インタビュー収録:2012年3月1日 京都芸術センター
聞き手:水野立子/JCDN
京都公演の前日に、京都芸術センターの楽屋で菅原さちゑさんに、夏からこれまでの作品制作の過程と、巡回公演で上演してみての様子をお聞きしました。
— 別府でのダンス・イン・レジデンスの作品制作の様子は、どのようにスタートしたのですか?
実際別府でやろうと思っていた流れっていうのは、その前にいろいろシーンでどんなことがやりたいかとか、イメージを膨らまして別府に行って、まあ時間をかけてそれぞれ具体的に作り上げて行こうと思って乗り込んだわけですよ。乗り込んで、実際に出演者の2人とやっていくうちに、根本的な問題にぶつかってしまいました。というのは私が作品で何をやりたいのかという本質がしっかりと出演者に伝わっていなかったため、動きなどが変更されていく度に2人は作品の方向性が見えづらくなり、それと共に私に対しての不信感が出始めました。 毎回リハをやるのだけど結局そこの問題になってしまい。。。この作品で何がしたいのか、このシーンでは何を見せたいのか。それはもう朝から晩まで話、話、話みたいな。
— なるほど、遅遅として進まぬ、という感じだったんですね。ラストの日には、途中経過発表もあるから、焦りますよね?
そうなんです。こういうシーンがつくりたいっていうのを試していたのですが、内田さん(ドラマトゥルクの役割)が来て、稽古の感じとかを見て「これはやばいぞ」と思ったらしく、早々に「ちょっと今の状況をもう1回ちゃんと話し合おうじゃないか」となりました。第三者を入れて話をして、リハーサルがどうやったらうまく進むのかとか、作品についてどう思ってるのか、というのを3人と内田さんを含めて整理していたっていう時間でした。
— 別府に入る前、都内でのリハーサルとは、どう違ったのですか?
作品をつくるときに彼女たちにもお願いしていたのが、ただ振りを渡して「はい、わかりました」ってこなすだけじゃない、もうちょっと作品に積極的に取り組んで欲しいんだ、みたいな話をしてお願いしていたのを、具体的にそれがどういうことなのかっていう話をせずに作品をつくり始めたため、その制作方針の認識が違ったというか。別府に行くまではある意味、この人がどういうことができるのかっていうのを色々試していたところがあったから、実際に別府に入って、じゃあもうちょっと形にしていきましょうっていう所になった時に、共有できなかった部分とかが、すごくたくさん出てきて。「それってどういう意味」とか「意味わかんない」とかっていうのがたくさん出てきて、もうドッカーンってなりましたね。
— 今回の出演者はどのように決めたのですか?
「私」という所に今一度立ち戻ってこれまで以上に、もしくはこれから「自分が決める自分だけの基準」を模索し改めて「自立」していこうとする気持ちにリアリティーがもてる人を探しました。それが第1優先でしたね。後は、同世代の女子3人でなおかつ各自のモノローグみたいなものを取り入れたかったのでちょっとダメな部分があるけど、そこが愛おしいと思える人で決めました。それと今回やってみて、自分の意見とか意志がしっかりある人というのがすごく重要でした。何故なら、作品の中心は私が作るのですがその周りを埋めていってくれるのは出演者達の作品に対する考えや解釈だったからです。他に出演者ではないですがドラマトゥルクという役割を入れました。自分の脳内のイメージって、切り取って「はいどうぞ」って見せるわけにいかなくて。それを言語化しなきゃいけないじゃないですか。なかなかそれがうまくできない、苦手というか。訓練しなくてはいけないのだがあまりにも周りが疑問になっては困るし。まず、少しでも私自身の中で明確にしてから言葉で伝えるようにしたいと考えてその整理する作業の手助けをドラマトゥルクの内田さんにお願いしました。それが本当にドラマトゥルクっていうのかどうかはわかりませんがそういう役割をしてもらいました。内田さんは舞台の人ではありませんが、私の脳内イメージを言葉足らずでも理解でき、なおかつ言語化できる「知性のある一般人」なんです。本当は私が訓練しなくてはいけないのだけど。でも前よりは上手くなったと思うんですけど気のせいですかね。アハハハ。
— 今までの作品制作と、今回の「踊りに行くぜ!!」2での取り組みは、どう違いがあるのですか?
以前は何個か作品を作った事ありますが、正直「これが私の作品です」と言えるものはひとつもなくて。なんとなくダンサー業の合間にちょろちょろと作ったり、コンペとかに出品する事が多かったので良い意味でも悪い意味でも観客を意識していなかったです。好き勝手に作ってました。でもそうじゃなくて自分の意見や想いがもっと見えてくるような作品を本腰入れて作りたいと考えて応募したので取り組む本気度があきらかに違いますね。
— 実際に巡回公演で上演してみて、どれくらいやりたいことを実現できたと思ってますか?
70%ぐらい実現できた。でもまだ脳内図とイコールで繋がってない箇所があります。
何度もリハしても出来なかったのに意外と一度の公演で明確になったのもありました。公演して「おっ見えてきた、見えてきた」っていうものと、「あーもう全然今ここだめだな」っていうところはすごく感じましたね。だから巡回公演でやる度に気づく事が出来る。
— 今回の作品「MESSY」は、何がきっかけでつくり始めたのですか?
5、6年前から私の身近で生きていく意志みたいなものを見失ってしまう人を目の当たりにする時期が何度かあって、その度にどうしようもないくらい悲痛さを感じてなんとか生きる意志を強くできないかと思ったのが始まりです。
そこで私自身の問題であった「自立」について焦点をあてて考えました。
というのも、ある人に「あなたはどんなダンスをするの?」と聞かれた際に答えられなかった事がきっかけでした。よく考えてみたらダンスに限らずすべてに関して自分の意志が感じられなかったのです。きっと誰かに言われたり、ふわーっと決めていたりしていたんだろうと思います。そんな自分から脱出したくて確固たる私の意志を見つけて「自立」したいと。けれども、結局いつも決められなかったり、もじもじ悩んだり、頭の中で整理しようと頑張ってみるのだけがとっちらかってどうしようもなくなったり、時には簡単に決断をできない事もあったり、ふと周りをみたら部屋も汚いし、この状況を説明したいのに言葉で上手く伝えられなかったり。そんな自分の散らかりを見て“MESSY”というタイトルもつけました。Messyは日本語で散らかってるという意味なんです。
— 「MESSY」で伝えたいテーマは、どのようなことだったのですか?
水野さんから「messyとは人類のとっちらかった頭の中かな」というメッセージを貰ったんですが、これがキャッチコピーみたいになってます。ほとんどの人は脳内が散らかされる様な問題を常に持っていて生きている間それが解消される事なんてきっと無くてなんとか向き合って生きて行かないといけないけれど、それがなかなか難しいときもあっていろいろ悩んだり考えたりするのを止めずに散らかしながらでも必死にやり抜く。
— 今回、参加して一番、得たものは?
「強さ」ですね。
誰に何を言われてもやりたい事をつらぬかないといけないし、言いづらくてもダメな時ははっきり言わないといけないし、ふにゃふにゃしてては誰も言う事聞いてくれないんですよ。沢山の事を決断していく過程で曖昧な気持ちで挑んだり、伝えたりしていては何も伝わらないですね。「これだ」と思った事を自分の心で強くしておかないと知らないうちに流されてしまって。始めはそういう事が多かったですね。公演を重ねていくうちに「強さ」を得ました。でももっと強くなりたいですね。
— 普段の活動をおしえてください。
私個人の作家業とダンサー業と飯名尚人とmargaというパフォーマンスグループをやっています。基本はこの3つです。毎年どれを重点的に活動するか決めてます。
— 活動を継続していくうえでの課題などは?
今回制作しいていて「演出」について勉強が全然足りていなかったのでそこが課題です。これまでダンス作品を観ても演出よりもやはり踊りを観ていたし、演劇などをあまり観ていなかったので今年は他人の作品をなるべく多くみて勉強しないといけないです。他に実際に作品制作の現場でダンサーとしてではなくてスタッフとして関わってどのように作家が演出していくのか見たいですね。
後は、私の場合ダンサー業だけやっているとくたくたに疲れて脳みそ思考停止してしまうので余白を作るようにして思考し続けないといけないです。
— ちょうど明日からの京都公演の2日目が、1年前の3.11にあたりますね。ちょうどこの作品のコンセプトを考え始めた頃かと思います。作品との関係性は?
あったものが無くなって、信じていたのがわからなくなって、無くなった所から自分は何を選ぶのか。その選ぶ基準をここからまた新たにつくりはじめる。私自身は地震の時とは別ですが、同じように選択を迫られて決断した時の私の想いとテレビで「私は無事です」と話す人達とリンクして、去年の3月11日に地震が起こって、自分も経験して、今の作品に直接テーマに結びついてはいないのだけど、自分の中でこの作品をやらなきゃいけないんだって思った過程の一つとしてやっぱりあの地震はあります。
— ありがとうございました。明日の公演を楽しみにしています。