上本です。とうとう明日から、鳥取の鳥の劇場に2度目の滞在制作です。そしてそのまま、2/6に鳥の劇場で本番となります。本番までがっつりです、そして雪もがっつりらしいです。自分は生まれてずっと東京近郊で暮らしているので、雪が積もっているところに10数日いた経験はたぶんない。ずっと雪景色かー。それだけで不思議だ。

さて前回の続きです。2011年になりまして、正月明けすぐに映像・美術の本制作に入りました。それまでテストで流していた映像、配置していた大道具・小道具を、本番用に入れ替えていきます。
もっと早くから作りなさいよとなんどとなく言われておりますが、自分が美術プランが演出を直結させているため、AAPAで「PAPERGATE」から一緒にやっている美術の青木さんには、今回も実制作は限界ギリまで待っていただいた。このやりかたに付き合ってもらえる青木さんには毎回とても感謝だし、またこういうことが青木さんだから成立できているということも絶対わすれないようにしようと車の助手席にもなんども乗せてもらっていて思うわけです。

そして映像の実制作、というわけで、まず撮影です。
今回の作品、「終わりの予兆」のカギとなるテーマ、終わりがないように見えるもの。「身長が止まったころから着続けている服と、そこからのぞく自分の腕」という感触を撮るべく、メンバーのひとりの記憶の土地へと撮影に行く。

今回の企画に応募したときの作品アイデアでは自分も出演すると考えていたので、映像ではまず自分の記憶の土地を撮影してみる予定だった。だが出ないことになったので、じゃあ映像は初めの案でいくのか?ということを考えていた。

9月の終わりごろ、音の國府田くんがメンバーのちいさいころから今までの、それぞれの時期にやっていたこととか将来について考えていたことなどをインタビューすることを試していて、その録音をなんどか繰り返し聞いていたら、気になることがあった。あ、そしたらと思って、出演するメンバー全員を撮影するとかじゃなくて、ひとりに絞ろう、と考えた。
というわけで、記憶の土地は、ひとりについてだけ撮影しに行くことになった。

そしてこれは偶然だけど、その土地は東京の西と東の両端みたいなところにあって、それが象徴的になっていた。東京も西から東まで往復すれば、みごとなドライブ。撮影は朝から日暮れまで、ちょうどだった。

自分が出ないことにしたとき、自分の代わりを別のメンバーひとりにしてもらう、ということにはならないだろうとは思っていたが、ではどうなるのかというのは分からなかった。
結果として、映像についてひとりを撮影するとなったことが、最初のアイデアを維持する・保存するとかじゃなくて、掘り起こすことで生まれ変わる・・(ちょっと言い過ぎか)みたいな方向に進んでいることを、決定的にしたと思う。これでハッキリした。

撮影が終わり、美術もいろいろ兼用して示すことを意識し、去年の12/10に出した初案からだいぶ削減。美術の実制作に入ってもらう。
今回は、たくさんのひとに関わってもらうのではなくて、できるだけ少ないメンバーでと考えたため、映像の撮影も、美術の青木さん。クレジットにある6人に、振付のアイデア出しを手伝ってくれたダンサーふたりで今回はすべて。
(人数を限ることは良いところも悪いところもあると思う。ただ今回は個人的に反省があり、限ることにした)

明日、25日からは5人で鳥取。青木さんはいないが、しっかり見えてくるものにしたい。

今回の「終わりの予兆」は、AAPAで2009年3月の「cover」から始めた、何度も繰り返すことを基本にした創作の、区切りになると思う。しっかり終わり、に。では鳥取に、行ってきます。

これまでのこと。終わり。