NEWS

VOL.4全日程終了しました!VOL.5にむけて始動!!公募要項間もなく発表です。


みずのです。今日明日の雨で枝垂れ桜の開花が心配です。
巡回公演最終ツアーの京都公演が終わってちょうど1週間になります。ご来場いただいた皆様、ありがとうございました!
京都公演は2日間とも客席から集中したエネルギーに包まれ、暖かい満杯のお客様に支えられました。

作品制作の過程ではアップダウンがつきもの、様々な問題課題を乗り越えて半年間の作品制作、3か月間の巡回公演を経て、ラスト京都公演でのAプログラム3作品すべてが、最終公演でベストにもってこれたと感無量でした。

踊2vol.4に参加したAプログラム、Bプログラム、各地の地元作品の全チームメンバー、巡回&各地のテクニカルスタッフ、各開催地の主催者・制作・劇場関係、ダンス・イン・レジデンスの施設団体、助成・協賛団体、各公演地での映像記録撮影、「報告するぜ!!」取材陣ーーALL皆々様方、
そしてもちろん途中経過から本公演まで足をお運びいただいき見守っていただいたダンス・イン・レジデンス3地域+公演地6か所の全観客の皆さま、
本当にありがとうございました&お疲れ様でした。
たくさんの成果と、たくさんの課題をいただいて、また、今年も新たな1ページをつくりたいと決意を新たにしております。

本年度、vol.5も開催しますので、どうぞよろしくお願いします。
”作品制作+巡回公演”へ参加希望する演出家、振付家、映像作家、美術家、etcの皆様!
新作のアイデア公募要項は、このNEWSで間もなく発表しますので、ご注目ください。

応募締切は6月中頃を予定!
1次選考通過者対象の2次選考会は7月中旬実施予定!

今年もどしどし、作品制作にむかい、情報を発信していきたいと思います。
どうぞよろしくお願いします!!

**VOL.4 参加全13作品ご紹介! お疲れ様でした!

Aプログラム
■「ヤマナイ、ミミナリ」作・演出・構成:森田 淑子


(東京公演より photo:GO)

■「渚の風<聞こえる編>」演出・構成・振付: 黒沢美香


(東京公演より photo:GO)

■「ZERO ONE」監修・演出・振付:余越保子


(東京公演より photo:GO)

Bプログラム
■<札幌> 「Avec アヴェク~とともに」作・演出・振付:隅地茉歩

(札幌公演より photo:GO)

■<福岡>「Turning Point」振付・構成:長内裕美

(福岡公演より photo:泉山朗土)

■<仙台>「夢を見ているわけじゃない」演出・構成・振付:佐成哲夫

(仙台公演より photo:越後谷出)

再演
■「カレイなる家族の食卓」作・構成・演出:村山華子

(札幌公演より photo:GO)

■「MESSY]作・演出:菅原さちゑ

(鳥取公演より photo:中島伸二)

■「4….soku」作・演出・振付・出演:青木尚哉

(福岡公演より photo:泉山朗土)

地元
■<札幌>「アフタートーク」演出・振付・出演:東海林靖志

(札幌公演より photo:GO)

■<鳥取>「クウネルダンス」作・構成・演出・出演:とりっとダンス

(鳥取公演より photo:中島伸二)

■<仙台>「まつりのあと」構成・演出:菅野光子

(仙台公演より photo:越後谷出)

■<福岡>「SLUM」作・構成・振付:山本泰輔

(福岡公演より photo:泉山朗土)



東京公演を終え、巡回最終公演ー京都公演ラストラン!来年度「踊2」vol.5開催決定!

こんにちは、水野です!
昨夜から京都は小雨が降り続け、春が少し遠のいた感じです。
先週末の3連休、観光客で賑わう浅草観音様のおひざ元、アサヒ・アートスクエアで3回公演を終えました。
満杯のお客様にご来場いただきました。ありがとうございました!
初回から3回目まで回を重ねるごとにあったまってきまして最終日にむかいエンジン全開感です。
そうなんです!いままでは東京公演が最終でしたが
今年は初めてJCDNの拠点となる京都が最終地となります。
作品制作ダンスインレジデンスから巡回公演5か所を経て、作品はブラッシュアップし続けてきています。今週末金、土よう日の開演となりますので、どうぞお見逃しなく!

今年のAプログラムの3作品は、バラエティーに富んでいて、見ごたえ満載です。3作品はまるで異なる作品ですが、どれもダンスでしか表現できない舞台作品として心に響いてきます。ダンスだからこそ見えてくる世界、ゴムのように自由に変幻するイメージ力を受け取れる作品です。巡回公演地では、どの会場でも集中力が高まっていました。

速報!来年度も継続して「踊2」vol.5の開催を実施できることになりました!
昨年は京都を拠点に活動しているMUDAの参加がありましたが、今年は関西を拠点とする作家、振付家の参加作品は残念ながらありません。是非、次回は関西のアーティストにも参加してもらいたいと切望しています。京都や神戸で活動する振付家・ダンサー、美術家、映像作家のみなさん、ダンス作品をつくりたいと考えているアーティストは、是非、今週末の公演にお越しいただき様子をみていただければと思います。
vol.5の応募締切は6月上旬を予定しています!!

京都公演28日(金)19時 29日(土)15時 お待ちしております!
見逃すとソンしますよー絶対!

初制作作品となる森田淑子作品「ヤマナイ、ミミナリ」
>>>>言葉を失い、新たに得たものとは。「ことばのむこう」に佇む人の心、その風景を紡いでゆく。(森田淑子)

(東京会場にて)

昨年大きな事故にあい、作品制作は1年のばしとなった。
思い通りにならない身体、思い通りに伝えられない気持ち、苛立ち、
落胆と希望―誰もがもつジレンマ。
自らの家族とのリアルな記憶や経験から「ことばのむこう」をダンスで探す森田の意欲作。
ああ、なんて人間同士って言葉がじゃましてうまくいかないんだろう、そう思う
ことが多々ある私にとって、この作品は響いてくる。。(by 水野)
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N.Yを拠点に注目され活動している余越さんですが、今回、初の日本人ダンサーとだけで日本での制作となる余越保子作品「ZERO ONE」
>>ZERO ONEのテーマはダンスそのものです。(余越保子)

(東京公演より)

文学や詩ではなくダンス作品で、これほど不条理の世界を感じたことはない。「ZERO ONE」の世界は、今というこの同時代の不確かさや不安定さと、それを跳ね飛ばす力―ある種の開き直りパンク精神が混在する世界。映画ー首くくり栲象の宙に浮いている魂と身体と、同一でありアンビバレンスな双子姉妹のダンスは、自己と他者・存在と不在が入れ替わり立ち代り現れて、自分に乗り移ってくるような錯覚に陥り、それが快感へと変わっていく。
繊細で強靭なダンスが不条理な世界を支える。素直でまっすぐなダンスは、こんなにも雄弁に世界観を創りだしてしまうとは。ダンスでしか表現しようのない、是非ご堪能いただきたい作品です。(by 水野)
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ミカヅキ会議を結成して3年目となるダンス界の重鎮、黒沢美香作品「渚の風<聞こえる編>」
>>晴れやかにつったっていることを知らないでいるわけにいかない。(黒沢美香)

(東京公演より)

ミカヅキ会議の舞台で踊り唄う必死な感じが、リアルに身体全体からこちら側まで伝わってくる。その不器用そうな際に立つ身体をみているうちに、いつのまにか、それがとてつもなく自由に見えてくる。本物だけで生きるっていいなあ、と嫉妬心が湧く。そう思わせるダンスがここには在る。(by 水野)



東京公演 前売チケット一部完売!

踊Ⅱ巡回公演はラストスパートに突入です。いよいよ今週末は東京公演。
そして来週末は京都で巡回最終公演をむかえます!!
作家、出演者、テクニカルスタッフ、制作スタッフも一丸となって準備中です。

おかげさまで東京公演の22日・23日昼公演は、前売券を完売いたしました!
当日券は若干枚数ご用意いたしますが、上限がありますのでご注意ください。
混雑が予想されますので、チケットをお求めの方は、
お早めに会場へお越しいただきますようにお願いいたします。

22日夜19時~の公演はひきつづきご予約を受付けております。
1人でも多くの方にご覧いただきたいおすすめの3作品です。

* * * * *

来週に迫る、ラストステージ京都公演は必見です!!
各地で磨かれてきた3作品を目撃する、最後のチャンスです。ご予約はお早めに。

3月28日(金)19:00/29日(土)15:00
会場:京都芸術センター講堂
[前売] 一般3,000円/学生2,000円/一般ペア 5,000円
[当日] 3,500円(一律)

今年生まれた新作のダンス作品を、春の京都でお楽しみください。



黒沢美香作品出演・ミカヅキ会議インタビュー(vol.2)[Aダンスプロダクション]

「渚の風<聞こえる編>」出演のミカヅキ会議(前野隆司、武藤浩史、横山千晶) 
インタビュー

秋の鳥取レジデンスの際に黒沢美香さんに行ったインタビューで、“ミカヅキ会議の皆は、ダンサーより上手く踊る意気込みがある”とお聞きし、次回のインタビューは、ミカヅキ会議のお三方にそのあたり直接聞いてみたいと思っていました。鳥取で初演を終えた直後に、前野隆司さん、武藤浩史さん、横山千晶さんに、お話しを伺いました。インタヴュー中に小学校から中学まで鳥取で過ごされた前野さんに、母校の教頭先生が訪ねて来られるという嬉しいハプニングもありましたが、黒沢さんとの出会い、言語と身体、ご自身の大学での研究との接点など話はつきませんでした。



(福岡公演 photo:泉山朗土)

2014年1月26日 鳥の劇場
聞き手:水野立子/テープ起こし:渋谷陽菜/編集:北本麻理・水野立子

きっかけの1月10日

― 約半年の稽古期間を終えての初演、無事終わりましたね、お疲れ様でした。初演まで長かったですか?

武藤 でもね、本格的にやったのは11月の鳥の劇場でのレジデンスからですよ。

― エンジンがかかりだしたのはそうかもしれないですね、レジデンスは缶詰状態ですからね。12月の森下スタジオでのリハーサルを拝見したときは、これはどうなるんだろうーと思ってたんですが(笑)今日の公演では、一人ずつの身体のテンションというか強度が、急激に上がってすごいなーって思いましたね。さすが合わせてきましたね。

武藤 なんかね、ようやく形がついたって言うか。

前野 ずぅーっとこう、伸びてきた感じはしますね。

武藤 11月は始まりで、なんかまだメロメロだった感じですよね。

前野 うん。美香さんもお正月休みを挟んで、1月の初稽古の時は危機感を抱いていた。

 ― そうなんですか? 

武藤 ちょっと稽古期間があくので、またテンションが下がるという危機感を抱いていたら意外に良かった。恐らく各自がお正月のうちに練習していたんだろうと。

前野 そう、したした。

 ―自主錬ですか?

横山 個人練習。

前野 それまでは段取りを覚えたり、絡みを考えることに精一杯だったので、見せることまで頭が回っていなかったんですよ。

 ― 見せるという意識の身体になったんですね。

前野 そう。伸びたと言うよりも、外にはみえてなかったものが見えてきたのだと思います。外に出すエネルギーは1月10日からアップしました。これはやっぱり美香さんの時間配分が上手いのだと思う。そこまでは厳しかったけど、最後の方は褒めてくれた。「ココが凄い。凄い良かったー!」とか言って、だからそれで気持    ちがそれぞれなりにあがったと思う。

 ― その気になって見せる気になっていった。

前野 そういう日なんですよね、1月10日。

武藤 確かに段取りが身体に入ると、自分の動きも出来るって言うか、その段階になるとやっぱり一段上がる。

前野 12月までは結構怒られました。「前回作った振りを忘れるなんて、ダンサーだったらありえない!」とか。

舞台に立つ覚悟

 ― 皆さんのご職業というのはかなりお忙しいでしょ?

前野 おかげさまで、忙しいですね。

 ― それなのに、この茨の道っていうか、趣味程度ではすまない。ツアーもあるし、覚悟がないとやれないと思うのですが、この「踊2」に応募するよって言われた時、やろうかどうしようかって迷いはなかったのですか?

前野 もともと秘密結社のようにダンスはしていました。そして、どこかで発表しようといって探していたら、美香さんが「踊りに行くぜ!」を見つけてきて、「これだー!」って。

横山 美香さんに言われたんですよ。「もう親が死んでもダンサーは公演のときはやらなきゃいけないから、その時は覚悟してくださいって。」

前野 そうそう。

― そんなことまで言われたんだ。すごいなー!

前野 それはそうでしょ、親が死んでもやらなきゃ。プロなんで。卒業式はしょうがないけれども。(前野さんは、京都公演の前日リハ日に大学の卒業式があります)

― そういう風に言われたら、はい!ってすぐ納得したんですか?おそらく、いまのコンテンポラリーダンスの人で、親の死に目に会わないで舞台に立つ、という覚悟が皆にあるかと言われると・・・・。

武藤 美香さんもどの程度本気で言っているか分からないよね。

― 一般のお仕事だったら、普通「はい」って了承できないでしょ。

武藤 でも私たちにとって黒沢美香は師匠なので、この人の言う事は絶対に聞かないと、と思います。

― なるほど。

横山 それくらいの覚悟で行かなきゃ、と思いました。

― そうなんですか。それはもしかしたら今日の話の中で一番すごい話かもしれない(笑)

横山 あのときは美香さん結構本気だったと思う。私たちも応募のときはかなりぬるい感じでいたから、選ばれたたときすごく焦ったんですよね。しかも今までは、この日は予定が入っているから駄目です、みたいな感じできていたので、美香さんに釘を刺されたって言う感覚はありました。
やっぱり美香さんはそれくらいの覚悟をなさって来たんじゃないですか。だから、そういわれても当然だと思った。

(ダンス・イン・レジデンス鳥の劇場)

武藤 応募する時は、やりましょやりましょ、ってもっといいこと言っていたんだよ。選出された後、マジになった。

横山 選ばれると思わなかったのと、公演も限られた日数でしか出来ない。レジデンスはどうひっくり返ってもピンポイントで1週間しか取れない。普通はこんなの有り得ないので、多分ダメでしょうと。

―  ミカヅキ会議の場合は美香さんの稽古場もあるし、自分たちで密な稽古ができていると想像していました。合宿のような感じなんだろう、と思ってたんですが。違ったようですね。

横山 いや、レジデンスはやってよかったです。

― 「踊2」のこのプロジェクトとしては、ダンス・イン・レジデンスは是非やってほしいと思うものです。なにしろ、朝から晩までずっと作品に向き合える贅沢な時間に没頭できるというものですから。

ミカヅキ会議結成について
武藤 2011年だね。

横山 2011年。ちょうど3月3日に結成して、その後に震災が起きたんですね。美香さんが、ご自分のお身体のこともあるんだろうけど、「これから先どこで何があるか分からないから、すぐにミカヅキというものを出していこうと思った。」と仰ってました。
まずその2か月後の5月11日に、慶應大学で美香さんのダンサー達の公演をやったんです。いろいろなイベントが自粛される中、美香さんはどんな事があってもこの公演はやると決めた。こういう時だからこそ絶対にやる。そこで私たち、本当に短い時間だけど踊ることになりました。あっという間に公演に(作品として)持っていくって凄い事じゃないですか。実は美香さん、このミカヅキの結成をその一年くらい前からずっと考えていたって仰っていたので、やはり思い入れはあったんだな。そういった意味での「重さ」は、色んな段階を経て私たちも感じられてきたと思います。

(鳥取公演 photo:中島伸二)

武藤 慶應で、我々が文部科学省の教育プロジェクトの予算を取ってたんですね。それを使って新入生歓迎行事として5月11日に公演をすると。そこで黒沢美香&ダンサーズも出ると。その一部でミカヅキ会議も出ることになった。それで横山が横浜で「カドベヤ」というコミュニティースペースをやっていて、ここで震災の被災者の方々がいらっしゃったので、そういう人に縁もあったって言う事で震災関連イベントとしてやった。それが最初の小さなデビュー。それで、その次に、翌年2012年にd-倉庫でやりました。

―次が「踊2」だったわけですね。大学教授というハードな仕事を抱えながらも、ミカヅキ会議の活動を止められないでいるっていう、その一番の理由をお聞きしたいですね。

武藤 私はとにかく文学研究者で言葉の事をずっとやってきて、言葉を媒体にする愛着もあるし、と同時に言葉ではできない事に対する憧れもあった。で、非言語の世界に興味を抱いて生きてきた。だけども、黒沢美香さんという人に出会ってその具体的な道が開けたっていうんですか。
もともとは1990年代に、慶應大学の日吉キャンパスでは毎年大野一雄さんを教員有志で、新入生歓迎行事でおよびしていたんです。そういう経緯もあってわりとダンスに縁があった。私もその大野一雄の公演をみて非常に感動したクチなんですけれども。そのあとも3年間継続して、石井達朗さんに相談しながら、H・アール・カオス、黒沢美香、笠井叡のお三方をお呼びして、2005年から2007年まで公演を行いました。2005年は、美香さんに公演だけでなくてワークショップをしてもらったんですよ。私はとにかくそれに惚れ込んじゃったので。その後、さっき話した文部科学省の教育プロジェクト「身体知を通して行う教養言語教育」というのに美香さんをお呼びして、色んな教育実験に協力していただいたりした。それから美香さんのスタジオに通うようになりました。

身体と言語

―  どんどんハマっていったんですね。

武藤 そうそう、ハマっていって、慶應大学の教養研究センターってところで身体知プロジェクトが始まっていて、そこの所長に横山がなったんですね。そういう形で色んな形で大学ともリンクしながら、美香さんに協力してもらいました。それは、公演だったり、授業だったり、あと、日吉キャンパスの一般公開講座で、前野さんと黒沢さんと私が共同で講座をやったり、大学の中で色々活動していったのですが、と同時に個人的な興味として、言葉の外の世界に興味があったので、ある時、思いたって美香さんのスタジオに行ったという経緯です。

(鳥取公演 photo:中島伸二)

―  研究だけじゃなくて、実際に自分の身体でということが始まったんですね。研究とか、身体と言葉とか大学教授で興味のある方は多いと思います。でも、実際に自らの身体でやることは少ない、しかも、本気の実演家になってしまうのはなぜだと思いますか?自分の身体を捧げるじゃないですけど。

武藤 やっぱり言葉と言葉じゃない世界を往復していないと、人生が貧しくなっちゃうなっていう感じがしますから。

―それは直感ですか?知識?

武藤 直感。

―なるほど。横山さんはどうですか?

横山 武藤さんは本当にソロ公演もやっているし、「ダンスがみたい!新人公演」に2回も出ているし、もうりっぱなダンサーですよ。

― 自作自演の作品。

武藤 そうですよ。

横山 あとは、黒沢美香&ダンサーズでも2回出ているよね。

―今日上手の前で武藤さんが、こうやって止まってるところあるでしょ?あの顔は「ダンサーだなー。」って。

横山 ダンサーだよね。

―何でそれをもっと早く見せてくれなかったんでしょうね(笑)私は12月まで心の中で正直かなり焦ってましたけれど。最初からそれやってくれれば安心したんだけど。(笑)

武藤 まぁ、水野さんに最後にそういうプレゼントを取っといたんですよ。最後に喜びがあったほうがいい。

―ははは。横山さんはいかがですか?

横山 私は大学教育の中での「身体知」の意味にずっと、興味があった。武藤さんと同じですが、基本的に言語の世界で生きているので、身体で表現する人が、どんな言語を使うのかが興味があったんです。ダンサーとか。たまたま余越さんが新長田のダンスボックスで高校生達に振付をするっていうので、成果を見るのではなくて、教えている過程を見たいなと思ったんです。そこで美香さんと一緒に行くことになった。
私は自分がダンスをやるなんてこと、考えた事もなかったんです。その帰りの新幹線の中で急に美香さんが言われたんです。「大学教授のダンスグループを作りたい。」しかも、「一年間考えてきたんだけど。」って。もちろん自分がその中に入るなんて思ってもいなかったので、武藤さんに声をかけました。武藤さんならやってくれるだろうという事で。

― 美香さんは、活発だって仰ってましたよ。学生よりもむしろ大学教授の方が視野が広くてとにかく活発なんだと。

横山 そうですね。だから振付家ってどんな言葉を使って他人の身体を動かすのだろうということにも興味があった。同時に美香さんの言葉の使い方に対しても凄く心揺さぶられました。だから同じ興味を持つ武藤さんと前野さんはすぐにやるってなって思って。

― え?横山さんはやらないということだったんですか?

横山 私はやらない。とてもじゃないけど。

武藤 あなた、最初は「やらない」って言うタイプの人だよね。

横山 そうそう。

― いまやダンサーじゃないですか。

横山 いやいや、人の前に出るのって怖いですよ、本当に。でも美香さんに3月3日の結成時に、まずは見に来てくださいって言われて、結局そのまま入ることになってしまった。まあ確かに私もやりたかったのかなって思います。

―  本当はね。

横山 本当は。やっぱり身体って思うように動かないし、そういったことを経験してないし。動く時にストーリー性を見せようとすると、すぐに美香さんに否定されるので、それっていいなって思ったんですよ。つまり、ある意味でどんな解釈も出来るじゃないですか。こっち側がストーリー性を持たないで動いた時に、他の人たちがどういう風に解釈するのかがすごく気になるなーって。

― その“他の人”というのはお客さんが?

横山 ええ、お客さんが、です。それも探ってみたい。どうしてもストーリー性って入っちゃうじゃないですか。そこで困っていると、美香さんがヘルプしてくれます。たとえば「そこに水溜りは見えますか?」って。まだまだ乗り越えなきゃいけないことがたくさんです。

―というと、皆さんに動きの出し方はまかされているのですか?

横山 そうなんです。でも美香さんの場合、動きの必然―こう出たら、身体はこう動くでしょ、という理由をいつでも求められるんですね。本当にはじめて自分の身体と向き合っている気がします。同時に動いていると感情が動いちゃう。以前、美香さんが、自分の踊る原動力には「怒り」があるって仰った事がある。

―横山さんも怒りがあるから踊るのですか?

横山 踊っている方って怒りや悲しみが原動力になっている、っていわれる方がいます。私の中にもそれがあるような気がするけれど、人間って自分のことが一番良く分かっていない気がするので、ちょっとそこを突き詰めていきたい。まだまだ私は踊りってよく分かってないです。
人前で踊ることにもまだ違和感があります。踊ることで未知のものに対峙しているわけだけれど、それじゃそれが大学でやっている事に関係してくるかっていったら、関係させようなんてまったく思ってないです。
ただ、私自身のためにやっている。大学では奨学金などお金を頂いたらすぐ成果を示す世界で生きてきたけど、踊ることではその考え方は一回やめようって。何かそのうち見えてきて、それが今まで自分が行ってきたことに戻ってくる時があるのかもしれないな、と思っています。

― 最初に言葉で解明しようとしていたお二人は身体論のほうは逆に見えてきたことってあるのですか?実際に自分の体で実演をして。

武藤 身体論って結構流行ってますけども、言葉だけでやっている人の虚しさみたいなものは見えてきた。

― 最初は武藤さんも大学教授っていう肩書きだけで、そういう風に見られていたのでは?

武藤 言葉は好きなんですよ。好きなんだけども

―理屈だけではない領域が見えちゃった?

武藤 うん。で、単に言語と非言語が対立しているんじゃなくて、どっかに深いところで通じあっている部分が見えてきて、言葉が空回りしている身体論は、あぁ、この人はこんな感じだなって。

― 公演が終わった後にそれを是非、書いてもらいたいですね。実際にやった人じゃないと書けない事ってあると思います。

横山 言語化はね、ホントにしたい

― 限界はもちろんあるし生ものじゃなきゃ出来ない瞬間、今しかないという舞台と、読み物としてわくわくする文章って面白いですよね。

横山 それは分かります。

―実際には踊ったことがない評論家なのに、まるで自分の体でダンスをした感覚がわかっているような評論を書く人。そういうことが感覚で分かっちゃう人っていますよね

武藤 そういう人って稀にいますよね。

<前野さん、母校の教頭先生との面会から戻る>

(鳥取公演 photo:中島伸二)

― 前野さん、なぜ、こんなに忙しい方々が、美香さんの元でダンス修行ともいえる活動に参加する事になったんだろうということをお聞きしてたんです。

前野 最初、僕は見せる自信も見せたい気持ちもなかった。最初から踊りたいと思っていたのは武藤さんだけだったんです。最初は、練習だけならいいかと思って始めたんですよ。今思えばあれは騙された(笑)。

― ところが「踊2」に選出された段階から、作品がまだみえてない段階から、チケットを売って公演する各地のツアーが4ヶ所決まっちゃいました。それってプレッシャーでしたか?

横山 それはプレッシャーですよー。

― リアリティはその時にあったんですか?

前野 うん。リアリティはあるし、僕の場合は美香さんが振付するからついていけばナントカなると思ってた。

― 自分を活かしてくれて、ちゃんと作品が商品になるっていう自信があったんですか?

前野 自信があった。

横山 それは黒沢美香の名前があるからってこと?

前野 美香さんの名前というより、美香さんに自信があるからですかね。「僕は体が堅いから駄目」と言うと「身体が堅いのがいいのよ。ダンサーみたいなグニャグニャした身体に出せないタンスみたいな美しさがある」って。だから、下手だから心配とは思わなかったですよ。だから、僕の場合、ついていってやっていけば仕上がるっていう自信があった。他の2人は違うかもしれませんが。

武藤 ボヤっとしてる時は、美香さんからピシっとしたメールくるし、そういうのはあった。追加練習お願いします、みたいに返すんだけど。

横山 すっごい厳しいお言葉頂いたよね。

前野 振付の順番を覚えるのがやっとのころには、段取りだけを確認するつまらない踊りになってたんだよね。

横山 段取りって空気のように身につくもんなんですねー。

前野 うらやましい。僕は段取りを覚えるのに必死。

横山 それが出来るようになったら絶対に忘れないじゃない。私、自分のパートで小さな振りを沢山つくって踊る部分があるんですが、全然うまくいかなくって。美香さんに言われたのは「刺繍のように」縫い進める。
わかるのだけれど、最初はまるで駄目だったけど、最近は出来るようになった。まだまだ伸びていこうって思っている。

―今日やった内容はまた変わるんですか?

横山 変わると思う。

―それは三人三様で勝手に変わるんですか?美香さんは何も仰らない?

横山 美香さんも仰います。

前野 美香さんは、美香さんのイメージ通りに踊るための助言もくださいますが、アドリブで踊れとも仰います。自分たちらしく踊るようにと。

―駄目だって言われる時はどんな時?

武藤 私の場合は踊りがもともと濡れてる体質で、ビショビショになるので、それを乾かすような事。

― 陰湿ってこと?

前野 なんかべたーっとした。

武藤 やろうとすると自分の中に入っちゃう自己陶酔型みたいな。自分では意識してないんですけど。

―ナルちゃんですか?

横山 あーそうだね。

武藤 私の個性で変えようがないんだけども、それを出来るだけ乾かした方がいいだろうと、美香さんのお考えです。それなりに乾いてきたかな。

前野 乾いてきたところと、べたーっとしたところのメリハリが出てきてる。

― お互いに見あって言い合うんですか?あれは良いとか悪いとか。

横山 いいます。いいます。こうしてくれとかお願いする。最近は私が一方的に過激にお願いしているかもね。

前野 美香さんとはまた違うんですよね。「武藤さんずっと止まってるけど、あれは良いんですか?」って聞いたら、美香さんはいいって。「長いけどその後があるからいいんだ。」って。僕らの色んな希望を言うと美香さんはいいというときとだめというときがある。それぞれ意見は違うけど、最後は大将がナントカする。

―前野さんが自分に対する駄目だしで気に入ってるのって何ですか?

前野 「いつも見せる身体でいなさい」です。

― 厳しいけどいいですね。 

前野 今回、僕は、止まってるシーンが多いじゃないですか?止まっててちょっと気を許すと「死んだ身体でいないでください、ずっと生きててください。」って。なんでばれるんだろ?ココロが乗って、タラタラタラララという音楽をかみしめてじっと楽しんでいると、いいとおっしゃる。それを見抜くところが、やっぱり美香さんは天才なんだと思います。「観客には分からないものが私には見える」って仰ってましたもんね。

― まあでも結構お客さんもわかりますよ。

武藤 そうですねーわかりますね。

―振付家は、ずっと見ているから慣れて分からなくなってしまいがち。観客は初めてなんで結構鋭く見てる。その視線をいつまで保てるか常に新鮮な目線でみれるかですね。

横山 その事は前に私たちも美香さんに質問したね。常に新鮮に見るって事はどうしたらできるのか。

―演出家は距離を持たないとできませんからねえ

横山 それに身体は堅いし、ダンサーのように動けないじゃないですか。そこで持っている身体言語が美香さんとちがうんですね。

― 美香さんがトレーニングして出来るようになってほしいとは思わないって。今の皆さんにできる事をいかに探すって事なのかな。

前野 「ココまで手を上げてください」って言われ、やってみても上がらないんですよ。3年前は驚かれました。しかし、最近は分かった上で、僕たちの体が活きる場所を見つけてくれている気がしますね。

(鳥取公演 phto:中島伸二)

― なるほどね。この作品あと3箇所で公演ですが、ダンサーとして出演者としてこう見せたいなというのはありますか?

横山 具体的なことになっちゃいますけど、すごい緊張するので最初出るところでふらつかない。これだけです。

― 今日は大丈夫でしたね?

横山 そんな事ないです。

― お客さんは、やっている人がぐらぐらしても、精神がぐらぐらしてなきゃ大丈夫なもんですよ意外に。ぐらぐらに動揺してるのが見えちゃうんですね。どうしようっ!ってなると途端に分かっちゃうんです。それ今日出てなかったと思いますよ。私にはわからなかった。

武藤 この人(横山さん)なんてずる賢いんだろう!と思ったのは今日、ぐらぐらしている時、ぐらぐらしている振りのフリをしたんですよ。

―武藤さん一緒に出ていてやられたーって思ったんですね!?

横山 あとは出来れば楽しくやれたらいい。今は自分が必死だし、二人との関係をもつのも必死なんだけど。そのうちお客さんとも関係がもてるのかな。

武藤 共通のところがあって、基本的なぐらつかないとか、ピタッと止まるとかその辺がキチンとこなせるようになりたいと。それが出来るようになれば恐らく即興的に動く部分も違ってくると思うんですよね。どういう風に違ってくるのかも楽しみたい。ルーティン化する恐れもあるけど気をつけながら、また新しい公演だと思って楽しみたい。

前野 同じですね。楽しみたいし、冷静に没入して心がぶらつかないベストな状態を見てもらいたい。それから、やはり、ダンサーではない人でもその人らしく踊れるんだ、ということ自体を楽しんでもらいたい。今日は今日なりにベストは尽くしましたけど。それを更に高めていきたい。

― 前野さんから踊ることについてのエッセイ(電子書籍AiR 3『ダンス、してますか?』電気本、2012年)を送ってもらいましたが、あの探究心、自分の中で自分を見ている、自分をみて作れるかどうか、その辺はどうですか?公演やってみて。

前野 自分としては、今回も、心は澄み切っていて、色々見えた気はしました。しかし、まだ心先行で身体はついていってないかも知れません。割と冷静に自分を見ていたつもりだったとはいえ、上にスモッグが出たことなどゲネでは気づいた事が、今日は気づけなかったり、感性が狭まってる気はしました。でも、今日の踊りは、98点です。うまい下手とか、表現できたできないじゃなくて、いままさに未熟さも含めて存在している3人の体と心自体がダンスなんだと思う。だから、いつも自己評価は高いです。いつも100点と言いたいくらい。

横山 いつでも向上心高いよね。前野さんの存在は大きいね。

― そうなんですね。常にそれを心がけているんですね。

前野 僕は、幸福研究者の使命として「楽観的でポジティブであること」を目指している面はあります。「ポジティブに未来をめざすぞー!」みたいな。横山さんは怒りを表してるようにも見えますよね。それはそれでやはり未来をめざしているんだと思う。

横山 そんなー!?でも怒っていていいのかな。

― 横山さんの本音がだんだん出てきたところで、あとは福岡公演を楽しみにしています!ありがとうございました。


(鳥取公演 phto:中島伸二)



黒沢美香作品「渚の風<聞こえる編>」ー東京・京都公演上演作品紹介3

インフルエンザの猛威も収まってきたのかな、と思ったら寒さがもどってきましたね。最後の冬でしょうか?
「踊2」プログラム・ディレクター水野です。
巡回公演もラスト2ヵ所、東京・京都公演を残すばかりになりました。
2月21日:NEWS「主催者が推す理由―今年のAプロ3作品。」でもご紹介しましたが、東京・京都公演で上演致しますダンス・イン・レジデンスを経て約半年間、作品制作を続けてきたました3作品をご紹介します。

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黒沢美香作品「渚の風<聞こえる編>」をご紹介します。

>>「ダンスはダンサーだけのものではない。」
3人のからだにおりてくるものは。


福岡公演より photo:泉山朗土

『渚の風<聞こえる編>』
晴れやかにつったっていることを知らないでいるわけにいかない。(黒沢美香)

演出・構成・振付: 黒沢美香
出演:ミカヅキ会議(前野隆司、武藤浩史、横山千晶)
オリジナルソング「舟歌」作詞・作曲:武藤浩史
音:サエグサユキオ
衣装:武藤眞子
演出協力:首くくり栲象
制作:平岡久美(Dance in Deed!)

ミカヅキ会議
【メンバー】前野隆司(慶應義塾大学教授、ロボット工学者)、武藤浩史(慶應義塾大学教授、詩人、作曲家)、横山千晶(慶應義塾大学教授、英文学  者)、黒沢美香(振付家、ダンサー)。

【ルール】第一(月)指定の場所に10時集合。遅刻をしない。空いている部屋で稽古する。これがなににつながるのか疑問でも歩む。恥ずかしさを力に変える。

【モットー】(1)緻密な頭脳は呪われた祝福と開き直る。(2)真理の到達不可能性を知りながら、能天気にそれを追求してしまうお目出度さが憲法。(3)謝罪を口にする傲慢さは捨てる。(4)うまくなってはいけないが、とがってなくてはならない。

【活動歴】2011年3月結成、5月「ワタヌキさん」(慶應義塾大学日吉キャンパス来往舎)、2012年「渚の風」(日暮里d-倉庫)。
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初演の鳥の劇場での公演から、約1か月後の先週の福岡公演の様子は、NEWSでお知らせしたとおり会場を沸きに沸かせたミカヅキ会議。
「報告するぜ!!」での取材記事“「忘却」そして「地に足がついた幸福感」”も合わせてご覧ください。
12月までのリハーサルに何度か立ち会い、1月の鳥の劇場の初演を終え、だんだんと何故黒沢美香さんがこれほどまでにミカヅキ会議に惚れ込むのだろう、ということが私なりに見えてきた。ただ、本当にひざを打つほど得心したのは、やはり先週の福岡公演だった。その魅力をたっぷり感じた。公演を見に来ていたバレエ教室に通う中学生の女子男子からも、自分たちが踊っているバレエとは違うけれど、うけにうけてしまう魅力がある。その本物のおもしろさとは、なんなのか。黒沢さんのミカヅキ会議とダンスへのこだわりを語ってもらったインタビュー抜粋を紹介します。

黒沢さんインタヴューより抜粋

「ダンサーがダンスを踊るダンスではなくて、ダンスの間口をいろんな角度にもっていきたいと思うんです。ダンスというものは、いじめられて、鍛えられて、ゆさぶったりして強くなっていくと思うんです。そのためには、いろんな人のからだが、踊ろうとする機会を持ちたいと思うんです。」

「ダンスがダンサーのものではないというのが、まずひとつあります。誰のからだにもダンスが起こるという事をみてもらいたい、というのがあります。だから、それのために、なんというんですか、火あぶりじゃなくて、なんでしたっけ・・・生贄。これいっちゃうと誤解が出るけど「犠牲。」ダンスのために、ダンサーが踊らなくたって、ダンスというものは成り立つんだ、という問い。ダンスはいったい、どこに立ちあがってくるんだろう、誰に立ちあがってくるんだろう、という問いを彼らが引き受けることになります。」

「ミカヅキ会議の皆は、ダンサーより上手く踊ろうと思っていると思います。ダンスが上手いとか下手とかいう物差をひっくり返したいという、そうという気持ちがあると思います。」

福岡公演より photo:泉山朗土

黒沢さんの稽古は、相手がだれだろうと容赦なく差別なく行われる。普段からダンスをしているダンサーだろうが、そうでない人だろうが無関係。コミュニティの参加者を相手に作品をつくってください、というオーダーの場合、よくあるのは、参加者がやめないように気をつかいながら稽古をする振付家が多いと思うが、黒沢さんはそんなことは無論しない。ダンサーでもコミュニティの人でもミカヅキ会議相手の稽古でも同様に激が飛ぶ。きっと、黒沢さんは人のためにやっているわけじゃなく、ダンスのためにやっているからなのだと思う。本物のダンスが立ち上がるために活動しているアーティストだから。そして、そこに同意して、自分の身体を使ってそうなりたい、そういう境地になってみたいという、黒沢美香さんのダンス哲学を自らの体を通して実証したいと名乗りをあげ、そのダンスに対する追及の姿勢を師匠と仰ぐ3名がミカヅキ会議なのだ。本物の動きだけが許される黒沢作品を踊るミカヅキ会議の必死になって踊る姿は、とてつもなくおかしくて、カッコいい。むしろ、嫉妬心が湧くほどだ。映画のワンシーンのような加山雄三と吉永小百合と浜田光夫がいるような遊び心のある演出がにくい。黒沢美香とミカヅキ会議の本気のこの取組から、ダンスという表現の深さがみえてくる。そうだった黒沢さんのダンス哲学は「「ダンスはダンサーだけのものではない。」です。ミカヅキ会議の皆さんの潔い身体とダンスを是非、観ていただきたいです。


鳥取公演より photo:中島伸二

◆新倉健(作曲家・鳥取大学教授)
不思議なダンスである。これまで経験したことのない奇妙な感動を覚えた。
まず、ダンサーの肉体の不思議な存在感。踊っているのは鍛練されたフツーの人間(三人の大学教授)たち。いわゆるプロのダンサーではなさそうな、彼らのステージでの存在感に引き込まれていく。振り付けには、上質のミニマルミュージックのような緻密な細部と綿密な構成が感じられるが、ミニマルの窮屈さや退屈からはするりと逃れているという感じ。意味が有りそうで無さそうな言葉、時間の無いところを夢見ているような歌。
このダンスは夢の領域と深く関わっている気がする。



余越保子作品「ZERO ONE」ー東京・京都公演上演作品紹介2

インフルエンザの猛威も収まってきたのかな、と思ったら寒さがもどってきましたね。最後の冬でしょうか?
「踊2」プログラム・ディレクター水野です。
巡回公演もラスト2ヵ所、東京・京都公演を残すばかりになりました。
2月21日:NEWS「主催者が推す理由―今年のAプロ3作品。」でもご紹介しましたが、東京・京都公演で上演致しますダンス・イン・レジデンスを経て約半年間、作品制作を続けてきたました3作品をご紹介します。


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余越保子作品「ZERO ONE」をご紹介していきます。

>>N.Yを拠点に2度のベッシーアワード受賞振付家が、舞台に立つからだの在り方を
双子のダンサーと映画「Hangman Takuzo」を軸に問う日本初制作。


鳥取公演より photo:中島伸二

「ZERO ONE」
ZERO ONEのテーマはダンスそのものです。

監修・演出・振付:余越保子
共同振付・出演:福岡まな実、福岡さわ実
映像コンサルタント:崟利子
衣装・美術:岩崎晶子
映像出演:首くくり栲象、 黒沢美香、川村浪子
(映画「Hangman Takuzo」余越保子監督作品より

(当日パンフレットより)
新しいダンスを覚えるよりもそれまで習得したものをまっさらにすることのほうが難しい。ゼロにもどりニュートラルな状態にいつも自分をおく。存在した瞬間から消えてしまう、そのはかなさそのものに魅せられた人間がダンサーです。ダンスは永久に何もない空間であり、美しく、誰も所有することができません。その贅沢な瞬間が舞台でていねいに紡げるように、ゼロ・ワンを作りました。

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私が余越さんと初めて会ったのは、1年間だけN.Y.にいた時期1996年N.Yの路上で。余越さんの公演の案内チラシをもらって立ち話をしたことがかすかな記憶に残る。それから18年経過する間、日本やN.Yで3年に1回程度お茶を飲んで近況を語り合うみたいな感じでした。その間、余越さんは作品をつくり続け、着々とキャリアを積み、いまやN.Y.で発表する作品は毎回、注目を集める存在になっていった。その経歴を読んでいると一人のアーティストが歩んできた道のりと、どのようにダンスというものにアプローチしていったのかがわかる読み物になっていてかなりおもしろい。余越インタビュー記事の冒頭に記載したので是非、ご覧いただきたいです。 20年近くもNYだけで作品制作してきた余越さんは、今回何かのきっかけで日本で滞在制作したいと思い、踊2に応募することになったわけだが、NYと日本、受け取る環境、観客の違いについて余越さんはどう考えているのか?「報告するぜ!!」での取材記事が興味深い。
余越さんは過去に一度、小説の賞をとったことがあるらしく、今回の「踊2」への応募要項の文章にも惹きつけられる。ロジックに作品を組み立てていく方法も多いようだが、今回のこの作品「ZERO ONE」は、ちょっと違うようだ。まずは双子のダンサーありき、そして数年前の首くくり栲象を題材にした監督作品・映画「Hangman Takuzo」ありき、そこからすべてが始まったという。
 余越保子インタビューから抜粋してみると、

「ダンサーが作品です。ダンスがどこにいくのか、作品がどうなるか、最初から私にもわかりません。今しか存在しないダンスだからこそZERO ONEが成り立つのです。」

「ダンスでしかできないものがあって、それ故にやるとしか言えないです。予定調和っていうのがないんですね。人がいて、その人が誰で、どういう風に動くんだ、というところから本当にゼロから始まる。作品が生き物で、わたしがそこに仕える召使いのように、お聞きして、ああそうですか、こちらですかと、後をついくような感じ。ダンスに仕えてこそつくるかいがあるというか。」


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「ZERO ONE 」の初演を1月鳥取公演、2月仙台公演をみた。正直なところを言うと、私にとって10年に1度、出会えるかどうかというダンス作品だと思っている。文学や映画ではなく、ダンス作品でこんなにも不条理を感じたことはないからだ。
映画ー首くくり栲象の魂と身体、生きて死んでいる瞬間と、同じ容姿をもつ双子のダンス。この2つで構成される舞台をみていると、いつしか、自己と他者、存在と不在が入れ替り立ち代り舞台に現れ、幻覚をみているような感覚に襲われる。それをささえるのは、繊細で強靭な双子姉妹のダンス。日本とヨーロッパ、異なるダンスの環境で修行してきた二人が同じ舞台に立つのは初めてだという。このダンスは、なんというか、奇をてらわない、あまりにも素直でまっすぐなダンスがただ在る。やっぱりダンスは生き様がすけて見えるんだ、と思える瞬間。こんなにも主張がなく、だからなのか、こんなにも雄弁なダンスは衝撃となる。そのダンスから、いつしかZERO ONEの世界観が現れてくるー美しくて儚い、明るくて暗い、わけがわからない歪んだ世界、つまりいまの社会なんじゃないか。不条理としかいいようがない。同時代の作家がつくった作品だなあ、と観終わったときに共感できる心地よさがある。 主催者ながら、わたしがこれを観なかったら、かなり悔しいと思うだろう。日本ではあと5回公演のみ!

***はみ出し情報***
映画「Hangman Takuzo」は、

Mika (L) and Takuzo ®.
余越保子の監督・撮影作品。2010年余越保子の祖母の家(広島県竹原市所在)で撮影された。首くくり栲象(英訳は「Hangman Takuzo」映像のタイトルとなる。)は、40年以上「首吊り」という行為を芸術活動の主軸とし、自宅の庭で自身のカラダを吊る「庭劇場」を 毎月定期的に一般公開している。彼の日課は首吊りである。
その他出演は、日本のコンテンポラリーダンス界を開拓してきた黒沢美香と、裸体で「前進歩行」という行為芸術を海辺や山の中など屋外で30年以上行なっている川村浪子(撮影当時72歳)。
映画製作は資金繰りに困難を極め3年間保留となる。完成を待たずして編集なしのオリジナル映像のまま、 オーストリア、アイルランド、ニューヨークの各地で自主上映として上映。英文のみだが余越保子自身の紹介記事「THE BROOKLYN RAIL」 です。

双子ダンサー福岡まな実とさわ実と制作した理由 今回、福岡姉妹が一緒に踊る初のデユエットダンス。姉の福岡まな実は、大阪に在住し舞踏カンパニー「千日舞青空ダンス倶楽部」で舞踏の訓練を受けた。妹のさわ実は、アムルテルダムのEmio Grecoカンパニーに10年間所属した後、現在ベルリンに住む。二人とも現在はフリーランスのダンサー。
一卵性双生児として同じ容姿、身体的能力を持ちながら、訓練と美意識の異なる土壌、日本とヨーロッパーで10年以上踊りつづけてきた二人。
かたや、N.Y.の観客の前で、日本人として日本の伝統芸能の要素をコンテンポラリーダンスの文脈で作品をみせてきた余越。だからこそ、双子の福岡まな実とさわ実姉妹のアイデンテイテイー、あるいはその特異性に惹かれ、余越保子自身を重ねてみたのかもしれない。
「ZEROー何もないコト、ONEーなにかが生まれる ZEROからONEに向う、その間にある不思議な強烈なエネルギーをこの二人の踊りが生み出すだろうと確信している。」と余越は語る。



森田淑子作品「ヤマナイ、ミミナリ」ー東京・京都公演上演作品紹介1

インフルエンザの猛威も収まってきたのかな、と思ったら寒さがもどってきましたね。最後の冬でしょうか?
「踊2」プログラム・ディレクター水野です。
巡回公演もラスト2ヵ所、東京・京都公演を残すばかりになりました。
2月21日:NEWS「主催者が推す理由―今年のAプロ3作品。」でもご紹介しましたが、東京・京都公演で上演致しますダンス・イン・レジデンスを経て約半年間、作品制作を続けてきたました3作品をご紹介します。


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まずはニューフェイス森田淑子初制作「ヤマナイ、ミミナリ」からご紹介します。

>> コトバにならない感覚を自分の存在ギリギリのところをかけてダンスにする意欲作。
   不器用にしか生きられない人への痛くて切ないダンスの抒情詩


「踊2」札幌公演より photo:GO(go-photograph.com)

『ヤマナイ、ミミナリ』
言葉を失い、新たに得たものとは。「ことばのむこう」に佇む人の心、その風景を紡いでゆく。

作・演出・構成: 森田淑子
振付・出演: 進藤ゆり、 高田淳史、 森田淑子
音楽・ドラマトゥルク: SKANK/スカンク(Nibroll)
美術: こばやしなつこ
衣装: 小室匠

当日パンフレットに記載している森田さんのテキストは下記。

photo:GO

ここ何年もずっと、自分のからだの中に小さな違和感があった。何かがじわじわと喉の奥に込み上げる。息苦しさで、叫びだしそうになる。ずっとそうだ、理由はわからない。
しかし、いつまでも耳鳴りがやまない。

「ヤマナイ、ミミナリ」という作品を創ろうと思ったきっかけは2つあります。
1つ目は、私の家族が違う国で生まれ、異なる文化、異なる言葉のもとで育ち、家族同士、言葉で理解し合えずに、家族のもとを離れたことです。
きっかけの2つ目は、1年前、事故に遭い、脳に損傷を受けて歩けなくなり、失語症によって言葉を失ったことです。
その2つをきっかけに、言葉とは本当はどういうものかを考えるようになり
「ことばのむこう」をベースに作品を創り始めました。
なぜ、再び生きる時間を与えてもらったのか。その答えに向かい合い、踊ります。

このテキストからわかるように、決して軽いテイストではない。
ズドンと腹にくる感じ、そこがいい。
最初に森田さんを知ったのは、2年前の森下スタジオで行った「踊2」の説明会だった。
帽子を目深にかぶり、寡黙で目の鋭い印象だったのを覚えている。その後、森田さんは大きな事故にあい、作品制作は1年伸ばしとなった。当初、制作しようとしていた作品から今回のものに変化したのは、事故のことも影響しているという。
(森田さんにインタビューした記事参照)
「報告するぜ!!」の記事で、「失った言葉」を巡る。「体」は何を求めるのか?」も合わせてご覧ください。

自らの家族との亀裂、言葉で伝えきれない裏腹な思い、
思い通りにならない身体、思い通りに伝えられない気持ち、苛立ち、落胆、一筋の希望―誰もがもつジレンマ。
ああ、なんて人間同士って言葉が邪魔して上手くいかないんだろう、そう思うことが多々ある私にとって、この作品は響いてくる。
森田自身のリアルな記憶や経験から「ことばのむこう」をダンスで探そうとする。
「ダンスでやるしか、もう私にはできないのよー」という、叫びのような、ぎりぎり感がある。
この作品は、癒しとか、のんびりとか、ほっこりとか、いまのブームとは真逆をいく世界観なんですが、なんかそれが落ち着くのは、やっぱりそこに真実があるからじゃないのか。ダンスを見るというのはこういうことなんだ、と思える1作品です。
是非、観に来ていただきたいです。 (水野立子)


「踊2」札幌公演より photo:GO


「踊2」札幌公演より photo:GO



巡回4か所目、福岡公演終了です!

水野です。こんにちは。巡回公演の終盤、4か所目の福岡公演は満杯の客席に迎えられ終了しました。
春の陽気のようなこの日の博多、舞台熱と合わさり熱い、暑い夜でした。
上演順は、

■福岡地元作品「SLUM」作・構成・振付・出演:山本泰輔/出演:宮原一枝 梅美 髙橋友紀子 柴原あゆみ 生島国宜(美術) 月音

photo:泉山朗土
美術家と女性ダンサーの郡部が舞台作品の中で共存させようとする試み。

■福岡Bプログラム「Turning Ponint」振付・構成:長内裕美/出演:安藤美由紀、福島由美、ぽち、益田帆乃花、山田悠

photo:泉山朗土
長内裕美が自身が出演しない初制作作品。福岡在住のダンサーと4週間制作を重ねてきた。観る人にとったもターニングポイントとなる作品をめざした。

休憩

■Aプログラム再演「4….soku」作・演出・振付・出演:青木尚哉/出演: 柴一平/音楽:熊地勇太/美術:カミイケタクヤ

■Aプログラム「渚の風<聞こえる編>」演出・構成・振付: 黒沢美香/出演・ミカヅキ会議/音:サエグサユキオ

印象的だったのは、後半の好対照な2作品。
青木尚哉作品「4….soku」と黒沢美香作品「渚の風<聞こえる編>」。
「4….soku」は、男性舞踊手2名がダンサーとして磨き研鑽を積んだダンスを高揚感高くみせてくれる。対する「渚の風」は、いわゆるダンサーではない体からダンスをみるおもしろさ。まさに正反対のダンスが並ぶ。

「4….soku」は、初演から2年空いての再演。初演では山田勇気と青木尚哉のデュオだったが、今回、青木尚哉と柴一平のデュオは初。同作品でもダンサーが違うと当然のごとく、みえてくるものが変わる。今回は、2つの雄の身体にフューチャーした演出がたつ。今回の再演を観て、30分の上演時間では物足りないと感じる作品に育っていた。立ち現われてきた後半の世界観、フルバージョンを観たいと思わせる。

photo:泉山朗土

イスに振動が伝わるほどゆるがすクマチの音に身体が応え、客席がヒートしたところで、ミカヅキ会議が客席を沸かせた。
どちらかというと、それほど派手ではない作品。コンドルズが毎年公演している派手好みの福岡では、正直この作品が福岡の観客に受け入れてもらえるかどうか、難しいなあ、と危惧してました。が。。。うけにうけた。コールでは、アンコールをもらうくらいの勢い。客席全体がくすくす笑いというか、含み笑い状態というか、「がはは」という笑い声が起きるわけではなく、舞台と客席が大きな抱擁感に包まれて集中力がひとつになったような状態、というのか。

photo:泉山朗土
 私の前に座っていた中学生らしきグループ、女子3名と男子3名。「渚の風」が始まってしばらくすると、出演のミカズキ会議ダンサーにツボにはまったらしく、笑いをこらえようと終始、体をよじり、それでもこらえきれない模様。”箸が転んでもおかしい年頃”ではあるのだが、何故にそこまで中学生に受けるのか?思わず客電がつくやいなや聞いてみた。「ねえ、何がそんなにおもしろかったの?」「うーん、わかんないけど、歌とか動き方がみたことないものばっかりで、変でおもしろかった」だそうです。彼らは翌日、青木尚哉さんのワークショップを受ける熊本でバレエを習っている美少年、美少女たちだった。ということはバレエの美意識を持ちそういうダンスを日頃やっている子たちが、おもしろがれるミカヅキ会議、あっぽれ。

「笑わせようという意図があって踊る作為的なダンスほどしらける、つまらん。本人はいたって大まじめにやっている、笑わせようなんてとんでもない、そういう体に出会ったとき人は笑える」という定説は誰もがわかっていること。言うは易、である。
だが、これをこのまんま実現してしまっているのがミカヅキ会議なんだろう。
ミカヅキ会議の武藤さんにきいてみた。
「舞台にいるとき客席の様子わかりますか?」
「なんとなくはわかるけど、まったく余裕ないから、ただただ、もう必死でやってます」
このあと東京、京都はどうなるだろうか。
福岡公演は、舞台と客席が最後まで一体となったダンス公演でした。
福岡公演の主催をいただいたAMCFのみなさん、実行委員のみなさん、ニノ、そして作品制作のBプロ、地元に場所を提供いただいた福岡市文化財団さん、ありがとうございました。達成感のある公演にできたのは、皆様のお力です。ありがとうございました。



長内裕美インタビュー [Bリージョナルダンス:福岡](vol.2)

“Turning Point” 振付・構成:長内裕美

2月15日~公演前の後期クリエイションが始まり、本番に向けて作品の全容が見えて来たところで、作者の長内さんへインタビューしました。新作品『Turning Point』は、「踊りに行くぜ!!」Ⅱvol.4福岡公演にて初演をむかえます!!ぜひお見逃しなく!!

福岡公演 2014年3月1日(土) 会場:イムズホール (イムズ9F)
開演:19:00(開場は開演の30分前)
詳しくはこちら⇒https://odori2.jcdn.org/4/schedule/fukuoka.html

【インタビュー実施】
2月19日(水) @アートマネージメントセンター福岡事務所にて
インタビュアー:福岡公演制作 二宮

『Turning Point』クリエイションのようす

― 福岡で初めて会った出演者とクリエイションを行ってみて、新たな発見などありましたか?良かった事も、課題や問題だと思う事も含めてお聞かせください。

 クリエイションの時間が、平日だと出演者が仕事や学校に行ったりしていて、思っていたより取れないですね。でもそういったものを背負った上で、リハーサルに来るみたいな。この前、出演者から「朝からバイトして、劇団の事務作業をして、ここに来ました」って話を聞いて。日常生活の苦しさもある中で、体調管理とかも忙しいし大変だと思います。でもそんな中でみんなはダンスを創っている。
 どうしても仕事で稽古場に来るのが遅くなっちゃう人は、来てすぐにクリエイションに入らないといけない。だからストレッチとか創作に必要な体作りとかの時間が十分に取れなくて可愛そうだなって思うんですね。実際に作品の動きを作っている時間以外で、何かを私から受けとりたいって思って来てくれているのに、そういうのを渡せないのがちょっとなぁ、って思っています。

『Turning Point』クリエイションのようす

― そういったダンサーの生活を省みて、長内さんの日常と比べてどうですか?

 今回の出演者は5人中4人が19歳から26歳で、若い子が多いんです。私もその頃はバイトしてリハーサルに行っていたりしていたので、同じですよね。やっぱりダンスがしたいから、やりたくない仕事もしなくちゃいけなくて。でもダンスをしているときは楽しかったんですよね。踊っている時はしんどくはなかったです。

 あとは、東京を離れてここ福岡で創作ができている事が私にとって、とってもプラスですね。東京の環境が今の私にとって、創作に向いてるとは思えなくって。世界の都市の中でもまれなくらい人口が多いのに、その割には人との距離をとても遠く感じます。また、言うまでもないですが情報量が多く、過ぎていく時間のスピードがものすごく速い。そんな東京の雰囲気の中で、っていうのとは違って、日常とはかけ離れたところで創っているって感じがします。勿論、東京で活動することがプラスになる人もいます。でも、もっと人と人との触れ合いだとか、無駄や、はみ出した部分が日常の中にあるのが今の私には必要だと感じています。そういう理由でこのBプログラムに応募したっていうのもあります。東京じゃないどこかに行って、集中して創作できるっていうことに。

 ちゃんと仕事として振付をするって言うのも、日本ではあんまりないと思うのです。コンテンポラリーダンスだと本当にごく一部の名前が売れて世界で活躍するような人にしか。そんな中で、キチンと仕事としてやるチャンスを得たと言うのはすごいプラスですね。良いことだなって思いました。

『Turning Point』クリエイションのようす

― クリエイション中の、ダンサーとのやりとりを通して思う事はありますか?印象深かった事など。

 東京とかでいつも一緒にやっているメンバーとは違って、知らないダンサーとやるので個々の意外性、動きのボキャブラリーとか、見た目からはわからないキャラクターとかが垣間見える瞬間はおもしろいですね。いつも一緒にやっている人たちだとそういうのはあんまり出て来ないじゃないですか。それが作品にも直接影響して、このメンバーじゃないと出来ないものが出来てきていて面白いです。今回の作品は、出演者たちの「Turning Point」から、出演者自身が動きを作っていったところもあるので、動きを作ったその人自身が踊るとき、説得力がありますね。私が彼女たちの出して来た動きを色々と料理する訳なんですけど、軸となる部分があるのですんなりと身体にも頭にも入っていき易い。正直に、嘘無く表現できて、踊れている。

 一方で私が作って渡している動きもあるんですけど、そこに限らずまだ「やらされている」感が出てしまっている。その上にいかなきゃいけないんですけど、そこは個々のダンサーが与えられた動きを自分自身で料理しないといけない。まだ、そこが出来ていなくて間違えないで踊る、っていうようなところで終わっているところもあって。公演に向けての踊り込みで解決していくところですね。

― 公演に向けての抱負などお聞かせ下さい。

 たまたま集まった5人が一夜限りのパフォーマンスをする。そのときのために、みんな、もう一つ壁というか、そういったものを越えられたら良いんですけどね。クリエイションをしていて、一通りできてしまうと、そこで止まってしまう様な時がある。「もうこれはできた」っていうような。同じ動きだったとしてももっと違う事にチャレンジしてほしい。一回一回のチャレンジの中で探してほしい。だって繰り返しやったって面白くないじゃん、みたいな。本番は何が起きるか解らないので。リハーサルもして、何度何度も動きを繰り返すんですけど、毎回毎回、自分の限度を決めないで踊るたびにチャレンジをしてほしい。最後の本番には自分がそれまで感じた事の無いような瞬間をみんなで味わってほしいんですよね。



「踊2」の主催者が推す理由―今年のAプロ3作品。

vol.4 東京、京都公演はAプログラム/ダンスプロダクションの3作品を上演します!
記:「踊2」プログラム・ディレクター 水野立子

1月より開始した「踊に行くぜ!!」2セカンド、巡回公演6か所のうち最後の2か所東京・京都公演は、Aプログラム/ダンスプロダクションより3作品を上演します。初めて本格的な作品制作となる森田淑子と、先駆的な活動を続けているダンス界の重鎮的存在の黒沢美香、日本では初制作ですが、N.Y.を拠点に常にその活動を注目されている余越保子、以上経験もタイプも違う3名の振付家が3つの作品を上演します。

で、その見どころを紹介したいと筆をとったわけですが、「報告するぜ!!」風にちょっと道草しつつレポートタッチで書いてみたいと思います。ここ数日試行錯誤しましたが、やはり短くまとまらないなあということがわかったので。

 まずは制作裏話。皆さんもお気づきかと思いますが、今年の「踊2」Aプロが、過去3回と明らかに違うことがあります。いままでは初めて作品制作をする人がほとんどだったわけですが、今年は黒沢、余越さんというかなりの修羅場をくぐってきた振付家と、森田さんだけは初制作といっていいニューホープ。その結果、何が違ったかというと、だいたい夏から12月までが作品制作期間になるわけですが、例年は新人のAプロはまずグループの危機、崩壊というのがあるわけです。がっつりやる初めての作品制作ですから、いろいろ意思疎通の不和とかスケジュールの管理不足とか、演出家と他のメンバー間で問題多発します。そうなると作品制作が遅れに遅れ、徐々にパニックになり自爆するというパターンが多い。これは巡回公演中まで続くことも。まあそれに主催者も自ずと巻き込まれ、対応していくことになります。

が、今年はそういうことがゼロ、起きなかったですね。新人の森田チームも、初夏からダンサーだけのダンス・イン・レジデンスを行ったり、「報告するぜ!!」チームの第3者からの取材を通してのコミュニケーションの働きかけがあったり、メンバー内にドラマトゥルクが存在していたり、そういったことが、長期間の制作漬け状態になりプラスになったかもしれません。

 ですので、どのチームも作品制作に集中していられた、ということがあります。途中経過発表のときは、各地の主催者からの感想や提案を粛々と受け止め、自らを淡々と追い込み制作にむかっていました。やはり落ち着いていました。当たり前といえばそうなんですが。

  話を本題にもどして、今年のAプロのみどころです。今年の3作品は、「踊2」プロジェクトの掲げる作品制作の目的がみえてきた、近づいた年ではないか、と思っています。
というのは、そもそも「踊2」を始めた4年前の一番の思いは、本当に伝えたいこと、やりたいこと、みせたいことはこれなんだーというのが何もないのに、やってみました的なダンス作品は、NO MORE!おもろない!と。大きな社会的なテーマであろうが、個人的な私的なこだわりのテーマであろうが、なんか強烈にやりたい核があって作品をつくってほしいのだ!!という思いがありました。そして作家たるやそのことに自覚をもって、自らが手をあげるべきなのではないか、と。
また同様に、「ダンスでないとできない表現」としてダンス作品としてつくってほしい、ダンスそのものの動き、ムーブメントもなるほどという手法を発明してほしい、テクニックを並べるだけじゃなくて、と。<作品性、ダンスそのもの、ダンス作品である必然性>とまあ目的をぶち立てて公募開始したわけです。要望が多い、と思う方も多いかもしれません。が、ダンス公演を主催するものとして、本当に切実にそういうダンス、ダンス作品をみたいと切望しましたし、いまこれを始めないと、コンテンポラリーダンスとよばれているものは、見る人がいなくなるんじゃないか、という危機感を感じていました。
そのためには、ダンサーが集まって音楽かけて踊れば作品になるのではなく、作、振付、演出、美術と、必要なメンバーとつくるほうがいいわけです。でそういう制作環境をサポートしてなんとか、少しでもつくる人たちが時間を費やせるようにできないのか、ということで考えた仕組みが「踊2」の始まりだったのです。

3年間をふりかえるとやはり、<作品性、ダンスそのもの、ダンス作品である必然性>というバランスが偏ることが多かったように思います。よくあるのは、テーマがない、というと、やりたいことかどうかわからない何か、をつくってダンスで説明しようとしてしまうパターン。そうなるとダンスがどんどん逃げていってしまう。ダンスじゃなくてもいいじゃん、作品性も見えん、ということになってしまう。

さて、今年のこの3名の取り組みには、今までと違う共通する点があります。それは、3者ともに口を揃えて「ダンスでしかできないことなんです。」といいきることです。そうなんです、ダンスそのものを命がけで見つけようとしているところから作品制作が始まっています。
インタビューの言葉を拾ってみます。

余越さん「ダンサーが作品です。ダンスがどこにいくのか、作品がどうなるか、最初から私にもわかりません。今しか存在しないダンスだからこそZERO ONEが成り立つのです。」

森田さん「言葉のむこうにある言葉にならないことをダンスにする。」

黒沢さん「ダンスのために、ダンサーが踊らなくたって、ダンスというものは成り立つんだ、という問い。ダンスはいったい、どこに立ちあがってくるんだろう、誰に立ちあがってくるんだろう、という問いをミカヅキ会議が引き受けることになります。」

それぞれアプローチは違えども、ダンステクニックを見せつけるダンスではなく、誤魔化しのないダンスを成り立たせようする、必然のダンスを見ることができます。あるいは、それを見つけようとする手がかりがみてとれます。これまでの各地の巡回地では、これらの作品上演中、不思議と客席が集中力を持ち「じっ」とダンスを凝視していく空気が流れていました。今、この瞬間にしか立たないダンスが在る作品です。

そして、ここからがおもしろいとことなのですが、そうやって必然のダンスを探していくと、自ずと作品世界が表われてくるのです。身体があり、ダンスが生まれる、という舞台の中で、ストーリーやあらすじとは別のところで、表現が成立し作家の望む世界観が表れてくるということを改めてみた思いです。大野一雄や土方巽の舞踏が半世紀たったいまもなお、何故、多くの人々を惹きつけるダンスであるのか、という問いと、同じことなのかもしれない。ダンスという表現をどこまでも貪欲に追及し、そのダンスをつきつめると、世界が表れてくるということなのかもしれない。

「踊2」というプロジェクトが目指すところのダンス作品制作は、今まで参加してくれた作全アーティスト、各地の劇場、主催者のチェレンジングな
結晶でがぜん、おもしろくなってきた。作品制作の広がりを持てるかもしれない。
4年目を迎える今年の作品をしかっと観ていただきたい3作品です。
1月巡回公演の上演に立ち会い、わたしの作品への思いは下記です。

■黒沢美香 「渚の風―聞こえる編―」

鳥取公演    photo:中島伸二

ミカヅキ会議の舞台で踊り唄う必死な感じが、リアルに身体全体からこちら側まで伝わってくる。その不器用そうな際に立つ身体をみているうちに、いつのまにか、それがとてつもなく自由に見えてくる。本物だけで生きるっていいなあ、と嫉妬心が湧く。そう思わせるダンスがここには在る。

■森田淑子「ヤマナイ、ミミナリ」

札幌公演     photo:GO
本当に初めての本格的な作品制作となる森田さん。実は昨年大きな事故にあい1年伸ばしとなった制作。その経験も作品に影響をあたえた。言葉にできない感覚をダンスでしかできない表現として挑戦する。思い通りにならない身体、思い通りに伝えられない気持ち、すぐ隣にいる人に素直にコミュニケーションできない苛立ち、落胆と希望――誰もが当たり前に持つジレンマ。その痛い感覚を共感することはダンスだから可能なのかもしれない。そのダンスを複数の人と劇場でみること、同じ時間をすごすことで、人はまた生きる勇気を共有することにもなる。不器用にしか生きられない森田が、ダンス作品をつくることで、ぎりぎり外の世界と繋がろうとする姿は、どこか、自分をみているように思えるのは私だけではないはず。ここから、ダンスが立ち上がる瞬間に遭遇してもらいたい。

■余越保子 「ZERO ONE」

仙台公演     photo:越後谷出

文学や歌ではなく舞台作品として、これほど不条理の世界を表したものは見たことがない。今というこの同時代の不安や不安定さと、それを跳ね飛ばす力、ある種の開き直りパンク精神が混在する作品。双子のダンスと首つり状態で宙に浮いてはいるが、まぎれもなく生きている首くくり栲象の魂と体の写る映像――自己と他者、存在と不在が入れ替わり立ち代り舞台に現れて、舞台上の双子が自分に乗り移ってくるような錯覚におちいる。同じ容姿であるが、ダンサーとして別々の研鑽を積んできた二つの身体によって、繊細で強靭なダンスが不条理な世界を支える。



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