報告するぜ!!「失った言葉」を巡る。「体」は何を求めるのか?
テキスト・写真:飯名尚人
青森。雪国の人たちは寡黙で陰を持った人たちが多い、というのは、ごく一部の東北生まれの芸術家・小説家の印象と刷り込みであって、実際のところどちらかというよく喋り、明るい。「冬になると雪に囲まれて人とも会わないで家でじーっとしてるからさ、春夏にそのぶん喋るんだよ」「そうそう。ああもうじき冬か、嫌だなー」と、王余魚沢(かれいざわ)の人たちが笑い合う。若い世代はそうでもないが、60歳くらいになると方言も強く、一瞬何を言ったか分からないこともある。
踊りに行くぜ!!2のレジデンスが始まった。
9月17日〜24日まで。青森の王余魚沢(かれいざわ)にて、森田淑子作品「ヤマナイ、ミミナリ」のレジデンスクリエイション&デモンストレーションである。このレジデンスに参加したのは森田淑子・進藤由利・高田敦史の3名。まずは出演ダンサーのクリエイションであった。
[ワークショップの様子。森田淑子・進藤由利・高田敦史の3名が、ジャズダンス、ストリートダンスのダンスワークショップも開催。]
レジデンス、という言葉がだいぶ広まったが、分かりやすく言えば「合宿」だ。合宿はイイネ。本当にイイ。田舎であればあるほど合宿は効果的である。なぜなら、作品作り以外にやることがないから。インターネットも繋がりにくいし、携帯の電波もイマイチだったりする。稽古するか、ぼけっとするしかない。ぼけっとすることも大事な作業だったりもする。稽古の合間に地元の人たちが訪ねて来たり、手伝ってくれたり、ご飯を一緒に食べたり、そんな「必要且つ余計な時間」というのもあり、そんなところから色々と閃きも生まれる。関係者でない人たちからの感想や、あるいはその人たちの生い立ちなどもまた酒の席では盛り上がり、芸術家なる自分たちが一体誰にこの作品を観てもらいたいのか、ということを丁寧に思う。素朴な質問であればあるほどズシリと来る。「あそこで、ほら、地面を叩くでしょ、あれはなんで叩くの?なんか怒ったりしてるのかな、とか思ったよ、ほら、おれ、こういう踊り見るのとか初めてだからさ、こういう踊りってなんて言う踊りなの?昨日テレビでさAKBやっててさ、あの子らも踊ってたなぁ」という具合に。
[レジデンス会場は、廃校になった王余魚沢(かれいざわ)小学校。地元アーティストの展示会場やショップになっていて、アートイベントなども開かれる。この日は、初秋の台風で飛んで来たリンゴの木箱などを片付けも兼ねて、校庭でキャンプファイア。]
[毎晩、ご飯がスゴい。地元の皆さんがいろいろ振る舞ってくれる。これも合宿の醍醐味か。今回は全日程、アーティスティックディレクターの水野さん同行で、ご飯担当。そして、稽古が終わると温泉。]
森田さんたち3名(森田淑子・進藤由利・高田敦史)は、7日間のこの合宿で何を思い、何が生まれただろうか。
空いた時間に、森田さんから作品のテーマを伺う。親と言葉が通じないという幼少期(比喩ではなく、母国語が異なった環境で育ったそうだ)、そして一昨年の事故で失った言葉(これも比喩でなく、本当に失語症になった)。どちらも僕には想像ができない環境と感覚である。今こうやって青森で僕と日本語で会話をしている森田さんは、これまでに一体どういうことを思い、どうやって生きてきたのだろうか。何故に踊ってきたのだろうか、何を踊っていたのだろうか。そしてこの作品の題材として選んだのは、森田さん自身の「私小説」であって、タイトルは「ヤマナイ、ミミナリ」である。耳鳴りが止まない状態とは一体どんな状態なのだろうか、その状態に人は慣れることが出来るのだろうか、それとも、気が狂いそうになるのか、耳鳴りよりも大きな音を欲するのか、外部からの音はシャットアウトされるのか、、、なにしろ、耳鳴りが止まない、のである。言葉を失ったことと、耳鳴りが止まないこと。
別の仕事で、新潟の新聞記者に佐村河内 守(さむらごうち まもる)という作曲家の話を聞いた。調べてみると「抑鬱神経症や不安神経症、常にボイラー室に閉じ込められているかのような轟音が頭に鳴り響く頭鳴症、耳鳴り発作、腱鞘炎などに苦しみつつ、絶対音感を頼りに作曲を続けている。」(wikipediaより)という情報があった。説明を読めば、ああ、そういう病気なのか、そういう状態なのか、ということは頭では理解できるものの、それがどのような感覚なのかという体感は分からない。自分が同じ病を持たない限り共有のしようがない。佐村河内 守という人間が、何故に音楽を創作し続けるのか、作品はなぜそういう楽曲なのか、というのもまた共有のしようがない。
森田さんの「ヤマナイ、ミミナリ」が持つテーマもまた、僕にとって共有しがたい。僕が森田さんにならない限りそれは分からない。それゆえこのテーマに魅かれる。この作品が感覚的であればあるほど、僕は興味が湧くのである。もしかすると、観る人に理解を求める作品であってはいけないかもしれない。かといって、観る人を突き放して内向的になってもいけない。難しい作業だが、森田さんが本当に「あの時」「言葉を失った体」を持った、ということは紛れも無い事実であり、だからこそこの作品に興味関心がある。
言葉と体。過去に様々な舞踊家とこの種の対話をした経験がある。その度に僕は懐疑的であった。なぜならば、ほとんどの人が「言葉」と「体」を二項対立で語ったからである。議論が進むと「言葉よりも体だ、だからダンスをするのだ」というのが大半の結論となる。言葉にならないことを踊る。そのことは理解できる。しかし「言葉」vs「体」という発想でダンスが出来るように思えない。(あくまでも僕も考えだが。)言葉と体は、どちらかを失うとどちらかが求める、というような関係なのではないだろうか。日常というのはそうやって在るのではないだろうか。森田さんの入院中の話を伺う。言葉ではなく人の持つ感覚というものと出会った話であった。きっとこの作品で、森田さんは自分の半生を吐露するような私小説ではなく、あのときの感覚を舞台の上にポンと乗せたいのだ、と思った。
[クリエイション途中でもショーイングしてみる。そして観て頂いた方々に意見を聞く。]
青森合宿での最後の3日間。毎日夕方に出来たところまでショーイングをする。作っては見せて、見せては直し、再び見せる。体育館と寝室と食堂を行ったり来たりする毎日。同じムーブメントも毎日違って見えてくる。なにが良くて、なにが悪いのか、ウネウネして、ウネウネを通り過ぎると、またなんか生まれてたりする。毎回違う構成で、パーツが組み直されていくのが面白かった。模索している形跡がとてもよく分かる。彼女たちにとって何が重要で、何がウマく行かないのかが薄らとも見えてくる。しかしまだ、森田さんに「手法」が見つかっていないことも事実だろう。シーンのパーツと、それを組み換えて行く作業は、「演出構成」の重要な仕事だが、構成よりももっと感覚的にパーツを増やしていくか、パーツを深めていく作業に時間をかけることも大事かもしれない。見栄えの作業は後でもいいと僕は感じた。演出構成に縛られて手法を見失うことも多く、そうすると説明的な過度な演出が増える。もしくは、美術的配置だけが空間に残り、ダンスそのものの存在意義が問われる。周りから「なんで踊るの?」と言われる。「そんなこと知るか!踊りたいから踊っとるんじゃい!!!」とブチ切れられるアーティストは乗り切れるが、だったら「作品」など必要ないじゃないか、ともなる。。。グルグルと脳裏に「意義」が巡る。
作品が、出来た!なんて思わない方が健全かもしれない。完成した作品を見るよりも、クリエイション途中をみるほうが僕は楽しい。完成したら終わっちゃうような感じもする。
とはいえ、「踊りに行くぜ!!」は合宿や交流が目的ではない。来年の1月にはもう作品として発表しないといけない。クリエイションが進むごとに様々なことが拮抗してくるのが、「踊りに行くぜ!!」の醍醐味でもある。修行(苦行?)のような企画である。
今後は、美術家、ドラマトゥルクも交じって、クリエイションが続くそうだ。森田さんはどんな風にこの作品を進めてゆくだろうか。
というわけで、いよいよ始まったところである。