余越保子作品「ZERO ONE」ダンス・イン・レジデンス@鳥の劇場
11/10から約2週間、広島で振付家・余越保子さん、ダンサー・福岡まな実、さわ実さんの3名で主に踊りのパートをつくるクリエイションを行った後、11/24鳥取に移動し、映像担当の崟利子さんと合流。ここから2週間、鳥の劇場でダンス・イン・レジデンスを開始。翌日、初めて行うという通し稽古を見学させてもらいました。通し稽古後、なんとなく始まった余越チームメンバーとの会話をレポートします。

(テープ起こし/編集:水野立子/2013年11月25日 鳥の劇場スタジオにて)

「今回は、二人がいたからこそ始まったこと。」

水野:余越さんにとって長期の制作としては初めて日本人とだけ、しかも双子のダンサーと作品制作を行うということですが、今まで20年近いキャリアの中で、今回は何か違うことってあるの?

余越:画期的に違うのは、ダンサー在りき、ということ。私の“ある世界”にキャスティングで選んで入ってきてくださいという、最初にアイデアがあったわけじゃなく、今回は、二人がいたからこそ始まったこと。しかも、単に双子だからというのではなく、双子のダンサーは世界にたくさんいるけど、この二人限定。二人は各々、ダンサーとしてさらされてきた眼、訓練が違うということ。二人とも10年間違う国で、違う文化で、違う人間のもとに訓練され、その価値観を一生懸命入れて自分を仕込んで、そこから蓄積され、影響されてきた。それと、幼いころから培われてきた双子という、同じお母さんから生まれたという信頼性が、微妙に関係してくる。
ある時はパンッとがっつり合致し、ある時はぜんぜん違うものに分かれたり。それが訓練なのか、文化なのかわからないけど、その両方がせめぎ合って舞台にでてくる。

崟:ダンスの質っていうか、何か違うんですよ。同じダンスの質だったらピタッと合うだけだけど、その違いが微妙に、双子だけど個人が出ているからおもしろいと思いました。

水野:当の二人は、そういうの意識してるのですか?

(同時に答える)
福岡まな実:してないけど、
福岡さわ実:ぜんぜんしてない。

(また同時に答える)
まな実:お互いカチンと来ているのを知っているので、
さわ実:むかついているので! 

余越:(うなずき笑う)
さわ実:裸でポロッと出てしまう。すごく近すぎて、人が見ているのも忘れて出てしまう。今も(通し稽古のとき)出ましたし。

水野:他のダンサーと、他人と踊るときは出ない?

さわ実:出ない、出ない。

余越:喧嘩になるとイーブン(引き分け)なんですよ。兄弟喧嘩だと、お姉ちゃん、あるいは、お兄ちゃんが負かす、とか、弟が勝つとか、ありますがこの二人はそういうのがない。イーブンなのね、いつも。力関係が同等。バトルけど、どっちが上、下というのがない。永遠と1時間半、ずっとやってる。

水野:じゃあ、両方、譲らない?

余越:絶対、譲らない!譲らないけど仲がいい。がーーっと言い合って、そのあとすぐ 「ねっ!」みたいな。(笑)

水野:(笑)いまの通しの中で、その二人の踊りをめぐるバトルの様子が録音されたのが流れたのは、すごくおもしろかった。「あんたが意固地だから」というバトルは最終的にどうなったの?

(また同時に!)
さわ実:それぞれが、そうか、って感じですかね。
まな実:相手の言い分はわかった、みたいな。

水野:なるほど、どこまでもイーブンな解決。

さわ実:今日の通し稽古で、さっきの会話聞いてまた、(むかつきが)盛り返してきた。

まな実:(さわ実が振りを)やってくれへんから!

”さらされてきたものが違うからだ”

水野:どこがちがうの?

さわ実:動きを教え合うときに、覚え方の違いっていうか。教え合って振付けを学び合うプロセスが違った。

まな実:この人がやってくれればいいのに、ってやっぱり思う。こうやるだけやん(手のひらを広げて回す)っていう。

余越:納得の仕方が違うのね。
崟:それぐらい聞いてくれたらいいのに、っていうね。

まな実:そう。

さわ実:えへへ。

余越:お互い「それぐらい」がちょっとだけ違うのね。だから、揃えて踊るユニゾンが難しい。

水野:今はユニゾンないもんね。

全員:あるある!(笑)

余越:どうしても合わないね。間が違うからね。

まな実:それは私がもうちょっとね、やらないとね。

さわ実:そういうユニゾンは私のほうが慣れていると思う。

余越:カンパニーでは、自分の動きをはしょってでも、ユニゾンというものを求められたら、合わせないといけないからね。

さわ実:私も向こうにいったら、どうみても日本人。向こうの人とやると全然違う。舞踏してんの?みたいにみられる。

余越:西洋の人のほうが譲らないというか、不器用なことが多いから、日本人のほうが合わす側、努力して器用に揃えさせられるという。そういう差が、“さらされる”というところで、二人の違いになっている。

水野:二人は別々にダンスの修行をして10年ですか? さわ実さんは、西洋でコンテンポラリー(ダンス)ベース、まな実さんは日本で舞踏ベース、ということになるのかな?

余越:そうでもない、そんなにパキっと分かれているわけじゃないですねえ。さわ実ちゃんは、オランダのエミオ・グレコのカンパニーで活動してたけど、コンテンポラリーだけの身体性だけではないし、まな実ちゃんも同じく舞踏だけじゃない。だから、もっとボヤ〜ン、とした感じ。
   ただ“さらされた”てきたものが違う。

映像作品「Hangman Takuzo」と双子ダンスの関係ーゼロと1ということ。

水野:ところで、いつもどういう風に振りをひきだすの?

さわ実:お題をもらって自分たちで振りをだしていきます。

余越:わたしがこうやりなさい、というのはないですね。自分が振付する場合もあるけど、昨今はダンサーから出すことが多い。プランしない。行って様子みて、今日の調子はこうだな、、とか、ダンサーと一緒に呼吸しながら前に進むというほうが、自然に作品をつめていてくことになると学んだから。昔はもっとプランして先に決めていたけど、それだと限りがあるかな、と思うようになりましたね。

水野:この作品「ZERO ONE」と、双子のダンサーの関係はどういうところなんだろう?

余越:「ZERO ONE」というタイトルは、 一緒だけど違う、みたいな。いるけどいない。

水野:双子は、裏テーマになってるんですね。

余越:そうですね。me and other みたいな。

水野:それと、余越さんの映像作品「Hangman Takuzo」(注:映画は未発表です)の一部がこの作品に入ってくるわけですけど、出演の首くくり栲象さんと、黒沢美香さんとのかかわりも気になりますね。
     ※「Hangman Takuzo」 THE BROOKLYN RAIL (JUL-AUG 2011)
http://www.brooklynrail.org/2011/07/dance/hangman-takuzo

余越:栲さんや美香さんが、舞台に立つ、ダンスする時の自己との闘いというか、自己の在り方、セルフとは何ぞや、という、だから、二人の接点が惹かれあうのかもしれない。ゼロにするのか、1にもっていくのか、1にするためにゼロにしなくてはいけない、という永遠の問いですね。まさに舞台に立つからだの在り方というか。そのことと、この双子のダンスがコンセプトになっています。うまく言葉で全部説明できたら、ダンスなんて作らなくていいんですが。言葉でダンスの説明は難しいー

水野:観た人がストンとくるようになればいいですねえ。まだ映像ともこれからですしね、鳥取のレジデンスでいろいろ見えてくると思います。この後、12/7に鳥の劇場で途中経過のショーイングですね。12月の末に横浜で、インタビューをさせてください。楽しみにしています。