上本です。12月になりましたー。今年もあと1ヶ月!

2010年もいろいろありました、AAPAは夏に淡路島に滞在して9月に神戸のDance Boxでショーイングをした後、今回の作品「終わりの予兆」のリハーサルを東京で始めた。
それからのことを振返ってみる。

まず9月から10月の鳥取でのレジデンスまで。今回の作品テーマをどう捉えるか、メインの5人で話す。
今回の作品、「終わりの予兆」は、『話すこと』を大事な要素にしたいと思った。
それは、ここでの「終わり」が意味するものとして、物語られるようになること、というのを考えていたからだ。

ただ一方で、日常を通じて自分が実感していることは、「終わり」の反対の言葉として(置いていみる)、「終わりがないように見えるもの」。終わりに至るまでを想像しない/できないもの。

「終わりがないように見えるものにも『終わり』があることに気づくとき、そのきっかけと言えるもの、それが終わりの予兆」―。

そういいつつも、この「終わり」と「終わりがない」のハザマが、話を重ねながらもなかなか埋められない。
理想と現実のギャップ、みたいなことか? いや、単純に自分と他者とのハザマ。

そもそも「終わり」って何だ?(それは私は終わりとは思わない)
「予兆」って何をもって言える?(それは私は予兆とは感じない)
「終わりがないように見えるもの」って?(私はそういうものがあるとは思えない)

メンバーとの話を重ねる中で、浮き立っていくのは共有というより違い。

『話すこと』を中心に置きながらの9月からの1ヶ月ほどの稽古は、そんな感触を残して、10月の鳥取でのレジデンスへ。
そこにある何かが、大事なことなんだろうと思いつつ、作品について「終わりに至るまでを想像しない/できない」ことを抱えて、鳥取での稽古が始まった。