森田淑子作品「ヤマナイ、ミミナリ」ー東京・京都公演上演作品紹介1
インフルエンザの猛威も収まってきたのかな、と思ったら寒さがもどってきましたね。最後の冬でしょうか?
「踊2」プログラム・ディレクター水野です。
巡回公演もラスト2ヵ所、東京・京都公演を残すばかりになりました。
2月21日:NEWS「主催者が推す理由―今年のAプロ3作品。」でもご紹介しましたが、東京・京都公演で上演致しますダンス・イン・レジデンスを経て約半年間、作品制作を続けてきたました3作品をご紹介します。
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まずはニューフェイス森田淑子初制作「ヤマナイ、ミミナリ」からご紹介します。
>> コトバにならない感覚を自分の存在ギリギリのところをかけてダンスにする意欲作。
不器用にしか生きられない人への痛くて切ないダンスの抒情詩
「踊2」札幌公演より photo:GO(go-photograph.com)
『ヤマナイ、ミミナリ』
言葉を失い、新たに得たものとは。「ことばのむこう」に佇む人の心、その風景を紡いでゆく。
作・演出・構成: 森田淑子
振付・出演: 進藤ゆり、 高田淳史、 森田淑子
音楽・ドラマトゥルク: SKANK/スカンク(Nibroll)
美術: こばやしなつこ
衣装: 小室匠
当日パンフレットに記載している森田さんのテキストは下記。
photo:GO
ここ何年もずっと、自分のからだの中に小さな違和感があった。何かがじわじわと喉の奥に込み上げる。息苦しさで、叫びだしそうになる。ずっとそうだ、理由はわからない。
しかし、いつまでも耳鳴りがやまない。「ヤマナイ、ミミナリ」という作品を創ろうと思ったきっかけは2つあります。
1つ目は、私の家族が違う国で生まれ、異なる文化、異なる言葉のもとで育ち、家族同士、言葉で理解し合えずに、家族のもとを離れたことです。
きっかけの2つ目は、1年前、事故に遭い、脳に損傷を受けて歩けなくなり、失語症によって言葉を失ったことです。
その2つをきっかけに、言葉とは本当はどういうものかを考えるようになり
「ことばのむこう」をベースに作品を創り始めました。
なぜ、再び生きる時間を与えてもらったのか。その答えに向かい合い、踊ります。
このテキストからわかるように、決して軽いテイストではない。
ズドンと腹にくる感じ、そこがいい。
最初に森田さんを知ったのは、2年前の森下スタジオで行った「踊2」の説明会だった。
帽子を目深にかぶり、寡黙で目の鋭い印象だったのを覚えている。その後、森田さんは大きな事故にあい、作品制作は1年伸ばしとなった。当初、制作しようとしていた作品から今回のものに変化したのは、事故のことも影響しているという。
(森田さんにインタビューした記事参照)
「報告するぜ!!」の記事で、「失った言葉」を巡る。「体」は何を求めるのか?」も合わせてご覧ください。
自らの家族との亀裂、言葉で伝えきれない裏腹な思い、
思い通りにならない身体、思い通りに伝えられない気持ち、苛立ち、落胆、一筋の希望―誰もがもつジレンマ。
ああ、なんて人間同士って言葉が邪魔して上手くいかないんだろう、そう思うことが多々ある私にとって、この作品は響いてくる。
森田自身のリアルな記憶や経験から「ことばのむこう」をダンスで探そうとする。
「ダンスでやるしか、もう私にはできないのよー」という、叫びのような、ぎりぎり感がある。
この作品は、癒しとか、のんびりとか、ほっこりとか、いまのブームとは真逆をいく世界観なんですが、なんかそれが落ち着くのは、やっぱりそこに真実があるからじゃないのか。ダンスを見るというのはこういうことなんだ、と思える1作品です。
是非、観に来ていただきたいです。 (水野立子)