インタビュー収録:琴似 コンカリ事務所にて
聞き手:コンカリーニョ代表 齋藤ちずさん
札幌/Bプログラムでうえだななこさんが作品制作する「残」の出演者を選出するワークショップ形式のオーディションを10月30日行ないました。次の日、コンカリーニョを初めて訪れたうえださんに、これから行なわれる「残」作品制作について聞きました。
— 今回、うえださんがBプロに応募しようと思ったのは?
そうですね。まず、自分が住んでいる以外の土地の人と作品をつくりたいというのが大きな理由です。シンプルに他の土地の人にも、その土地にも興味をもっています。その土地・土地で、そこに住む人の気質が違うのではないかと思うからです。
本当なら「残」の様な作品はAプロの方がよいと考えるんじゃないかと、JCDN水野さんに言われました。確かに「踊りにいくぜ!!」2に応募した7月の時点では、仕事をしながらダンス活動をしていると、集中して作品のことを考える環境に自分の頭の中、身体を置くことが難しく、それが課題になっていました。自分の意識と行動の問題と言われればそうなのですが、本番前に過労がたまって倒れたことや・怪我に繋がってしまう事も実際ありましたし。だから、この機会なら没頭できる!やりたい!と思ったのが正直なところです。
そこだけを考えると、Aプロでも変わりがない様に思われるかもしれませんが、そこに私自身のもともと持っている他の土地への興味と交わったのがBプロだったので、最初からBプロしか頭になかったです。
今回、実際札幌に来て、全く知らない方々がオーディションに参加してくれました。
まだよく知りあったわけではないですけど、北海道の方たちと作品を創れる事にワクワクしています。もちろん「残」という作品の為に出演してもらうのですが、お互いのプラスにとも思っています。
— 今回の作品コンセプトやテーマでは、どういったところが中心になりますか?
私はどうも上手く生きることができず、ねじれてしまった側の人に興味があります。
この作品ではそのねじれてしまった側の人にスポットをあてたいと思いました。
ねじれたBackgroundは様々だとおもいますが、生を選ぶ人と・死を選ぶ人の違いはなんなのか?と考えています。知りたいと思います。環境なのか?性質なのか?その人の持つ生命力なのか?元々答えなんかあるのか? ここは私がまだまだ考え、リサーチしなければいけない所だと思っています。
©高張直樹
— うえださんにとっては、どのようなことを身近に捉え今回の作品制作に繋がっているのでしょうか?
同じ人間は一人として存在しないので、経緯や結果が違って当たり前なのですが・・・。その奥に漂う、ねじれていく理由やきっかけ、心に感じることは実は誰しもが感じている事でもあったり、実際身に起こっている場合もあったりで、リアルに身近に感じたりする事もありますよね。そういう所でも、今生きている私達とは違う道を選んだ、生を手放した人達の事をよく思います。考えています。
死を選ぶという事は、一般的によくない事という道徳観があるとは思いますが、私には一概にそうと言い切る事ができない。もちろん命があって、生きている事は素晴らしい事なんですけど。死んでいった人達にも、その人達なりの必死で生きてきた結果である事もあると思います。本当はもっと生きたかったかもしれないし。
周りや自分につぶされたんだ、逃げではないのか?と言う人もいるでしょう。ただ、他の人の判断する理由の大・小は関係なしに、個々に、もうそれ以上受け止めきれない理由があっての事だから、私には無条件にダメだという事ができない。昔はなにがあってもダメだと思っていたけれど。その人それぞれの生き方だから、他人にJudgeはできないなと
今の時点の私には思えるのです。
そういう、どうにも出来ず上手く生きれなくてねじれていく姿、必死にもがく姿を描きたいと思いました。知ってほしい、認めてほしいと思いました。
もちろん親から天からもらった命なのだから大切にしなければいけない、という事は当然理解しています。おそらくは、人の為であれ自分の為であれ一生懸命生きる、という考えがまっとうなんだろうという事も理解はしています。
©高張直樹
— 想像すると結構、重い印象になりそうな作品ですね。鑑賞した後、どんな風に作品をみてもらいたいのですか?
ええ、そうなんです。正直、内容としては重いです。(笑) ただ、舞台にのせる時には色々考えますが。この作品を観終わった後に、後味の悪さが残る・錆の味が残るような作品にしたいと考えています。今の時点では、ラストシーンは一人だけ生き残ってしまった人の、何とも言えない後味の悪さ・安堵感・罪悪感・不安感・虚無感など入り混じったシーンにしたいと考えています。でも、あくまでメインはこの人物ではなく、逆にもがきながら消えていった人達にしようかと思っています。最初と・最後のシーンは今、頭の中に絵があります。
— そういう内容の作品制作は、実際にどのようにスタートさせるのか、何かプランがあるのですか?
作品制作過程では、出演者の皆さんに遺書を書いてもらおうと思います。
1通は自分に。1通は自分が宛てたい人へ。どんな人へでも構いません。大切な人へでも、死んでくれと思い続けている人へでも。
私は今までに何度か遺書を受け取ったことがあります。
— それは、そんなにある経験ではないですよね。
その文字に、文章になるまでの過程は、私には図り知る事など到底できない道です。
本気の道です。どんな言葉を並べても言い表せない。私の足りない語彙では上手く言い表せないのが本当に本当に申し訳ないですが。
ただ、そこには、その後ろに広がる膨大な時間であったり、ギリギリの所だからこそ見えてくる、その人それぞれの色や個性・願いがあり、そういうもの全てをひっくるめたその人の想い・世界のようなものに私の心はもっていかれました。見えないその人の匂い・姿・覚悟・世界に心を鷲づかみにされました。
あちら側が残してくれたもの。何なのだろうと考えます。残されたこちら側。何故なのだろうと考えます。そこをつなぐ道とも、境界線ともとれる間に、想いを馳せめぐらします。遺書はその間に残された、道しるべのような、ブリッジのようなものなのかもしれないと思います。
©高張直樹
— なるほど。難しそうですが、チャレンジしてほしいですね。実際にそのような制作が頭にあった上で、昨日の札幌のオーディション、応募者の印象はいかがでしたか?
はい。身体のことを言えば、慣れない動きの中で結構踊りこなしている方もいらっしゃって、一生懸命だな、という印象を受けました。
ただ、コンセプトを読んで応募してくれた方が多かったんですけど、何回か言われたのが、参加する事によってみんなで一緒なら私は変われるかもしれない、っていう言葉でした。普段なら怖くて見れないようなテーマですけど、こういう機会に皆と一緒なら変われるかもしれない、っていう方が多かったんですね。ただ、それは、どうなのかなって思うところもあります。
— では実際に作品にむかうときの参加者への要望はどういうことがあるのですか?
この作品は自分1人でやってもらうワークも多くなると思います。自分の中を探してもらう。別にみんなと一緒にやるわけではないので、そこはまず一人の世界だから。横から頑張れ頑張れっていう人はいないから。それを、もしかしたらちょっと勘違いしたはるのかなって思いました。 そこは、私が今後伝えなければいけない事だと思っています。
まずは、一人で自分をじっくり見つめて探す時間を持ってほしいと思います。その後、みんなで共有していく事はあると思いますが。
— そうですね。作品制作は、個、弧にならないと成立しませんからね。初めてコンカリに来られましたね。どう思われましたか?
はい。立派だと思いました。誰も居ない舞台、誰もいない客席を拝見して静かな、ピンと張った空気感が漂っているな、と。とても心地よかったです。実際見て、いろいろなイメージも湧いてきましたし、今回、拝見できて良かったです。
— いい作品をつくれそうですか?
はい、もちろん!つくります!