で学んだことがない人間」という言い方をします。
コンテンポラリーダンスをどう説明するかはそれぞれの価値観があるかと思いますが、
ふつうの人はコンテンポラリーダンスをみて、何でこんなことをしているのだろう?とまず疑問に思うのではないかと思うと上本から話がありました。
コンテンポラリーダンスって何?どんなダンス?と聞かれると、なかなかうまい言葉がみつからなかったりする自分がいて、その答えをこの創作をしながらずっと考えていました。
自分たちの表現がショーやエンターテイメントではないとしたら、なぜ?という人達に納得できる答えを自分たちはもたないといけないと思うと、上本にいわれました。
ダンスが私たちの日常生活の中でだれからも疑問をいだかれずに一番自然な形として、うけいれられている例として、お祭りの盆踊りや、神社で行われている踊りがあるという話がでました。
それはそのダンスに目的・意味があるから伝統として受け継がれていて、それを知らない人でさえその価値を疑いはしない。
そんな話から振付の考え方を考える参考になるかと、日本舞踊のことを調べたりもしました。
日本舞踊は「生活の中の歌や踊りから生まれてきたもの」とありました。その中では、テクニックで洗練されていて、舞踊作品が高尚でいいが、もう少し自分たちの足元をみて、日本人の社会生活がどう動いているのか、そうした社会生活の様に目をむけていくことが大切だということも書かれていました。日本人がどんなことをして生きてきたか。どんなことを願っているのか。というようなことが、作品の中に含まれている。
そんな日本舞踊のあり方や考え方を調べているうちに、今この世界を生きている自分の身体はどんなふうになっていて、自分が実際に触れているものは何なのかをしっかりみていきたいと思いました。
その中で今回の作品では日常の中で自分達が繰り返している行為に、何か大切なものがあるのではないかという話になりました。
演出とのやりとりのなかで、今自分がしてきたことをあらためて考えてみると、今回の振付は、小さなフレーズを、いろいろなモノ(普段身の回りにあるもの)にふれながらおどってみたり、言葉や会話(そこにある関係性)と一緒にやってみたり、日常で繰り返している行為と同時にやってみることで、繰り返しながらどう最初にあった形が影響をうけていくのか、という方向ですすめてきました。同じことをしていても、それは外部の影響にさらされている身体であって、違うものにふれ、繰り返す中で残っていくものは何なのかということでした。
頭で考えることと、身体で届けることは違うのかもしれない。
今身体を通じて出ているものが、お客さんには届くものなのだから、身体にどうみえるかが大切だとは思う。
でも考えないことには、何もはじまらないので、考える。踊る。また、考える。息抜きをして、また踊る。その繰り返しです。
私はバレエからはじめ、イギリスでコンテンポラリーダンスを学びました。日本に帰国して、たくさんのダンスのあり方に出会いましたが、こんなに創作の中でメンバーと話をしたことはなかったと思います。話してばかりじゃダンスはつくれない、、、と思いながら、きっとこのメンバーで作品をつくるということは、話すことの大切さがあるのだと、思います。
05.08
永井です。昨日から森下スタジオを使わせてもらっての稽古です。
5月の振替公演にむけて出演者の変更とともに作品をあらためてみなおしてきました。
3月の震災後、1ヶ月ほどはそれぞれの生活にもどり、作品とは各自で距離をおいていました。
4月にはいってから、メンバーであつまりました。
作品をつくることって本当に難しい。人に伝えること、共有すること、分かろうとすれば分かろうとするほど、迷路のようになる。
震災があったことで、私達の生活のいろんなことが変わりました。
作品をあらためてみると、まるで震災を連想してしまうようなイメージがあるね、という話しをしていました。
それをどう私達は捉えるのか。
でも、震災を連想させるから、これはやらないとかいうふうにするのはおかしいと私は思ってみんなに伝えました。
それを受け止めるのもとても大切なことだと思うから。
どんな言葉にしても、行動にしても、結局はこうも見えるし、ああも見える。裏もあれば表もある。どっちが裏とか表とかもわからない。
いろんな考え方や価値観がある中で、何が正しいとか、間違っているのかなんてわからない。
こうだと思っていたものが、違う考えに出会い、ゆらぐ。こうかもしれない、ああかもしれない。
一つの正解があると信じてそれを探そうと思うと、それを探しているうちに疲れて、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまう。
今の自分にとって真実なこと、をちゃんと実感にしていくこと。
そして、それが唯一のものではなくて、変わっていっていいものだと、自分をひらいて、一日一日をすすんでいくこと。
そんなことを、今回の創作を通じて思いました。
私にとっては踊ること・つくることも、踊りをみることも、自分のなかにある何か、それは「自分で見ることのできないもの」や、「気づかなかったもの」に触れる、手にとる、考える、感じるということに意味があると思っています。
それは時にはとても苦しいし、ときにはとても楽しい。
ただ、今いる自分は今しかなくて、今実感できること、今みえている景色はそのときの自分だからそう見えるわけで、きっと昨日の自分、1年後の自分では同じようには見えない景色で。
だから、私は舞台をみる人に、
自分がそのとき、目の前にあるものをどうとらえるのか、を考えてほしい。
それが何を意味しているのか、は置いておいて、それを目撃したときに自分は何を思い浮かべて、どんな感覚をもつのか。
自分の感覚と対面しながら、自分の感覚と向き合うような時間をすごしてほしい。
作家が何を考え、その作品がどういうものだったかなんて、あとで聞いたり、考えたりすればいい。
この作品にはいろいろな言葉や、物や動きが散らばっています。
「分かりにくい」と言われてきたこの作品。
本番までにできる限りのことをして、届けたいと思います。
05.05
上本です。地震での公演中止後、初めて投稿します。
地震のあった日からの間、ニュースやネット、本などで色々と必要な情報を集める、周りのひとと連絡を取るなどに意識を向けた時間が長く、「終わりの予兆」という作品について、このblogに文章を書くかたちにはなりませんでした。
ただ日にちは経ち、2ヶ月ほどの間に作品について考え、動いたことがあり、その分だけこの作品は、来週の代替公演では3月の地震の日にあったはずの東京公演で上演する予定だったものとは変わっています。出演者も変更があります。
その変わったものを見ていただくことになります。でもそれが今この5月であり、無くなった3月と比較できるわけでもないので、今このまま、という感覚でいきたいと思います。
明日はトヨタさんの体育館を使わせていただく最後の日です。
ビルに入って受付していただくところまで歩いていくところにいまだに緊張してるんですが。
半年間、ながらくお世話になりました。ありがとうございました!
03.07
更新をすっかりせず、次は東京公演です。。。AAPA音響の國府田です。
前の投稿は11月でした、、、 http://odori2.jcdn.org/uemoto/901
気を取り直して
今作における、私のパートとしては、
・肉声(言葉)
・舞台上にある物を使った音
・肉声のエフェクターによるディレイ(フィードバックのコントロール)
・物音と言葉、リズムシーケンスの簡単なDJミックス
によって作品を構成しています
特にエフェクターを使ったオペレーションは、舞台上に4本のマイクを置き、それらを自分が走り回って声を吹き込んでいきます。1月末の鳥取でのレジデンス中に思いつきました。
こんな感じですね。
http://odori2.jcdn.org/news/1995
舞台上最前線に立つ(走る)裏方をぜひご覧ください。
AAPA 國府田典明
03.02
こんばんは、永井です。
鳥取・福岡と公演をおえて、明日から伊丹の劇場入りです。
福岡滞在は2日間だったので、本当にあっというまでした。
福岡公演ごのアフタートークの様子。
鳥取でも、福岡でも公演のあとのアフタートークはお客さんからの声を直接きける貴重な時間。
そして、打ち上げの場では共演者やスタッフの方々ともお話できました。
打ち解けた雰囲気の中で厳しい意見もあるけれども、そうして話していくうちに気づくことが多いです。
今回のように、1つの作品を何度も本番を重ねていけるのは、本当に幸せなことで、
作品がたくさんの人の中でつくられていっているという感じがします。
これから伊丹・東京公演を見に来てくれる人には、是非感じたことを伝えてもらいたい。
==========
福岡公演をおえて、いわれたこと。
今の作品では言葉が多様されていて、身体が見えてこないと、鳥取の時から言われ続けている。
打ち上げの中で見に来ていた批評家の方とお話していて、「言葉」と「ダンス」の距離をどうとるのか、自分たちの距離感を考え続けるといいと言われた。
それはとても難しいことだけど、正解があるわけではなくて、自分たちがどう据えるかをつかんでいくことだから、考えつつけるといいと。
「言葉」がもっている印象。
「身体」に残るもの。
今のままではダンス作品になっていないとダメだしをされる。
身体で説得力のあるものにしないといけない。
==========
明日は朝がはやいです。8時羽田発。
なので、今日はここまでにして、明日の準備をしようと思います。
伊丹からまた更新していきたいとおもいます。
福岡公演がおわって次の日、飛行機まで時間があったので散歩に。きれいな梅がさいていました。
02.04
上本です。2/1にショーイングが終わり、その次の日は一日おやすみしました。
やすみの様子は、ダンサーのかおりさんがブログに書いてくれているのでこちらをどうぞ。
ひさびさにゆっくりと時間を過ごして、再び昨日から、6日の本番に向けて最後の作りこみをしています。
美術を仕上げ、照明をつくり、音響を調整し、映像を確定し、ダンスをさらに深く掘る。
ダンスとは何か。決して簡単に答えがでるものではないですが、だからといって答えを出さないままに終わることはできない。
今回、自分はこう考えた、というものを具体的に、実際に舞台に立つ出演者のからだを通じて、示さなければなんともならぬ。
そう、たくさんの皆さまに言われまくったおかげで、ようやくこのたやすく動かぬものが、ゆっくりと動き出してきた・・・(はずだ!)
明日はついに、ゲネプロです。
02.02
すっかり鳥取・鹿野での生活になじんできてます。上本です。
さて昨日、1/25から鳥の劇場にてレジデンスをして稽古をしてきた結果を発表する、ショーイングがありました。JCDNの水野さん・佐東さん、鳥の劇場の皆さん、そして本番でご一緒するとりっとダンスの出演者の方などに観てもらい、終了後はみなさんから様々な質問や意見、感想をいただくことができました。
特に明言されてたわけではないですが、恐らくこれが「ワークイン・プログレス」なのだろうと思いながら、昨年に引き続き2回目となるこのショーイング後のやりとりの時間を、皆で円座になってじっくりと。
皆さん創作の現場にたずさわるひとなので、今回も厳しい(かつ貴重な)意見をたくさんもらいましたが、確実に前回の昨年秋より前進した手ごたえを持ってのぞめたので(まあ当たり前だろって話だが)、揺さぶりも心地よく次に進む糧とする。そう考えていけてます。
中島さん、水野さん、そして佐東さんからは、この踊りに行くぜⅡの選考面接のときから毎回、本当に大事なことを言ってもらっている。
よくこんなしゃべる機会すくないのに毎回的確に話せるなと。やっぱりプロは違うぜ。
その大事な言ってもらったことをここにメモっておこうと思うけど、今日はこれから鳥取公演でいっしょの前納さんチームのショーイングが18時からあるので、とりあえずここで終えて、それはまた後日ということにする。ではまたー。
01.31
ウエモトです。昨年10月に引き続き、1/25(火)から鳥取・鳥の劇場にお世話になりまして、本番直前の滞在制作をしております。
で、あっというまに1週間がすぎまして、明日はもう2月です。そして明日は本番前、最後の中間?発表(ショーイング)があります。
つまり、かなりこれは最終段階、ということです。
いろいろ積もる話もあるわけですが、劇場の退館時刻22時目前なので、そのへんの話はまた後日。
とりあえずそんなんです、という報告です。
あ、ちなみに昨日は、町家をお借りして宿泊させてもらっている鹿野のまちでのイベント、この時期といえばコレ!「豆まき」に、鬼役で参加してきましたよー。
鬼は、ダンサーのかおりさん、タイヨウさん、そして自分の3人でいろんな場所にのりこんできましたよ。今朝の新聞(鳥取の地域版)にも掲載されたらしい。ショーイングおわってよゆうがでたらぜひ見たい。では、簡単に報告でした!
01.24
上本です。とうとう明日から、鳥取の鳥の劇場に2度目の滞在制作です。そしてそのまま、2/6に鳥の劇場で本番となります。本番までがっつりです、そして雪もがっつりらしいです。自分は生まれてずっと東京近郊で暮らしているので、雪が積もっているところに10数日いた経験はたぶんない。ずっと雪景色かー。それだけで不思議だ。
さて前回の続きです。2011年になりまして、正月明けすぐに映像・美術の本制作に入りました。それまでテストで流していた映像、配置していた大道具・小道具を、本番用に入れ替えていきます。
もっと早くから作りなさいよとなんどとなく言われておりますが、自分が美術プランが演出を直結させているため、AAPAで「PAPERGATE」から一緒にやっている美術の青木さんには、今回も実制作は限界ギリまで待っていただいた。このやりかたに付き合ってもらえる青木さんには毎回とても感謝だし、またこういうことが青木さんだから成立できているということも絶対わすれないようにしようと車の助手席にもなんども乗せてもらっていて思うわけです。
そして映像の実制作、というわけで、まず撮影です。
今回の作品、「終わりの予兆」のカギとなるテーマ、終わりがないように見えるもの。「身長が止まったころから着続けている服と、そこからのぞく自分の腕」という感触を撮るべく、メンバーのひとりの記憶の土地へと撮影に行く。
今回の企画に応募したときの作品アイデアでは自分も出演すると考えていたので、映像ではまず自分の記憶の土地を撮影してみる予定だった。だが出ないことになったので、じゃあ映像は初めの案でいくのか?ということを考えていた。
9月の終わりごろ、音の國府田くんがメンバーのちいさいころから今までの、それぞれの時期にやっていたこととか将来について考えていたことなどをインタビューすることを試していて、その録音をなんどか繰り返し聞いていたら、気になることがあった。あ、そしたらと思って、出演するメンバー全員を撮影するとかじゃなくて、ひとりに絞ろう、と考えた。
というわけで、記憶の土地は、ひとりについてだけ撮影しに行くことになった。
そしてこれは偶然だけど、その土地は東京の西と東の両端みたいなところにあって、それが象徴的になっていた。東京も西から東まで往復すれば、みごとなドライブ。撮影は朝から日暮れまで、ちょうどだった。
自分が出ないことにしたとき、自分の代わりを別のメンバーひとりにしてもらう、ということにはならないだろうとは思っていたが、ではどうなるのかというのは分からなかった。
結果として、映像についてひとりを撮影するとなったことが、最初のアイデアを維持する・保存するとかじゃなくて、掘り起こすことで生まれ変わる・・(ちょっと言い過ぎか)みたいな方向に進んでいることを、決定的にしたと思う。これでハッキリした。
撮影が終わり、美術もいろいろ兼用して示すことを意識し、去年の12/10に出した初案からだいぶ削減。美術の実制作に入ってもらう。
今回は、たくさんのひとに関わってもらうのではなくて、できるだけ少ないメンバーでと考えたため、映像の撮影も、美術の青木さん。クレジットにある6人に、振付のアイデア出しを手伝ってくれたダンサーふたりで今回はすべて。
(人数を限ることは良いところも悪いところもあると思う。ただ今回は個人的に反省があり、限ることにした)
明日、25日からは5人で鳥取。青木さんはいないが、しっかり見えてくるものにしたい。
今回の「終わりの予兆」は、AAPAで2009年3月の「cover」から始めた、何度も繰り返すことを基本にした創作の、区切りになると思う。しっかり終わり、に。では鳥取に、行ってきます。
これまでのこと。終わり。
01.18
上本です。今月末、25日からの鳥取滞在まで、あと1週間。ダンス、音、美術、映像と、東京にいる間にできる仕上げに向かって、それぞれ最後の追い込みです。メンバーは去年の年末から、かわりばんこに風邪を引いてて心配ですが、いちどかかってしまえばもう引くことはない!と前向きに考えております。
では前回までに引き続き、これまでの振り返りを。
AAPAのつくば公演が終わり11月も半ばを過ぎたころ、今回の『終わりの予兆』の全体構成を決めた。結論としては、鳥取でのショーイングで、シーン3の「終わらない会話」で使用したテキストに少し手を入れ、作品全体の軸にすることにした。
今回、あらためて構成を決めるに当たり、今回の企画に応募したときに「作品アイデア」として書いた文章を読み直した。
そこで目が行ったのは、参加メンバーそれぞれに「役割」を持たせる、と書いていることだった。
「役」か…と思った。自分の役割のところには、【「何を話すのか」を書き、】と書いている。
これはやっぱり、言葉(テキスト)が軸なんだと思い、シーン構成は以下にすることに決めた。
(1) プロローグ
(2) 「終わらない会話」
(3) エピローグ
何度も何度も疑ってかかって、時間をかけてしまってたが、最終的に出てきたものは相当シンプルだった。
というわけで、鳥取のショーイングで見せた4つのシーンの内、3つはボツ!!ということに。
1つ残ったシーンにしても、アイデアは引き継がれ深められるにしても、動きについて言えば実際は作り直しなわけで。
いったい今までやってきたことは何だったんだろうとか、もうこういう作り直しはこれで最後に!!とか…
みなさまからしっかり念を押され、グラグラ加減もMAXで
ここからなんとか挽回だーと、12月の稽古をしていきました。
そんな年末まっさかりの稽古写真はコチラ(美術の青木さん撮影)
いまの時点ではもう消えてしまった小道具たちもたくさん。
稽古場のスタジオにもともとあったものも写ってるからというのもあるけど。
つづく
01.10
上本です。1月になって、東京も本格的に寒くなっております・・!
夜の稽古場が小学校の体育館だったりすると、広いのはいいのだけど暖房がないのでとにかく寒い。とりあえず何かしら動いてないと不味い。演出なのでついつい動くのを忘れて通しを見てしまい、気づかぬうちに芯から冷えてしまい。ホント冷えるだけで風邪ひくんだなと、冬の体育館は侮れないね。そういえば2011年の最初に観た舞台は、三条会の『冬物語』でした。冬だなあ。
というわけでいまや新年の2011年なので、既に年をまたいでますが、これまでやってきたことの降り返りを続けていきます。
(2010年の)10月末に鳥の劇場でのレジデンスから東京に戻ってきて、まもなく。AAPAのつくば公演のため、つくば市北条にある「矢中の杜」に滞在することに。
とはいえ、「踊りに行くぜ!!」のことが頭から離れるわけもなく。webサイトに掲載するインタビュー記事の編集もこの時期に重なっていたので、鳥取でのことを何度も思い返した。
その中で繰り返し、頭に巡ってきたいくつかのこと。
制作経過のショーイングの後、鳥の劇場の主宰であり演出家の中島さんからもらった言葉。
「ただ時間と空間をデザインした、というだけの舞台になってはいけない」(といった意味のこと)
インタビュー含め、JCDNの水野さんが繰り返し伝えてくれていたこと。
「身体(からだ)があって、表現するから人に届く、というところを上本さん自身がみつけることが、ポイント」
この2つの言葉が、何度も頭に浮かんできて、考える。
時間と空間だけではないこと。
身体の必然性。
自分がこれまで興味があってやってきたことが、この言葉に答えるとしたら、どうなるだろうか。
すぐ正面から答えることができるものでは、無い感じがある。
鳥取でのショーイングの際のシーン構成(場面タイトル)は、以下のものだった。
(1) プロローグ
(2) ささいなこと
(3) 終わらない会話
(4) 理由のないこと(寝そうになる、倒れる、立つ、動物、人間)
ショーイング自体はバラバラでゆらゆらしてたが、今回の作品要素は、その殆どがこの中にあると思う。
次の課題は、それがどういう構成を取れば、自分が感じているものを表す形になるか。
そしてそれが終わり次第、シーン毎の内容を(鳥取で書いた台本をベースに置いて)1から作り直す。
特に味気のしない骨だけのところに、肉を育てていく。
今度は、もう一度、1から作り直すようなことは時間的にできない。
ここで作ったプロットを最終にして、再び鳥の劇場に滞在する1月末まで、作り込んでいく。
つくは公演はぶじ終わり、11月は半ばになっていた。つづく
01.01
新年あけましておめでとうございます!
永井です。
年末に引越しをし、新しい場所で2011年をはじめます。
今日は一日のんびりしながら、整理整頓をしていました。
秋からはじまった「終わりの予兆」のリハーサル。今月25日からは再び鳥取でのリハーサルがはじまり、1ヶ月で本番。
私にとっては悩み続けてきた作品。
自分のまわりにおこっている物事は、それを意識できてる・できていないに関わらず自分に影響を与えているはずで、身体はそれを引き受けながら、毎日をすごしているはずで。
日常に流れているニュースや会話、それを受けたり発したりすることで、身体はどう反応しているのか。
言葉と身体の関係を上本さんが書いた台本やプロットを軸に探ってきています。
あと1ヶ月。ともかく、頭もからだも使って、この作品とテーマと向き合っていきます。
それでは、今年もどうぞよろしくおねがいします!
12.31
2010年も今日で最後ー。みなさま、良いお年を!
そしてこちらは昨日のブログの続きですー。
鳥の劇場でのレジデンスの最後、制作経過のショーイング。
ショーイングの後の意見交換では、とても多くのアドバイスをいただいた。
そのなかで、地元の鹿野町で暮らす、ダンスグループ「とりっとダンス」のメンバーの自転車屋のおじさんが言ってくれたこと。
「とりっとダンスで鳥の劇場で公演をしたとき、夕日に染まるスタジオで行った回と、夜の暗い中で行った回では本当に違った。景色の効果なしにダンスだけで見せないといけない、と夜の公演で思った」
たしか、そんなことを話してくれた。
普段は劇場で公演をすることのない自分も、今回はすべて劇場での公演だから、おじさんが話してくれたことそのまんまだよな。とそのとき思っていた。夜だなあ、と思った。
鳥の劇場でのレジデンスが終わり、東京に戻ってからは、すぐ11月のAAPAつくば公演の準備に入った。
つづく
12.30
上本です。年末、まっさかりですね!
12月は、10日にテクニカルプランの初案を出し、それをまた練り直しながら稽古を重ねての日々。
そんな12月、そして2010年が、もう明日のみで終わり!!!
なので、年が変わる前に、
10月後半、鳥の劇場でのレジデンスで行ったことを振り返って、まとめておきます。
さて・・鳥の劇場での1週間の滞在稽古では、以下の2つを目標にしていた。
(1) まずこの時点で上本がもっている作品のイメージを、シーンや動きのアイデアとして出し切る。
(2) 「終わりのなさ」についての会話台本を、組み立てる。
そして実際はどうなったかというと、こんな感じに。
(1)は、最終的に4つのシーンに。4つそれぞれの関連性は薄く、バラバラな印象。
(2)は、鳥取に来る前までに稽古場で行ってきた会話の録音を材料にしつつ、あらためて話題にするテーマと話すときのルールを決めて、録音。いくつか録って、それを稽古が終わって宿の森本邸に戻ってから、テープ起こし。それを材料に、台本を構成。何度か繰り返し、形にする。
そして、このふたつを組み合わせて、レジデンス最後のショーイングの内容を作ることに。
手もとにあるのは、まだただの素材だけといった状態だったけど、考えた結果、ショーイングではこの4つのシーンをひとつの流れにまとめたもの(20分程度)を、見てもらうことにする。
ショーイング前日までは、ほとんどずっと劇場(もと体育館)の隣のスタジオ(もと幼稚園)で稽古してた。
壁がとてもかわいい。つづく
12.09
こんばんは。永井です。
今週のリハーサルではいろいろなモノを使ってます。
あと、上本さんからわたされた台本の、言葉もはいってきました。
「終わりの予兆」の「予兆」の部分を考えてみると、
予兆っていうのは自分の外部にあるもので。
気づかないうちにそこに自分はいつも触れていて、
それはきっと確実に自分の身体や考え方に影響をあたえていて。
なにげなく聞いている会話やニュースや。
何気なく手に取る飲み物や食べ物や。
何気なく通り過ぎているいつもの景色や。
自分には関係のないものとおもっていたものが、
あるときポンッと自分の感覚にふれてしまったり、リンクしてしまったりする。
予兆をかんじるとき、それは何か一瞬の出来事が一つの絵になったみたいに、自分の中で切り取られるような感覚。
普段の生活の中で自分は何をかんじているのか、身体はどう反応しているのかもっと観察してほしいと上本さんにはいわれた。
もっと毎日を繊細に。そう思います。
12.02
上本です。12月になりましたー。今年もあと1ヶ月!
2010年もいろいろありました、AAPAは夏に淡路島に滞在して9月に神戸のDance Boxでショーイングをした後、今回の作品「終わりの予兆」のリハーサルを東京で始めた。
それからのことを振返ってみる。
まず9月から10月の鳥取でのレジデンスまで。今回の作品テーマをどう捉えるか、メインの5人で話す。
今回の作品、「終わりの予兆」は、『話すこと』を大事な要素にしたいと思った。
それは、ここでの「終わり」が意味するものとして、物語られるようになること、というのを考えていたからだ。
ただ一方で、日常を通じて自分が実感していることは、「終わり」の反対の言葉として(置いていみる)、「終わりがないように見えるもの」。終わりに至るまでを想像しない/できないもの。
「終わりがないように見えるものにも『終わり』があることに気づくとき、そのきっかけと言えるもの、それが終わりの予兆」―。
そういいつつも、この「終わり」と「終わりがない」のハザマが、話を重ねながらもなかなか埋められない。
理想と現実のギャップ、みたいなことか? いや、単純に自分と他者とのハザマ。
そもそも「終わり」って何だ?(それは私は終わりとは思わない)
「予兆」って何をもって言える?(それは私は予兆とは感じない)
「終わりがないように見えるもの」って?(私はそういうものがあるとは思えない)
メンバーとの話を重ねる中で、浮き立っていくのは共有というより違い。
『話すこと』を中心に置きながらの9月からの1ヶ月ほどの稽古は、そんな感触を残して、10月の鳥取でのレジデンスへ。
そこにある何かが、大事なことなんだろうと思いつつ、作品について「終わりに至るまでを想像しない/できない」ことを抱えて、鳥取での稽古が始まった。
11.30
永井美里です。今日で11月も終わりです。
今回、振付と参加していますが、あらためて動きや意味について考えさせられています。動きそのものにみえてくる感覚や感触みたいなもの。踊っていて感じる、のではなくて、見て感じられるもの。
「終わりの予兆」というタイトル、その中にあるテーマについて、メンバーで話すということからはじめた今回の作品。そこからでてきた動きの感触を大切にしなければいけないし、その作品だからこその動きをみつけていきたいと思う。
鳥取のショーイングで、いろんな方からの意見をきいて、あらためて自分のダンス、振付を見つめることができたと思う。それで凹むんですが、でもそこで気づけてよかったです。
鳥の劇場の中島さんやJCDNの水野さん、鹿野の街づくりのみなさんや、とりっとダンスの方など、たくさんの方と話す中で感じたのは舞台に立つということ、作品をつくるということの責任。コンテンポラリーダンスは確かに自由だし、作品を発表する環境も用意されてきた。けど、舞台に立つということは、それが確かに必要なものだと、観ている人・支えてくれる人・社会にに納得してもらわないといけない。そういうつもりで作品をつくらないといけない。
日々、ダンスについて考えています。
がんばります。
11.27
はじめまして。振付・出演で参加してます、永井美里です。
鳥取でのレジデントから1ヶ月以上もたってしまいましたが、滞在の様子をお伝えしたいと思います。
1週間の滞在中は鹿野の町にある一軒家を提供していただいて、メンバーと共同生活をしていました。下の写真がそのお家と、1階の様子。
滞在中はスタジオを自由につかわせていただき、本当に贅沢な環境をいただきました。
ダンスのことばかり考えていた1週間。最終日にショーイングで今あるものを見ていただきました。まったく知られていない私達のショーイングに、予想以上に多くの方が見に来てくださりました。そこでいただいた率直な感想と意見を大事に今も創作をすすめています。
創作の現場に行き、制作の方や劇場の方、地域の方などたくさんの人と話すことができて、舞台に立つ、作品をつくるということの意味や責任をあらためて考えることがたくさんありました。そういう意味でもとても貴重な1週間でした。
ショーイングでいわれたことで、舞台にたつ身体が弱いと指摘されました。
今回は話すこと、言葉という部分が作品の要素に大きく入ってくる。言葉を身体がこえていかなえれば身体が舞台の上にある理由はない。
帰ってきて繰り返し、鳥取でのショーイングの映像をみてみました。動きが流れてしまう。何をみせたいのか、どこをみせたいのか。
振付というものにあらためて向き合っています。
これからは創作について少しずつでもブログにあげていきたいとおもいます。
今日はこれからメンバーのトチアキタイヨウさんが出演している舞台をみにいってきます!
神村恵カンパニーの新作「飛び地」。どんな作品か、楽しみです。
11.21
初登校、いや初投稿、AAPA國府田典明(コウダノリアキ)です。どうぞよろしくお願いします。
自分は、特に身体表現をするわけでもなく、いつもは音の立場で参加しています。
今回も音の立場で参加します。AAPAでは環境音響とか、環境音DJと名乗ってます。
もともとクラブDJをやっていて、音楽を使って雰囲気をつくっていくのが、好きでやっていることなのですが、
AAPAでは、意図がない限り、既成の音楽を使いません。
基本的に、劇場外での作品を制作するにあたり、その場所や意味を考えていくと、
音楽は非常に個性が強すぎて、イメージを与え過ぎることが多いためです。
身の周りにあるものを利用していく。これはAAPAの作品制作の一手法です。
音の立場でも同様で、身の周りに存在している音に手を加えていく、というイメージで、創作を行っています。
それらの音を再構成することで、DJ的に音の景色をつくる、、、かっこつけすぎですが、、、そういう試みを行っています。
今回は、劇場空間で行う、また、より身体的な表現、が創作の主となりそうです。
ここへ、どう織り込んでいくか、試行しているところです。
果たしてどのような結果を出せるのか、、、。
ところで、AAPA以外の公演でも、音響の仕事を頂いてます。
オペレーションのベースはやはりDJなのですが、以前はCDJを持ち込んだりしていました。
昨年末に東欧でのツアーの仕事を頂いた時に、さすがに多くの機材を持ち込む訳にはいかず、PCでのDJソフトを、
導入しました。実はこれが、舞台音響にはうってつけなのではないかと、使ってみて思いました。
CDやMD(僕は最近は使わないのですが、ダンサーさんはまだ使われている方が多いみたいですね。)では、
秒数で、展開を記憶しておくのですが、PCでのDJソフトは、全体の音楽の波形が表示されるので、音楽の展開を把握できます。特に当日初めて出会って、すぐ本番というような場合、この機能は非常に役立っています。
また、音声ファイルは、当然ファイル名をつけられるので、曲名にメモを加えられたりできますし、予め素材の元CDがバラバラでも、使用順に並べ替えて備えられます。
さらに、最大4つまでソースをミックスできる(プレイヤーが4台あるのと同じ)、
ちょっとした事なんですが、コンピュータ的な機能が、より便利さをもたらしてくれてます。
そういうような事で、テクニカルな話題も、ちょこちょこ書いていきたいと思ってます。
10.29
はじめまして、上本竜平です。
ブログ1回目ということで、かるく自己紹介的なことから。
自分は普段、主に劇場ではない場所でダンスパフォーマンスを創作・上演するAAPA(アアパ/Away at Performing Arts)というプロジェクトで活動をしています。
なので、これまで本格的な劇場での公演経験はなく、いま自分たちが行っている活動と、劇場での公演活動を重ねていけるのかどうか試したいとは思いつつも、なかなか実現できずにいました。
この「踊りに行くぜ!!」ⅡのAプログラムでは、地域の劇場にレジデンスをして創作する機会が得られ、さらにそうして創作した作品が、各地の劇場で巡演されます。
つまりそれは、「劇場で公演活動をするということは、どういうことか?」を知る、またとない機会・・!
なんともありがたいことです。
写真は、10月14日~21日に、Aプログラムに参加するグループで最初となるレジデンス(滞在創作・途中経過のショーイング)をしてきた、もともと幼稚園の校舎の、鳥の劇場の入口。
シンボルマークになってるイラストの鳥、名前あるのかな? 聞くのわすれた・・