インタビュー収録:2012年3月1日 せんだい演劇工房10-BOX
聞き手:千葉里佳(仙台「踊りに行くぜ!!」Ⅱ実行委員)
仙台Bプログラムで制作された磯島未来作品「街に生きる」には、19歳から77歳までの宮城県民が出演し、車や人びとが行き交う現実の風景を借景とした上演は観客の眼を驚かせ、好評を博しました。公演後、ふたたび仙台を訪れた磯島未来さんと演出補佐を務めた手代木花野さんに話を伺いました。
— 仙台公演から約1か月経ちました。今、「街に生きる」という作品を振り返ってみて、どのように感じていらっしゃいますか?
磯島(以下、磯):この1か月毎日思い返しても、本当に今回の作品はあの21人の出演者にしかできなかったと思います。離れれば離れるほど宝物になっていく、みたいな。
— 最初に彼らと会ったときは、どんな印象を持ちましたか?
磯:最初は、もう一人一人の個性が強すぎて、それをどうしたらよいのか…でも、嬉しい悩みですよね。一人一人の色が消えないように、でも、ソロじゃないから21人の作品の中で21色を出すためには、どうしたらいいのかな、と。良い意味で個性派揃いで、その分作戦を練るのに、苦労ではないですけど、楽しい、悩む夜でした。
— 仙台でのレジデンス期間中、創作過程でいちばん大変だったこと、心に残ったことがあれば、おしえてください。
磯:やっぱり、自分より年齢が上の人とどう接していけばいいのか、とまどいました。私はダンスの経験はあるけれども、あの先輩方に比べれば人生の経験は全然ないし、作品をつくるときに、いつもいつも褒めれば良いというわけではないので…どれだけ傷つけず、でも、「こういう方法もある」という提示の仕方の言葉選びに神経を使っていたかな。あと、稽古場が寒かったから、モチベーションをキープすることとか(笑)。自分たちでさえ寒いと思考がどんどん薄くなっていくのに、それ以上に、出演者の半分近くが年配の方だったから、ただでさえ身体を動かしたって寒い時期だし、どうケアすればいいのか…
— でも誰も音をあげず、文句も言わず、みなさんすごかったですね。
磯:そう、それがまたすごいんですよ。だから、そういう「人の強さ」で支えられてた作品なんだなって思います。大変と言えば、やっぱり公演会場のメディアテークに行ってからが大変でしたよね。想定はしていたけど、稽古場と環境が全然ちがっていて、本番ぎりぎりまで手直しをしなければならなかったのは、出演者には申し訳なかったなと思います。現場に行ってから最終的に変えることは自分では慣れていたけど、でも、慣れてない人だと「はあ!?せっかく覚えたのに、ど~ゆ~コト?」みたいに詰め寄られるかな、と身構えていたんですけど、そんな方はいませんでしたね。それもまたすごい。
— これ以前にもコミュニティダンスをつくった経験はありますか?
磯:昨年、「踊りに行くぜ!!」Ⅱの八戸で、アシスタントという形で関わっていたんですけど、それぐらいですかね。私は気になったら言わないと気が済まないたちなので、アシスタントとしてどこまで口出ししたらいいのかなって最初悩みました。今回、手代木もそうだと思いますが…
— では、手代木さん、アシスタントとして公演に関わってみていかがでしたか?
手代木(以下、手):本当にその通りで、最初はどこまで言っていいかわからなくて…磯島さんに「ここは任せるね」って言われたときに、そのフレーズを持ってきた過程に私が一緒に立ち会ってないことがあると、「どういうところを良いと思ってこのキャスティングにしたのか」とか「どういう意図で始めたのか」がわからない。で、「自分ならこうするかな…」というものを強めようとするけれど、彼らの方がワークショップを共にしてきているわけですから、「あ、ここにこだわるってことは、ここに何かあったんだろうな」というものがなんとなく見えてくるので、それをつなげていく、それが難しかったです。あとは、ダンスをやったことのない人が多かったので、私にいろいろ質問してくるんですけど、「私が言うことが、磯島さんも良いと言うかはわかりませんけど」という前提で話すのが難しかったですね。
磯:そうですよね~…
手:やっていくうちに、「自分はこう思うし、磯島さんはこう思う、で、彼らもこう思う、っていうやり方でいいんだ」とだんだん私も彼らも理解してきたことがすごく救いだったし、私も作業がどんどんおもしろくなっていきました。「あ、じゃあ自分もこう言ってもいいや」って、やりやすくなったし、自分も創っている感じにもつながって、おもしろかったです。人ってこんなに短い期間でいろいろ変わるものだなあと思って感心しました。
— ふだんはどんな手順で作品をつくるのですか?
磯:数年前までは、音楽から作品をつくったりしてましたけど、最近は、作品のテーマや、やりたいことの根っこのような部分から出てくる、短いエピソードを持っていて、それをまず出演者にやってもらう。そこで手を加えるとおもしろくなるんじゃないのかなというものは、引き出しておいて、可能性のないものは早い段階で切っていく。で、最終的にそれらを並べる、と、まさに今回のつくり方と組み立てはほぼ同じでした。
— キャスティングは後付けなはずなのに、一人ひとりが、その役割と言うか「自分の居るべき場所」にきちんといる感じがして、なかなか良かったですね。
磯:何が大変かと言えば、人数が多いから、毎日全員と話せないのが残念だったんです。
例えば通し稽古をやるときに、気になるところだけさらっていきなり「ハイ!」ってやっても、やっぱりさらえなかった部分が薄くなっちゃったりして、最後は、できる限り全シーン、全員に声を掛けようとすごく心掛けました。
— それがコミュニティダンスでは必要なことだと感じました。みんなちがっているし、「ちがっていていい」ということがコミュニティダンスの強さなので、作家がそこを認めて「私はあなたを見ているからね」ということを言い続けることが大事だと思います。
磯:自分が踊るときって、やっぱり振付家に何も言われないと不安になりますよね。ダンスの経験がない人ならなおさら。でも、私も全員に「どうですか?」とは訊いて歩けないし…だから、一人ひとりにきちんと目を見て挨拶するとか、そのついでにシーンの話とか全く関係ない話とかもして、コミュニケーションを取ることは大事だなって思いました。特に、通し稽古が始まってからはそう感じました。
— この作品をつくる前と後とで、「街」というものについての捉えかたや見えかたが変わりましたか?
磯:当たり前のことですけど、「街」って人がいないとダメなんだなって思ったんです。例えば道とか建物とか人がつくったものですけど、でもそこに人がいないと、街は生きていない。反対に言えば、人がいるだけで時間は進んでいる、「ああ生きているんだな」って改めて思ったんですね。すごく当たり前のことですが、当たり前すぎて全然考えてなかった。そして、それは一人じゃなくて、他の誰かがいないとダメで、人と人との関わり、人同士のコミュニケーションがないとダメなんだと思いました。
— 震災の後、せんだいメディアテークの周りが停電で真っ暗になっていて、それはまさに「死んだ街」でした。それが今年の2月になって公演できたのを見て「ああ生きてる」という感じがしました。
磯:伊藤さんはあの作品についてどう思いましたか?
伊藤(以下、伊):そうですねえ、何から話してよいやら…震災のことはあまり意識しないでつくったとは言っても、受け取る側では、たまたまそういうタイミングになっているからどうしてもそう見てしまう。例えば私は、あるダンサーが起き上がったシーンで「あ、津波のあとに花が咲いたよ、よかった」と嬉しくなりました。だから、このタイミングとかあの21人だとか、磯島&手代木のコンビとか、いろいろな偶然が重なって、この仙台という土地で、打ち上げ花火のようにわーっと咲いたなあと思って観ていました。自分も実行委員としてそういう場をつくれてよかったなって思うし、震災後2か月で「踊りに行くぜをやる!」と引き受けたリーダー千葉はえらいなあと改めて思ったり(笑)。
— 私は震災のことはあまり意識しないでリハーサルを見ていました。でも、本番でダンサーが名前を叫ぶシーンを観て、そのとき初めて、津波で流された人に向かって叫んでいる人の姿と重なってしまった。自分は津波を経験していないにもかかわらず、そんな場面がふっ、とよぎって「ああ、ヤバい…」と思ったんです。無意識でそういうことが作品に見えたこととか、私が「ゾンビみたい(笑)」と思ったシーンを「津波のあとの花」と感じる人がいることとか、いろいろな発見がありました。
磯:自分がただ見たくて並べたのに、いろいろな見え方をしたのかもしれませんね。名前を呼ぶシーンも、ワークショップの中で試したときに、「小学校時代を思い出すわ♡」ってすごく感激してキラキラしていたふたりがいたから、それだけの理由で取り入れたんですよね。
伊:私はそこで「今、私は本当に届く声で呼んでいるか/呼ばれているのか?」とか「コミュニケーションの根源を忘れてる…」と反省したりするわけですよ!呼びかけて、返事をする、それが人間関係の最小単位だから、「街づくりってそこから始めるってことか!」とかいろいろ勝手に想像して、「この作品、深いわ」と思いました。
磯:いやぁ…(照れる)
一同:(笑)
— ラストシーンの人の配置についてはずっと悩んでいたようですが、最終的に空間全体に広げてすごく良かったですね。一人ひとりの顔が見たいからという理由もありましたが…
手:街じゅうに人がいる、みたいになった。
— そう!あの後、仙台駅前のペデストリアンデッキを歩いたときに、そのシーンがふとよぎって、街の中にアートがある感じがしてステキだなぁと思いました。
磯:あそこで起こった話は、日常の人生とはまた別の、ある意味「架空」ですよね。自分でつくっておいてなんですが、「みんないなくなっちゃったけど、その後どう生きてるのかなあ」とか「もしかしてどこかで会ってるのかな」とか勝手に空想しては「はぁ…」なんてため息ついたり(笑)。
— 今回の経験を通して、何か得たものはありましたか?
磯:もう「人に感謝」ですよ。「出会い」ですよね。仙台っていう街に、このタイミングでいることができたのは、同じ東北人としては嬉しかったですよね。公演を観た人から感想を頂いて、「震災から影響されたんですか?」と聞かれましたが、それは100%否定できないし、そして、この街も被災したわけだから、影響しないわけはない。でも、特に意識しているわけでもない。だけど、震災から一年も経たないときに、こうして何回も来られて、みんなと3週間の時間を共有できた、この出会いに本当に感謝しています。全部が良いタイミングで揃ってこその、あの公演だったんじゃないかなと思います。その後東京に戻って本番があったんですが、なんだか「フツー」でとまどいました。
手:その感覚は私にもあって、仙台ではけっこう熱くなってやってたし、「この場所じゃなきゃできない」「この人じゃなきゃできない」みたいなことをすごく考えてやっていたので、仙台公演の後すぐに再演の本番があったときに、初演とは場所が変わっているし、必要とされながらも「本当に自分じゃなきゃダメなんだろうか?」とか、考えました。ダンサーとして公演の回数が増えてきているのに、その2月4日の本番のときみたいな気持ちをいつも持っているのかと言ったら、そうじゃないかもしれない…と、いつもやっていたことにすごい違和感をおぼえたりして、何かフツーすぎてとまどったことがありました。
磯:東京では公演もフェスティバルもたくさんあって、ダンサーたちはみんな真面目に悩んで、眠れなくて頭抱えたりして作品を持ってきますよ。だけど、そこに自分が居ることが、「あれ?」みたいな、「別に東京じゃなくてもいいんじゃないのかな」って感じるときがある。私は青森出身で、やっぱり「よそ者」だから、すごく考えさせられました。東京で活動することの意義やメリットはもちろんありますよ、多くの観客がいるとか、いろんな出会いがあるとか…でも、私はただ良い時間を見ていたいだけなので、それを仙台で見てしまったから、今まで「東京じゃないとダメ」って思っていた価値観がけっこう大きく変わって、「どうしよう…」と考えさせられました。あと、ダンサーじゃない人たちでダンス的な時間を成立させたっていうことで「じゃあこれまで何年も経験を積んできたダンサーたちで何ができるの?」という気持ちにもなりながら新作をつくっているので、もう葛藤の日々ですよ、ホントに。
— 磯島さんがブログに書いていた「上手くなくていいからスゴくなれ」っていう言葉が私の心の中に響いていて、ダンスを生業にしている人たちには、そういう「すごい」ものを見せてくれ、と切実に思います。じつは最近、舞台に足が向かないんですよ…そこまでして行くほどのエネルギーを感じるものがない。だから、「街に生きる」には、私自身、不意を衝かれました。お客さんの反応もすごかったのは、ダンサーでもない一般の人たちがすごいものをやってしまったから度肝を抜かれたのかもしれない、と思いました。きょうはお話しを伺えてよかったです。ありがとうございました。仙台公演、本当にお疲れさまでした。