©ohashi sho

Aプログラム/ダンスプロダクション・サポートプログラム
作者インタビュー/前納依里子「CANARY-”S”の様相」について語る vol.1

 2011・10/26 @渋谷 Tabela cafe
 聞き手:JCDN R.Mizuno

昨夜のリハーサル後、今朝5時までメンバーとミーティングをしていたそうだ。
10月末を目処に作品のコンセプトをつめきる予定のため、メンバー間での話し合いをしていたらしい。
前納さんの特徴は、何か話し始めるときに、言葉より身体のリアクションが先に出る。長い手足をもてあますように身体をよじる。何か質問すると、その返答は身体のムーブメントで返ってくる。たまに、本当にダンスを見ているように思える時がある。
作品のテーマについて、何度も行きつ、戻りつしつつ数ミリづつ前に進めてきたようだ。
12月末に八戸でのダンスインレジデンスを予定している。20代4名、40代1名、計5名のメンバーで初作品に挑む心境を聞いた。

— 今回、この作品のテーマを扱った理由は何ですか?

私が今、この“東京”っていうところで生活していて、毎日の通勤電車とか、日々のニュースで聞こえてくる誰が誰を刺したとか、殺したとかっていうニュースとか、もう、いろんな処理しきれないぐらいの情報に囲まれて、ウワッ、てなっているっていう状況と、自分の置かれている今の状態が、とてつもなく中途半端で、もうちょっとこうなりたいのになれない、っていうジレンマと、その両方の渦の中で、ぶわーっとした混沌の中で生きているっていうのがある。そういう風に生きている中で、折れてしまう前に何かに掴みたいみたいなことを自分自身に願って作品をつくりたいと思いました。

— 前納さんは、現役の大学院生ですよね。学生業とダンスの活動とどのようにこなしているのですか?

私の生活はダンスが最優先なので、勉強は電車の中とか空き時間を利用してギリギリこなしている、という感じです。というかもっと勉強しなきゃいけないんですけど…。そういえばこの9月には教育実習にも行きました。

院や教職は、私の家の事情も関連しているのですが、以前はすごく反発していたけれど、今ではもう親孝行だと思っています。私にも家族全員敵に回すほどの勇気もなかったんですけど、それはもう自分が結局決めたことだし仕方ないですね。


©ohashi sho

— 寺山修二の「書を捨てよ、町へ出よう」とか「家出のすすめ」とかがブームになった70年代、かなりの人数の若者が東京に家出してきたらしいよ。大人が道徳に反することを若モノに堂々と言っていた。悪をけしかえるというかね。今の時代は大人が正しいことしか言えない時代だから、本音が言いにくい時代なんじゃないかな。あ、そういえばここ渋谷に天井桟敷があったからね。前納さんは家出したいなあ、と思わないの?家出すすめます。(笑)

家はもちろん出たいですが、今の時点で家出、というのはあまりにも現実的でないんです。私もそういう生き方はもちろん憧れますが、人には様々な事情や考え方があるし、私の場合は難しかったということです。でも卒業したら出たいとは思っています。

— 前納さんは東京が嫌いなの、好きなの?そんなにいやなら東京から出ればいいんじゃないかと思うけど出ないで、そこから作品をつくるということですね。「東京」をテーマにどんな作品プランを考えていますか。

そうですね。東京のいろんなことが過剰すぎてついていけない。東京を好きか嫌いかで考えたら嫌いなんでしょうけど、やっぱりずっと活動してきているっていうのがあるから、今は出るっていう感覚にはあまりなれないです。うまく折り合いをつけて生活していきたいという感じです。

なぜ東京かといえば、私にとっては東京なんて空気みたいなものでしたが、海外とか国内の都市とか訪れることが増えて、東京を相対化できるようになった、というのがありまして。改めて東京を客観的に見つめてみると、ものすごい過密都市で処理しきれないメディア情報に囲まれて、それに踊らされるように人びとは生きていて…。こんなんじゃ自分を見失うのは当然な気がします。

それが東京が浮き彫りになってきた背景です。じゃないと、東京をわざわざやろうとは思わないです。そういう都市で生きているストレスとか、情報にまみれて本当の自分の欲望なんてわかんなくなってくる。とにかくあれをしろ、これをしなきゃいけないっていう中で、混沌と絡まって抜け出せない生活をしている人達。まあ、まさに、それは私自身なんですけど、そこでもそういう生き方で何とか生きてる、そういう中で、必死に生きているっていう現状をやろう、そういう生き方をしている、していて、その先に向かってここでとどまらないで、その先に行きたいっていうエネルギーをやっていきたいなと。


©ohashi sho

— 東京・TOKYOをテーマにした作品は国内、海外問わず、それこそ50年前から現在まで、映画、小説ほか、数多く制作されています。そんな中で前納さん独自のオリジナルな視点で、どうのように作品の工夫をするつもりですか?ただ、単に東京はこんななんですわー、というのを羅列しても、誰も共感できないと思うんですが。

私は中学生くらいから、「真実」って何だろうっていう漠然とした疑問がありました。哲学の本を読むようになってから、「現実」も「絶対的真実」も結局は存在しないという考え方に触れて、ああやっぱり、と納得する一方で、どんどん「現実」が消え入りそうな感覚に襲われるようになりました。この感覚をベースにして「東京」をとらえたものを、なんとか作品にできないかと試行錯誤していたのですが、やはりどんどん精神的に空虚になっていくのでどうしても身体が動き出せないという問題がありました。

でも今稽古が一段落して考えてみると、それってすごく「東京」的な感覚だということに気がつきました。東京を情報社会として見たときに、私がとてもひっかかるものにバーチャルなものの存在があります。これにはいろんなものが含まれますが、バーチャルって結局は実在として存在しないものです。存在しないものに私たちは欲望を刺激されて動かされて…でも一方ではストレスや葛藤という「現実」から、バーチャルや夢や妄想の、いわゆる「虚構」の世界に逃げ込もうとする…。そういう「現実」と「虚構」が目まぐるしく交錯するような日常を私たちは生きている。だからこの作品では、そうやって自分のいる場所の次元が交互に切り替わり、そのことによって起こる身体の変容とか、違和感や不快感、そういうものの鬱積を表現してみたいと思っています。


©ohashi sho

— なるほど。映像でのバーチャル体験はあっても、舞台芸術、しかもダンス作品では、あまりないだろうね。リアルとバーチャル間をいったりきたりする世界観をライブで観客に感じてもらうことができると、おもしろそうですよね。しかも、そこには身体・ダンスというリアリティの生身の身体があるからね。だけど、ゲームセンターなんかで、いま、お手軽に自分の身体でバーチャル体験が可能になっていますよね。それになれている現代人に納得させられる演出は、何か考えているのですか?

そうですね、いろんな見せ方があると思うんですけど、私は今回お客さんにバーチャル体験をしてもらう、というよりは、現実的なものと虚構的なものを交錯させることで、何かお客さんの身体に不思議な違和感を生じさせることができたらと思っています。これってよくわからないけれど、何か覚えのある感覚だな、みたいな…。それで自分が生きている日々の生活を、違う視点で見直すきっかけになればすごく幸せです。


©ohashi sho

— タイトルに「カナリア」がでてきますが、作品とどのような関係性があるんですか?

カナリアは、東京とカナリアの関係っていうところで、オウム真理教の事件のときに、毒ガスの検知で使われた鳥がカナリヤで、これ以上先に行くと危ないよっていう警鐘を鳴らす存在だったっていうのを知りまして。 なのでその、東京の、そうやって苦しみながらももがいて生きている人たちに対して、これ以上ここにいたら危ないよっていう警鐘を鳴らしたり、本来の人間性とか、人間の本来の力みたいなことを示してくれるような存在とか象徴として、使いたいと思っています。


©ohashi sho

— なるほど、そういう象徴なんですね。わたしの世代は、武装した自衛隊が籠に入れたカナリヤを持って、上九一色村に入っていくのをリアルタイムでTVでみていましたね。そのときのカナリアは、なにか嘘臭いというか、本当にカナリアが毒ガスを発見するバロメーターになるのかあと、なにかきれいごとにみえてしまいましたね。だけどあの毎日TVに流れるオウムの映像は、まさにバーチャルとリアルを行き来しているように思えましたね。
ところで、前納さんにとってダンスとは、何ですか?このようなテーマをダンスでつくろうとしたこだわりは、どういう点ですか?

私にとってのダンス体験は、14歳でダンスを始めた頃からずっと、私という人間を支えてくれた存在です。私は当時、コンプレックスの塊で人前に出て何かするなんてとても考えられなかったんですけど、ダンスをやっていきながら自分が前向きに変わっていくのがわかったし、大事なものに出会うことができたと思って感謝しています。私の人生の歩みと共に、次々に新しいものを見せてくれる気がするので、どんなことがあっても踊ることはやめないと思います。

今回のテーマをダンス作品でやりたいと思ったのは、基本的に私の作品を創る動機は、現代社会に生きる人間の変容とか本質って何だろうとか、そういうところなんですが、今の「身体」が置き去りにされがちな社会で、身体表現であるダンスが持つ力とか可能性ってすごく大きいし、もっとみんなに気づいてほしいっていう願いがあります。だからまあ今回のテーマに特別限るわけではないですけど、ダンスとか身体で、そういう忘れがちだけど根本的に大切なことを伝えていけたらっていうのは常々思っています。

わかりました。これから公演まであと2ヶ月半、リハーサルを続けていくわけですね。
12月末の八戸でのダンス イン レジデンスの作品制作中に、引き続きvol2のインタビューを行いたいと思っていますので、この作品制作の発展した続きを聞かせてください。

Vol.1 END

アーティスト・作品紹介へ pagetop
 

pagetop