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長内裕美インタビュー [Bリージョナルダンス:福岡](vol.1)

“Turning Point” 振付・構成:長内裕美
福岡で公募から選出したダンサーたちと作品制作する長内裕美さん。2013年10月9日に出演者オーディションを行った翌日、作品に込める思いクリエイションへの期待など、構想段階でのおはなしを長内さんにお聞きしました。 
現在は、12月に作品制作も開始、12/12には途中経過発表も終えた。3月1日の公演前の第2期制作時にその手ごたえをお聞きする予定です。まずはvol.1をお届けします。

2013/10月アートマネージメントセンター福岡事務所にて 
(テープ起こし 二宮 編集:水野)



長内:O  聞き手:二宮(N) 水野(M)

「やっぱりダンスを続けていこうと思ったことが、私の“Turning Point”です。

M:今回の「Turning Point」をつくろうと思ったのは長内さん自身の体験に基づいていると伺いましたが、このタイミングでこのタイトルの作品をつくろうと思ったのは?

O:まず「踊りに行くぜ!!」Ⅱ(以下「踊」Ⅱ)のBプログラム、初めて会う人たちとつくるということと、自分が拠点としているところとは違う場所で作品をつくることについて考えたときに、ダンサー達と共有できるテーマを持ちたいなと思って。自分が生きていく上で、今回のテーマでもある「Turning Point」が方向性を決めて生きているな、と思ったことからです。
ダンスをやってきて迷うこともあったんですけど、続けていきたいっていう強い気持ちがありました。そこには、私が20代半ばのとき、ダンスの活動をしていく中で、とてもお世話になった方がいて、でも、その方が亡くなられてしまって、凄く悲しかったんです。でも、そういう風に自分を支えてくれたからこそ、今の自分がいるということもあって「ダンスを続けていこう」って決意をしました。それが自分にとって、大きなターニングポイントの経験でした。。
人には誰もがターニングポイントがあり、キッカケになる出来事があるはずで、そこを出演者と共有できるんじゃないかと思ってこの作品をつくることを決めました。

M:今回は、長内さん自身の実経験を作品に活かすプランですか?

O:私の実体験を作品にするのではなく、各出演者のターニングポイントをメインにして、作品を作っていきたいと考えています。出演者の体験を一人ずつ聞いて、何か選んでもらって、という形で。 例えば昨日(オーディション)は、ペアを作り、そのペアの相手からイメージしたものを言葉にしてそれを自分のムーブメントに変換していくっていうのをやりました。
 今回の作品制作も、実体験から言葉をいくつか抜き出してもらって、それを出演者自身にムーブメントに置き換えてもらって、それを私が煮るなり焼くなり、引き出したり選んだりしていく。もしくは私から新しいものを提示していったり、と考えています。

N:どんな人に観てほしいっていうのはありますか?どんな体験をした人とか。例えば「Turning Point」っていうと、震災とかを考えてしまいますが。

M:自分の作品をどういう人に向けてつくるか、観てほしいのか、ということを想定しながらつくるアーティストもいますね。

O:やっぱりダンスを専門にみているダンスファンとかではなく、難しいんですけど、幅広く一般の人たちにも観てほしいっていうのはいつも思っています。

N:日頃ダンスを観ないような人にも?演劇とかステージを観ないような人も含めて?

O:人それぞれ何に興味があるかは違うので、「万人に」ということは難しいですが、こういうダンスの表現方法があるということだけでも、もっと日本の人たちに知ってもらいたいという気持ちはあります。

M:そうなると、つかみどころが難しい作品が多いように思いますね。(笑)今回は、そのための何か工夫やしかけはあるのですか?

O:今回の作品に限らず、作品を作るときは、自分がダンス作品を観て感動するように、一瞬でも「ハッ!!」としたり、何かを感じてもらえるような時間があるように、と思って作るようにしています。 ターニングポイントって例えば、キッカケであったり、驚きであったり、発見だったり、違う感情であったり。色んな要素が合わさって、作品全体が新しい違う方向にエネルギーが向かうイメージがあります。

N:変わっていくことですね。それが「Turning Point」みたいな?

O:エネルギーの方向性。Turning Pointっていうのは、あることがキッカケで、新しい驚きとか発見とか、悲しみだとか、色んな感情が生まれて、違うエネルギーの方に向かっていくんじゃないかと思っているので。それを作品で、身体で表現したいなと思ってます。

(作品制作の様子)

この作品を観てくれた人にとって、人生の「Turning Point」となる作品にしたい。

N:作品名で「Turning Point」って謳ってあるから。ターニングポイントってカタカナで書いてもわかるし。人生の岐路じゃないですけど、観にくる方も想像して観るだろうし、それが観る人に作品として伝わってくる。

M:観た人にとって、ターニングポイントの作品にするというのは、すごく大変なことですね。

N:観た人のこれからが変わるってことですよね。

M:作品ってそういうものじゃない?観た人に変化を起こさせる。

O:私も作品を観て変わったりしますね。そういうのってありますか?

N:ダンスではなくて音楽ですけど、高校のときに聴いたクロノスカルテット。あんまりそういう音楽聴いたことなかったんで、こんな表現もあるんだなって。

M:長内さんにとってはどんな作品だったの?

O:大学1年生の時に観たH・アール・カオスの「忘却という神話」という作品を観て、とても衝撃を受けました。その作品をきっかけに、コンテンポラリーダンスを始めました。他には、ピーピング・トムの「LE JARDIN」やピナバウシュの「パレルモパレルモ」、マギー・マランの「Maybe」も。

M:今回の作品が人の人生変えるっていう風に作家としてなればすごいですね。これまでは、就職しようと思っていた人が、舞台作品を観ることによって、道外しちゃったていうのが、多いですね。ダンスとか音楽とか演劇とか観て芸術の力で自分の生き方を変えられることに出会ってしまったという。今回、自分の作品をそうするっていうのが目標なんですか?

O:したいと思います。したいですね。


(途中経過発表の様子 12/12)

M:そういう意味では、二重構造。それぞれの人たちの具体的なターニングポイントっていうものを引き出して、ダンス作品にする、それが結果的にその作品を観た人が人生変わってしまうような衝撃を与えうる作品をつくる、両者にとってのターニングポイントになると。作品の力が強ければ、。「Turning Point」っていうタイトルじゃなくっても、そういう作品はあるわけで。長内さん自身がそれを意識して作るということ、人生を変えるくらいの出会いを題材にするっていうことは大きいですね。

O:私がただ構成を作って、振りを作って渡すっていうだけではなくて、私の中のボキャブラリーじゃないものを見つけて、そこからもっと発展させたものを作りたいと思っているので。私も一緒にその瞬間瞬間に見ているものを引き出して、一緒に作っていきたいって言う気持ちが強いです。

N:さっきは芸術とかダンスの作品の話だったけれど、アートに限らずターニングポイントを今回の出演者から引き出し、舞台を観て共感できるものなのか、それともっと抽象的な感じになっていくのか?

O:今回のダンスを観て「あ、こうだな」ってすぐにわかることは難しいと思います。細かい部分まで抜き出して動きに転換していくのでそんなに細かいことまではわからないと思うんです。でもどこかで、このタイトルにある様に「Turning Point」ということがイメージできるような作品になってほしいし、したいと思っています。それがどういう形になるかは、まだはっきりと申し上げることは出来ないですけど。

M:ターニングポイントって、その渦中というかその時はわからないことが多い。あとになって、ちょっと経ってから「あのときがターニングポイントだったな」ってわかる。そういう意味では何かが起きた後って言う時間差がある。だけど舞台で観る時っていうのは、時間差が無い。そこのズレみたいなことが表現出来たら面白そうですね。実際に起きているその最中と、観ている人にとってというのは、客観性が無いとそれがターニングポイントっていうことにはならないっていう。まさにタイムラグでズレてる訳だから。

O:既に終了していることを踊る訳で、でもいま起きてることとしてのこの作品は今現在の現実で。

M:そこができたらおもしろいですね。作品としてはちょっとズレがある目線が演出的には必要になってくるかもしれないですね。その二重構造みたいなものを観ている人が「ああ」って思えるものがあると面白くなってくるんでしょうね。

N:これは音楽とか映像とか、他のコラボレイターは考えられてないですか?

O:今のところは考えてないです。シンプルに身体のことに集中したいなと思ってます。

M:いいですね。12月に1回目の制作スタートですね。期待しています。



Bプロ福岡・仙台 クリエイション 佳境です!

年の瀬迫る師走にBプロ各地でのクリエイションも、佳境を迎えて来ました。
福岡の長内裕美作品『Turning Point』では1回目のレジデンス(11/30-12/13)の終わりに試演会を実施。

仙台の佐成哲夫作品『夢を見ているわけじゃない』の1回目レジデンス(12/20-27)の経過を見てきました。

作家が各地域に滞在し作品を作るBプログラム。
その醍醐味であり、また大変なことでもあるのが出演者を現地で応募して一緒に作品を作るということ。
作家は 作品を考える→出演者と関係性を築く→稽古を続ける→作品を考える
の日々を繰り返しています。
けれども、新たな土地で新たな人に出会い、新鮮さや新しい発見があるのもまた事実。
それぞれの稽古を踏まえ、どんな作品に仕上がるのか。

次回のクリエイションはそのまま本番に突入するスケジュール。
地域との新しい出会いで生まれた作品にもご期待ください!

(JCDN北本)



大崎晃伸著『ミカヅキ会議』の稽古レポート〔前編〕

今年11月に鳥取市鹿野町・鳥の劇場でおこなわれたAプログラム黒沢美香作品のダンス・イン・レジデンス。その時チームに“目撃隊”として同行した大崎晃伸さんが、『ミカヅキ会議』の稽古についてレポートを寄稿してくれました。前編・後編にわけてご紹介します。

―鳥取レジデンスのとき、ミカヅキ会議はどのような段階にあったか?―

11月16日から23日まで、鳥の劇場で行われたミカヅキ会議の稽古合宿の初日から第3日目までに同行、稽古の見学をさせていただいた。そのとき、ミカヅキ会議は発表までの作品作りのプロセスのなかで、どのあたりの位置にあったのだろうか。今年の5月ごろから、メンバーの勤務地である日吉や綱島にある黒沢氏の稽古場に月一回集まって、身体を動かしていたという。しかしこの時点では「踊りに行くぜ!!」への出演も決定していなかったため、あてどのない稽古であった。夏に、「踊りに行くぜ!!」への出演が決まり、稽古を積み重ねてきた。

作品作りのプロセスの初めの段階で、彼らは、振付のもっとも小さく短い単位となる動きの部品のようなものをたくさん作った。その部品自体は、彼らによれば、「テキトーに作られた」ということである。(それらには「ヤング武藤」「壁」「雨あがりステップ」「円卓」などの名前がつけられている。このレジデンス中に新たに生み出され、名付けられた動きもあった。黒沢氏はそれらの動きを付せんに書きとめ、貼りつけて整理した下敷きを持参されており、それを見ながら振付の作業を進めていた。)

それらを大元の材料にして、そこからその先の動きを探り、継ぎ足し、少しずつ部品を長くしていく、という作業をしてきたようだ。私が鳥取の合宿に参加したときには、数分間の連続した踊りのピースがいくつかできている状況であり、そのピースのひとつひとつにさらに振付を継ぎ足して長くし、洗練させ、そしてピースをつなげ合わせていく段階にあったようだった。私は見ることができなかったのだが、レジデンス最終日前日の11月22日には、JCDN水野氏や鳥の劇場の劇団員のみなさんを前にしたショーイングが行なわれ、30分の作品を発表することができたということである。
 
では、鳥取の合宿で行なわれた振付の作業は、具体的にはどのようなものだったのか。「作業のときに重視されたこと」と「作業の進められ方」を軸に振り返ってみたい。

―動きの理由―

私がミカヅキ会議の稽古のあいだで、いちばん耳に残っている黒沢氏の言葉が「理由」という言葉である。「武藤さんの身体が、前に行く理由が見つけられない」「いいですよ、理由が見えました」という風に、たびたび「理由」について彼女は言った。今ダンサーが目の前でやった動きに対して、OKを出す基準が「身体の動きに理由が見えること」のようだった。そして「理由が見えること」は、動きの形やタイミングが合うことよりも重要なことであり、より根本的に守られるべき基準であるように思えた。

 「理由が見える」とはどういうことなのだろうか。先に抽象的にまとめていうと、その動きの全体を支配している力、あるいは動機のようなものが、動きを通じて見えてくるということかもしれない。しかし、ここでは具体例をあげて考えてみたい。

 合宿2日目、横山氏のソロの部分を作っているときのことだった。黒沢氏は、「背中にかぎ型につけた右手が、左にひっぱられその力で身体全体が回転するような動き」を横山氏に自ら動いて提案した。横山氏は動きを試したが、回転の方向の違いや動きのゆがみを指摘されていた。足の運びもうまくいかなかったし、最終的に到達する足の場所も黒沢氏のそれとは違っていた。しかし何度も訂正された後にOKが出される。そのとき横山氏は「手にひっぱられるってことなんですね」と気づきを口にし、「そう、それが理由だから」と黒沢氏は言った。

「手にひっぱられる」身体であったとき、たしかに横山氏の動きはスムーズであり、黒沢氏がやった導線と同じ動きをたどっていた。それ以前の横山氏は、自分から回転していたのである。そうではなく、手の動きが先にあり、その力にひっぱられて体幹が動き出し、回転する。この場合は、手の動きがそれ以降の動きの理由になっている、ということだろう。黒沢氏は「それ(手)に連れていってもらう」という言い方もしていた。ある力が働き、ある動きが身体に始まったならば、ただ漫然と動いたり、自分から動いたりするのではなく、その動き、力に乗っていくということなのだと思う。そのとき、「理由が見える」動き・身体になっているのではないか。

しかし、始まった動きに従い、力に乗っていくという流れには、いつか終わりが来る。動きや引力はいつまでも続くものではないからだ。このことを黒沢氏は、「死」という言葉で表現していた。再び横山氏のソロ部分の稽古を例に説明したい。黒沢氏は横山氏に「両手を平行に、右ななめ上に上げていきながら、その両手に身体全体がついていって回転するような動き」を求めた。つづいて横山氏が実践した動きは、「両腕を上げてクルクルと回転するような動き」であったり、車のワイパーが移動するときのような動きだったりした。黒沢氏は、「ただ回るのではなくて、雑巾がけをするときの両手であるようにやる。それが理由で進んでいく」と解説した。そのとき黒沢氏が再度やった動きは、円柱の中心に立っている人が、回転しながらその円柱の内側を雑巾がけしていくような動きに見えた。

「(両手の動きをやりながら)これで死んじゃうと思いますよ。いつまでも回れるものではない。死んじゃうというのは、こうやって押してる感触ってどこかで消えるから。消えたら消えたでいい」と、黒沢氏は言った。廊下を雑巾がけするときのように、両手がななめ上の空間を押していく。その押していく力が動き全体の理由となり、その手と腕に連れていかれた身体が進んでいく。しかし、押している感触はいつか消える。現実でも、いつまでも続く雑巾がけというのはない。広げられていた両手は力が抜けて、腕以下の動きもそこで止まる。

黒沢氏はこうも言った。「この引っぱるの(動き)は死んじゃうから、いつまでもやってるのは不自然なんですよ。嘘だし。死んじゃうところで殺しちゃってください。」なにやら穏やかではない言葉だが、黒沢氏の考え方がとてもよく伝わる言葉だと思う。身体を動かす力に乗っていくのはよいけれど、力が収束したら、身体もそれに従わないといけない。動きに理由がなくなっているのに、惰性的に動きが続いていくのは嘘なのだ。

ここまでをまとめてみたい。ある地点で、身体を動かす理由となる力が生まれる。そのきっかけはふとした拍子かもしれないし、ひとつ前の動きのなかに力を生み出す原因が含まれていたのかもしれない。いずれにせよ、生まれた力は必ず死ぬ。身体は、力が死んだという事実に従う。しかし、こちらの都合で勝手に殺してはいけない。自然に死ぬまでは生きさせる。そのように動いたとき、身体が動く理由が見えるのではないか。

「理由」について、もうひとつ付け加えておきたい。前野・武藤・横山の3人が横一列に並び、平行した直線状を前後に行ったり来たり歩く場面を稽古しているときだった。直線の端まで行ったときに片方の足に体重をかける。もう片方の足は浮いている。今度はその浮いた足のほうに体重が移っていき、身体の重みで前進あるいは後退する。足に体重が移ることが、この動きの理由になっているのだろう。このとき、前野氏の動きは、ほかの2人の動きとは異なり、つんのめりになって耐えきれず前に飛び出していくような動きになっていた。

「この前野さんのやり方は独自ですよ。でも嘘っぽくないなあ。二人にはないやり方なんですよ。でもたしかに引っぱられている感じがする。理由が同じなんですよ。理由が同じで形が違うっていうのはおもしろいですね。」それぞれのダンサーで出てくる動きの外形は違っていても、動きの理由が同じなのが見て取れれば、この場面はそれでOKなのだ。黒沢氏は、振付が形としてそろうこととは、別の次元の基準を持っているのだと思う。それが「理由」なのだ。

はじめ、私にはこの「理由が見える」ということがどういうことなのかまったくわからなかった。黒沢氏が「今のは理由が見えませんでした」「今度は理由が見えました」と言っても、その2つの動きの違いがわからなかった。稽古が終ったあと、どうして動きの違いを見分けられるのかが気になり、「黒沢さんは何度も同じ動きを見ていらっしゃるのに、毎回毎回新鮮な目で動きを見られるものですか? 私には難しかったです」と質問した。同行されていた首くくり栲象氏が、「それは大崎君がこの作品を作っているからではなくて、黒沢美香が作っているからなんだよ」と言われた。あとから、そうかと思った。基準は私の中にあるのではなく、黒沢氏の中にあるのだ。

筆: 大崎晃伸
≪後編につづく≫



押し迫る年末と巡回公演。目前リハーサル


クリスマス25日と今日26日は、1月からの巡回公演を目前に、Aプログラムのリハーサルを4本行っています。初演のAプログラム3作品と、再演作品。
メインの目的は、舞台演出の打ち合わせのため、照明デザイン、音響、舞台スタッフとの打ち合わせです。舞台スタッフ3名と、各作品チームのスタッフ、そして報告するぜ!!の取材2名、東京制作協力者など一同に会すると大所帯。いよいよ巡回公演開始となる臨場感が伝わってくる。いやー幕があくまで2週間余り!

昨日25日はまず余越保子作品リハを横浜の急な坂スタジオで。余越さんはNYベース、双子ダンサーも一人はヨーロッパ、一人は大阪なので皆でウィークリー住まい。1か月間、急な坂スタジオを借りてリハーサルを重ねている。
その後、森下スタジオに移動して黒沢美香チーム。1か月前、鳥取でのレジデンス以来だ。
26日は、2年ぶりの再演村山華子チームと、初作品制作の森田淑子チームをみる。

報告するぜ!!の取材記事、黒沢美香の巻「忘却」そして「地に足がついた幸福感」
もupされました!

新作をつくって、巡回公演で上演する。これぞ「踊2」の醍醐味です。



余越保子「ZERO ONE」メンバー座談会 [Aダンスプロダクション]

余越保子作品「ZERO ONE」ダンス・イン・レジデンス@鳥の劇場
11/10から約2週間、広島で振付家・余越保子さん、ダンサー・福岡まな実、さわ実さんの3名で主に踊りのパートをつくるクリエイションを行った後、11/24鳥取に移動し、映像担当の崟利子さんと合流。ここから2週間、鳥の劇場でダンス・イン・レジデンスを開始。翌日、初めて行うという通し稽古を見学させてもらいました。通し稽古後、なんとなく始まった余越チームメンバーとの会話をレポートします。

(テープ起こし/編集:水野立子/2013年11月25日 鳥の劇場スタジオにて)

「今回は、二人がいたからこそ始まったこと。」

水野:余越さんにとって長期の制作としては初めて日本人とだけ、しかも双子のダンサーと作品制作を行うということですが、今まで20年近いキャリアの中で、今回は何か違うことってあるの?

余越:画期的に違うのは、ダンサー在りき、ということ。私の“ある世界”にキャスティングで選んで入ってきてくださいという、最初にアイデアがあったわけじゃなく、今回は、二人がいたからこそ始まったこと。しかも、単に双子だからというのではなく、双子のダンサーは世界にたくさんいるけど、この二人限定。二人は各々、ダンサーとしてさらされてきた眼、訓練が違うということ。二人とも10年間違う国で、違う文化で、違う人間のもとに訓練され、その価値観を一生懸命入れて自分を仕込んで、そこから蓄積され、影響されてきた。それと、幼いころから培われてきた双子という、同じお母さんから生まれたという信頼性が、微妙に関係してくる。
ある時はパンッとがっつり合致し、ある時はぜんぜん違うものに分かれたり。それが訓練なのか、文化なのかわからないけど、その両方がせめぎ合って舞台にでてくる。

崟:ダンスの質っていうか、何か違うんですよ。同じダンスの質だったらピタッと合うだけだけど、その違いが微妙に、双子だけど個人が出ているからおもしろいと思いました。

水野:当の二人は、そういうの意識してるのですか?

(同時に答える)
福岡まな実:してないけど、
福岡さわ実:ぜんぜんしてない。

(また同時に答える)
まな実:お互いカチンと来ているのを知っているので、
さわ実:むかついているので! 

余越:(うなずき笑う)
さわ実:裸でポロッと出てしまう。すごく近すぎて、人が見ているのも忘れて出てしまう。今も(通し稽古のとき)出ましたし。

水野:他のダンサーと、他人と踊るときは出ない?

さわ実:出ない、出ない。

余越:喧嘩になるとイーブン(引き分け)なんですよ。兄弟喧嘩だと、お姉ちゃん、あるいは、お兄ちゃんが負かす、とか、弟が勝つとか、ありますがこの二人はそういうのがない。イーブンなのね、いつも。力関係が同等。バトルけど、どっちが上、下というのがない。永遠と1時間半、ずっとやってる。

水野:じゃあ、両方、譲らない?

余越:絶対、譲らない!譲らないけど仲がいい。がーーっと言い合って、そのあとすぐ 「ねっ!」みたいな。(笑)

水野:(笑)いまの通しの中で、その二人の踊りをめぐるバトルの様子が録音されたのが流れたのは、すごくおもしろかった。「あんたが意固地だから」というバトルは最終的にどうなったの?

(また同時に!)
さわ実:それぞれが、そうか、って感じですかね。
まな実:相手の言い分はわかった、みたいな。

水野:なるほど、どこまでもイーブンな解決。

さわ実:今日の通し稽古で、さっきの会話聞いてまた、(むかつきが)盛り返してきた。

まな実:(さわ実が振りを)やってくれへんから!

”さらされてきたものが違うからだ”

水野:どこがちがうの?

さわ実:動きを教え合うときに、覚え方の違いっていうか。教え合って振付けを学び合うプロセスが違った。

まな実:この人がやってくれればいいのに、ってやっぱり思う。こうやるだけやん(手のひらを広げて回す)っていう。

余越:納得の仕方が違うのね。
崟:それぐらい聞いてくれたらいいのに、っていうね。

まな実:そう。

さわ実:えへへ。

余越:お互い「それぐらい」がちょっとだけ違うのね。だから、揃えて踊るユニゾンが難しい。

水野:今はユニゾンないもんね。

全員:あるある!(笑)

余越:どうしても合わないね。間が違うからね。

まな実:それは私がもうちょっとね、やらないとね。

さわ実:そういうユニゾンは私のほうが慣れていると思う。

余越:カンパニーでは、自分の動きをはしょってでも、ユニゾンというものを求められたら、合わせないといけないからね。

さわ実:私も向こうにいったら、どうみても日本人。向こうの人とやると全然違う。舞踏してんの?みたいにみられる。

余越:西洋の人のほうが譲らないというか、不器用なことが多いから、日本人のほうが合わす側、努力して器用に揃えさせられるという。そういう差が、“さらされる”というところで、二人の違いになっている。

水野:二人は別々にダンスの修行をして10年ですか? さわ実さんは、西洋でコンテンポラリー(ダンス)ベース、まな実さんは日本で舞踏ベース、ということになるのかな?

余越:そうでもない、そんなにパキっと分かれているわけじゃないですねえ。さわ実ちゃんは、オランダのエミオ・グレコのカンパニーで活動してたけど、コンテンポラリーだけの身体性だけではないし、まな実ちゃんも同じく舞踏だけじゃない。だから、もっとボヤ〜ン、とした感じ。
   ただ“さらされた”てきたものが違う。

映像作品「Hangman Takuzo」と双子ダンスの関係ーゼロと1ということ。

水野:ところで、いつもどういう風に振りをひきだすの?

さわ実:お題をもらって自分たちで振りをだしていきます。

余越:わたしがこうやりなさい、というのはないですね。自分が振付する場合もあるけど、昨今はダンサーから出すことが多い。プランしない。行って様子みて、今日の調子はこうだな、、とか、ダンサーと一緒に呼吸しながら前に進むというほうが、自然に作品をつめていてくことになると学んだから。昔はもっとプランして先に決めていたけど、それだと限りがあるかな、と思うようになりましたね。

水野:この作品「ZERO ONE」と、双子のダンサーの関係はどういうところなんだろう?

余越:「ZERO ONE」というタイトルは、 一緒だけど違う、みたいな。いるけどいない。

水野:双子は、裏テーマになってるんですね。

余越:そうですね。me and other みたいな。

水野:それと、余越さんの映像作品「Hangman Takuzo」(注:映画は未発表です)の一部がこの作品に入ってくるわけですけど、出演の首くくり栲象さんと、黒沢美香さんとのかかわりも気になりますね。
     ※「Hangman Takuzo」 THE BROOKLYN RAIL (JUL-AUG 2011)
http://www.brooklynrail.org/2011/07/dance/hangman-takuzo

余越:栲さんや美香さんが、舞台に立つ、ダンスする時の自己との闘いというか、自己の在り方、セルフとは何ぞや、という、だから、二人の接点が惹かれあうのかもしれない。ゼロにするのか、1にもっていくのか、1にするためにゼロにしなくてはいけない、という永遠の問いですね。まさに舞台に立つからだの在り方というか。そのことと、この双子のダンスがコンセプトになっています。うまく言葉で全部説明できたら、ダンスなんて作らなくていいんですが。言葉でダンスの説明は難しいー

水野:観た人がストンとくるようになればいいですねえ。まだ映像ともこれからですしね、鳥取のレジデンスでいろいろ見えてくると思います。この後、12/7に鳥の劇場で途中経過のショーイングですね。12月の末に横浜で、インタビューをさせてください。楽しみにしています。



黒沢美香インタビュー[Aダンスプロダクション](vol.1)

11月22日まで約1週間、Aプログラム黒沢美香「渚の風<聞こえる編>」のダンス・イン・レジデンスを鳥の劇場で行った。その最終日、途中経過発表を行った後、劇場が開いていただいた交流会開始前のほんの20分足らずの時間、黒沢さんにお話しを伺った。このあと3月の公演まで何回か続けていく予定です。
<2013/11/22 鳥の劇場にて 聞き手・テープ起こし・編集:水野立子>

>>ミカヅキ会議と黒沢さんの出会い

― 黒沢さんにとってミカヅキ会議の一番、魅力的なところはどういうところなのか、お聞きしたいです。というのは、黒沢さんはいままで、美香&ダンサーズなど、たくさんのダンサーのからだと出会ってきていらっしゃると思いますが、その中でもこのミカヅキ会議の皆さんとは、もう4年ほど継続されているのはどうしてなんでしょうか?

なんかね、活発なんですよ。特別なのかもしれないです。彼らはフットワーク軽く、いろんなことをどんどんやるんですよ、巾広く調査したり研究したり。学生さんは、毎日、学びいろいろなことを教えてもらっているでしょ。でも、意外に学生より先生たちのほうが、活発で果敢な体の動きや、興味の対象が柔軟なんだなと、感じたんです。それで、学生さんではなく、先生の群舞をつくりたいな、とずっと思いえが描いていたんです。

―彼らのからだの素晴らしいところを引き出したい、皆にみせたいという気持ちがずっとあった、ということなんでしょうか?

そうです、あります。ダンサーがダンスを踊るダンスではなくて、ダンスの間口をいろんな角度にもっていきたいと思うんです。ダンスというものは、いじめられて、鍛えられて、ゆさぶったりして強くなっていくと思うんです。そのためには、いろんな人のからだが、踊ろうとする機会を持ちたいと思うんです。私自身は、超ダンスが上手い人、ダンスをビシバシやっていました、というのも素敵だなと思うけれども、よじれているもの、歪んでいるものに惹かれるんですね。20代の時から、ダンスをしていない人のからだというのが、好きなんです。初めて自分の公演を持った時が、20代でしたが、その時からダンサーじゃない人を多く入れていたんですよ。

―アメリカに行かれて、帰ってきたあとですか?

そうです。ダンスをやったことがない人の未知なからだというか、肘がどちらに向くかわからないという、そういう人のからだが動こうとするときの唯一感というのかな、そういうことに惹かれます。

>>ダンスはダンサーのものとはかぎらない。生贄になるからだ。

―そうすると、その経験がない人たちが、だんだん動けるように、スムーズになってしまったら、どうするんですか?

それが、なかなかそう簡単にはならないみたいですね。

―そうですか、まあそうですね。1週間に1回じゃ難しいですね。

いえいえ、私たちは月に1回なんですよ。だからかもしれないですが、ならないんです。

―なるほど、そう簡単じゃないですね。演出家として、一般的な概念でいう、いわゆる踊れるダンスじゃないミカヅキ会議のダンスをどう見せたいか、というところと、ダンサーである彼ら自身の意識は同じなんでしょうか?

ダンスがダンサーのものではないというのが、まずひとつあります。誰のからだにもダンスが起こるという事をみてもらいたい、というのがあります。だから、それのために、なんというんですか、火あぶりじゃなくて、なんでしたっけ・・・(笑) 生贄。

―捧げるということですか?

いえいえ、捧げないんですけどね。これいっちゃうと誤解が出るけど「犠牲。」ダンスのために、ダンサーが踊らなくたって、ダンスというものは成り立つんだ、という問い。ダンスはいったい、どこに立ちあがってくるんだろう、誰に立ちあがってくるんだろう、という問いを彼らが引き受けることになります。

―それは彼らとの共通認識なんですか?

そういう話はしてないですが、でも、ミカヅキ会議だって、ダンサーには負けたくない、っていうのがあるんじゃないですか?いまさら上手くならないですよ。でも、上手いか、下手かがダンサーの価値じゃないから。

―彼らの何をみせたいのか、という意識はどこに持っているのだろうというのに興味があります。美香さんがもちろん、お持ちなのは、わかるのですが、彼らにはどういう考えがあるのだろうか、という問いです。

ひとつには、身体表現に対する興奮があるんじゃないですか。機械で代わりにすごいことができるわけじゃなく、等身大でしかないじゃないですかダンスは。特に前野さんはロボット研究の第一人者だから。でもいまはダンスは自分の関節でやるしかないわけだから、その手ごたえ、手触りの興奮があるんだと思いますよ。だから、誰からもまたやってください、と求められているわけじゃないのに、続けることができたし、関係が続いているんだと思います。
いつか誰かにほかの人に目撃してもらえるという、淡い期待を持っていました。

>>自分たちのダンスは”売り物”になるのか?

―ミカヅキ会議の皆さんは、普段は大学の教授として教鞭をとっている職業をお持ちだから、今回、自分たちの知らない土地での公演に出演するというのは、初めての経験だと思うのですが、自分たちのダンスが“売り物”になるということの意識、お客さんがチケットを買って見に来るということについては、どう思っているのでしょうか?

むしろそのことは敏感だと思いますよ。常に講演やワークショップを行っているわけだから、お客さんがその時間をつくってくれたこと自体が貴重なわけで、プラスお金を払って見にきてくれるということは、ダンサーより強い自覚がある。

ー なるほど。皆さんが自分たちのダンスのどこが売り物になる、と自分で思っているのかに興味があります。黒沢美香まかせじゃ成立しないですからね。

もちろんです。それだとダンスが立たないから、そんなんでは。

―黒沢美香さんの思惑と、本人自身がどう向き合うのかという、その構造に興味があります。先ほどおっしゃった
こぼれたダンス、ゆがんだダンスのカヅキ会議がおもしろいというのはわかるけど、ダンサーが自覚的にやらないとたぶんと成立しないところがあるのでは?そこの関係性はどうなっているのでしょうか?

何もかも一致していると思わないですし、話したこともないですが、むしろ、ダンサーより上手く踊ろうと思っていると思います。ダンスが上手いとか下手とかいう物差をひっくり返したいという、そうという気持ちがあると思います。

―これがダンスなんだ、という意識があるということですか?

そうですね。そういう意識がきっとあるはずですよ。

―なるほど、わかりました。皆さんと話してみたいと思います。

是非、聞いてみてください!



隅地茉歩インタビュー[Bリージョナルダンス:札幌]

日頃から全国を飛びまわり、各地の身体に出会う機会の多い隅地茉歩さん。札幌の出演者を募るうえで掲げた「ダンス経験5年以上」という条件の理由。セレノグラフィカとしての活動そのものが土台となる新作『Avecアヴェク~とともに』のねらいとは。2日間のワークショップ・オーディションを終え、翌日からのクリエイションを控えた隅地さんに、今回目指している作品制作や出演者についてお話をうかがいました。

日時:2013年11月7日
場所:札幌市琴似
聞き手:プログラム・ディレクター 水野立子

―セレノグラフィカとしての活動のなかで

— 今回の「Avec アヴェク~とともに」という作品のアイデアというか、こういう事をやりたい、というのはいつ頃から考えていたんですか?
今年の初夏ぐらいからですね。「踊りに行くぜ!!」Ⅱに応募するにあたってどういうプランの作品をつくろうかなということを考えていました。

— 今、何作品目でしたっけ?数えた事ないですよね?
数えた事はないですけど、デュエットだけで数えても、まあ、ずっとデュエットで活動していますから、かなりの数つくってると思いますね。30とか、40とか。もっと超えているかもしれないです。

— ほとんどの場合は、隅地さんと阿比留さんが出演してるんですか?
これまでに数回、他のダンサーに振付けていますね。それは私たちが過去に踊ったものを、新しいダンサーが踊ってくれるという事でちょっとリメイクして。だからやっぱり私たちがつくって、自分たちで踊ってきた、という数が圧倒的に多いですね。

— となると、ちょっと今回は最初の入口から違いますね。
そうですね。しかも、どういうダンサーかという事を私があらかじめ分かっていて、ということではないので。その体験というのは、まあ初めてに近いです。

— そういう意味でいうと、セレノグラフィカは、地域・コミュニティの人に「ダンスを広める」というダンスの仕事がおそらく日本で1番多いと言ってよいほどのグループですよね。今回の「踊2」でのBプログラムと目的は違うけれども、今現在、年間を通してそういった仕事というのは7割ぐらいですか?
7割までいっているかな。でも、半分は超えてますよね。やっぱり初めて踊る方とか、これからダンスを知っていこうという方に、広めていくとか伝えていくという仕事は本当に多いので。まあそれは教育機関のアウトリーチ等も含めると、7割はいくでしょうね。ツアーで実際に遠征に出ている日数の比率とかで考えても、公演で踊るために行っているというのと、ワークショップとかアウトリーチを目的とした活動は比率的にも、やっぱり半分を超えてますからね。

— 1~2週間くらいかけて地域の人とつくるんですか?もっと長いですか?
いやいや、そんなに長いってことはないですよ。

— そこで向き合う人たちと一緒に作品をつくる、ということは大体1週間以内?
そうですね。長くて1週間ぐらいかな。ですので、今回はすごく長いと言えます。

— 今回のこの「踊2」AもBプログラムも共通して『作品をつくって下さい』というものだけれども、Bプログラムは初めて会う人とつくる、つまり隅地さんのことも知らない、セレノグラフィカのことも知らない、という人たちに自分のやりたい世界観を踊ってもらうという意味においては、「踊2」以外に既に経験があるほうですよね、すごく。
まあ、そうですね。

— その隅地さんが、今回特にこのBプログラムでやる、というのは、どこが違うんですか?
まず地域に滞在したりして、コミュニティの仕事をする時ってやっぱり、その良し悪しは別として、ダンス経験の浅い人とか初めての人というのが圧倒的に多いんですよね。でも今回私は“5年以上”活動しているダンサー或いは過去にダンス経験のある人という事を特に希望したんですよね。それのきっかけになった事というのをちょっとだけお話しても良いですか?

— はい、もちろん。
今年の1月に、それは地域創造の仕事だったんですけど北広島市(札幌)に行って、そこで毎晩平日にワークショップをして、最終的にそこでの公演に15分程出演していただくという事をしたんですけど、それがたまたま、ダンス経験のある人たちばっかりだったという、地域に滞在してそういう一般ワークショップに来てくださった方との作品づくりをする、というお顔ぶれの中では非常に珍しいケースだったんですよね。
それで、何も技術至上主義ということではないんだけれども、選択肢がすごく広がったんです 。作品づくりをする時にできることの。それが私にとってやっぱり発見であったし、喜びでもあったので、そういう事をもっと突き詰めてみたい!と思ったんです。その時はほとんどがバレエダンサーでしたね。

— それは偶然にですか?
偶然ですね。募集要項は「誰でも良い」としていたんですが、その時も、今回私がこのBプログラムに参加させていただくにあたって出した条件の「5年以上」というのを、ほぼ全員の方がクリアされていたと思うんですよね。たまたま。

— それでワークをやってみると、今までと違うものを感じた?
違うものを感じて、どっちが良くてどっちが悪い、という事ではないんですけど、ダンス経験がある人たちとの仕事もやってみたい、とすごく思いました。

— 静岡のセレノコンパーニョっていうのは、セレノグラフィカの振付作品を踊る、というコミュニティからできたダンスグループですね、彼らは違うの?
あの人たちは、多少メンバーが入れ替わり新陳代謝もあるんですけど、一人小さい頃からバレエをやっていたという女の子が在籍していたこともあります。大人になってから受けたW.S.でダンスと出会った人の方が多くて、昼間はお勤めで、夜に稽古に来る、ということをしています。そのことの良さももちろんあります。

— ということはその北広島でのことはまた全然違うケースとして触発されて、その中から今回ダンス経験のある人と一緒にやってみたいという発想につながったわけですね?
そうですね、ダンス経験者とやってみたいという事が浮かびました。なぜかというと、つくり手側と踊り手側でその持っているダンス感のようなものも交換できるんじゃないかなと思ったんですね。そういう事もお互いにすごく触発し合えるし。あとは、その人の出演するダンスを見てきている人たちに対して、その人たちが新しいダンスをするのを見てもらえるなーという事も思いましたね。

―男と女が1組になって踊るということ

—今回の「Avec」の作品の中身とかコメントとかを拝見すると、ある程度の年輪がある隅地さんだから考えられるテーマだな、という気もしたんですよ。ちなみに隅地さんは、もう作品つくって何年でしたっけ?30年ですか?
いやいや、そんななってないですよ(笑)私はまだカンパニー結成から16年ぐらいですからね。カンパニーを結成するまでは自分はダンサーとしてしか活動をしてなかったので、作品づくり歴っていうと、カンパニーの結成と全く同じ年数です。

— 今回の作品は阿比留さんと16年一緒にやってきたということ、その事がやはり大きな要素にもなってるんですよね?
そうですね。やっぱり活動体験の主軸がデュエットだったという事もあるので。なんかある時、ふと思ったんですよ。ダンスってどんなジャンルでも、バレエのパ・ド・ドゥでもそうだし、アイスダンスでも社交ダンスでもそうだし、男の人と女の人が一組になって踊るという形態っていうんですか、それがわりとどんなジャンルにもまたがって存在しているなーと。そしてそれは何なんだろう、と。自分にとっては、男一人 女一人で結成してやってきたので、デュエットで踊るということは私にとってはもう「既にあるもの」「そういう風にしてつくるもの」として存在していたんですけど、16年経ってそれをもう一回新しく、自分の知らない踊り手と「デュエットを踊るというのはどういうことなのかな?」と。ソロで踊るという事の次に1番小さな単位ですよね。まあそれは、よく言われていることですが。
デュエットという形態自体、そのこと自体を考察したいという熱というか、願いはありますね。実際つくる事を通して、踊ってくれている人の身体を見て考え直したいですね。もしかしたら、そういう人たちが踊ってくださる姿を見て、自分自身が「こう踊ってみたい!」という発見があるかもしれない、と思っているんですよ。そうすると今後、阿比留と私がつくるデュエット自体が変化する、という事もあるんじゃないかなと予感しています。

―「方言の身体」札幌には札幌の身体性がある

— 今回、セレノグラフィカとしてAプログラムに応募するのではなく、Bプログラムを選ばれた理由は何ですか?
Bプログラムを選んだ理由というのはあるんですよ。Bプログラムで作品創作をするということの方が、自分が創作しているいつものやり方というのを激変させられるんじゃないかと思ったんですよね。地域での作業の方が、これも誤解を招く発言になってしまうかもしれないんですけれど、一過性のものとして捉えられにくいんじゃないかという気がするんです。私は、ですけど。

— それってどういうことですか?
えっとね、お互いの印象形成の事なんですけど。私は彼女たちをよく知らないし。そして今回だったら札幌の人たちは関西じゃないから私たちが普段どういう活動をしていて、どういうことを喋ったり踊ったりしているかをご存知ない方も圧倒的に多いし。ということはお互いの印象形成がなく、つまり「セレノがこういう事するんだったら、おそらくこういう事よね」というような、あるぼんやりしたものであったとしても着地点の予想って多分たっていないと思うんですよ。出てくれる人にとっても。私たちも全く予想できないですよね。それに、地域滞在をさせて頂く方が、すごく集中して取り組めるんじゃないかと私が思ったということがまず一つあるんですよね。だから、作業自体がすごく純度の高いものになるんじゃないかと。

— それはどちらかというと隅地さんが、という事ですか?
私が、創作をするにあたってです。

— でもそこにはデメリットというか、リスクもありますよね?
もちろんありますね。だけど自分自身の振付家としての興味の中に、これも説明が必要なんですけど、『方言の身体』というんですかね。言葉がその地域ごとによって違うように、私は身体性というのもここ数年ずっと色んな地域に滞在させて頂いて仕事をするようになってから肌で感じている事なんですけど、地域によってやっぱり身体性が違うんですよね。子供の身体つきだって全然、子供の反応も違うし。そしてそういう事がおそらく子供だけじゃなくてもあるはずだと思っていて。そういうダンスにまつわる情報とか経験値のようなものがうんと高いとか、溢れている場所じゃないところにいる人の、身体の強度、とか起爆力みたいなものを引き出す仕事というのをやってみたい、と思ったんです。

— そういう事と『方言』というのはどうかかわりがあるんでしょうか?
つまりダンスをとっても、日本全国均一な標準語というのを話されていることはないだろう、と思ったわけですよね。だから札幌には札幌のダンスがあり、札幌には札幌のダンサーの身体性があり、という、そことかかわりたいと思ったわけです。

— それってすごく、専門的な探し物ですね。
まあ、そうですかねー。

— 例えばクラシックバレエとかモダンダンスとか日本舞踊って、別に札幌だろうが東京だろうが、やっぱりそれって変えちゃいけないものなんでしょう、きっと。イギリスと日本ではクラシックバレエが違うとか、そういうものじゃないですよね?
そう、違いますよ。その人たちがやっているクラシックバレエとかモダンダンスというのは当然、そんな大幅に勝手に変えたらいけないものだと思うんですけど、その“受容の仕方”というのは、地域によって絶対違うと思うんです。つまりクラシックバレエとかモダンダンスっていう、ある決まったメソッドをどういう風に受け取って、どういう風に自分の身体の中に入れて活かしていくのかというのは、その土地、土地の郷土料理が違うように、味付け方というのかな、食べ方というのかな。それが違うような気がするんですよ。それはあっちこっちに行って、色んな地域の身体を見るようになってから私が思ったことで、関西でしか活動していなかった頃には一切発想もしなかったことなんですよ。

— それを具体的に何かで感じたことはありますか?
同じワークをあるシンプルなルールでやっても、そのことに対する反応が違っていたりしますね。遅い早いとかいうような、単純なことも含めて。

— それって地域性になるのかな?
それが地域性だけだ、という風には特定できないと思いますけどね。だけど、どこに行ってもダンスが均一なものとしてつくり手が考えたり、扱ったりするという事に対して私は危険じゃないかと思うのです。そこの部分に対して、デリケートな視線や感覚が必要なんじゃないかなと。そうじゃないと地域滞在して仕事をする時に、私のやりたい事ってもちろん大事ですし、作家なので全責任をおいますし。なんだけども、私のやりたい事だけを一方的に押し付ける事になる、という考え方がやっぱり自分としてはどうなんだろうかと。
私のやりたい事が、この地域のこの人たちの身体にはどういう風に入っていくんだろう?という、そこにも興味があるんですよね。だから入っていき方によっては少し入れ方を変えたり、もっとこの事ではなくてこっちの方がいいかも、というような事を色々考えてやっていきたい。それを滞在してやる事によってものすごく集中してその作業ができるだろうと思っています。自分の家から通えるところでしているよりも、今回みたいに札幌に3回滞在して、がっつりその人たちと一緒の土地に泊まって、似たような物を食べて、という事がすごくいいなと思ってる。自分にとってやりたい事だったんですね。

―2日間のWSオーディションを終えて

— 実際にオーディションを2日間やってみてどうでしたか?手ごたえやインスピレーション、この人とやってみたい、というような事はありましたか?
そうですね。最初の日は繊細さだとか素直さとか、そもそもの身体のきめの細かさだったり粗さだったりを見せてもらったんですけれど、2日目には自分自身で考えてきてもらったソロダンスを見て、私は「あーやっぱり勘の悪い人って一人もいないんだな」って思ったんですね。それに感激しました。やっぱりその人それぞれに、ダンスと付き合う時間をちゃんと重ねてきた人たちが集まって下さったんだな、とすごく嬉しく思いました。
「あ、これは!」と思ったのは、中学生と高校生の若い人たちが興味をもって来てくれて、あれだけ堂々と自分の踊りを見せてくれたという事には、すごく心動かされましたね。今回は創作のスタート地点に、自分たちのレパートリーとして持っている5分間の短いソロを、世代の違うそれぞれの男女のペアに踊ってもらうというところからスタートしようと思っていたのですが、それをもう既にオーディションの時点で取っ掛かりまで行けたので。早いですよね。

— そうですね。1日目に出した宿題を見ても、皆さん、ちゃんと形にしてきたもんね。
形にね。だってあれって、前の晩の22時ぐらいに言って、次の日にはお勤めがあったり学校に行ったりしていて、1日中時間をリハーサルに使えたわけではないだろうなと思うとすごいです。

— 3つのルールのある宿題って何でしたっけ?
あれもね、限定付けてよかったなと思うんですけど。ストライドといって全体を大きく左右を使って移動するという事が1点と、私がつくった短い振付を使うというのと、スタンディングで即興してもらい自分が立った地点から動かずに何かを表現するという、その3点を入れてくださいという風にお願いしました。あのオーダーは出してよかったと思っています。完全にフリーで、という事ではなくて。

— その3つを組み合わせてきたけど、皆さん達者でしたね。
達者でしたね!!皆、音楽をよく聴いているなと思いました。もうその中には、音を身体の中に通すということを知っている人もいるし、この決まっているモティーフでも、1番が終わって2番が始まって初めて座ったかたちで踊ってみるという事をしてくれた人がいて。ちょっとこちらが唸り声をあげたくなるような瞬間がいくつもいくつもありましたね。

— 今回の「Avec」という作品では、振付は1から10まで隅地さんがするんですか?それとも今回のオーディションみたいに、課題を与えて自分で振付するという部分もあるんですか?
そういう部分もつくろうと思ってます。それでその人が持っているバックグラウンドというか、その人の踊りの現在そのものですよね、そういうものがちゃんと振付に入っている方が良いと思いますね。私が「こういう風に動いてくれないと嫌なんです」という事が全部というのではなくて。洋服が増えるというか。自分は普段こういうものを着ているけれども、これが好きで、身体にも馴染んでいるのだけれども、今まで自分が着たこともなかったこういうものを羽織ってみた時に、結構これはこれで気に入るもので、次どこかに出掛ける時には着てみよう、と思ってもらえるような“お気に入りの洋服”を増やしてもらえたらなと思うんです。ちょっと比喩的で恐縮なんですけど。ダンサーにとってはそういった体験にしてもらいたいなと思います。
だから、彼ら彼女らがこれまでやってきた事を否定はしないんです。そこにある種の狭さがあったり、硬さがあったり。それはもちろん鍛錬の中で様式を体現していること。だけれども 別のことを知ることによって同じ事を踊っても、これまでやってきた事と同じことを仮にバレエなりをしたとしても、ガラッと変わるといった体験になるようにしたいですね。せっかくするんですから、そこは目指しています。

―「Avec アヴェク~とともに」の狙い

— 今回の世界観というか作品性として、どういったものをお客さんに渡したいと思いますか?
作品性としては、「男と女が踊る」という事に対して持っているある種のイメージ、男女のペアであったり、つがいであったりという事があると思うんですけど、その身体そのものを変えてしまうわけにはいかないですが、男と女が一緒に踊るという事が「こんな風に見えるんだろうか!」「あんな風に見えるんだろうか!」という驚きを持ってほしい。というのと、「一体どういう二人組?」と簡単にはその関係性が認識できないような、「あ、この二人はこういうような二人組で、こういうような関係性なのね。オッケーオッケー。」という風にならないようにしたいですね。そういうのを、ちょっと複雑に組み合わせてみたいと思っているので。だから最初はこの人とこの人がペアかな、とスタートした事がどんどん変わっていって、作品の終盤にはあるペアが出てきても、最初に持ったイメージと全く変わってしまうという事を作業としてやっていきたいと思っています。あまり関係性は固定せずに、その辺は組み合わせて細切れというか、複雑にしてみたいなと思います。
今回出演者を募集するにあたって、これは私が常々願っていることではあるんですけど、なかなか踊り手が長い期間同じものを踊り継いでゆくとか、何十回、何百回と踊るという事はあまりないので、その人にとって何かの時に「これを踊ります」と言えるようなレパートリーになれば良いと思うんです。それと、見る人から「あれはまた見たい」とリクエストがかかるようなものになってほしいですね。
というのは何となく作品って、新作でやって、もちろん何回か上演もその後経る事が出来るって言ったらそれはすごくラッキーな事だと、実際この世界に住んでいて思うんですけど。そういう事がもっと増えれば良いだろうなーと思っていて、それの為にはあんまりフルレングスで用意が大変なものではなくて、ちょっとコンパクトになっていて、作品の中からデュエットの部分だけ、そこのユニットだけ抜き出して、ちょっとどこかで踊れるというような、そういう事も狙いとしてはあります。

— お話を伺っていると、隅地さんというよりダンサー寄りな目線は結構ありますね。
そうですね。やっぱりこうやってオーディションをして、そこに興味を持って来てもらって、実際対面してお話して踊りも見せてもらって「この人を作品のパートナーにしよう」と決めるわけですから。その人と創作の期間が終わってもね、どういう付き合いが出来るのかとか。その人に対してどういう影響を残せるのかという事には責任があると思っていて、そういう事を考えていますね。

— この「Avec」という作品についてのコメントを読むと、人生観というか、色々な人の生き様というか、見た人が自分のことをふと考えてしまうというような、作品になるのかなという感じがしましたが。
それはそうしてほしいです。

— そういう意味では、今回若い子達が出ますよね。そこをどう見せるのかというところに興味がありますね。自分の過去を辿るともちろん中学生だった頃もあって、でもその子たちには未来でもあるわけだしね。
そうですね。まだだいぶ若いですからね。子供がいたとしたら、自分の子供よりも若いですよね。孫とまではいかないですけどね。

— そういう年代の人たちとは、制作を普段からやってますか?
私はあの年代の特定の人に振付ける、というのは初めてです。多人数いて、こういう事をやってみましょうとか、ワークショップの成果公演みたいなのはもちろんありますけど。でもこの子とこの子、と決めている子に対して時間をかけて向き合って、というのは初めてです。だからすごく楽しみですね。自分自身が変わるだろうなっていう予感はしています。

— なるほど、お話しを伺っていると、この作品制作をとおして、振付家本人の隅地さんにとって、たくさんの期待があるようですね。ありがとうございました。明日からの制作が楽しみですね。



Aプログラム2つのダンス・イン・レジデンス@鳥の劇場


鳥取市鹿野町の鳥の劇場で、11月に行ったAプログラムのダンス・イン・レジデンスの様子をお知らせします。今年からAプログラムに、新人(AⅠ)とキャリア(AⅡ)の2つの枠を設けました。

この鳥の劇場では、1月の巡回公演でAⅡの作品を2つ上演します。今回その2作品のレジデンスを行いました。このサイトの<photo/movie>に写真をUPしたのでご覧ください。

黒沢作品「渚の風<聞こえる編>」が、1週間のレジデンスを終え11/22最終日に途中経過発表を行い、11/24から入れ替わりに、余越作品「ZERO ONE」のメンバーが劇場入りしました。

黒沢さんと余越さん、別々にお話しを伺いましたが、奇しくもというか必然というか、共通した言葉を聞くことができました。”ダンスが立ち上がるということ” ”舞台に立つ時の自己の在り方”ー必然のダンスーについて向き合おうとすること。

「ダンスはダンサーだけのものではない」と明言する黒沢さんの作品には、その意識をもって臨んでいるというミカヅキ会議の3人が出演する。3名とも普段は大学で教べんをとる大学教授。いわゆるダンサーではないし、ダンサーを職業として生きていこうとしている人たちではない。しかし、「所詮、大学教授の酔狂だろう」というご多分事で終わらせはしまい。ごまかしが通用しない容赦ない黒沢さんの目を潜り抜け、ごまかしのないダンスを踊ってみせるしかないのだから。そうでないとダンスが見えない。

かたや、余越作品は双子姉妹ダンサーが出演する。一人は日本で、もう一人はヨーロッパでカンパニーメンバーとして、別々にダンス修行を10年以上重ねてきたキャリアを持つ。むろん、ダンサーを糧にして生きてきた。その二人が今回がなんと初共演となるそうだ。ダンスを覚えたり理解する方法に共通するものがない故、その軋轢が起きる。しかも、他人じゃなくて、双子だから距離がなく遠慮がない。それが緊張感を生み出しているようでおもしろい。

今回の作品は、「Hangman Takuzo」 余越保子監督作品 [THE BROOKLYN RAIL (JUL-AUG 2011)]という映画と、この双子の生身のダンスの2つのパートから成り立つ。映画には、黒沢美香、首くくり栲象、川村浪子が映像出演している。いわゆる超前衛アングラ芸術世代だ。

黒沢、余越2つの作品のアプローチはまったく違うけれど、だからこそよけいに見えてくるダンスとは何ぞや、という本質を求める問があるようで、この鳥取公演に目が離せないのは確かだ。

これから、12月までAプロ新作3つ、再演作品3つは、猛烈な追い込みリハーサルを重ね1月からの巡回公演に向かい中。

あーもう1月かーということになるんだろうなあ。12月というのはなぜこうも走る月なのだろう。(記:みずの)



札幌Bプログラムも始動しました!

11月5日(火)・6日(水)の2日間、いまにも雪がちらつきそうな札幌で、Bプログラム隅地茉歩作品『Avec アヴェク~とともに』 出演者オーディションが行われました。「ダンス経験5年以上」という応募条件の中、中学生~40代までの参加者が集まり、やや緊張感の漂う中、隅地茉歩さんとアシスタントの阿比留修一さんによるワークショップが始まります。

全国各地で数多くのワークショップを経験している隅地さんたちですが、今回いつもと大きく異なるのは、新作『Avec アヴェク~とともに』にとって重要な“素材”となる出演者を選ぶためのワークショップであるということ。繊細でやさしい動きからアップテンポで持久力を要するワークまで、さまざまなメニューが行われた1日目の最後には、隅地さんから参加者へ課題曲が手渡され、ソロダンスをつくるという【プレゼント】が贈られました。翌日、全員がソロダンスを披露。なんと一晩でつくりあげたとは思えない程の完成度!そしてオーディション終盤には、隅地さん・阿比留さんより直接、セレノグラフィカ作品の一部を教わり、実際に男女のペアを組んで踊りました。ペアの組み合わせによって生じる化学反応もまた興味深く、振付の中にある即興ダンスバトルの場面では全員がのびのびと踊っていて、1人1人の個性が光ります。

「まずは彼らに会ってみないと分からない」と話していた隅地さん。札幌で出会ったこの出演者とともに、ここからどのような『Avec アヴェク~とともに』をつくり上げていくのでしょうか。11月8日~さっそくクリエイションが始まっています。次に彼らに会うのは12月の途中経過発表。「男女がペアで踊ること」シンプルだけど奥深いこのテーマにどのように取り組んでゆくのか、益々期待し、注目してゆきたいと思います。(JCDN千代)

隅地茉歩作品『Avec アヴェク~とともに』
https://odori2.jcdn.org/4/artist/b01.html



仙台Bプロ出演者オーディションがおこなわれました。

「踊りに行くぜ!!」Ⅱvol.4 Bプログラム
佐成哲夫作品「夢を見ているわけじゃない」

オーディション
2013年10月27日(日)
せんだい演劇工房10-BOX box-5

2月8日・9日に仙台公演にて上演する佐成哲夫作品「夢を見ているわけじゃない」の出演者オーディションを実施しました。ここで選ばれた人と佐成さんとが、12月~2月の仙台でのダンス・イン・レジデンスを通じて、本番まで約4週間の稽古を行い、作品を作ります。

オーディションに参加した人たちの顔触れは実に多彩で、なんと12歳の中学生も。コンテンポラリーダンスに初挑戦の人もいて、それぞれ戸惑いつつも楽しみながら、参加している様子。オーディションの内容は、「身体の脱力をコントロール」をテーマにワークショップ形式で行われ、普段は意識していない身体の動きや反応から、参加者の個性が見えてきました。それぞれの個性を佐成さんがどのように生かして作品を作っていくのか、期待を持ちながら想像していました。

リアルと夢、曖昧な現実と新鮮な感覚。まだ見ていない夢を、舞台でどのように見せてくれるでしょうか。今後のクリエイションも楽しみです。

筆:北本麻理



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