報告するぜ!!

これまでの報告するぜ!!

制作現場から巡回公演まで、
作家・主催者の裏側を徹底的に密着取材!!

再演について

TEXT:國府田典明

踊りに行くぜセカンドには「再演」という上演枠がある。

踊りに行くぜ”セカンド”とは(何度も書いているが、、)。ダンス作品のクリエイションプロジェクトである。作品を作る事に重きが置かれた企画である。作品制作において、この企画のおよそ10ヶ月というのは短い時間だと思う。あくまでも、「作品構想を実現し、人目に触れるところ」の最低限の機会がこの踊2では提供される。スタートアップし、その後その作品が成長していく事を主催者は願っている。その一端が見えるのが、この「再演」という上演枠なのではないだろうか。(ここでいう再演とは、踊りに行くぜセカンドで制作された作品を、制作年度以降に踊2で再度上演するという事。)

再演作品は、作者は既に一度”完成”したものに取り組むので、当年の作者に比べれば精神的に余裕がある。主催者としては、興行的な観点では、完成度の見通しがついている作品である。これは、作品を育てる機会としても捉えられるのではないか。この企画は助成金の力が大きく、年度区切りにせざるを得ない制約がある。その中では、作品に時間をかけるいい方法だと思う。再演が保証されている訳ではないが、良い作品であれば、さらなる上演機会を与えられる可能性があるという事だ。

さて、Vol.4では、村山華子さん、菅原さちゑさん、青木尚哉さんの3作品が再演された。先に”完成度の見通しがついている作品”と記した。ただ実際には、再演とはいえ身体表現なので、その”再現性”は作品の性格による。何をもってその作品と成り得るのか。ダンス作品とは、シナリオなのか、舞台上の身体なのか。身体表現特有の問題かもしれない。

村山さんの作品はシナリオ的であり、そのストーリー・場面で描かれるテーマが作品といえる。台本に作品の重きがある。出演者が変わっても成立するのかもしれない(村山さん自身が踊るシーンを除いて)。そのような点では再演しやすそうだ。

一方、菅原作品、青木作品は、舞台上の生のやり取りに作品性がある。

菅原作品は、お客さんとの空気づくりで見え方が変わってくる印象。特にお客さんの言葉の受け方でも変わってくる。笑いから勢いを見せる時もあれば、冷笑から葛藤に見える時もある。見せられる作品の印象は固定されるべきなのだろうか。噺家のように毎度お客さんの調子も見ながら、空気や印象の持って行き方はその場で判断されるべきなのか。MESSYという作品はどの部分をもってその作品であるのか。

青木作品は、舞台上の二人のダンサーの意識のやり取りに作品性がある。今回はスケジュールの都合でオリジナルメンバーが揃わないという条件だった。準備の過程で、青木さん自身が出ないでも成立するのか、ダンサーを募集して、男性2名パターン、女性2名パターンを試した。結論としては、青木さんが出演するという判断がされた。制作当時は音も美術もライブであり、作品中では4人のエネルギーがぶつかり合うという状況だった。今回は美術のカミイケさんも公演に参加できず、この点でも、初演とは異なる状況。

後者二作品について、求められる内容と結果で、ズレが生じやすいといえそう。主催者や観客がどこを買ってその作品を見たいと思うのか。見るたびに見える景色が異なる、というのも舞台芸術の醍醐味だが、仕事として依頼する場合は、どこまでその違いが許されるのだろうか。主催者と作者の間でのコミュニケーションが必要だと思う。どの部分がその作品なのか。

この解釈次第では、作品がどこで”完成”なのかも曖昧になりうる。それとも、身体表現とはそういうものなのだろうか。上演毎の違いを楽しむためには、見る側のリテラシーも必要だ。ファンになる必要があるかもしれない。一回見ただけじゃわからない。この観点での”作品”の場合は、踊りに行くぜセカンドは、本当にスタートアップの企画であり、作品の評価は主催者の手が離れてからという事になりそうだ。

踊りに行くぜセカンドが求める「作品」とは、どのようなものなのだろうか。興行的に申し分なければいいのか。10年くらいかけて上演し続け、やっと評価が見えてくるようなものなのか。



来たぜ鳥取!〜後編 本番を見て〜

テキスト・写真:國府田典明

さて鳥取公演本番を見て。

お客さんの入りも上々。ここは何せ街中ではないのです。この様子はいつも驚かされます。劇場として8年経過し、来場者の幅も広がっているとの事でした。

踊2Vol.4鳥取公演は、AプログラムⅡの二つの作品、黒沢美香さん「渚の風 聞こえる編」、余越保子さん「ZERO ONE」の初演。前々回のAプロ、菅原さちゑさん「MESSY」の再演。地元とりっとダンス「クウネルダンス」の4本立て。

改めて、踊りに行くぜセカンドには、二つの募集枠があります。あえて要約して記すと、Aプログラムはいわゆる「カンパニー」型の創作。Bプログラムは「アーティスト×地域のダンサー」の創作。
今年からさらにAのうち、AⅠ:<初めて本格的な作品制作を行う若手>と、AⅡ:<3作品以上の制作経験のある作家>という枠組みが設定されました。

この経緯としては、”新作”公募が踊りに行くぜセカンドなのですが、どうも”新人”を募集するという印象もなぜかあった。実際にこれまでのVol.3までのAプログラムは、作家としての経験については、初めてに近いチームがほとんどでした。ただ、新人である必要は必ずしもなかったので、この点を明確にするという事がありました。

この鳥取公演はAⅡの”経験者”の2作品の初演を行うという事で、セカンドの中でも新しい局面であるといえます。ちなみに、黒沢さん、余越さんはレジデンス制作もここで行いました。

劇場の中島さんの談。
これまでは正直なところ、作品としてもう少し深みや挑戦の域に行ってほしい、というものが多かった。そこまでのものがないと、実際「おすすめです」とはなかなか言いにくい。今回は、その点でおすすめできる作品だったと思う、との事でした。(耳が痛いです。。)


直前リハ風景

その初演を見てみて。見応えがあったという実感。実績がある方の上演なので、当たり前なのではありますが、踊りに行くぜセカンドがやりたかった事は、この辺りの事かなあ、という。それがついに実現されたのではないか。

ただ、プロジェクトとして見ると、何か釈然としない感じも。この感じは何なんだろうか。ちょっと考えてみる。

経験があるなら、何も踊2のような”助成”を受ける必要はないのではないか。おそらくこれだと思う。
ただ、これまでの取材で黒沢さんも余越さんも、このような機会を切望していた事があきらかになった。<作品制作・上演の経験がある=創作の環境は充分に整っている>では、どうもやはりないようだ。経験者であっても大変なのだ。

じゃあ、今後は踊2は経験者を中心に募集していけばいいのか。それでは、真の若手が成長していく機会がなくなってしまう。踊りに行くぜセカンドは、あくまでも「新”作”の募集」なのであって、企画が良ければ、”若手”か”経験者”かは問わない。という事が本質だと思う。AⅠ、AⅡの区分の説明がなくなる事が、次の目標かもしれない。いやいや次じゃない。今回のAⅠの森田チームに期待しましょう!

それとこれは単に募集の広報の問題なのだろうか。何にしても言える事だが、コンセプトだけ唱えていても、なかなか理解されない事はよくある事。今回、踊2で良い作品ができた、という評判が伝わっていく事は重要なのだと思う。

さて、同じAプロでももはや再演を重ねて来ているmessyについてもちょっとだけ。
記録映像含めて、これまで何度か見ていますが、当たる時と外れる時があって、序盤のしゃべりでお客さんがノってこない時、どうするのか。前半にグルーブができなかった場合、後半、どうやって観客をノせていくか。私はDJをしますが、すごくその感覚に近い気がしました。DJの場合、空気が動かない時は、いろいろ選曲の手を用意しておくのですが、そのような事はダンスではどうすればいいのか。
今回が勝ちか負けかはさておき、そのように、同じ内容なのに毎度見え方が変わる、というのはライブとしての魅力。これは継続するという事でもあります。なぜ踊り続けるのか。

ちなみに、再演を重ね、踊2公演地全制覇だそうです。今度は自主公演!?



来たぜ鳥取!〜前編 鳥の劇場〜

テキスト・写真:國府田典明

来たぜ鳥取!

鳥取空港からバスで浜田中央というバス停で下りた風景です。日本海!

1月26日(日)鳥取公演を見に来ました。
鳥の劇場へは、公共交通ではJR浜田駅からタクシーというのが現実的。(公演日には駅まで専用の送迎があります。)駅前ならつかまるだろうと当てにして行くと(バス停から浜田駅までは約1kmを歩きました。。)、きょうは日曜だから1台しか動いてないとの事。。30分程待ってやっとタクシーに乗りました。車に乗れば10分程で到着する距離です。

鳥の劇場は鳥取市とはいえ、旧鹿野町に位置し、市街地からは車で30分程。海から2,3km内陸で周囲を山に囲まれた、穏やかな田舎風景の環境にあります。また、鳥の劇場は、劇団でもあります。主宰の中島諒人さんを中心に2006年に設立されました。演劇の創作拠点でありながら、「鳥の演劇祭」など企画公演も行う、自立型の劇場と言えると思います。

踊りに行くぜには、2007年から上演地として参加。佐東さんと水野さんの熱意に感動して
関わっているというお話を中島さんから聞きました。

今回の踊2Vol.4鳥取公演は、AプログラムⅡの二つの作品、黒沢美香さん「渚の風 聞こえる編」、余越保子さん「ZERO ONE」の初演、菅原さちゑさん「MESSY」の再演、地元とりっとダンス「クウネルダンス」の4本立て。


雪じゃなく雨でした。積雪なし!


雨でもにぎやか!

(本番を見て思った事は後編にて。)


鳥の劇場は、地域の常連と思われる人が多い印象で、アフタートークも慣れている感じなのです。積極的に質問が出てくるのも、劇場とお客さんの間が親密だからなのでしょう。質問する事に抵抗がないように感じます。

素朴な言い方の質問でしたが、今日見た作品をどう受け取っていいかわからないが、どういう事なのか。もやもやしているが何とか理解したい、という感じ。

これが、中島さんの「地域を演劇で変える」という事の一端なのではないかと感じました。
踊2ではレジデンスの際にもショーイングを行い、感想や意見を募ります。ここに来るのは地元の方々。鳥取も例にもれず、今回上演したとりっとダンスの方々も見に来ます。境遇は違えど、踊る経験がある人同士。時には鋭い質問もあります。


鳥のカフェのケーキとコーヒー。ここは良い遊び場ですね。(佐東さんにごちそうしてもらいました。)

ちょっとだけ本番の事を。
地元作品のとりっとダンス、節々で面白い瞬間があったと思います。ありがちな狙いは、作品を見慣れている人には見えてしまうので、その点でどうしても”つきあい”なシーンが出てきてしまう。しかしながら、経験も長くなってきて、単なる素人集団でもなくなってきているのも事実で、それが瞬間的に惹かれる。”やってるやってる”、と見て頼もしく思います。

このような活動の在り方は、現代的なのかもしれません。見せるためというよりは、活動する(当事者が豊かな生活をする)ために作品をやるという感じでしょうか。それが地域センターのようなダンス倶楽部とどう異なるのかは、中島さんみたいな人がいるという事でしょうか。

中島さんにとりっとダンスの事を聞いてみました。

「(要約)よくみんなが続けてくれている。仕事後に来て練習してやっている。大変な事だがみんなが喜びを感じてやっている。
占有して稽古できる場所(=鳥の劇場のスペース、中島さんがとりっとに直接関係している訳ではないが、活動の協力をしている。)があったからできている点もあると思う。演劇のリハをやっている場所という影響もあるのではないか。少しだと思うが、力になれているなら、嬉しい。

だんだんうまくなってきている。振付だけでなく空間、時間の使い方もよくなってきている。能動的に作品づくりをしてみようか、という所に至ったのは偉大な事である。自立的自発的に継続的できている事は誇り。

世の中一般的には、いわばお金で買える物は、手に入れた。昔は会館とかハードをつくれば豊かになれると期待をしたが、どうも直面している物足りなさは、お金を払っても仕方ない。一人一人が主体的にならないと幸せの次の段階に進めない、という事がわかってきた。とりっとダンスの活動を見る事によって、その足りなさが充足するんだ、というような事が社会に伝わってほしいと思う。

作品という観点では、とりっとダンスは振付家とやってもいいのではないかとも思っている。(中島さんが)コーディネートする事もあり得る。」

という事だった。

中島さんのように、芸術に携わりコネクションがある人が、地域の活動に協力していく事は、今後より大事になってくるかもしれない。話に出てきた、”物足りなさ”を満たす事に協力するという事。必ずしも作品発表に留まらず、場と知を提供し、それが人づきあいによってつながっているから、実践されている。

中島さんの作家活動は、もしかしたら、この劇場を運営する事も含まれているかもしれない。



札幌/劇場/パブリック コンカリーニョ編

テキスト・写真:飯名尚人

たしかに近年エンターテインメントは、テレビ・インターネットといったメディアに押されていて、劇場という場がどうあるべきかという議論も数多い。こういった議論は「劇場の必要性を問う」のではなくて、劇場は必要だという前提で「じゃあ、どうあるべきか」という議論であるべきであるが、そんな議論とはまた別なところではバッサリと予算カットされたりとかする。どうしたものか、と思うものの、劇場を実際に運営している人たちからすれば、どうしたものかねぇ、では済まない死活問題だろうと思うわけだが、弱音を吐いている場合ではない謎のエネルギーに満ちているのが民間の劇場である。

さて、踊りに行くぜ!!セカンドのツアー開幕。1月10日、札幌公演の会場は「生活支援型文化施設コンカリーニョ」であった。コンカリーニョの斉藤ちずさんは、踊りに行くぜ!!に関わって15年、つまり、踊りに行くぜ!!第1回目から地元側の主催者として参画している。踊りに行くぜ!!は各地の主催者のエネルギーで持続しているともいえる。

斉藤ちず(以下ちず)「踊りに行くぜ!!セカンドになってから、作品に関わっていて面白い。踊りに行くぜ!!ファーストの第一回目のときは、JCDNがセレクトしたアーティストの作品を上演するスタイルでした。3回目くらいから現地審査というのをはじめて、我々からも意見を言うようになった、という経緯があります。ファーストのころは、作品を見せにくる、という方法。セカンドになってからは、作品を作りにくる、ということになった。」

踊りに行くぜ!!ファーストというのは、JCDNが様々なアーティストをブッキングして各地に上演しにいく、というプログラムであった。コンテンポラリーダンスというものがまだ未知だった地域からすれば、JCDNがパッケージ化したダンスコンテンツは各都市にとって画期的なことだった。2011年から「踊りに行くぜ!!セカンド」となった。
踊りに行くぜ!!ファーストとセカンドの違いを簡単に説明すると、、、ファーストでは、JCDNと各地の主催者が出演者を選び、ツアーをブッキングしていく方式。作品はすでにそのアーティストが作った作品であった。セカンドは「新作・作品作り」に主眼を置き、JCDNと主催者が公募でアーティストを選び、選ばれたアーティストは新作を制作する。その制作場所が各地主催者が持つ劇場となったりする。アーティストも主催者も作品を作り合う場に居合わせる、という醍醐味がセカンドにはある。

モノ言う主催者?!は必要か

踊りに行くぜ!!の特徴として、主催者が作品に口を出す、というのがある。よくこのことをアーティストに言うと「えー、口出されるのー?やだー」となる。しかし、このところ色々なイベントに参画するも、主催者があまりにも口を出さない。主催者が求めている事が分からないこともある。参加型イベントの場合、参加アーティストはお客さんであるから、主催者もさほど口を出さないのである。と僕は分析している。

ちょっと話がそれるが、比較として映画の話。ハリウッドの映画システムはその部分において過剰だ。口を出しすぎる。映画監督は映画の権利を持っていないのである。プロデューサー、あるいは投資者がもっともエラい。なので、よく「ディレクターズカット」というのがDVD版で出されることがあるが、これは、映画の製作当時、最終編集権はプロデューサーが持っている契約が多いため、監督の好きなようには編集できない。なので、無理矢理ハッピーエンドにさせられる映画すらある。リドリー・スコット監督「ブレードランナー」。公開当時のバージョンは、主人公の心の声がナレーションで流れるという演出で公開された(テレビで放映されたバージョンもこのバージョン)が、これはプロデューサー陣から内容が分からないので状況説明をナレーションで入れるという決定がなされたそうだ。この契約の期限が切れたり、契約内容が更新されたりすると、最終編集権が監督のものになったりする。そうなると「ディレクターズカット」といって、監督がそもそもやりたかった編集に戻してリリースされる。プロデューサーというのは、一番お客さんに近い考え方を持っているため、ディレクターの好き勝手に作らせていたのでは売れない、というのが理由であろう。「ブレードランナー」の場合、「ディレクターズカット」の方が圧倒的に、詩的で刹那的で良い。

プロデューサーがヘッポコだと作品は大変なことになる。イタリアンゴシックホラーの鬼才ダリオ・アルジェントのホラー映画。ラストで、監禁されていた主人公を、少女が助け出す。が、この少女、ラストに突然出てくるので、「ええ!?誰これ!?」ってなる。どうやら編集権を持つプロデューサーが作品の上映時間の問題で、前半の少女のシーンをカットしてしまったらしい。そんなことすら平気で起こる。もはや笑い話。

商業映画の場合は過剰なビジネスモデルを構築しているので、そんなおかしなことも多々あるが、その逆に昨今のイベントや舞台フェスティバルのように、プロデューサーが作品に口を出さないとどうなるかというと、観客感覚を無視した作品、内輪受けの作品、すでにどっかで見たことのある作品などが世に出ることになる。これもこれで問題だ。プロデューサーが口を出すことで、アーティスト側が盲信していることの是正にもなるからだ。劇場も貸館事業が増えると、劇場が主催者ではないわけだから、作品に口を出してはいけない、と思っているかもしれないが、どんどん口を出せばいいと思う。聞き入れるか、無視するかはアーティスト次第であるのだから。作品内容に口を出す、出さない、という風に書くとギョッとする人も多いかもしれないが、劇場において必要なコミュニケーションである、と書けば納得する人も多いだろう。そういうところから信頼関係も生まれてくるはずである。


↑コンカリーニョの劇場。手作り的な劇場。つまり、スタッフにとって使い勝手のよい作りになっている、とも言えるだろう。

なにしろアドバイスって難しいわけです

ちず「私は、頑張っている子たちは応援する、というスタンス。その中から食える奴が出ればいい。もっと頑張ったらいいのに、という。でも質は問わない、というわけではもちろんない。
札幌のダンサーが、外で発表できる機会があるといいんだけどもね。踊りに行くぜ!!ファーストのころはそれがあったのよ。それで地元作品に関しては、私が担当するわけ。各地に行ってもJCDNから”あとはお願いね”という風に託されるわけです。各地で作品を上演していくわけですから、ブラッシュアップされていくはずなんだけど、それがね、作品が良く変わってこない。私もダンサーも悩んじゃって進まない。そうこうしているうちに、水野さん、佐東さんが現地に来て、地元作品の通しを見て、意見を言うんです。そうすると、作品が変わるんですよ、腹の立つ事に!(笑)水野さん、佐東さんの感じていることと、私が感じていることは同じなんですよ。でも、ダンサーに対する”突つき方”というのが違う。私が言っても変わらない事が、二人が言うと変わってくるんです。私は演劇をやってきたから役者に対する突つき方は知っているんですけども、ダンサーに対しての突つき方が分かってないんですよね。ダンサーと打ち合せしてても、私も悩んじゃう。これは、言う側のアドヴァイスの仕方とか、経験だと思います。私が3ヶ月くらいダンサーとずっと関わってきて、同じ事をアドヴァイスしても変わらないことが、二人が言うとぱっと変わってしまうのよ!明らかに前より良くなってるわけ。うーん、悔しいなあ、と思うんです。刺激の与え方、タイミングとか、そういうものの違いなんでしょうね。」

ダンスと演劇の線引きも曖昧な時代になってきた。作り手も、これはダンス作品だから、これは演劇だから、ということではなく、ゴチャマゼなもの、を目指していたりもする。ダンスの”突つき方”だけではなく、演劇的な”突つき方”もその必要性は生まれてくるだろう。

ダンス作品を、ダンサー、振付家ではない人が演出する、というケースもある。これまでの踊りに行くぜ!!セカンドでも、AAPAの上本くんは舞台演出家で、「カレイなる家族の食卓」村山華子さんは美術家、デザイナーであるし、カミイケくんは舞台美術家だった。振付家ではないキャリアのアーティストが、ダンスを演出する、という広がりがある。主催者、共催者は、ダンスに関するアドヴァイスだけではなく、演技、映像、美術など、色々なアドヴァイスが求められる。広く「舞台作品」というものを目指すとき、その中にどうダンスが在るか、どう体が居るか。踊りに行くぜ!!セカンドの掲げる「ダンス作品を作ろう」というのは、少し解釈に誤解があるかもしれないのは、これまでの通常の「ダンス作品」を作りましょう、ではなく、「作品においてダンスがどう在るか」ということであって、舞台作品全体としての質の問題なのである。

Bプログラムや地元作品は、現地の共催者、劇場、スタッフとの関係性が重要になる。アーティストにいかにアドヴァイスするかというのは今後の課題だ。地元の若手が頑張ってやってるからOK、というだけでは、質の問題が解決されない。それは皆が承知していることではあるものの、人間関係の都合上、なかなかこのハードルは高いのである。

そもそも、ちずさんがコンカリーニョで目指すことは何か?

ちず「私の劇団時代?長い話になるけど、いいの?私はね、肉体派美人看板女優、兼会計!」

・・・だそうだ。
元々劇団で女優をしていたアーティストが、劇場を運営する経緯とはどういうことなのか。

ちず「JCDNの佐東さんと出会ったのは、JCDN組織立ち上げ時期と被っていて、佐東さんがJCDNを設立するにあたって全国行脚をしていて、札幌にも来てくれた。その頃、コンカリーニョではダンスウィークスというのをやっていて、舞踏の人が多かったかな。いろいろなダンサーがちょうど同じ時期にコンカリーニョで公演することになって、私としては”さーて、どうやってチケット売ろうかな” と。そのときに、じゃあダンスウィークスっていう名前にして開催してみようとなったんです。ちょうどそのときに、佐東さんが劇場に来てくれたわけです。佐東さんから説明を受けて、私は、コンテンポラリーダンスってなんですか??って(笑)。私たちのメインは演劇だったので。佐東さんから色々見せてもらって、こういうのがコンテンポラリーダンスって言うんですか!?へぇ〜、みたいな。(笑)そもそもダンスの企画をどうやってやったらいいかが分からなかったんです。そしたら、いろんな人が教えてくれて、企画書とか予算書、決算書とかを見せてもらった。誰に幾ら払えば良いの?みたいなこと。演劇とそんなに変わらないということも分かった。
コンカリーニョは元々任意団体。前の劇場がこの地区の再開発で2002年に一回閉鎖してしまい、それを機に組織を法人にしようと。前の場所は倉庫でした。8万円もっていて、これで公演やらせてください!って大家さんに持って行った。それが始まりでした。その倉庫が無くなって、2006年に今の場所になったんです。寄付を集めたりとかしてオープンした。なんでそこまでやったかというと、私はね、”劇場はパブリックなものだ”ということを宣言したかったの。それでNPO法人になったわけです。」

↑今日のスタッフ飯。メニューです。

プライベートから立ち上がるパブリック

ちず「プライベートとパブリックというのは対立しているように聞こえるけれど、プライベートから立ち上がるパブリックがあってもいいじゃないか!と。それに賛同してくれる人が増えてみんなが使えるようになれば、それはパブリックなことだ、と。
民設民営公共劇場、って言ってるんです。もちろん通常の公共劇場、つまり行政立行政運営公共劇場もある。北海道はNPO法人の立ち上がりというのは早くて、98年とかからNPOという事を言い始めた。前の倉庫を劇場としてやっていた頃に、誰かが”コンカリーニョはまさにNPOだ”って言った人がいたんですよ。そのときは、私は、は??NPOってなに??という感じだった。ノンプロフィット?いや、だめでしょ、スタッフには給料払わないといけないし、ボランティアじゃダメダメダメ、、、みたいな(笑)そういう程度の知識だった。でも、そのころから、パブリックって何か、ということを考え始めたのかなぁ。

行政の広報誌に、コンカリーニョのイベントスケジュールを載せてほしい、って役所にお願いに行ったんです。そしたら、それはイトーヨーカドーの大売り出しの広告を載せるようなことと同じになるからできないんです、って言われてしまった。担当者の悪意ではなくてね、行政の枠組ではそういうことになってしまうのだ、ということを教えてもらった。私たちは”民設民営公共劇場”だから、おかしいなぁって感じた。コンカリーニョでは子供の演劇とか、学童保育の太鼓のワークショップとかもやっていたから、こういうのってパブリックじゃないのかなぁ、おかしいなぁって。公共劇場は貸し館ばっかりだったので、私たちの方がパブリックなんじゃないか、って。自分のやりたい芝居をやる、というのは、パブリックじゃないんだけども、劇場としていろいろな人が参加できるような企画をたてたりとか、そういうのは公益的なことだと思ったんです。」

以前、池袋の東京芸術劇場の芸術監督に野田英樹氏が就任した際、劇場の広報誌に、野田氏のインタビューが掲載されていた。正確ではないが、こんなようなことを彼は言っていた。
「もしちょっと劇場に早くついてしまって、待っていないといけないときに、早いけども使っていいよ、と使わせてくれる劇場であってほしい。自分たちが若い頃、そういう劇場に救われたのだ」というような内容であった。その通りだと思う。
しかし果たして行政運営の公共劇場に、この対応ができるだろうか。東京芸術劇場は今そういう劇場になっただろうか。僕がこれまでにいろいろな公共劇場で経験したことは、野田氏の提案とは真逆であった。守衛は時間きっかりじゃないとドアすら開けてくれなかったし、些細なことでも、”事前に言ってくれないとできない”と言われた、そんな記憶が多い。野田氏の言う「すこし早めにきても、開いてたら使っていいよ」なんていう劇場が本当にあるだろうか。それとも僕が出会ってないだけなのか。行政が公共サービスというとき、我々芸術関係の団体が劇場に期待するサービスは、高度な舞台機構をもった先駆的な公共劇場ではなく、そんな優しいマネージメントの出来る劇場であることに反論のある人はいないだろう。「プライベートから立ち上がるパブリック」というのは、「プライベートでは分かる価値観や気持ちを、パブリックに持ち込めるかどうか」ということであり、そのことは劇場運営だけでなくとも、現代において必然となってきた。国内の様々な諸問題の中で「庶民の気持ちがお前に分かるのか?」という市民と政治家・官僚との攻防は続く。プライベートから始まるものに嘘は少ない。突然パブリックと唱い上げるから混乱を招く。

ちず「外国とかで、学生がどっかのビルを占拠して好きなことやりはじめて、それが世間にパブリックとして認められるようになって、とか、そういう話を聞くと、プライベートがパブリックになるっていうのは実際にある話なんですよね」

ベルリンで不法占拠したビルをギャラリーにして結局自分のものになった、という人を、実際に訪ねたときのことを思い出した。そんなことが実際にあるんだなぁ、と。政治の混乱に便乗しただけとも言えるかもしれないが、なぜかそのエネルギーは信頼できるのである。

そんなわけで、こういう人たちが踊りに行くぜ!!の主催者なのだということを、出演するアーティストにも、これから参加するアーティストにも、観に来てくれる観客にも知っておいてほしい、と、エラそうにも思ってしまった取材であります。



なぜダンスは男女がペアで踊ることを許したのだろう、について。

テキスト:飯名尚人

札幌のコンカリーニョに来ています。いよいよ「踊りに行くぜ!!セカンド」の公演が開始されます。1月10日から。コンカリーニョ代表の斉藤ちずさんのインタビューもしました。その記事はしばしお待ちを。今書いてます。
リハーサルが終わって、今回アシスタントで参加の阿比留さん(セレノグラフィカ)と作品のことを立ち話(正確には座っていたけど)。「報告するぜ!!」初のBプログラム報告。

隅地茉歩さん(セレノグラフィカ)の作品は「Avec アヴェク~とともに」 というタイトルがつけられている。読んで字の如く、様々な男女が登場するこの作品は、今回Bプログラムの演目として制作されているので、出演者たちは地元オーディションによって選ばれクリエイションがなされている。14日間程度の短い期間のクリエイションだそうだが、作品の輪郭なるものが明確で、丁寧な演出が施されている。

「Avec」というタイトルでもある美的構成上のテーマは、とてもダンス的感覚のあるテーマだ思う。と同時に、ダンスのみならず多くの芸術の背景には「Avec」なる関係がある。パートナー、恋人、夫婦、その形式は様々であるが、どれも「Avec」である。「ああ、そうだ、Avecだ」と、シンプルな世界を40分ほどの時間をかけて蓄積していく作品である。

作品解説にはこう書いてある。

なぜダンスは
男女がペアで踊ることを許したのだろう

宗教によっては、いまだ男女の接触を禁じるものもあれば、ダンスを禁じるものもある。しかし少なくとも今の日本では、男女がペアで踊ることに過剰に反応し「なんて、いやらしい!」とは思われないだろう。

ところで、この作品は「アヴェク」であって「アベック」ではない。

カタカナの「アベック」は、なんだかちょっと時代遅れともとれる言葉である。なんというか山城新伍の「チョメチョメ」的な。何の事は無い本来の意味は「with」と同じであるから、日本語特有の「アベック」のニュアンスともちょっと違うが、ここはあえて日本語特有のカタカナ外来語「アベック」という目線でこの作品を観たいと思っている。
札幌での劇場仕込みの中、やしきたかじんが食道がんで亡くなっていた、というニュースがi phoneに飛び込んでくる。夜ホテルに戻りyoutubeでやしきたかじんのライブ映像を見る。タレントという印象が強いから、あまり唄っている姿を観たことのない人も多いのかもしれない。一貫して男と女の土着的通俗的なドラマを唄い、時にやしきたかじんが女言葉で唄う姿や演技は、これはもう「女形」である。この世界観は、「アベック」の世界観であり、ペアルックを目指し、つがいに憧れる歌謡曲であるから、なにしろウェットである。
セレノグラフィカは、隅地さんと阿比留さんの男女ペアでの活動が多い。必然的に作品の基本構図は男女の構図になるであろうが、この2人はカタカナの「アベック」、「ペアルック」的、「チョメチョメ」的アベックではない。男と女が舞台に居ても、やしきたかじんのようにウェットではない。

コンカリーニョで通し稽古を見る。作品冒頭、夫婦漫才かのように登場する10代の男女(というより、男の子・女の子)。このサバサバとした爽やかな未成熟さから、後半に出てくるこの2人のそれぞれのソロの踊りになったときに、どうウェットに変化していくだろうか。そんなことを期待してリハーサルを眺めていた。よく小さな女の子のほんの一瞬の表情が、色気のある横顔だったりすることがある。僕がロリコンなわけではないが、そんな「ほんの瞬間」がダンス作品にもあっていい。楽しそうな音楽でも、情熱的な音楽でも、ダンサーは無表情であることが多い。あるいは、必要以上の演技が多いこともある。そのどちらでもなく「ほんの一瞬の表情」が、作品に残るといいと思う。そんな一瞬を体験したい。その「ほんの一瞬の表情」を、観る側が拾わなければならない。その一瞬を見逃したくないといつも思う。

それにしても、複雑な時代である。これまで当たり前のようだったことが、当たり前ではなくなってきた。だからこそダンスが必要なのではないか、と感じることがよくある。このことは一昨年の「報告するぜ!!」でも書いたかもしれないけれど、しつこく書く。映画監督のタルコフスキーについてである。日野啓三著「タルコフスキーの世界観」という短い文章を以下引用すると、

彼(タルコフスキー)は決してむずかしく作っているのではない。むずかしいことを言おうとしているのでもない。この世界を、率直に、ありのままに、ある意味では実に単純に表現しようとしているのである。 ただこの世界の在り方そのものが、わかりにくいのである。(中略)かつて詩は世界を最もわかり易く表現するものとして尊敬されていたが、いまや詩は最もわかりにくいものとされている。タルコフスキーが我慢ならないのはそのことだ。

そして詩とは「世界感覚」なのだ、と書かれていた。タルコフスキーの映画を学生のころ映画館で観た事があるが、実際は”観ていない”。なぜなら、いつも寝てしまうから。当時の僕は「すげー長回しがカッコイイ」というファッション感覚でしかタルコフスキーを観ていなかったので、そこで描かれている世界が何なのかを理解するに至らなかった。そんなこともあって、デジタルリマスター版の『サクリファイス』をDVDで購入したところ、ブックレットに上記の日野啓三の文章があったのである。文章を読み、ああそういうことだったのか、と納得した。その通りだと思った。日野啓三という人は文化人類学的関心の強い作家である。人はどこから来たのか、世界はいつ出来たのか、世界とは何なのか。
「詩」という言葉を「ダンス」と置き換えてみると良いかもしれない。ダンス作品というものを分かりにくいと思われる方は、ダンスが分かりにくいのではなく、我々を取り巻く世界が分かりにくいのであるということに気づくことが出来る。
「Avec」という作品は、男と女がペアになってそこに居る、というだけの作品なのであって、難しいことではない。そのありのままの世界を描こうとしているのだ。ということになる。

とはいえ「複雑な時代である。」と再び思う。同性婚も、男女が反転した「おなべ・おかま」カップルも居る。アベックというのは男女である、という常識は、この複雑な時代においては非常識となりつつあるだろう。しかしよくよく考えてみれば、「Avec」を「アベック」と翻訳して独特の意味合いを与えたのはその当時の日本の時代性と国民性でもあり、そういう時代を経て、今がある。

さて、、、もう間もなく本番デス。



作品だけが知っている、そのために。

テキスト:飯名尚人

明けましておめでとうございますー。今月から、いよいよ「踊りに行くぜ!!セカンド」各地のツアーがスタート。作品を楽しむための裏情報コーナー「報告するぜ!!」も、どんどん更新していきます。年明け一発目は、余越保子さんの作品「ZERO ONE」についてです。

昨年末、カポーティ原作の映画「冷血」を見た。アメリカの目立たない片田舎の町で実際に起こった一家惨殺事件のノンフィクションノベルである。カポーティはこの作品で実際の事件を扱いつつも小説としての文体を取り入れた手法でノンフィクションノベルのスタイルを見い出し、その先駆的存在となった。一家惨殺という犯人の冷血が描かれつつも、冷血であるのは一体誰なのか、冷血なのはカポーティ自身か。カポーティは何度も犯人に接見する経過で犯人のひとりへ感情移入が高まりつつも、しかし小説として洗いざらい書き連ねるための取材を進める。この小説を書く過程を映画にした「カポーティ」という映画作品で、主人公カポーティは、犯人が死刑にならないと小説が終わらない、自分はもうこの小説を終わらせたいんだ、と言い、なかなか執行されない死刑に苛立ち、疲れ果てる。好奇心と良心との戦いである。結果犯人は死刑になるが、この小説以後カポーティは作品を発表していない。犯人からすれば、カポーティからの接見は、すべて己の小説のためだったのか、と裏切られた感もあったに違いない。
ところでカポーティはなぜこの惨殺事件を題材に選んだのだろうか?ノンフィクションノベルという手法を実現させたかったのか、それとも新聞に掲載されたこの事件の記事に魅了されたのか、藪の中だ。なぜその題材なのか、という作品の核心であるような質問は、実は作家にとってさほど重要でないのかもしれない。「訳も無く」「なんとなく」魅了されたというのが正しい理由だろう。作品だけが答えを知っている。となると、鑑賞者に答えが委ねられているとも言える。

余越保子さんの作品「ZERO ONE」は、自身で撮影した映像作品を使い、2人のダンサーが踊る。詳しい演出内容はここでは書かないつもりだ。今のところこの作品は、事前に情報を持たずに観てもらう方がいいような気がしている。そうなると広報宣伝ってものすごく大変だけど。

自分でもどうなるか分からない

昨年末、横浜でリハーサルを見させて頂いた。そこで思ったこと、伺ったことをつらつらと書き込んでみることにする。

映像とダンスは、果たしてクロスカッティングなのか、違うのか。「クロスカッティング」というのは、映画用語だが、G・W・グリフィス監督の「国民の創生」で発明された画期的編集方法である。最近の映画、とくにサスペンスものでは当たり前のように使われているが、犯人が女性を襲いに行く準備をしている映像と、襲われる女性がシャワーとか浴びている映像が、交互に編集されて、徐々にそのクロスがテンポアップされお互いが近づいて行く、という編集方法のことを言う。余越さんの作品はサスペンスではないけれど、Aという風景が映像で流れて、Bという風景が舞台上でダンスによって流れている。このAとBは同時には流れず、それぞれに空間と時間を持っている。さて、この2つは作品の最後にどうなるのか?クロスするのか、それとも、、、

「自分でも、どうなるかわからない、ということをやりたいと常に思っているんです」と余越さんは言う。

AとBという素材をそれぞれ持って来たのは余越さんであるが、それらがどうなっていくのかは「作品にしか分からない」と余越さんが答える。僕は作品の途中経過を見せて頂いたわけだから、当然ながら作品の完成品ではないわけだが、この作品の顛末という興味関心は、僕だけでなく、作者である余越さんの関心でもあるようだ。

ライブ作品というのは、思いがけない何かが勝手に生まれてくるものであって、そういう思いがけない何かが無いライブ作品というのは作っていて面白くないだろう。とくにライブパフォーマンスにおいては、毎日上演するごとに違った何かが生まれることを期待して演出するはずだ。
演出家が「作品をこの世界に持って行きたい」のではなく、「結果、こういう世界になった」という未知なる可能性を楽しむということだろう。セッション、とも言える。どういうことになるかは「作品にしか分からない」という余越さんのスタンスが面白い。どうなるか作者にも分からないのである。

観客としての我々は、つい「意味」を考えてしまう。この映像と、このダンサーはこういう意味があるんじゃないか、とか、この作品はこういう意味なんじゃないか、とか。観客の特権として意味なるものを読み取ろうとしながら作品を見る事の面白さがある。しかし意味を求め過ぎると「えー?なんかー意味分からなかったんですけどー」という感想が飛び交うことになる。大抵の場合「意味が分からない」=「つまらない」という解釈になってしまう。「コンテンポラリーダンスって、あんまし踊らないし、意味わからないし」と。作り手であればこの苦難が分かるだろうが、「見て欲しいのは、そこじゃないんだ!」とジリジリする。じゃあ、何が見せたいんだ!と食い下がってくる観客は、実に寛容な観客だ。そういう観客でいたいと自分では思っている。

じゃあ、何を見せるのか?意味ってなぁに?

分かりやすいメッセージ(というか教訓)が提示されていないと「意味が無い」と判断されてしまう。ざっくり言えば、震災についての作品は意味があって、今日のコーヒーが苦いことには意味が無い、というような。社会的道義を求められてしまうことも多い。しかし、作り手には作り手なりの「作る意味」を持っている。震災もコーヒーが苦いのも、作者にとってみればどちらも同じくらい意味があるのである。余越さんの中にある「作る意味」を探りながら見ると面白いだろう。

「ライブパフォーマンスというのは、お話が伝わったからOK、ということではないですよね。でも時間軸を紡いでいくので、見ていて飽きるわけです、お客さんが。だから振り付けの構成というのは飽きないようにどう構成するか。そこは振付家の腕です。
それからダンサーのキャパのマックスをどう捉えておくか。人間を扱いますから、すり合わせが必要ですね。私がやって欲しいことをやってもらえないこともあるわけですよ。人間同士で時間と空間の軸を紡いでいく。ダンスというには、人がそこにいて動く、それを見る、ということです。ですから戦略が絶対に必要なんです。それで、お客さんが舞台上のダンサーを観て、結局のところ、”あなたたちは誰なんだ?”と。そういうことなんです。」

そんなに頑張って踊って、で、あんた何してるの?

「花が、自分自身で美しいと思って咲いているだろうか?美しいと思うか思わないかは人間の美意識が決めているのではないか?」と、そんなようなことを言ったのは、ヘーゲルだったか、誰だったか、どっかの哲学者であったが、記憶は曖昧、しかしそんなような美学。コンテンポラリーダンスとしての作品はそんな関係を持っているように感じることがある。「どう?!私、美しいでしょー!」というダンスを、余越さんは求めていない。

余越「見せつけるダンス、というのはダメなんです。そうではなく、見てしまうダンスにならないと。」

飯名「私を見て!っていうダンサーは職業的に多いと思うんですけども、そういうダンサーに、”いやそうではなくて、、、”ということを伝えるにはどうしたらいいんですか?」

余越「うーん、諦める!(笑) その前に、そういうダンサーは使わない。もちろんショーダンスではそれが必要ですから、そっちの世界でトップを目指せばいいんです。それは悪いことじゃないわけですから。」

キャスティングは重要である。出来ない人に出来ないことをやらせても、そりゃ出来ないのである。それを出来るように教えてあげる、という必要が作品クリエイションに必要だろうか。僕は必要ないと思っている。それは稽古でやるべきであるから。ダンスカンパニーや劇団であれば、徹底的に日々の稽古で、演出家・振付家のメソッドを染み込ませ、リハーサルに望むだろう。カンパニーを持っていない振付家が、自身の作品でダンサーを集めるのであれば、キャスティングのセンスと、コミュニケーションの能力が作品の質を決めるだろう。人を見る力が必要だ。余越さんは今回の作品で、今回ダンサーとして参加している福岡さんに出会って、この作品のアイディアを積んでいったそうだ。キャスティングありきの作品作りというのは、演出家の一方的なイメージ構築だけでは出来ない。むしろ、演出家が出演者から受ける情報の方が重要かもしれない。そうなると、作者であってもこの作品がどうなっていくかわからない。それは、恋人同士のように「付き合いはじめたときはああだったけど、3年くらいしたらこうなった」というような、どっちがどうというよりは、お互いの変化を受け入れることでもある。

「渡米して、向こうの仲間やディレクターに言われたんです。そんなに頑張って踊って、で、あんた何してるの?って。そう言われたとき、受け入れるのに時間はかかりました。若い時は”150%で踊るんだ!”みたいな感じだったわけです、私も。ところが、リハーサルでリラックスしているときの踊りの方がぜんぜんいいよ、って言われたんです。そう言われた時、え?って思った。どういうこと??って。このことは自分自身ダンサーとして通ってきた道なので、他のダンサーをみたとき、どういうダンサーなのかというのがよく分かるんです。」

余越さんはニューヨークでダンサーとしてのキャリアを積み、日本とはまた違う様々な壁に阻まれながら、独学のように演出の技を得てきたにちがいない。

恐怖心しかない

意外にも日本でクリエイションして作品を発表するのが、なんと今回初めてとのこと。

飯名「日本の観客に観てもらう事について、どう思いますか?」

余越「恐怖心しかないです・・・。」

意外な返答に驚いた。

余越「これまでアメリカ拠点で活動してきて、アメリカで作品を作ってきた。それを日本で上演できないものか、と色々トライしてきたけれど、日本では受け入れてもらえなかった。上演できなかったんです。いろいろな問題、課題があって、権利のこととか、内容のこととか。色々な理由で自分の作品が日本で受け入れられなかった。だから今回、日本の土壌で、日本の空気吸って、日本で作って、日本で上演する、というのをやりたかったんです。
でも現実的にアメリカにいて、日本で作品作って発表しても、お客さんもいないし、受け入れてくれる劇場もない。どうしたものかと。それで”踊りにいくぜ!!セカンド”にエントリーしたんです。日本で唯一、予算がでて、制作もやってもらえる。自分で全てのチケットを売らないでもいい。なので、ここでトライしてみようと思ったんです。」

見る側の心持ちで作品が変わっていく、今月1月から始まる「踊りに行くぜ!!セカンド」のツアーで、毎回違った印象の作品になると楽しい。会場によって当たりハズレがあっても良い、と僕は思っている。(ハズレた場合、各地の劇場には怒られそーですが。。。)

★上演情報
余越保子作品「ZERO ONE」
鳥取 仙台 東京 京都 にて
https://odori2.jcdn.org/4/artist/a03.html



作品が独立していく 再演『カレイなる家族の食卓』

テキスト:國府田典明

村山華子さんは、踊りに行くぜセカンドのVol.1のアーティストである。私もこの回では出演した立場である。飯名とともに話を聞き、通しリハも拝見してきた。

2011年の公演時とは、作品との距離感があるという。出演するメンバーそれぞれの価値観も変わってきていると感じているらしい。自分はディレクターのつもりで今回取り組む、仕事をするような気持ちだという。

村山さんは、数年前にデザイナーとして仕事をしていた時期に体調を崩した。その回復期に体調の改善を図る事も含めてダンスを始めたという経緯がある。その流れの中で踊りに行くぜに応募した。彼女にとってダンスをする理由は実利的な側面もある。応募当時に比べれば体の調子は改善していて、思いや人生観も変わっているから、作品が過去のものに感じる、という事は想像できる。

通しリハを拝見した。映像で使用している出演者の顔つきと、目の前の顔に差を感じた。微妙な差でも顔は感じるものだなと。(老けたという事ではない、一応。)

実演を見るのは2年半ぶり。30分という時間は舞台として短いが、ほどよい満足感があった。30分完結の作品は、どのようないわば興行ができるだろうか?

この作品の意味内容やテイストは、子供向けに活きると思う。村山さんは美術も手がけるから、彼女ができる事を詰め込んだポートフォリオのような作品でもある。舞台作品の展示会のような機会を利用するのもありなのかもしれない。今回は、札幌公演だが、鳥取・鳥の劇場のような、特に地域の顔が見える劇場にも向いていると思う。制作段階での貢献が大きかったという、和歌山の上富田でも季節的なプログラムとして上演できないものか。

『カレイなる家族の食卓』は、「パッケージ」タイプの作品構成である。詳細な台本があるようなつくり。内容も作者から独立して社会に出ている感じがする。だから、作家自身が作品から”気持ちが離れても”作品が自立しそうだ。作品を客観視できた時、その再演出も考えられるだろう。どれだけ時間をかけられるかによるが、遊びも利く状態なのではないだろうか。

VOL.1当時は完成させるのに必死だったが、今となっては、少し引いて見られる状況だと思う。作品がよりどういう価値を持っていけるのか、社会の中での立ち位置など、そのディレクター視点で検討される事を期待。作品が成長していく事こそが、踊りに行くぜセカンドの本質だと思う。



「忘却」そして「地に足がついた幸福感」

テキスト・写真:飯名尚人

森下スタジオ2階。
黒沢美香さんに話を伺った。
さっそくまず聞きたかったことを聞く。

「どうして踊りにいくぜ!!に応募したんですか?」

黒沢美香さんといえば、コンテンポラリーダンス界では先駆者であるし、知らない人はいない。踊りにいくぜ!!に出なくても、各所で引く手数多ではないか?と思いきやこんな返答がきた。

ー待っていても場がないんですよ、自分でいろいろ調べるんです、どこか参加できる場はないかなって。今回やっていることは、ミカヅキ会議という名前で活動していて、大学教授たちとのクリエイションですし、どこか受け入れてくれる企画はないかなと。それで或る企画にエントリーしたんです。電話して、応募できますか?って聞いたら、是非応募してください、って言うので、これは脈あり!とか思って、私の方で企画書とか書きましてね。そしたら、選ばれなくって(笑)。どうしたものかと思ってたら、踊りにいくぜっていうのがある、って余越保子さんから聞いて、え、なにそれ?詳しく教えて!って(笑)。

写真/ミカヅキ会議 リハーサルの様子(森下スタジオ)

やりたいことがあって、そのための場を常に探していた、ということ。
踊りにいくぜ!!のエントリー状況をみていると、このアイディアをやれる場をずーっと探してた、というようなものは決して多くない。やっつけ、というと少々乱暴であるが、中にはやっつけ感の強い企画書があるのも事実。しかしやはりアイディアを温めてきたものが集まってほしい。黒沢さんのキャリアであっても常に自分から参加していく姿勢は、つまりは「アイディア持ってて、待っていても何も起こらないからね」と言っているわけである。

ところで「渚の風 聞こえる編」とはまた不思議なタイトルである。

ーシリーズなんですが、前回「渚の風」っていうタイトルを使って作品つくって、実は海が出てくるわけでもないし、海を舞台にした作品でも何でもなくて、作中で使われているオリジナル曲のタイトルなんです。出演者の一人が曲を作って持ってきたんです。おもしろいのは、前作の「渚の風」を観ていただいたみなさんが、渚っていう言葉から連想してこの作品を観ていて、感想をきくと「海が見えました」とか(笑)。今回はシリーズの2回目で「聞こえる編」というのをつけたんです。

実際は、渚じゃないところで渚を感じる、というような感覚的な作品だったようだ。そういえば、19歳の夏、僕は渋谷の公園通りのパルコの前をダサダサに歩いていたら、ほんの一瞬潮風を感じたことがあって、そのことを一緒に歩いていたガールフレンドに熱弁したものの、何言ってんの?という具合であったわけだが、潮風を感じた、潮の匂いという錯覚的な感覚、私は錯覚した、という事実。渋谷で吹いた潮風は本当に存在したのか、、、謎。
かつてマギー・マランの舞台作品「拍手は食べられない」を観たとき、冒頭ダンサーが舞台に現れた瞬間、乾いた砂埃を感じ、喉が渇いた。チョン・ヨンドゥが日本で上演したダンスデュオ作品で、四つ這いのヨンドゥの上に女性ダンサーが立ち上がったとき、ふーっと横から一塊りの温い春風が女性ダンサーに吹いた、ように感じた。どちらも勝手に僕が感じただけであって、舞台上に砂も風もない。そんな体験を思い出した。

ー以前スタジオで、ダンサーに言葉を与えて踊ってみるということをレッスンでやって、そのときのお題が、豆腐、だったんです。それで、しばらくやっていたら、遅れてきたダンサーが他のダンサーに、お題なに?ってこっそり聞いたようで、踊り始めたんですね。そしたら、すごい表現で。びっくりしたんです。終わって、感想とかをやりとりするんですが、なーんか話がチグハグだなーって思って、よくよく聞いたら、豆腐、じゃなくて、遠く、って聞き間違えて踊ってた(笑)。私は、豆腐だと思って見てたわけですよね。タイトルというのも、そう考えると面白いもので。

深夜テレビを付けると映画が放映されていて、映画の冒頭を見逃しているからタイトルも知らずに見ていると、学園モノの青春ラブロマンスかと思ったら途中から謎の生物が出てきて、あれれれ?ラブロマンスじゃないのー?!SFホラーじゃん!ということになり、タイトルや事前情報も無しがゆえに、本来であればかなり微妙な映画がこっちの都合でなぜか面白くなったりする。自分自身深夜ノリで可笑しなスイッチが入っていたかもしれないが、タイトルもジャンルもわからない素姓の知れないこうした作品は、当然、予想を裏切る展開を持っている。もちろん作り手の意図に反する裏切りで、単に見る側の誤解であるけれど、時にして作品に純粋さを与えてくれる「美しい誤解」ともいえる。観客の自由さもダンス作品のうちである。

今回、大学の先生、しかもダンサーではない3名とのクリエイションである。ダンサーでない人のダンスの面白さ、というのが黒沢さんのテーマでもあるようだ。
「私は、観客と同じように彼らのダンスを楽しみたいと思っているんです」と黒沢さん。
ダンサーでない人のダンスは、ダンサーのダンスとなにが違って何が同じなのか?
ダンサーでない人のダンスを、ダンスファンは見たいだろうか?
黒沢さんが思うダンスというのがいったいどういう定義であろうか?

「地に足がついた幸福感、というか、そういうもの。」と黒沢さんが答える。黒沢さんにとって、ダンスはダンスであって、それ以外ではない、ということかと思う。黒沢さんは別の言葉でもダンスを定義する。ダンスとは「忘却」である、と。
ブルース・リー先生は「考えるな、感じろ」と僕に言った。マイルス・デイビス先生は「考えろ、そして忘れろ」と僕に言う。ブルース先生も勿論カッコいいけど、僕はマイルス先生に同意している。「考えるな、感じろ」で作ったダンスよりも、「考えろ、そして忘れろ」で出来たダンスが見たい思っている。このことと黒沢さんの「忘却」の意味するところは異なるかもしないけれど。

その一方で僕は思う。専門的技能、つまりダンステクニックを持ったダンサーに、それはできないものなのだろうか。黒沢さんも技能を持ったダンサーである、だろう。技能を持たない方がいい、わけでもないはず。技能を極めて、本番で忘れる。このことに気が付いている世の多くのダンサーたちが、こうした課題にどのような答えを見つけるだろうか。それは極めて難題、なのか、あまりにも簡単すぎて見落としているのか、僕にもよくわからない。

黒沢さんが、これはダンスだ!というような衝撃というのは、他のアーティストの作品をみていて、あるのだろうか?

ー10年に1回、すごいのを見た!というのがあるんですよ。自分自身では2年に1回くらいあるんです。そういう周期で。

あえて、具体的にどのアーティストですか?とは聞かなかった。今回の作品の中にあるダンスにそのヒントもあるかもしれない。あるいはそんな難しいことを案じて作品を観るよりも、地に足がついた幸福感たるダンスに陶酔できれば、それが正解なのかも。



どうしたら共有できるのか

テキスト:國府田典明

飯名と共に森田淑子さんに話を聞き、稽古も少しだけ見てきた。

私は夏の面接の際に傍聴していたので、森田さんの言葉の状況や、決意を拝見していた。
森田さんの受け答えからは、必ず作品を作る、あきらめないという決意を感じる。それは、今回が昨年参加できなかったリベンジである事への責任感でもあると思う。それと、自分自身が本来やろうとしていた事を達成して、生活を復活したいという希望だと思う。

森田さんが言葉を失った後に、どのようにして作品をつくりたいと、またたどり着けたのか。奇跡的に本人は「失う」という事の経験から感じた事を作品にしたいと、動機が生まれ、そしてこの企画に応募し、こうして作品制作に事実臨んでいる。

このような事実があるので、作品制作も、言葉を少し失った状態で行われている。制作活動自体に、作品のテーマが横たわっている。メンバーにとって、かなり難解なプロジェクトになっているようだ。

少し大げさな見方かもしれないが、状況を考えてみた。

今回、ドラマトゥルクとしてスカンクさんが入った状態で創作している。(ざっくりいうならば)作家の考えを整理する役といえるだろう。しかし、森田さんは、言葉が節々で少し欠ける。論理的なコミュニケーションが森田さんとどこまで通じ合えるか。

周囲のメンバーも作家のカウンセラーになってくれてると思う。しかし、おそらく決断らしい決断に、たどり着く事に苦労しているようだ。何を決断として捉えるのか。仮に、作家当人がいわゆる司令塔として機能出来ないとしたら、それでも森田さん自身が自由に絵を描ける環境や状況を、周囲がつくる事は実際にできるのだろうか。

森田さんの事実を何とか周囲が受け止め、踊りで翻訳して訴える事ができるか。その時、舞台上の森田さんがどう見えるのか。一歩踏み込んで手を差し伸べるうまい方法は何か見つけられるだろうか。森田さんと対話するための術はどういう方法になるのか。

この作品は主催者にとっても挑戦だと思う。もちろん、作家がこの状況を乗り越えてくれれば何より。これは私も信じたい。何かの結論までたどり着いてほしいと思う。

毎度の事ながら、作家と出演者ら作品制作者のコミュニケーション不全は、理由は異なるが起きている。つまるところは、「何を見せたいのか」という事を「どうしたら共有できるのか」。さらには、作家の見せたい事がメンバーの「やりたい事になってもらう」のには、途方もない事。

見せたい事が作家の心情だとすると、もう全部知ってもらう勢いである。

どう理解し合うか。どんな仕事でもまず「言葉」で話し合う。
この「言葉」が難しい。言葉のやり取りだけで心の底まで理解できるか。特に身体表現では、かなり高度だと思う。例えば “○○のような気持ちで” 動く。その気持ちに対応する身体の動きが表れるのは、これは日々の鍛錬である。

動きを指示出来たとしても、いろんな理解違いを通り過ぎるような事なのだろうか。

ニュアンスを絵で描いたとしてもそれは絵でしかない。または、言葉では「わかった」とも言えてしまう。
話し合って、その場は理解しあえたと思っていても、実際にやってみても実現できない。時間が迫り、どんどん焦る。

ダンス作品の制作はこのような精神的な作業がある。

どんなに長いつきあいでも、欲しい時にずれた答えが返ってくる、という事は作品制作に限らずよくある事。どう問いを投げれば、その答えが返ってくるか。これがコントロールできたらすごいが、そんな事できるのか。
面倒な上司とのコミュニケーション法、みたいな事なのか。しかし、作品制作だからどこまでゆずれるかで、揉める。

踊りに行くぜの作品は30分が目安。作品のベースに言葉があるならば、いったいどれくらいの言葉を並べる事ができるだろうか。かなり少ないかもしれない。言葉が最終的に少なくても、表現が強ければきっと作品になると思う。その辺りの潔さも必要なのだろう。



再再演 MESSYの稽古を見て来た “空気の重さ”

テキスト・写真:國府田典明

MESSY(菅原さちゑ作品)の稽古を11月下旬に見て来た。
あぁ、作品つくるって、地味だったなあ。これでいいのかわからない。けれど進める感じ。
久々に空気の重さを思い出した。タメ語の同世代のメンツでつくる感じ。

果たしてこれでうまくいくのかどうか。私には今のところ確信的な答えはない。
実際、結構キツい作業だと思うし、成果が見通せているか。

同じ状況といっていいかはわからないが、今私はAAPA(セカンドVol.1上演)の活動を休止している状態だ。稽古の進め方、考え方、思考を一度切り替える必要があると考えたからである。

緊張感だったり刺激があれば、発想や表現に磨きがかかるのは、おそらくそうで、
できる事ならそんな環境を取り入れる事があってもいいかもしれない。あからさまに異なるアーティストの創作に触れる(WSとかに参加とか)など。

完成した作品が何かしらの刺激を周囲に与えた時に、それが「伝わった」という事なのだろう。
稽古中に自分の感動状態があるか、これは一つのバロメーターだと思う。まず自分が感動しないと、他人も感動しにくいだろう。
感動でなくとも、自分なりに清々しさがある場合もある。やってやるという覚悟とか。
充足感、手応え、夢中になれているか、自分なりの勝算はあるか。
作品としての論理整理とともに、自分をこの状態へ持って行くための仕掛けも必要。
どうしたらワクワクするのか、というようなものかもしれない。

MESSYは再再演になるが、作品紹介の文字量が初回に比べて減ってきているのが興味深い。整理されてきたという事なのだろうか。

出演者の一人、緒方は九州に本拠を移していて、宿題を菅原から出しているという。
音にノリ過ぎて踊ってしまう、心地よく踊っている姿は見ていて良い事が多いが、
作品として意図されていないと問題だという事を伝えたようだ。

菅原自身も他作品の稽古でも120%やらなきゃもったいないと、最近思うようになったそうだ。

少なからず、別のプロジェクト「THE NOBEBO」の経験も活きてきているはず。
作品の「面白さ」にはサービス精神と作品理念のさじ加減のような事もあるだろう。

表現はクレバーだけでもない。どこか生き様が見えたらいいなあと思う(個人的な趣味)。それが出るためには、人生的な覚悟も必要なのだが。



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