こんにちは。永井です。

土・日と森下スタジオをかりてリハーサルをしました。各シーンの意味やあり方、それぞれの役割のありかた、見せ方を考え直したうえで、3月までのものから変更して、通しをしました。一つ一つのありかたはだいぶ整理されてきたと思います。リハーサル後に通しの映像を今回美術をしてくれている青木さんにみてもらい、意見をもらいました。それをふまえて、少し演出を考え直しているようです。

今日はリハーサルはお休み。なんだか、筋肉痛です。明日は最後のリハーサルで照明さんが稽古にみにきてくれます。

今回この作品におけるダンスのあり方について考えてきたときに、演出の上本からなげかけられていたのは、
どうしたらダンスを知らない人にとってダンスが大切だと納得してもらえるのかという問いかけでした。
演出の上本は自分のことをよく「ダンスや舞台芸術に関して専門的な場所で学んだことがない人間」という言い方をします。
コンテンポラリーダンスをどう説明するかはそれぞれの価値観があるかと思いますが、
ふつうの人はコンテンポラリーダンスをみて、何でこんなことをしているのだろう?とまず疑問に思うのではないかと思うと上本から話がありました。

コンテンポラリーダンスって何?どんなダンス?と聞かれると、なかなかうまい言葉がみつからなかったりする自分がいて、その答えをこの創作をしながらずっと考えていました。

自分たちの表現がショーやエンターテイメントではないとしたら、なぜ?という人達に納得できる答えを自分たちはもたないといけないと思うと、上本にいわれました。
ダンスが私たちの日常生活の中でだれからも疑問をいだかれずに一番自然な形として、うけいれられている例として、お祭りの盆踊りや、神社で行われている踊りがあるという話がでました。
それはそのダンスに目的・意味があるから伝統として受け継がれていて、それを知らない人でさえその価値を疑いはしない。

そんな話から振付の考え方を考える参考になるかと、日本舞踊のことを調べたりもしました。

日本舞踊は「生活の中の歌や踊りから生まれてきたもの」とありました。その中では、テクニックで洗練されていて、舞踊作品が高尚でいいが、もう少し自分たちの足元をみて、日本人の社会生活がどう動いているのか、そうした社会生活の様に目をむけていくことが大切だということも書かれていました。日本人がどんなことをして生きてきたか。どんなことを願っているのか。というようなことが、作品の中に含まれている。

そんな日本舞踊のあり方や考え方を調べているうちに、今この世界を生きている自分の身体はどんなふうになっていて、自分が実際に触れているものは何なのかをしっかりみていきたいと思いました。

その中で今回の作品では日常の中で自分達が繰り返している行為に、何か大切なものがあるのではないかという話になりました。
演出とのやりとりのなかで、今自分がしてきたことをあらためて考えてみると、今回の振付は、小さなフレーズを、いろいろなモノ(普段身の回りにあるもの)にふれながらおどってみたり、言葉や会話(そこにある関係性)と一緒にやってみたり、日常で繰り返している行為と同時にやってみることで、繰り返しながらどう最初にあった形が影響をうけていくのか、という方向ですすめてきました。同じことをしていても、それは外部の影響にさらされている身体であって、違うものにふれ、繰り返す中で残っていくものは何なのかということでした。

頭で考えることと、身体で届けることは違うのかもしれない。
今身体を通じて出ているものが、お客さんには届くものなのだから、身体にどうみえるかが大切だとは思う。
でも考えないことには、何もはじまらないので、考える。踊る。また、考える。息抜きをして、また踊る。その繰り返しです。

私はバレエからはじめ、イギリスでコンテンポラリーダンスを学びました。日本に帰国して、たくさんのダンスのあり方に出会いましたが、こんなに創作の中でメンバーと話をしたことはなかったと思います。話してばかりじゃダンスはつくれない、、、と思いながら、きっとこのメンバーで作品をつくるということは、話すことの大切さがあるのだと、思います。