永井です。昨日から森下スタジオを使わせてもらっての稽古です。

5月の振替公演にむけて出演者の変更とともに作品をあらためてみなおしてきました。
3月の震災後、1ヶ月ほどはそれぞれの生活にもどり、作品とは各自で距離をおいていました。
4月にはいってから、メンバーであつまりました。

作品をつくることって本当に難しい。人に伝えること、共有すること、分かろうとすれば分かろうとするほど、迷路のようになる。

震災があったことで、私達の生活のいろんなことが変わりました。
作品をあらためてみると、まるで震災を連想してしまうようなイメージがあるね、という話しをしていました。
それをどう私達は捉えるのか。
でも、震災を連想させるから、これはやらないとかいうふうにするのはおかしいと私は思ってみんなに伝えました。
それを受け止めるのもとても大切なことだと思うから。
どんな言葉にしても、行動にしても、結局はこうも見えるし、ああも見える。裏もあれば表もある。どっちが裏とか表とかもわからない。
いろんな考え方や価値観がある中で、何が正しいとか、間違っているのかなんてわからない。
こうだと思っていたものが、違う考えに出会い、ゆらぐ。こうかもしれない、ああかもしれない。
一つの正解があると信じてそれを探そうと思うと、それを探しているうちに疲れて、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまう。

今の自分にとって真実なこと、をちゃんと実感にしていくこと。
そして、それが唯一のものではなくて、変わっていっていいものだと、自分をひらいて、一日一日をすすんでいくこと。
そんなことを、今回の創作を通じて思いました。

私にとっては踊ること・つくることも、踊りをみることも、自分のなかにある何か、それは「自分で見ることのできないもの」や、「気づかなかったもの」に触れる、手にとる、考える、感じるということに意味があると思っています。
それは時にはとても苦しいし、ときにはとても楽しい。
ただ、今いる自分は今しかなくて、今実感できること、今みえている景色はそのときの自分だからそう見えるわけで、きっと昨日の自分、1年後の自分では同じようには見えない景色で。

だから、私は舞台をみる人に、
自分がそのとき、目の前にあるものをどうとらえるのか、を考えてほしい。
それが何を意味しているのか、は置いておいて、それを目撃したときに自分は何を思い浮かべて、どんな感覚をもつのか。
自分の感覚と対面しながら、自分の感覚と向き合うような時間をすごしてほしい。
作家が何を考え、その作品がどういうものだったかなんて、あとで聞いたり、考えたりすればいい。

この作品にはいろいろな言葉や、物や動きが散らばっています。
「分かりにくい」と言われてきたこの作品。
本番までにできる限りのことをして、届けたいと思います。