インフルエンザの猛威も収まってきたのかな、と思ったら寒さがもどってきましたね。最後の冬でしょうか?
「踊2」プログラム・ディレクター水野です。
巡回公演もラスト2ヵ所、東京・京都公演を残すばかりになりました。
2月21日:NEWS「主催者が推す理由―今年のAプロ3作品。」でもご紹介しましたが、東京・京都公演で上演致しますダンス・イン・レジデンスを経て約半年間、作品制作を続けてきたました3作品をご紹介します。


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余越保子作品「ZERO ONE」をご紹介していきます。

>>N.Yを拠点に2度のベッシーアワード受賞振付家が、舞台に立つからだの在り方を
双子のダンサーと映画「Hangman Takuzo」を軸に問う日本初制作。


鳥取公演より photo:中島伸二

「ZERO ONE」
ZERO ONEのテーマはダンスそのものです。

監修・演出・振付:余越保子
共同振付・出演:福岡まな実、福岡さわ実
映像コンサルタント:崟利子
衣装・美術:岩崎晶子
映像出演:首くくり栲象、 黒沢美香、川村浪子
(映画「Hangman Takuzo」余越保子監督作品より

(当日パンフレットより)
新しいダンスを覚えるよりもそれまで習得したものをまっさらにすることのほうが難しい。ゼロにもどりニュートラルな状態にいつも自分をおく。存在した瞬間から消えてしまう、そのはかなさそのものに魅せられた人間がダンサーです。ダンスは永久に何もない空間であり、美しく、誰も所有することができません。その贅沢な瞬間が舞台でていねいに紡げるように、ゼロ・ワンを作りました。

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私が余越さんと初めて会ったのは、1年間だけN.Y.にいた時期1996年N.Yの路上で。余越さんの公演の案内チラシをもらって立ち話をしたことがかすかな記憶に残る。それから18年経過する間、日本やN.Yで3年に1回程度お茶を飲んで近況を語り合うみたいな感じでした。その間、余越さんは作品をつくり続け、着々とキャリアを積み、いまやN.Y.で発表する作品は毎回、注目を集める存在になっていった。その経歴を読んでいると一人のアーティストが歩んできた道のりと、どのようにダンスというものにアプローチしていったのかがわかる読み物になっていてかなりおもしろい。余越インタビュー記事の冒頭に記載したので是非、ご覧いただきたいです。 20年近くもNYだけで作品制作してきた余越さんは、今回何かのきっかけで日本で滞在制作したいと思い、踊2に応募することになったわけだが、NYと日本、受け取る環境、観客の違いについて余越さんはどう考えているのか?「報告するぜ!!」での取材記事が興味深い。
余越さんは過去に一度、小説の賞をとったことがあるらしく、今回の「踊2」への応募要項の文章にも惹きつけられる。ロジックに作品を組み立てていく方法も多いようだが、今回のこの作品「ZERO ONE」は、ちょっと違うようだ。まずは双子のダンサーありき、そして数年前の首くくり栲象を題材にした監督作品・映画「Hangman Takuzo」ありき、そこからすべてが始まったという。
 余越保子インタビューから抜粋してみると、

「ダンサーが作品です。ダンスがどこにいくのか、作品がどうなるか、最初から私にもわかりません。今しか存在しないダンスだからこそZERO ONEが成り立つのです。」

「ダンスでしかできないものがあって、それ故にやるとしか言えないです。予定調和っていうのがないんですね。人がいて、その人が誰で、どういう風に動くんだ、というところから本当にゼロから始まる。作品が生き物で、わたしがそこに仕える召使いのように、お聞きして、ああそうですか、こちらですかと、後をついくような感じ。ダンスに仕えてこそつくるかいがあるというか。」


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「ZERO ONE 」の初演を1月鳥取公演、2月仙台公演をみた。正直なところを言うと、私にとって10年に1度、出会えるかどうかというダンス作品だと思っている。文学や映画ではなく、ダンス作品でこんなにも不条理を感じたことはないからだ。
映画ー首くくり栲象の魂と身体、生きて死んでいる瞬間と、同じ容姿をもつ双子のダンス。この2つで構成される舞台をみていると、いつしか、自己と他者、存在と不在が入れ替り立ち代り舞台に現れ、幻覚をみているような感覚に襲われる。それをささえるのは、繊細で強靭な双子姉妹のダンス。日本とヨーロッパ、異なるダンスの環境で修行してきた二人が同じ舞台に立つのは初めてだという。このダンスは、なんというか、奇をてらわない、あまりにも素直でまっすぐなダンスがただ在る。やっぱりダンスは生き様がすけて見えるんだ、と思える瞬間。こんなにも主張がなく、だからなのか、こんなにも雄弁なダンスは衝撃となる。そのダンスから、いつしかZERO ONEの世界観が現れてくるー美しくて儚い、明るくて暗い、わけがわからない歪んだ世界、つまりいまの社会なんじゃないか。不条理としかいいようがない。同時代の作家がつくった作品だなあ、と観終わったときに共感できる心地よさがある。 主催者ながら、わたしがこれを観なかったら、かなり悔しいと思うだろう。日本ではあと5回公演のみ!

***はみ出し情報***
映画「Hangman Takuzo」は、

Mika (L) and Takuzo ®.
余越保子の監督・撮影作品。2010年余越保子の祖母の家(広島県竹原市所在)で撮影された。首くくり栲象(英訳は「Hangman Takuzo」映像のタイトルとなる。)は、40年以上「首吊り」という行為を芸術活動の主軸とし、自宅の庭で自身のカラダを吊る「庭劇場」を 毎月定期的に一般公開している。彼の日課は首吊りである。
その他出演は、日本のコンテンポラリーダンス界を開拓してきた黒沢美香と、裸体で「前進歩行」という行為芸術を海辺や山の中など屋外で30年以上行なっている川村浪子(撮影当時72歳)。
映画製作は資金繰りに困難を極め3年間保留となる。完成を待たずして編集なしのオリジナル映像のまま、 オーストリア、アイルランド、ニューヨークの各地で自主上映として上映。英文のみだが余越保子自身の紹介記事「THE BROOKLYN RAIL」 です。

双子ダンサー福岡まな実とさわ実と制作した理由 今回、福岡姉妹が一緒に踊る初のデユエットダンス。姉の福岡まな実は、大阪に在住し舞踏カンパニー「千日舞青空ダンス倶楽部」で舞踏の訓練を受けた。妹のさわ実は、アムルテルダムのEmio Grecoカンパニーに10年間所属した後、現在ベルリンに住む。二人とも現在はフリーランスのダンサー。
一卵性双生児として同じ容姿、身体的能力を持ちながら、訓練と美意識の異なる土壌、日本とヨーロッパーで10年以上踊りつづけてきた二人。
かたや、N.Y.の観客の前で、日本人として日本の伝統芸能の要素をコンテンポラリーダンスの文脈で作品をみせてきた余越。だからこそ、双子の福岡まな実とさわ実姉妹のアイデンテイテイー、あるいはその特異性に惹かれ、余越保子自身を重ねてみたのかもしれない。
「ZEROー何もないコト、ONEーなにかが生まれる ZEROからONEに向う、その間にある不思議な強烈なエネルギーをこの二人の踊りが生み出すだろうと確信している。」と余越は語る。