インタビュー収録:2010年10月25日 トヨタ自動車東京本社 体育館にて
聞き手:JCDN R.Mizuno
鳥取市鹿野町にある鳥の劇場で10月14日から21日まで約1週間、上本竜平作品制作をダンス イン レジデンスで行なった。
メンバー5名の滞在は、”いんしゅう鹿野まちつくり協議会”の管理する鹿野の町屋に滞在させていただいた。自炊しながら、作品制作に集中する生活となる。
20日夜7時からは、ワークインプログレスということで、20分程度の作品を途中経過として上演。地元の方や鳥の劇場のメンバーに観ていただいた。上演終演後、上本がこの作品で伝えたかったことを観客にプレゼンし、その後、感想や意見を伺った。作者の意図がまだ伝わりにくいこと、言葉の印象(上演中、会話を録音したものを流すシーンあり)が強く、身体が弱くみえる。など様々な率直な意見を伺うことができた。同じ鳥取公演の出演者となる”とりっとダンス”のメンバーも数名お越しいただき、交流会では上本たちメンバーと直接、意見交換を行など出演者同士、よい機会となったようだ。
鳥の劇場主宰者の中島諒人さんには、鳥取市内でメンバーのために一席設けていただき、酒を酌み交わしながら、叱咤激励していただいた。舞台芸術の危機である現在、どうでもよい作品ではなく、観てよかったと観客に思われる作品をつくること、そのことが、今後の日本の舞台芸術の在り方を変えていく一歩になること。それをやるしかない、という自覚を持つこと、理屈を超えて最後に身体が勝る舞台をつくれ、などなど。共催者としてこれ以上ないアーティストへの接し方、送り出しをしていただいた。多くのサポートをしていただいている関係者を最後には唸らせる作品をつくること!それがこのプロジェクトのミッションだ。
— 初めてのダンス イン レジデンスとしての作品制作でしたね。まずはその感想からどうぞ。
はい。自分たちは、鳥取の鹿野町にある「鳥の劇場」で、8日間のレジデンスをさせてもらいました。鳥の劇場は、もともと学校だった場所で、体育館を改修した劇場や、劇場のすぐ外にある広い校庭が印象的でしたね。校庭の隣は鹿野の城跡で、景色が抜けていて、天気も良かったのでいつもとてもゆったりとした時間が流れていました。そして自分たちは、主にもともと幼稚園だった場所で、稽古場としてスタジオ、休憩室、キッチンのある食堂を、毎日朝10時から話したり食事をつくったりの時間も含めて、ほとんど夜10時まで使わせていただきました。東京での稽古では、場所を借りる関係上、いつも3時間ぐらいの単位で終わっていましたから、こうして毎日丸一日使うことができる環境が、まずありがたかったです。
滞在させてもらった場所は、家の中に土間や釜のあとが残る、木造の一軒家でした。劇場から歩いて10分ぐらいのところなんですが、歴史を感じる路地や街並み、様々な花が咲いている空き地もたくさんあって、周りはどこもなごやかな感じです。そこで日々寝起きし、劇場でご近所の方から野菜やおにぎりをたくさんおすそわけしてもらったり、道ばたで出会った知らないひとと挨拶を交わしたりと、なんだか懐かしいあたたかさを感じながら、毎日を過ごしていました。
鳥の劇場が、地域のまちづくりの活動と互いに協力して、公演やワークショップのほか、地域の人々が集まる場所づくりや、今回のような地域の外から訪れるアーティストの滞在・創作環境の整備をともに進めているという話も聞かせてもらいました。町で偶然すれ違った人が、前に劇場の企画に参加したことがある人だったりすることも自然にあって、劇場が地域に根づいている様子が、素直に実感できました。
photo by JCDN
— なるほど。鳥の劇場の存在は、全国の中でも特異な存在だと思いますね。まだここを拠点に活動して約5年しか経っていないけど、地域の中で“劇場”の持つ役割とは何なのか、その理想を掲げ実現していく行動力を持っている、そして、それが上本さんが感じたように、町を歩いていて実感できる。劇場としてすごくまっとうな、あたり前のことだと思うのですが、そういう劇場が日本という国の中で、そんなにナイのが現実だと思います。創造して発信する、地域の人と共存していく。そのこととまじめに取り組んでいるところですね。だからこそ、今回のような取組みを受け入れてくれたんだと思います。
1週間でしたよね?短いような気もしますが、最終日には途中経過も発表したりして、成果として何がありましたか?
自分たちは鳥取に滞在するまで、1ヶ月ほど今回の創作についての意見交換を中心に、稽古をしてきました。その結果、今回の鳥取での滞在制作と途中経過の発表までは、まずは自分のなかの漠然としたものも含めて、一通りすべて形にして出す、ということに決めました。
そして最後に行った途中経過の発表会には、思っていたよりも多くの人に集まっていただき、日頃から劇場に足を運んでいる様々な方から意見をいただくことができました。観客に伝わっていること、伝えられていないことが何かということを確認させてもらい、特に伝わっていないということについて、自分と観客との感覚のズレを、あらためて意識できたことが大きいです。これから本番まで、作品として、自分が言いたいことの何を浮き上がらせることができたら伝わるものになるのか、どんなところを押せば観ているひとと何かしらを共有できる可能性があるのか、考えていきたいと思います。
またリハーサルの方法についても、多くの気づきがありました。
今回の発表会までは、自分がまず指示を出していく形で試行錯誤してきたので、結果として、それぞれが持っているものを引き出さなければ乗り越えられないものが何なのか、明確になりました。同時に、指示を出すのならもっと細かく、明確に決める、という部分。何をみたくて、その動きなのか。動きの目的になる部分を、もっとしっかり見て、掘り下げていく必要があると思いました。
これから本番まで、この両方を頭に置いて、リハーサルを進めたいと思っています。
©Shinji Nakashima
— 今回の作品をつくろうと思ったきっかけ、上本さんのこだわりは何ですか?
自分は今年で20代が終わるんですが、自分の身体は10年前から変わっていないように思うときがあって、そのときにちょっとした違和感を持ったのがきっかけですね。それから、自分のまわりにある、終わりがないように見えるもの、いつ終わるのかよくわからないものに目が行くようになりました。たとえば、いつまでも平行線のまま続いていて、いつも聞き流している声や会話。帰り道にとりあえず立ち寄るコンビニ。閉店したような見た目のまま営業している本屋。身長が止まったころから着続けている服、そしてそこからのぞく自分の身体。どれも、終わりがよくわからなくなっている。
最初に例としてあげた平行線の会話と、常に終わりに向かっていく人間の身体の間には、距離があるけれど、本当はつながっているんだろうと。終わりがないように見えるものにも「終わりの予兆」のようなものはあって、それに気づかない、あるいは気づかないふりをしている。
「終わり」には、古くなる、消える、そういうイメージがあると思う。でも「終わり」があるということは、無くなるとか、廃れるとかであると同時に、物語になるとか、語られることになるとか、そういうのもある。記憶に残っていくような、ああこういうことがあったと思い出す。そして思い出話として、語り継がれていくことになる。
©Shinji Nakashima
— それって、いいことじゃないですか?
そうだと思います。「終わり」の大事なところについて、考えてみる。
自分は、目の前で現実の何かが変わっていく感覚を、観る人の印象に残したいと思っていて。これまで取り組んできたAAPAの活動では、その場所にあるもの、その場所で創られていくものに重みを置きたいと考えて、現実と繋がっている劇場以外の場所で舞台を創ってきました。それが今回、劇場という場所で、各地を巡演していく作品を作ることに初めて取り組むので、あらためて「作品を創る」とは何なのかということに、向き合うことになると思って。場所とは切り離されて、単独で、ダンス作品として形を持つもの。それって何なのか。
それで、さっき語り継がれるもの、という話をしましたが、残っていくものが作品なんだろう、と。観た人の記憶に残るというのもそうだし、観ていない人も巻き込む形で語り継がれていく、というのもそうだし。このことは、作品のテーマとして「終わり」という言葉を選んだ、もうひとつの理由になっていると思います。
今回の作品は、テーマが普遍的なものなので、構成のところで凝るというより、どうやったらこのテーマに近づけるのかということだけ考えたいと思っていて。終わりのない状況をまず示して、そこから終わりが見つかっていく、というものを考えています。
photo by JCDN
— 私がこの話を聞くのは、5回目くらいだと思うけど(笑)、下手すると、観客にぜんぜん理解してもらえないで終わるという(笑)可能性がありそうですね。いや、全然、笑えない話なんですが、そうならないためにどうすべきか、ですよね。
つくる側、アーティストには突拍子もない思考があって、けれどそれは、一般的な人たちには全然、必要ないじゃん、で終わってしまうのではなく、そのまったく予想できない角度からのモノの見方を提示されて、そのことで目の前が開けるというか、楽しくなるような、仰天するような、そういう具体的な影響をあたえてくれるもの、私たちの価値観すら変えてくれるものが、アート作品だと思うんですよ。今回のこのテーマは、まだ私にとって漠然としていて、どういう展開になるのか見えてこないところなんですが、ここからの掘り下げ、ですね。ところで、上本さんにとってダンスとは何ですか?今回、あえて、ダンス作品をつくろうと思うのは?
ダンスとは・・ですか。自分がコンテンポラリーダンスというのを知った2000年頃のことを思い出すと、まず、それまで自分がイメージする演劇やダンスよりも、広く何でも入れていける、形として表せるジャンル、あらゆるものがダンスになる。モノもそうだし、もちろん人間もそうだし。すごい自由なもの、というと語弊があるかもしれませんが。
そしていくつか観たダンス作品の中に、それぞれ人が違うということや、重なるところがあるというのが、人間にとっての枠になっていて、いい意味で言えばそれが強みになるし、悪い意味では制限、限界になるということを語っていくものがいくつかあって。そのとき自分は大学のサークルで演劇をしていて、ダンスとはまったく縁がなかったけれど、これは自分が作りたいものに近いと感じました。
自分はダンスをテクニックとして専門的に学んだ経験があるわけではないので、あくまでダンス作品やダンサーの持つ価値観に共感したというだけでダンス作品をつくっている、ダンサーとともに舞台作品をつくっている、と思っています。
photo by JCDN
— 今回のテーマでの作品をダンス・パフォーミングアート作品にする。つまり、概念だけで終わらずに、身体(からだ)があって、表現するから人に届く、というところを上本さん自身がみつけることが、ポイントになるでしょうね。身体の強度が求められるテーマですね、まさに。
ところで、今までAAPAは自主公演、自主活動をやってきているグループで、今回初めて、企画に参加する形ですよね。そうなると、いろいろ言う人がいますよね、JCDNからも中島さん(鳥の劇場主宰)からも(笑)。グループの活動自体変わってきますか?
そうですね、自分たちのやりたいことをやる、というのは変わらないですが、そこに明確に他者の視点が介入することで、変わってくるものがある気がしています。
たとえば今までは、「わかりにくい」ことであっても、そこに自分の何かがあるのは確かなので、多少強引にでも形にする、創っていくことで掴んでいくという選択が、自主公演だからこそできた。でも今回のように外部の企画に参加する場合は、そうもいかない。「わかりにくい」ことをやると決める時点で、ではそれは何をもって観る人を、企画に関わっている人、そして舞台に立つ演者とスタッフ、つまりは自分以外のすべての人を納得させる説明が、創る前にあるべきものとして、言葉で表すことをまず求められる。
そしてそれは、それぞれの違いをはっきりさせますよね。グループのなかで言えば、自分が作品について説明する内容を聞いて、それの何がおもしろいんだろうとか、これは価値観が違うなとか。何となく同じ方向に向いていると思っていたものが、実はかなり違ったりすることが、明らかになる。AAPAは「Away」がコンセプトで、様々な場所・地域の違いをもとに舞台を創ってきましたが、そこには参加するメンバーそれぞれの違いも含まれる、ということにあらためて向き合う機会というか。互いの「違う」という感覚を浮きあがらせて、それを皆で共有する舞台という場につなげていく。
まだまだ外から意見を言われることに慣れていないので、遠い目標な気もしますが、企画に参加することをそういう方向で使いこなせるようになれればいいなと、思っています。
はい、公演まであと3ヶ月ほどですね。次回、1月下旬に鳥の劇場に作品制作でもどってきますね。その進化したリハーサルの際、vol.2のインタビューしましょう。そのときは、作品について詳しくお聞きしますね。
ダンスインレジデンス データー
参加メンバー:上本竜平/AAPA・朝弘佳央理・トチアキタイヨウ・永井美里・國府田典明
ファシリテーター:水野立子(JCDN)
会場:鳥取市鹿野町 鳥の劇場(スタジオ/劇場)
滞在:森本邸(コーディネート:いんしゅう鹿野まちつくり協議会)
期間:2010年10月14日から21日東京戻り(20日 Showing / 21日 最終日メンバー ミーティング)