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森田淑子インタビュー [Aダンスプロダクション]

森田淑子「ヤマナイ、ミミナリ」について語る

「ヤマナイ、ミミナリ」仙台公演より photo:越後谷出

(収録:2014年2月9日仙台/テープお越し:渋谷陽菜 聞き手・編集:水野立子)

森田さんは、1年前の「踊2」vol.3のAプログラムに応募して選出されていたが、作品制作をスタートさせていた9月に大きな事故にあい参加することができなくなってしまった。いったんは言葉を失ったところから、歩けるようになるまでリハビリを経て復帰し、今年のvol.4に応募して再選出されたという経緯があります。作品構想から2年、巡回公演初演となった札幌、1か月後の仙台公演を終えた直後に、初めての本格的な作品制作についての取り組みを伺いました。インタビューの話題に出てくる、<家族のこと、事故のこと>についての補足情報として公演当日パンフレットに掲載しているテキストを下記に転用します。

※当日パンフレットより 
「ヤマナイ、ミミナリ」森田淑子
ここ何年もずっと、自分のからだの中に小さな違和感があった。何かがじわじわと喉の奥に込み上げる。息苦しさで、叫びだしそうになる。ずっとそうだ、理由はわからない。
しかし、いつまでも耳鳴りがやまない。
このテキストは、2012年8月に踊りに行くぜⅡVol.3のチラシ用に書いたものです。
「ヤマナイ、ミミナリ」という作品を創ろうと思ったきっかけは2つあります。
1つ目は、私の家族が違う国で生まれ、異なる文化、異なる言葉のもとで育ち、家族同士、言葉で理解し合えずに、家族のもとを離れたことです。
きっかけの2つ目は、1年前、事故に遭い、脳に損傷を受けて歩けなくなり、失語症によって言葉を失ったことです。
その2つをきっかけに、言葉とは本当はどういうものかを考えるようになり
「ことばのむこう」をベースに作品を創り始めました。
なぜ、再び生きる時間を与えてもらったのか。その答えに向かい合い、踊ります。

>>事故にあったことで作品制作が1年後に伸びたこと。私小説という制作方法。

ー今回の作品の構想はいつから始まったんですか?

1年前の「踊2」vol.3の説明会に参加したときですかね。だから、2012年の春ですね。

―その時からこの方向性は決まっていたの?

いや、その時は違うコンセプトの方向もありました。公募説明会に行ったときのメモには、「コインロッカー・ベイビーズ」って書いていましたね

―あの時ってタイトルがそうだったっけ?

いえ、タイトルは全然決まってないですね。ただ、村上龍の小説「コインロッカー・ベイビーズ」が自分にとって印象深い作品だったんです。それをどうやってダンス作品にしようか、というところまで思いついてなかったですけど。この小説とダンスで何かミックスして出来ないかと思ったのが始まりでした。

―vol.3の1次選考を通過して、プレゼンの2次選考のときもかなりこの「コインロッカー・ベイビーズ」が核となったものだったですね。

あーそうですね。今回の作品ではこれをモチーフに使おうってことはなくなりました。

―その変化の経過はどういうことがあったのだろう?その変わっていった経路。

うーん、徐々に変わっていったんですけど、水野さんに「小説にこだわらず、もっと自分のテーマを掘り下げていったほうがいいよ。」と言われたこともヒントになりました。

―それは何時頃の会話だっただろう?二年前選出された後のミーティングかな?

そうですね。「踊2」のフライヤー撮影の前に品川でお茶しながら話した時、私の家族の話になって、やっぱり小説の「コインロッカー・ベイビーズ」が印象深かった部分と、家族のことが繋がっているという話をしました。私の親が韓国人なので日本語がうまく使えないこと、私は日本で生まれ育ち、親は韓国の文化だから、その違いがあり意思疎通がうまくいかなかったこともあり。言葉については考えていました。で、水野さんにその私の実際の家族の話の方に興味が惹かれると言われて、そういうことが興味を惹く事になるんだというのは意外でしたね。一緒に作品をつくるメンバーにも同じことを話したんです。それまでは、家族の状況のことになんて興味ないだろうと思ったんですけど、「独特だね。そのことにふつうは興味惹くでしょう。」って言われて、「あーそうなのか。」と思って。
やっぱり「コインロッカー・ベイビーズ」の奥には自分の家族がいたって事は確かだなあと。で、それを作品に出来るかもしれないって思えたのは、水野さんの話があったからです。

―普通より変わっている家族関係だな、ということに興味を惹かれたわけじゃないですよ。森田さんが結局、小説「コインロッカー・ベイビーズ」の話からインスパイやされて何をやりたいのかって考えると、村上龍の小説ではなく、森田さん自身の存在だとか、生きる事とか伝わってきて、その事に興味を持ったっていう意味なんです。これはもう、村上龍じゃなくて、森田淑子のことを私小説として作品にしたほうがいいと思った。

はい。そうでしたね。水野さんから“私小説”という手法の話を聞きましたね。わたしはそのとき初めて聞いたんですが。文学の私小説のことも聞きました。

―どうも森田さんの作品へのこだわりが、そこにあるように感じて、じゃあそれを“私小説”という手法をとりいれてやった方が、はっきりするし、つくりやすいのではないかと。それで文学では田山花袋「蒲団」とか、舞台では川口隆夫さんの「パーフェクトライフ」とかがあるよ、という話しをしたんだった。その頃、川口さんの作品をみてとても私的な出来事であるはずなのに、それを作品として公にすることで、それが他人の心にすっと入り込むことができるというのを見た直後だったから、森田さんもなにかヒントになるかな、と思って。

そうでしたね。わたしはみたことはなかったので、実感はなかったけど、そうかな、と光が見えたような気がしました。1年後のダンス・イン・レジデンスの青森王余魚沢で、飯名尚人さんにも同じく川口さんの話を聞きました。

―そうでしたね。やっぱり同じ共通点がみえるんですね。いまの作品は、ダイレクトに家族のことはないよね。

マフラーの踊りは家族の踊りなんですけど。

―そっかそっか。やっぱり根底にあるから要素はでてくるんですね。

「ヤマナイ、ミミナリ」仙台公演より photo:越後谷出

進藤が踊っている“ぬいぐるみ”の踊りも家族の踊りなんですよ。踊りをつくってもらう時にいくつか項目を選んでもらい、家族とか写真とかいくつかピックアップしてつくるように最初に言ったんですね。進藤は家族の踊りをやりたいっていったので、それを8月からつくり始めました。今までカットした振りが多いのですが、最後までこのシーンは残っています。

―なるほど。テーマが家族のこと、ごくプライベートなことを私小説的に作品にしようってなっていったときに、事故があって一旦、保留になっていまの作品への変化の過程を是非お聞かせください。森田さんの中で心身ともにどんな体験が関係したのかな?

今回の新たにつくることになった作品のきっかけになったのは、やはり事故でした。自分自身も、家族が誰だったのかも、全てわからくなった経験を経て、だんだん思い出していって「あ、この人は家族。」ってわかるようになるまで時間がかかりました。「家族」っていう言葉もその時は分からなかったですけど。病院に来てくれた母も、なんとなくこの人は知っている、と後でわかったくらい、全てがぼんやりしていました。

―そういう分からなくなったことが、分かってくるという事は凄い事だったんだろうね、きっと。

>>歩けるようになったことは、作品に入れています。

スプーンって言葉がほんとに面白くて。スプーンがなかなか覚えられなくて、ずーっと時間かかったんですよ。

―それって得な体験だね。赤ちゃんが、言葉を覚えてくる過程って覚えていないじゃない。だけど、それを認識できるわけだからすごいね。ヘレン・ケラーの話みたいだね。コップをさわらせて、コップだと教えても、言葉と物の関係がヘレン・ケラーにはわかんなかったけど、形のない水の流れからようやく認識できたのは、冷たいとか、感触とか感覚でわかったのかなと思うんですよ。水を「water」 と分った時、雪が溶けるように全てが認識できていき感動したように、森田さんも同じような経験だったんですかね?

私もどうやってこれがスプーンで、これがお皿って、物に名前があるってことをわかっていったか、今になって分からないんですよ。多分ですけど、思い出した瞬間があって三分後には忘れてるんですよ。その繰り返しがあって。「あー!この言葉はスプーン。」って教えられた事は頭にあって。子供と同様、覚えていないんです。
今の作品に具体的に取りいれていることは、やはり“歩く”ことですね。自分が歩けるようになったことは鮮明に覚えてるんです。

―段階があると思うけど、自分の足で立てるまで二ヶ月くらい?

9月16日に事故にあい、11月頭までかかりました。

―二ヶ月弱か。歩けるようになるまでの鮮明に覚えている感覚は、身体の感覚みたいなもの?

そう!体重がかかって重いって感じるんですよ。かかるんですよ、重さが。何でこんなに重いんだろうって。で、歩くように指示されてバーにつかまって一歩足をおこしたら頭とか肩が揺れることに驚いて。

―子供が歩行する時の感覚と同じなのかな、どうなのかな。森田さんはそれをダンスにしようとしたわけですね。

はい、やはり強く残っていることなので今回の作品の中で入れています。

―「ヤマナイ、ミミナリ」というタイトルでもあるように、事故にあって身体が全然動かなくなったところから、歩けるようになったっていうそこの関係はどういうことなんですか?

世界から色がなくなって見えたと入院した時に思ったんです。それがだんだん、過去の記憶を思い出した時に、昔こんなことしてたとか、ダンスしてたとか、「踊2」に応募したとか、今自分の状況を分かってきて、「あ、病院ってとこで寝てるんだ」ってそれしか分かんなかったんですよね。
その後、今の自分と過去の自分を思い出してきた時に、歩けて本当に嬉しかった思いから、一気に落胆して心が不自由になった。その時、色が消えたと思ったんですよ。こんな身体で生きていくんなら生きていないほうが良かったって。

―逆転しちゃった。

そうです。過去を思い出して今の自分がわかってくると。だからこれがコップで、スプーンでって分かるようになったことが嬉しかったんですけど、本当に反対の思いも同時にありました。だから、ずーとっ葛藤が起こり作品にも葛藤のシーンを入れています。

>>モノクロの世界から、色がついてきたカラーの世界に。
「小林さんの美術の特徴は、独特な色使いだと私は思います。」


「ヤマナイ、ミミナリ」仙台公演より photo:越後谷出

―色カラーが作品の真ん中くらいからでてきますね。あれはその落胆から、希望が見えたみたいな、色がまた見えたみたいなことが実際におきたの?

自分の体験では段々と気づいたら逆転してたって感じですね。真っ黒な世界からポツポツポツとすりガラス越しに色が見えてきた、それが段々と見えてきたって感じですかね。

―なるほど。舞台美術でグレーからカラーに色があふれるオブジェが使われていますね。小林さんに美術をお願いすることにしたのは、この作品の美術にあう作家だということからですか?

いくつかの経緯があって小林さんに美術をお願いすることになったのですが、結果的にはそうです。小林さんの活動を知るきっかけになったのは、退院後、病院ボランティアに興味があり調べていたところ、小林さんのホームページにたどりついたことです。それから何度も小林さんの作品を拝見しました。その後、もう一度「踊2」に応募することになった時、小林さんの美術作品が浮かんだんです。事故に遭う前にお願いしていた美術作家さんも、様々なアイデアを持っていらして素晴らしい方だったのですが、今回の作品は以前つくりたいと思っていた作品とテイストが違っていました。小林さんの美術の特徴は、独特な色使いだと私は思います。今回の作品は、やりたいことに色を使うことが含まれていたので、小林さんにお願いすることになりました。

―今回、制作を開始して約半年になりますね。実際にこんなにガッツリとメンバーと作品と向き合うなんて初めてだよね?

はい、初めてです。

―巡回公演で、二箇所でしかも自分が知らない人に観て貰うという経験も初ですね。率直に凄くワクワクする事なのか、それとも怖いって思う事なのか、どっちなのか?

両方ありますよ!当然怖いですよね。でも、やったことないことはやってみないとわからないから。どこまで出来るか自分を試そうって気もありますし。

>>言葉で表せないこと、伝えられないことがある、本当のことがわかってしまう。それをダンスにしたい。

「ヤマナイ、ミミナリ」仙台公演より photo:越後谷出

―どうしても、ここだけは伝えたいんだ、っていうところ、どういう事がこの作品で一番届けたいことですか?

言葉で話しても、話さなくても、相手に必ず伝わってしまうことがある、ということ。多分、国籍とか、使っている言語とか全然関係なく、身体と身体に対してアプローチをしたら、どうしても伝わってしまう事、隠せない事がありますよね。上手く言葉で誤魔化しても「A」って言葉の裏にある「B」がどうしても透けて見えてきてしまう。そういう事だと思います。

―森田さんの場合は、このことを表現する場合、救われる事と、自分が傷つく事、どっちの側なのかな?

本当は相手からのつらい言葉を真に受けて、自分が傷つけられてしまったと思いがちだけど、それは思い込みで、一見つらいと思う言葉の裏には愛情だったり、そう言ってくれた意味があるんだって、後から気付いたんですね。

―言葉って発してしまったらもう取り消せない「言霊」って言うでしょう。無意識に発したことで傷つけたり失敗したって思う事がいっぱいあるのね。私は。

ありますねー私も多い。

―タイムマシンで戻りたくなりますね。その後悔の気持ちと、この人こんなこと言ってるけど、本当のその奥を私は見ることが出来るんだよね、っていう誇らしい気持ちと二つあると思うんです。

自分の経験で言うと両方あります。作品としては、それがわからない時期のことも含んでます。その後の、言葉のむこうにある言葉にならないことがある、ということを私が見えたことも伝えていける作品にしたいです。

ー実際には、面と向かって言いにくいことも、作品でそれを伝えることができるといいですね。みた人が救われるかもしれない。そういう事が伝わる作品になるといいなあ。

仙台に来て、ゲネ前の一回目の通し終わって、帰りにメンバーに話した事から自分は家族を作品のテーマの一部に作ってるのに、まだ家族のこと見てないんだって気付く事があって、「家族がこれを観てくれたらどう思うかな。」って考えてしまったことがあって、そういう事を考えると辛くなるので考えないようにしてたんですね。でも、家族がテーマにあるのにそれを考えないでどうするって仙台に来てやっと思えて、まぁ、実際は見てないですけど、多分、家族が観て喜んでくれる踊りをしたいって、初めて通しでその気持ちを思いながらいたことが出来て。

―ダンス、ダンス作品をみることで、やっぱり救われるっていうか、生きられるんだって思える力が舞台作品にはあると思う。まあ自分が後悔する失敗をしているから、わかることもあるしね(笑)

もーそりゃ、しちゃってます。恐ろしくなるくらい。

―なんかこう、届きそうな感じがするから、あとどうするかだね。メンバーとはそういうことって共有してるの?

してます。

―そういう意味では作家として幸せだよね。

本当にそうです。

ダンス・イン・レジデンス王余魚沢 

―初めて作品をつくる場合、ありがちなのは、作家がやりたい事をメンバー間で共有できないことが多いと思う。演出家、振付家が、出演者や音楽家、美術家に自分の目指す世界をどう共有して力を出してもらう仕事ができるかどうか。森田チームは、そういう意味ではうまく進んでいるようにみえますね。ドラマツゥルクという立場をつくったことも功をなしたのかもしれないですね。後はじゃあダンス作品として、どうみえてくるのか?まさにテーマである言葉でいえない感覚をダンスでしか立ち上がらない世界をつくらないと、ですね。

昨日の仙台初演後、主催者やお客さまから色んな感想や意見を頂いて、色々触発されることが多かったんです。なんていうか、今すぐ変えてどうみえるかっていう思いに駆られて。明日の公演までに、ダンサーだけで話して色んな提案が一気に出てきて、仙台が終わったら試したいこと、アイデアが出てきています。

―楽しみです。森田さんの経験、事故を通してなくしてしまった感覚を壮絶に取り戻すまでの身体感覚と、人との関係にあるひづみになっていることがクロスしている。だからこそダンス作品でしか、表現できないものが現れるとくると思う。小説ではできない事を、その感覚をダンスにしていけるんじゃないか、と思いますね。話をきいていると必然を感じられて、すごく可能性があるなと思っています。後悔と希望と絶望とグチャグチャになって、ぐるぐる回るようなことだから、それをダンスでやれたら、「あーわかる!」っていう、そういう踊りはいいよね。振付や森田さん自身がこの作品で、ダンスをつくり踊るうえで、ポイントにしていること、目指していることをお聞かせください。

私と違った視点で作品を捉えているチームメンバーの意見を、自分の中で噛み砕き、まずは一度試してみることです。複数のメンバーがいることで、同じ考えを共有しながらも、少し違った視点で見ていると気づくときは、面白いなぁと思います。また、メンバーから言われて気づいたことなのですが、たまに自分の中だけで自己完結して、それをメンバーに伝えていないことがあるようなので、思ったことはすぐに伝えるように心がけています。目指していることはたくさんありますが、ひとつは自分の作品や振付を客観視した時に、やりたいことの通りに見えているか、稽古や劇場で臨機応変に判断し対応することです。
作家はこれができないといけないことは理解しているつもりですが、自分の作品を客観視するのは本当に難しいです。最後は、自分がやりたいと思っていることは、どうしてもやりたいことなのか、なぜやりたいのか、自分自身の考えを自分自身でよくわかっていることでしょうか。そういうことは、メンバーからの質問がヒントになることも多いです。
あとの東京、京都公演までにあらゆる引き出しを使って、もう一度演出、振付をしていきたいと思います。

―最終の2か所公演で自分が満足できる作品になっていればよいですね。ありがとうございました。



アーティスト・インタビュー (Index)

アーティスト・インタビュー ページ更新しました!
今年の参加アーティスト(A/ダンスプロダクション、B/リージョナルダンス)へ行ってきたインタビュー記事をUPしています。
どうぞご覧ください!今後も更新していきます。



仙台公演終了しました!


(仙台Bプログラム佐成哲夫「夢を見ているわけじゃない」より)

記:JCDN北本

2月8日(土)、9日(日)に実施した仙台公演は、2日目の9日は観測史上78年ぶりの大雪となりましたが、無事公演を終了することができました。電車が止まり、残念ながらお越しいただくことのできなかったお客様もいらっしゃいましたが、多くのお客様には雪の中にもかかわらず、お運びいただきましてありがとうございました。

今回の仙台公演は全部で4作品。2箇所目の公演となるAプロ2作品と、地元仙台で制作されたBプロと地元作品。Aプロは仙台公演以降も巡回公演が続き、Bプロ地元作品は仙台のみでの上演となります。しかし、どの作品も仙台での公演に狙いを定め準備してきたことも事実。また、それぞれ次の上演の機会があるなしにかかわらず、次なるステップへと進み始めていることだと思います。

さて、大雪の記憶もまだ新しい仙台公演の様子を上演順にお伝えします。
(写真はすべて撮影:越後谷出)

まず、Aプロ森田淑子作品「ヤマナイ、ミミナリ」。
この世に生まれたときから始まる出会いと別れ。作品を作る過程での出会いと別れ。そして、作品を作り続けながらも、今森田さん自身が生きる出会いと別れ。それぞれの歩みが交差する瞬間が、ダンス作品として私たちに何を語るのか。
仙台公演を終え、また新たな気持で作品づくりに向き合い始めたメンバーたち。公演終了後の彼らの様子は、今までと違い少し晴々とした表情でした。これからより一層作品をブラッシュアップさせていく決意を感じる、そんな表情です!

地元菅野光子作品「まつりのあと」。
仙台では初めてとなる地元作品の上演。
仙台という町で見てほしいこと、伝えたいこと、経験したこと、作品を作ること、ダンスで伝えること、菅野さんを始め出演者、スタッフ、そして仙台の人の思い、すべての熱い思いが詰まった作品でした。この作品が生まれたことをきっかけに、多くの議論も生まれました。そしてその議論の中から、多くの創造の場と人が生まれてくることに期待します。

Bプロ佐成哲夫作品「夢を見ているわけじゃない」
佐成さんが仙台の出演者と1ヶ月滞在して作った作品。
そのタイトルは思わず「じゃあ、なんなの?」と考えさせられる。
コツコツと足音を立てて迫る現在と過去、ハラハラと舞い落ち積み重なる現実と非現実、薄れゆく記憶と鮮明な夢。そんな、時間や記憶の空間を行ったり来たりしていると、突如として現れる男。その男が「じゃあ、なんなの?」のアンサーマン、だったのか。。。
ダンス作品に出演し舞台に立ちたい、という“夢”を抱いてオーディションに挑んだ参加者たち。その“夢”を叶えただけでなく、作品の“夢”も出演者なしでは語れないものでした。
しばらくは一緒に「じゃあ、なんなの?」を考えてみたいと思います。

こちらも2箇所目の上演となる、Aプロ余越保子作品「ZERO ONE」。
人の体には多くのツボがあって、その時の体調や部位によって効き方や押す場所が違います。余越さんの作品は、人がそれぞれ持つツボにきゅうっと効いてくる。効き方や効く部位が違うから感じ方は様々。けれども、確実にきゅうっとツボを押される。自分のからだも、ツボを押されるために微調整させながら、東京、京都の公演では晒したからだの、どのツボをどんな風に押されるのかを楽しみにしたいと思います。



余越保子インタビュー [Aダンスプロダクション]

鳥取公演、初演前夜「ZERO ONE」を語る。


          「ZERO ONE」ゲネプロ@鳥の劇場  photo:Shinji Nakashima

余越さんは、N.Yを拠点に活動するアーティスト。今回日本での初めての作品制作を行いたいということで、「踊2」に応募がありました。N.Yのダンス界では注目を集めている振付家ですが、日本ではほとんど知られていませので、まずは活動紹介から。

ニューョークのダウンタウンで頭角を現したのは2003年。日本でもたまに耳にするNYの現代舞台芸術を対象にした“ベッシー賞(最高振付作品賞)”(勅使河原三郎2007年受賞)を受賞。その後、日本舞踊と出会い10年間、世家真ますみ氏世家真流家元の日本舞踊の稽古にNYと東京を往復する。
「藤間勘十郎の“素踊り”は、アメリカで生まれたジャドソン世代のポスト・モダンダンスの美学と哲学に近接している。」と感銘した余越は、世家真ますみとの共同制作を開始する。
「what we when we」(2度目のベッシー賞・最優秀振付賞受賞)「Tyler Tyler」)、昨年はNew York Live Artsから初のレ(ジデントコミッション・アーテイストに選ばれ「BELL」を発表、3作品を制作した。「BELL]は歌舞伎舞踊の名作「京鹿子娘道成寺」とロマンチックバレエの金字塔「ジゼル」をベースに、日本と西洋の歴史的、文化的様式美とその成り立ちの相関性と差異を舞台上に再構築を試みた意欲作。ダンス批評家のあいだで大討論を引き起こしたらしい。

物語性をベースにした日本の古典芸能を現代へと翻訳、置き換え作業に10年間没頭してきた余越が、振付家としての次のステージとして挑むのが日本初制作の「ZERO ONE」。
明日初演となる鳥取公演の前夜、ゲネプロを終えたあと宿に戻ってからインタビューをおこないました。

2014/1/25録音@山紫苑 鹿野町
(聞き手・録音・テープ起こし・編集:水野立子/プログラム・ディレクター)

>>米国と日本でつくること、発表することの違い。

(水野:以下略)いよいよ明日、初演となりましたね。余越さんにとって、見てもらう対象としても作品をつくる相手としても、アメリカ圏を出て初めて日本での作品制作を行うということですが、20年もアメリカでやってきていると、何か違うなあと感じることはありますか?

(余越:以下略)そうですね、アメリカ人というよりニューヨーカーと言ったほうがいいのかも。今までずっと、ニューヨーカーを主な観客の対象としてつくってきています。日本人とは作品をつくったこともありますが、伝統芸能の人や、ニューヨークに住んでいる日本人ダンサーです。

何が違いますか?

うーん、今の時点では、ニューヨークに帰ってみないとそれが何なのかはっきりわからないですね。今回の二人の双子のダンサーの一人のほう、(福岡)さわ実ちゃんはヨーロッパに住んでいるので、日本で踊る、日本でつくる、ヨーロッパ人以外との制作は初めてのようです。

なるほど。そういう意味では、つくる意識として何か違ってくるのかな?

「ZERO ONE」は日本人に見られるのだ、という目線は意識しています。具体的にいえば、使う予定だった曲からお能の笛や鼓の音を数日前にカットしたんです。というのは、日本人は伝統芸能に対してフィルターが入っていて、それだけで構えてとられてしまうというか。私には何故それほど、カテゴリックに分けるのかよくわからないんですが。面白いし作品に必要だから使っていたんですが、「日本の人にはわからないよ」と、まわりから幾度もいわれて。

そういえば、鳥の劇場でのレジデンスの初通し稽古では、邦楽が2曲ありましたね。

あ、そうそう、そのうちの1曲をやめたんです。レジデンス最終日の途中経過発表で、鳥の劇場で見てくれた人々やスタッフからもいわれました。「そんなの関係ない」とか思いながらも、だんだん、やっぱり無理かな、、、と。(笑)つまり、そういうことも感覚に入れて、作品がさらされる目線が違うんだから、そこに合わせてつくるということも考えざるをえないです。
それは同時にニューヨークでも考えるわけですよ。例えば、日本の伝統芸能をベースに作品に取り入れる機会があったんですが、ニューヨークでは歌舞伎も日本舞踊も知らない人がみるわけですよね。まったくその文脈がわからない人に対して作品をつくるから、どこまで情報を与えないといけないのか、というのをいつも迫られるんです。劇場や観客、スタッフから、これじゃ伝わらない、この土地では無理だ、とずっと言われてきた。それに対して、私の判断で、いやこれでいい、とか、じゃあ考慮しようとか。なので、考えてみるとニューヨークでも日本でも、作品がさらされる視線をいつも意識しているかもしれない。

反対になったというだけのこと?(笑)?

そうですね。(笑)ベクトルが逆になっただけ。つくっている土壌とか、誰とつくっているのか、誰にむけているんだろう、いつの時代につくっていて、どういう視点で作品を提示しているのか、というのはすごく考えますね。“今”つくっているものが、“来年”同じコンテクストで見せても、おなじように通用するとも思えないです。
時代がどんどん変わっていくから。

>>コンテンポラリーアーティストだから私は。今の自分がつくるしかない

ダンスってやっぱり今ですから。

余越さんの場合、いつも、どれくらいと考えているんですか?つまり作品の正味期限。

2年。

過去に2年以上たった作品は再演しない?

したことないですね。

オファーがあっても?

はい。

常に時代とともに同時代の作品をつくるという意識から?

コンテンポラリーアーティストだから私は。今の自分がつくるしかない。この作品にしても今までの10年間の活動があった上でないとつくれなかったから。それに、来年だとつくれない。ダンサーも来年だったらきっとやってくれないと思う。今だからタイミングが合ってつきあってくれている。おそらく、わたしも「今」じゃなきゃつくれないと思う。ダンスってやっぱり今ですから。それに、この作品は資金的にとても難しいです。

皆さんバラバラのところから来てますからね。全員日本人だけど国際プロジェクト。(笑)

本当に厳しいですよ、資金繰りが。今回はこのプロジェクトに協力してくださる方々のご好意で実現できていますが、自分で資金を全部集めてすべて整ってから、一年たってからオファーさせてくださいと制作を先に伸ばしたら、無理でしょうね。今回も「踊2」で、作品を鳥取に持ってきて、鳥の劇場のお客さんに出す、というのを意識して作ってきましたし、ここにきて作品をベストの状態にもってくる、ということを常に一番に考えていますね。一発勝負っていうのかな。

この作品をアメリカで来年以降、さらに制作する計画があるとか?

そうですね、いまその計画を準備していますが、申請結果がどうなるかまだわかりません。でも制作しなおす時はまた作品が変わっていると思いますね。目指すところは同じだろうけども、コンテクトが変わり、作品を見る客の目線が変わり、ダンサーも時代も変わっているでしょうから。

昨年の12月末に拝見してから、ほぼ1か月が経過していますが、さすがに明日の初日にピシャリと照準を合わせてきているなあ、と思いながら今日のゲネを拝見しました。

ダンスが出来上がるのは見られてですよ、客の目にさらされてこそダンスが立ち上がるから。私がリハーサルみていて、感動する日が何日もありました。すごいなーこのダンサーたちは、というのが、何回もあった。ただそれは私しか観てないですから、日々作品は変わってきます。それを鈍化せず、尖がったまま、彼女たちがマックスでいける状態にもっていきたいですね。もうこうなるとコーチングですね、手綱をひきしめたり、ゆるめたり。

photo:Shinji Nakashima
>>「双子だから、そろって踊れるわけじゃないんです。」っていう気持ちが、あの二人にはいつもあるんじゃないかな。双子姉妹に対する一般論っていうのが打ち破られてくるっていう気がします


この作品はダンサーありき、だとお聞きしていましたけど、ダンサー二人の完成度には満足していますか?

ええ、そりゃあもちろんです!この作品は“ダンサーが作品”です。彼女たちなくして「ZERO ON」はありえない。福岡双子姉妹はすごい素直。私が言う言葉に身体で素直に返してくれます。今回のこの二人の特色は双子だという設定です。たぶん一人一人と仕事したら、またぜんぜん違うと思うし、一人とほかのダンサーとデュエットつくっても全く違うと思うし。どの双子でもなく、この特殊な二人、福岡なま実、さわ実の持っている“関係性”、そこにわたしが真ん中にはいって、二人を見るという、すり合わさった3人の関係性でできている。

なるほど。作品の中で二人が喧嘩、というか、踊りのことで言い合っているシーン、何回みても笑えるんですが。(笑)

ああ、あれは本当に揉めているんです。あのまま、なんです。あれよりもっとすごい(笑)。
双子だからといって、(ユニゾンに)そろえられるわけではない、と二人は言います。「皆さんは、双子というのはそっくりで、そっくりに動くという感覚を持つけど、私たちはそうではないし、実際そうではないから、ヨーロッパと日本に活動拠点を移したわけだから。双子だから、そろって踊れるわけじゃないんです。」っていう気持ちが、あの二人にはいつもある。「じゃあ違いを肥大化してみようじゃないか。」ってやってみると、ピタリとそろえてくるんだよね。(笑)あえて“そろえないぞ”ということを自分たちの中に意識があると思います。双子であるが故に。

それは、本人たちは無意識で?

はい、そうですね。無意識に。そういえば、今回、制作協力ではいっている吉村摩耶ちゃんも双子なんですよ。

え?そうなの?

そうなんです。以前アメリカでやった、高校生とのダンスプロジェクトのときも双子姉妹がいて、双子のデュエットつくったんです。それもかなり特殊な経験だったんだけど。今回みたいにがっつりやるのはもちろん初めてです。

なんか、引き寄せている感じですね。

そうかな、、、なんか、双子姉妹に対する一般論っていうのが打ち破られていくっていう気がします。

photo:Shinji Nakashima

昨日、福岡姉妹に直接聞いたんだけど、他のダンサーとやるときは、全く感じないことなんだけど、二人でやるときだけ真剣に毎回、踊りながらムカつくらしいですよ。(笑)

そうみたいですね。二人でここを話し合って、すり合わせて、なんとか詰めようという時、お互いの力の作用のぶつかり合いと寄合いの感じが、ホント独特ですね。私も自分で何度もデュエットを踊ったり、色々なダンサーや、自分も含めて、ダンサー同士のコミュニケーションの取り方とかバトルとか、あらゆるバージョンを経験してきましたけど。これは、みたことがないですね。(笑)

お互いにゆずらないんだ?(笑)

うん。ゆずらないんだけれども、「ゆずらないね?」っていうと、「いや、同じこと言ってるんです。」って言うから面白い。(笑)なんか、ふたりがかばい合うっていうか。

本当はわかりあっている、みたいな?

そうそう。(笑)

水野 「双子をじっとみてダンスを集中してみていると、この作品のテーマみたいなものが透けてみえるから、おもしろい。」
余越 「体の存在というか、人間の存在の観察になってきてますよね。本当に細かく。」

踊り見ていると、ふたりすごい合ってますね。振り自体というより、ダンスの魂みたいなものが合ってます。

そうですね。合ってる。それゆえに、両刃の刃というか。ある種、弱い点もシンクロしたりする。

それがまさに今回の作品のテーマでもあるしね。ZERO ONEという。
そういう意味では、双子をじっとみてダンスを集中してみていると、この作品のテーマみたいなものが透けてみえるから、おもしろい。

体の存在というか、人間の存在の観察になってきてますよね。本当に細かく。

特にこのダンサーのチョイスが、まあだからこの二人を選んだのかなと納得するのは、個性を消せますよね、このダンサーは。本当に無になれる体だから、、

体だけが残るから、存在が前に出てきますね。やっていて毎日が驚きの連続です。(笑)

双子と作品が相互作用でクロスしてみえるから、おもしろいですね。最後のシーンで、揺れるんですよね、世界が。現実なのか虚無なのか、退廃なのか、救いがあるのかないのか、わからなくなります。自分の存在を自分で否定したり、いじめたり、肯定したりするダンス。それを感じさせる振付をひきだすミソは?

まあ、でもそれを持ってくるのはこの二人ですからね。提供してくれる彼女たちの勇気とか情熱とか、とても大きな決断だと思うんですよ、こういうことやるの。今までは、双子に生まれて違う場所で、あえて二人で踊らない、というチョイスをしていたわけだから。

どういう経緯だったんですか?

まな実ちゃんを最初に知っていて、双子の姉がダンサーやっているということを後から聞き、すごくびっくりして。しかもヨーロッパで私も知っている有名なエミオグレコというカンパニーで踊っているということでした。さわ実ちゃんが日本に帰る機会があるなら、是非、デユエットつくらせてね、といっていたんですが、まさかそれが実現できるとは思っていなかったんです。持っているキャパが大きいんですよ、二人とも。もっと引き出せると思う。

>>どうして日本の伝統芸能は、ダンスとしてみなされないんだろう。

最初にダンサーありきでつくってきて、この展開の中で日本舞踊も出てくるのね?

あれね、偶然なんですよ。給金が思うように払えないから(笑)、最初からお礼に日本舞踊のお稽古をしてあげていて、ただ、作品で今回に使うとは思わなかった。やるとしたら次のアメリカバージョンかな、と思っていたんです。

すごくサマになっているように見えますね。

やはりダンサーだから振りとして入るのは早いです。それ故に手順だけになってしまうようなことにならないよう、単なる見栄えだけじゃなくて、踊りの本質をどう伝えようかということにこだわりたかった。見た目がなんとなく「日本舞踊らしい」、というのは簡単だから。 この作品を制作する以前にふたりが、私が今まででやってきたことに興味を持ってくれたんです。レジデンスの合宿中に、三人で日本舞踊やお能のビデオとかたくさん見て、特にさわ実ちゃんはヨーロッパで踊ってきたから、「どうして日本の伝統芸能はダンスとしてみなされないんだろうね」という会話にいつもなるわけですよ。なぜ踊りに敷居があるのかな、という話をしました。

余越さんは、どうしてだと思うんですか?

わからないです。

現実的に日本人として思うのは、そうは言っても簡単に習えない、ということはありますよね。知り合いが先生か、よほど興味を持って門を叩かないと簡単に手に入らない。徒弟制度の壁がある。クラシックバレエやモダン、ジャズダンスのほうが、簡単に手が届く。

日本の伝統なのに、日本人に対して、社会的格差、血筋とか有名人とかお金もち限定とか。今のこの現代に(踊りに)そんな壁がなぜ存在するのかわからない。まあ、それがすごいってことでもあるわけですが。

まあ、広める気がないしね。

だから、二人も本気でやってやろうと、燃えたんですよね。

いいものなのに、ってことでしょ?

そうです。こんなにいいものを、彼女たちもやりたいと思うし体に入れてみてやりがいがあった。そういう意味でいうと三人の好みがあったというか、向いてる方向が合ったから仕事がやりやすいです。

photo:Shinji Nakashima

>>歌ったり踊ったりするときに嘘がない。あれを狙ってやっているんじゃなくて、経てきているから、素直。

しかもそれをよくガールスカウトの歌にのせたよね?あれはどうやって出てきたんですか?

ねえ。(笑)あれはできたのは奇跡ですよ。それも、この短期間に。二人が小さいころ10年間ガールスカウトに入っていたのを知って、お正月に帰省したあと、二人が幼いころ大切にしていたガールスカウトのガイドブックをもってきて見せてくれたんです。で、一晩でこれはすごいな、っていう文章を抜粋して、テキストに起こして。ガールスカウトは英国でうまれたものなので、日本語訳がすごく不思議な感じなんです。時代を何世代も経ている翻訳が、エキゾチック。

ちょっと聖書っぽいよね。最初、聞いたとき聖書の抜粋なのかな、と思った。

二人とも育ちがいいっていうか、お嬢さまっていう意味じゃなくて、躾なのかな、必ずリハーサルの前に雑巾かけとかするし。ものすごくいい子たちです。それはこのガールスカウトの思想からきたのか、と思うとびっくりしちゃって。

あの言葉ってニヒルに笑いたくなるような歌詞だよね。

もちろん、そこぎりぎりで私も演出してます。すごいのは、彼女たちは、そこは本気で10年間仕込まれてきているわけですよ。

あの精神があるわけね。 (笑)

今は大人になって距離を持って、シニシズムを持って眺めるだろうけど((笑)、そこをベースに“善き人間である”ということが小さいころから根底にある。あのセクションは、歌ったり踊ったりするときに二人の身体に嘘がない。それは実際に体験として経てきているから、素直です。あれはなかなか真似できない。

>>やっぱり、ダンスの神様がいるんでしょう。作品っていうのは、提示してくるっていうか。

photo:Shinji Nakashima

じゃあ、あのシーンって、余越さんがやりたかったことが降ってきたのか?彼女たちの体があってなのか?どっちが先なんですか?

やっぱり、ダンスの神様がいるんでしょう。作品っていうのは、提示してくるっていうか。わたしの限られた脳みそにはわからないですよ。作品をつくっているうちに、くるっていうか。テキストを日本舞踊にかぶせたとき、あまりにも難しすぎるし、なかなかテキストが短時間で身体に入らなくて苦労してたんですよ。これはちょっと酷かなと思っていたけど、できたから、すごいねえ、と思って。

なるほど。ところで、まだ初演も終わってないけど、距離を持ってもうみえているんですか?

つくった時点でもちろん、みれてますよ。出てきたときに作家として。だけど最終稿じゃないんですよ。

え?そうなんですか、じゃあ教えて!

いや、ここからこれよりもっと先に作品の終わりがあると思うけど、この時点ではつくれる私の精一杯。
続きをつくるときは、ぜんぜん、違うところに着地すると思う。だから、日本バージョンの着地はここです。

今日、初めて映像出演のたく象さんと美香さんが観られて、なんか聞きました?

美香さんが「やったねー!ダンサー冥利につきるね」って双子二人に言葉をかけてくれてましたね。ダンサーとして、内面が剥き出されるような踊りが踊れるって、やりがいがあるね、と。

なるほど。今回は、美香さんはダンサーではない出演者と、余越さんはバリバリのダンサーとの制作だけど、どう「ダンス」を見出すか、つくるか、はほぼ合致しているように感じます。余越さんは何故、ダンス作品、ダンスでなくてはならないんですか?

ダンスでしかできないものがあって、それ故にやるとしか言えないです。予定調和っていうのがないんですね。ここに行きたいくて、目指すものがあって、台本があって、こういうとこにいきたいな、という風につくれる人はいるかもしれないけど、私はまずつくれないんです。
目の前に人がいて、その人が誰で、どういう風に動くんだ、というところから本当にゼロから始まる。動いてもらって、そこから答えをもらう。作品が生き物で、わたしがそこに仕える召使いのように、ダンスにお聞きして、ああそうですか、こちらですかと、後をついてくような感じ。ダンスに仕えてこそ作るかいがあるというか。

となるとダンサーに委ねるところが大きい?

ダンサーが作品です。わたしが作品をつくるのではなくて、映像に出てくださる美香さん、栲象さんが、浪子さんが作品です。映像はとっておけるけど。ZERO ONEは映像とダンスをライブでみせる時の兼ね合いですね。今起きてることは、今しかとっておけない。ダンスという起きたそばからなくなっていくという、大変に贅沢なお金で買えないものを扱っているので、大切に宝もののようにベストの状態にもっていけることを考えています

公演前日の夜にありがとうございました。明日、楽しみにしています。これから、4箇所での公演、どのようにライブなダンスが変容していくのか観ていきたいです。また、作品のことお伺いしたいです。

photo:Shinji Nakashima



今年のAプログラム3作品が出揃いました。

 どうも。水野です。巡回公演も2か所を終え佳境に入ってきた感じで、なんというかソワソワしてきました。世の中では、インフルエンザが猛威をふるっているようで、踊2の出演者とスタッフがいかにその感染から逃れるかが命題です。出演者が隔離されたら上演できなくなりますから、大変だー!

(巡回公演舞台スタッフチーム!)
 

 さて、今年のAプログラム、札幌公演では森田淑子作品「ヤマナイ、ミミナリ」、鳥取公演では黒沢美香作品「渚の風<聞こえる編>」と、余越保子作品「ZERO ONE」がそれぞれ初演を終え、全3作品が出そろいました。なんだか今年は、様子が違うねえ、という声もいただきます。そう、いままで応募対象として特に設定していなかったのですが、2年前あたりから経験のある作家から、「対象は新人じゃないとダメ?応募してもよいのか?」という問い合わせをいただくようになり、今回の応募要項から*初めて作品をつくる人、*経験のある人、と対象を明記したところ、幅の広い層からの応募となりました。

 そういうわけで今年のAプロは、バラエティー豊かです。ジェネレーションもかなり違う(笑)初めてダンス作品をつくる森田淑子チームと、十分すぎる貫録の黒沢さんと、N.Yでは知らない人はいない注目度のある余越さんですが、日本ではほぼ無名、初日本制作。この3作品で残りの巡回地を各地のBプログラムと走ります。最終東京公演と京都公演はこのAプロ3作品のみの上演ですので、ご注目ください。
 先週末の鳥取公演での余越、黒沢作品の初演の印象に残ったことをHOTなうちに書き留めておきます。

 この二人の振付家が、今回の作品で選んだダンサーはまるで正反対です。黒沢さんは<ミカヅキ会議>ダンサー歴ほぼなし、大学教授。余越さんは、ダンサー歴10年以上のバリバリ現役双子ダンサー。ところがですよ、お二人の話を聞いていると、ダンスへのアプローチが実はとても近いことを発見。
 以前、余越さんがニューヨークのKitchenのキュレーターをしていた頃、黒沢さんの作品を招聘したときの話を伺ったとき、両者のダンスへのスタンスというか、求めるものは共通性を持っていると感じていました。鳥取公演終演後のアフタートークでの客席からの質問「なぜ、ダンスで表現するのか、なぜ、ダンスなのか?」の答えを聞いて、さらにそれが明確になった気がします。「ただただ、ダンスでなければできないことをやっている。ダンスに仕える、捧げる、行方をお聞きする感じです。」「最初から作品がどこに向かうのかは、わからない。ダンスは今しかないんです。」伝え方は違えども、二人のダンスそのものをつくる振付を堀り起こすときの感覚が非常に似ているなあと。
作品をみるとこのことが、とても納得させられるんですね。2作品とも、目の瞬きを忘れるように「じっ」とみるダンスでしたよ。

(「渚の風<聞こえる編>」 photo:Shinji Nakashima)

 話は変わって、今年のお正月、「井上陽水ドキュメント<氷の世界>40年」というTV番組をみたんですが、それがとてもおもしろかった。アルバム収録全曲を本人、制作プロデューサー、スタッフはもとより、作家、評論家が当時の秘話や時代背景とともに、なにゆえこれが爆発的に売れたのかを分析していくという内容。おもしろすぎて録画してたから3回くらい見ました。「氷の世界」のアルバムの内容は、まったくもって、明るいわけでも希望があるわけでもなく、むしろ救いがない。そして混沌としている。1973年当時、残念なことにわたしはまだ井上陽水を理解できるほど大人ではなく、若干年下の世代。オイルショックで経済不況がやってきて、家計も大変、というのはぼんやりと記憶にあり、そんな時代が1973年。陽水自らが語るアルバムのテーマは、「不条理」と。普通はメジャーにならないであろう<不条理>をテーマにした音楽を100万人の日本人が買いあさったという事実、これはやっぱりおもしろいし、すごい。何故そんなに力があったのだろうと考えると、マイナーメジャーが関係なくなるほど、行き場のない気持ちが蔓延していたのだろう、そして誰もが、その共有感覚をこのアルバムに見たのだろう。もしかすると、40年前の日本の社会と今は似ているのかもしれない、と思った。リッチな人も貧乏な人も、同じように先がみえないと思っていて、幸せを感じにくいと思っている。
 40年前の井上陽水はいまほどビッグじゃなかったわけで、しかし、同時代の音楽になりえたわけだ。いま同時代の作家がつくるダンス作品こそ、わたしたちの心に響くものになり得るのではないか、そうあってほしいと思った。

 
さて、この「氷の世界」のTV番組の話がいったい何の関係あるのか、というと、鳥取公演の余越作品「ZERO ONE」を見たとき、これはまさに不条理だなあ、と感じたから。見た目が同じ外見の双子ダンサーの踊りを見ていると、客席にいる私と舞台のダンサーの区別がつかなくなってくる、そんなダンス。日常と非日常が同居する首くくり栲象さんの映像。聖職者のような、詐欺師のような摩訶不思議な唄。双子ダンスがお互いを操ったり、いじめたり、愛しんだりが頂点に達すると、まるで自分の体に空いた穴をみているような感覚になる。ダンスというとても抽象的なものをみているのだが、自分と他者の間にある存在を思考できる豊かさがあった。そこには、どうにも手がでない不条理世界があった。井上陽水のアルバムは、大ヒットになったけど、ダンス作品はヒットする間もなく消えていくから、劇場でライブで是非見てくだされ!今しかみれないダンスです。

余越さんのインタビューを公演前夜、短い時間でしたが収録しました。ミカヅキ会議のみなさんにも公演後、お話を伺ったので、近いつちにUPします。
そして、来週末は仙台公演で、再び余越作品と森田作品の2か所目、「報告するぜ!!」の取材も入ります。乞うご期待ください!!



(「ZERO ONE」 photo:Shinji Nakashima)

 
 



巡回公演2場所目。鳥取公演終了!!


photo:中島伸二 「終演後のロビー」

レポート記:JCDN千代苑子
1月26日(日)、鳥取公演がおこなわれました。
週末にかけて寒さは和らいだものの、あいにくの雨。こんな天気じゃ足場も悪いですねというと、鳥の劇場の方々は「これは公演日和なんですよ」と口を揃えていいます。どういうことだろうと考えたのも束の間、受付が開始すると当日券を求めて次々とお客さんがやって来ました。なるほど、雨の日だから劇場でゆっくり公演を見るんですね!
ホワイエには静かに雨音を聞きながら地元のまる達コーヒーさんのコーヒーを楽しみながら上演を待つお客さんがぞくぞくと増えていきます。鳥の劇場の方々も、雨の中車で来るお客さんを誘導してくださったり、最寄り駅と劇場のあいだを何度も送迎車で往復してくださったり、役者さんも含めてスタッフ総出で公演を支えていただきました。

たくさんの方のご協力のもと、鳥取公演は無事に終演。中島伸二さん撮影の写真とともに、4作品を上演順に振り返りたいと思います。

トップバッターは菅原さちゑ作品『MESSY』。開演してまもなくドラム音が響きわたり、会場の温度が一気に上がります。vol.2のAプログラムで制作されたこの作品は昨年札幌で再演し、今回の鳥取公演で「踊りに行くぜ!!」Ⅱの巡回地を制覇しました。初演から3年。作家である菅原さんにも、出演者の2人にも、心身ともにさまざまな変化があったと思います。そのことが『MESSY』という作品にどのような変化を与えているのか。何を削ぎ、何を足していくのか。セカンド初の3年連続上演を終えた菅原さんの表情は、すがすがしさというよりも新たな目標を見据えているようで印象的でした。

「MESSY」菅原さちゑ作品    photo:中島伸二 

2作品目は、今年のAプログラムより黒沢美香作品『渚の風<聞こえる編>』。この作品に出演するのは「ミカヅキ会議」という大学教授3人組です。プロのダンサーではないので、本番にあわせた身体的なコントロールはできません。だからこそ舞台上でおきていることは本当にその時・その場でおきていることであり1つ1つのその瞬間がリアリティに溢れるものでした。そんな3人の身体の間に生まれているのは紛れもなくダンスであり、「ダンスはダンサーのためだけのものではない」という黒沢さんの言葉を示すような作品です。各巡回地の舞台の上で、どのようなダンスが生まれるのか。予測不能な楽しみに、一層期待が募ります。

「渚の風<聞こえる編>」    photo:中島伸二 

休憩を挟み、3作目に上演したのは地元作品『クウネルダンス』。毎年9月に鳥の劇場が開催している“鳥の演劇祭”でつくられた作品です。vol.2のAプログラムで鳥取に滞在しダンス・イン・レジデンスをおこなった青木尚哉さんが構成・演出として協力し、鳥取市鹿野町の地元の方々を中心に構成されたコミュニティダンスグループ・とりっとダンスが初めて作・振付を手がけ、2012年に初演をおこないました。その後メンバーの入れ替わりもある中、自分たちで調整を重ねながらつくり上げてきた作品。大きな舞台でAプログラム3作品と並んでも引けをとらないくらい、とりっとダンスの独特のパワーで観客を惹きつけていました。

「クウネルダンス」 とりっとダンス作品  photo:中島伸二 

ラストを飾ったのは、余越保子作品『ZERO ONE』。長年欧州でコンテンポラリーダンサーとしてのキャリアを積んできた福岡さわ実さんと、日本で舞踏をベースにさまざまな作品に出演している福岡まな実さんの双子姉妹が舞台上に現れます。身体経験の違いは踊りだすと明らかで、双子であることを時折忘れてしまうほど。この2人が共演するのは実はこの作品が初めてとのことで注目度が高いのですが、ニューヨークで活躍する余越さんが日本で制作する初めての作品なので、さらに必見です。2人のダンスと映像作品の『Hangman Takuzo』の世界観が融合して、まさに「儚い瞬間を丁寧に紡いだ」作品となっていました。次は仙台公演にて上演されます。

「ZERO ONE 」余越保子作品   photo:中島伸二 

いろいろな意味で幅広い4作品を一挙に上演した鳥取公演でしたが、舞台上の空間にあらわれるその瞬間(ダンス)に立ち会うことの贅沢さをあらためて感じた公演でした。既にAプログラムの2作品は次の上演地にむけて準備を進めています。いずれの作品も劇場という空間で、その場に居合わせた人にしか共有できない作品です。ぜひ、1人でも多くの方に見ていただければと思います。
次の開催地は、仙台です。2/9公演です。



大崎晃伸著『ミカヅキ会議』の稽古レポート〔後編〕

11月に鳥取市鹿野町・鳥の劇場でおこなわれたAプログラム黒沢美香作品のダンス・イン・レジデンス。その時チームに“目撃隊”として同行した大崎晃伸さんが『ミカヅキ会議』の稽古について寄稿してくれたレポートより、後編をご紹介します!いよいよ明日、黒沢美香さんの新作「渚の風<聞こえる編>」はレジデンスをおこなった鳥の劇場にて初演をむかえ、このあとも福岡⇒東京⇒京都へと各地で上演がつづきます。作品を観る前に、観た後に、ぜひご一読ください!

3) かけ合い・やり取り・応答
もうひとつ、黒沢氏が稽古の時に重視されていたことがある。それは「かけ合い」であった。これも先にまとめておくなら、ダンサーが相手の身体、動きのことを無視せず、それらを受けつつ自らも動いていくということだろうか。

横山氏と武藤氏のデュオの部分で、2人が並んで同じ動きをする場面の稽古をしていたとき、黒沢氏のダメ出しが入った。2人は、腕など上半身の動きも加えつつ、同じ動作で回転を進めていく。黒沢氏はそこに「かけ合い」が欲しいと言う。

「あのね横山さんね、武藤さんと「あなた先やるんですね、いや私先やります」っていうかけ合いがあれば先やるのはいいんだけど、勝手には先にできない。」 「いつもこのテンポでやりましょうとか、決めることないんですよ。武藤さんが先だったり、横山さんが先だったり、あるいは一緒だったり。」

2人で同じ動きをやっていて、片割れの動きが1テンポ早く出ることもある。早くなること自体はOKなのだが、それはかけ合いがあっての上でなければいけない。

「いま、やりとりが薄かったですよね。ひとりでやってますね。」

相手の身体を見て、動きを感じとり、その動きを受けて動かなければいけないということだろう。となりには動く身体がある。その身体を無視して、ひとりで淡々と振付を進めてはいけない。動きにOKが出されたときには、黒沢氏はこう言った。「今のが土台だと思いますよ。2人で進んで行こうね、っていうやりとりが見える。」 与えられた振付を2人がそれぞれやればそれでいい、というわけではない。きっと、振付は2人で進めていくものなのだ。相手の動きに遅れが生じれば、その遅れを受けて自分も動く。そうすると、一連の動きのなかに伸び縮みというか、粘りのようなものが出てくる。

「今、(横山さんが)起こされて、これ(腕を振り下ろす)をいつやるかっていう駆け引きが、まずあるはずなんですよ。それに(武藤さんが)乗るか乗らないかの駆け引きが、ここで2つ目に起こると思うんですよ。」腕を振り下ろす動作ひとつにしても、単に2人がそれぞれの振付をやればいいというわけではなく、「間(ま)」をめぐる駆け引きを意識しなければならない。相手が差し出してきたものにすぐに乗るか、それを受け流して、ずれたタイミングで動きを始めるのか。黒沢氏は、常にきっちりと振付のタイミングを合わせなければいけないと言っているのではないと思う。ずれたり、合ったりで構わない。しかしそこに、「駆け引き」や「やり取り」がなければならない。

「かけ合い」や「やり取り」と似た意味で、稽古場で黒沢氏が使っていた言葉に「交流」がある。武藤氏と前野氏がそれぞれ両手を広げて、2人で球のようなものを抱えるように、円を描いて歩いていく、という場面を稽古していた。そのとき、黒沢氏はこう言った。「1番はデュエット・・・2人で、いま、「見つけようとしている」というものが見えたいです。」

そして、2人の動きにOKを出したときにはこう言った。
「はい、今のほうが、交流があるのが見えます。」

先の横山氏と武藤氏のデュオ部分にしろ、この武藤氏と前野氏の場面にしろ、単に動くだけではいけない。その場で2人が探っているものが必要なのだ。振付や動きの指示があるけれども、重要なのは、それを実際に動いているとき、つまり踊りを通じて、2人がなにかを差し出したり受け取ったりするなかで、2人のあいだにあるものを探っていく、ということなのではないだろうか。

例にあげた2つの場面だけではなく、「常に、やりとりがあることを意識してほしい」と黒沢氏は言っていた。 

4) ミカヅキ会議の稽古はどのように進められたか?
最後に、ミカヅキ会議の稽古はどのように進んだか、あるいは黒沢氏はどのように稽古を進めるか、ということに触れておきたい。

 黒沢氏は、欲しい動きに向けてダンサーの動きを訂正していくとき、問題の原因となる地点を探しあてて、修正するということをしていた。はじめに例にあげた横山氏のソロ部分について言えば、手が先に背中を下りていき、その手にひっぱられる力が動きの理由になり、それによって身体が回転する。黒沢氏によれば、その手は「道しるべ」である。回転のなかで、その「道しるべ」、引っぱられる力が弱くなる地点がある。

黒沢氏はその地点を、何度も横山氏の動きを見て、手をとって彼女を引っぱり、さらに自分自身がその動きをやってみることで探りあてていく。横山氏と武藤氏の「駆け引き」の場面でも同じであった。

「どのへんが、応答が薄くなりますか? ありますよね、薄くなるところが?」 

2人のあいだのやり取りが薄くなるところ、黒沢氏はその具体的な場所とその原因を探しあてようとする。この場面は、斜めに並んだ2人が、180度ずつ回転していく。よって、常に後ろのダンサーは前に立つダンサーの動きが見えるが、その逆はできない。だから、ここでは後ろのダンサーが勝手に動き始めてはいけない。前のダンサーは、後ろのダンサーのことが見えないから、動きに反応するということが難しいからだ。この場面で「かけ合い」が生まれるかどうかは、常に後ろのダンサーが、前のダンサーの動きを受け取るか受け流すか、という選択に集中してくる。しかし、180度の回転によって、ダンサーの前後は入れ替わる。「かけ合い」の主導権を握る立場もそれによって変わるのだが、2人はそれに気づかず、ただ回転をしてしまっていた。回転後の自分の立場を意識することで、「かけ合い」が見えてくる。

このように、黒沢氏は、動きにOKを出せないとき、何度も動きを繰り返させて、原因となる場所を探りあて、そこを掘り下げることで解決しようとしていく。その際、黒沢氏が、自らその動きをやってみるなかで、その場所を探りあてようとしていたのが興味深かった。ある動きの次に踏み出す足の方向について考えているとき、黒沢氏がダンサーと同じ動きをやった。そのとき「うーん、この足はこっちに出たいかなあ。」と黒沢氏が言ったのだが、その言葉が非常に印象に残っている。

また、黒沢氏は、「今、決めません」という言葉をよく言った。どれくらいの距離をあけて動きをやるか。動きの流れのなかに、なにかひとつ別の動きを挿入するとき、その大きさやタイミングはどれくらいなのか。決めないで、とりあえず動きを稽古してみる。「探ってみてください」とも言っていた。稽古のなかで、偶然出てきた動きがよしとされることもあった。「そっちに行くこともありかもしれないですよ。」「可能性がないでもないよ。」

これが、ダンスが正に作られている現場なのだと思った。振付家の頭のなかには、実現したい動きのイメージや、OKを出せる動きの基準がある。しかし観客が目にすることができるのは、振付家の頭のなかにいるダンサーではなく、ここに実際にいるミカヅキ会議の3名だ。彼らが動いてみなければ、彼らがどのような動きを実現するのかはわからない。それは、あまりにも当たり前のことかもしれないが。動きを見て初めて、振付家は、自分のなかにある基準に基づいて判断を下せる。

ある幅を持たせた範囲のなかで、動きを試す。そのなかでOKな動きを探していく。あるいは、偶然生まれた動きによって、その幅自体が思わぬ方向に広がることもあるかもしれない。そのなかでまた、試していく。動きを作る作業とは、こういう時間のことを言うのだと思った。

とにかく、やってみなければわからない。やってみて、展開が変わることは常にある。それは、動きのひとつひとつについても、より長い一連の場面についてもそうだろう。正解はどこにあるのか分からない。そのなかで正解を探す行為をする。無からなにかを作りだすとは、そういうことかもしれない。
 
ダンスを作る現場に立ち会うことは、とても興味深い体験だった。踊りを作っていくとはどういうことなのか、自分なりに考えることができた。ミカヅキ会議のみなさん、黒沢美香さん、鳥の劇場のみなさん、貴重な機会をいただき、どうもありがとうございました。



佐成哲夫インタビュー [Bリージョナルダンス:仙台]

「話すのはどうも苦手で・・・ちょっと時間貰っていいですか?」 そう言いながら、外に出て行きなかなか戻って来ない佐成哲夫さん。仙台でのレジデンス・クリエイション4日目終了後の稽古場にて、今回の作品「夢を見ているわけじゃない」について、また出演者についてお話を伺いました。

2013.12.23
聞き手:千葉里佳(からだとメディア研究室代表)
撮影:伊藤み弥
会場:せんだい演劇工房10-BOXにて

―今回、Bプログラムに応募しようと思ったのは?
ここ数年は、即興的なソロパフォーマンスを中心に活動していたのですが、それとは別に人を使っての振付作品を創りたいという思いはずっとあったんですね。それでこの「踊りに行くぜ!!」Ⅱ は前から気にはしていたんです。個人的にもいいタイミングで、思い切って応募しました。本当のこと言うと、応募するならもうちょっと作品の構想を練ってからにしようと考えていたんですね。でも、どうせやるなら今だと思い、テーマを決めて慌てて応募しました。
このBプログラムというのは、馴染みのない土地で、お互いを知らない人達と作品を創るということなんですが、その作業が自分に新鮮な感覚や発見とか気付きをもたらすのではないかと思ったんです。場所や人との出会いから何が生まれるのか。そこに興味があるし、きっと思い通りにはいかないはずで、そうした時にどうするのか、といったことを考えているうちに思いがけないモノが生まれたりとか。そういったことが面白いですね。
この場所で、ここで生活している人たちと作品を創るという過程が、作品やお互いの価値観にどういった影響を与えあうのかこれから楽しみです。

-仙台の街、人の印象はいかがですか?
僕は石川県出身なんですが、気候や風景、穏やかな人の感じがちょっと似ている気がします。だから落ちつきますね。
昨日歩いていて人とぶつかりそうになり、かわそうとして右に左にお見合いになり最後はお互い「すいません」と言って別れたのが面白かったですね。こんなに道は広いのに。それと駅のキヨスクが日中でもやってたり、やってなかったり、なんて自由な。おまけにお店のおばちゃんが喋ること喋ること。そういったちょっとした触れ合いに「仙台に居るんだなあ」って感じますね。
僕は、普段から歩くことが好きなので、ここでも滞在している周辺を結構歩いてますよ。歩くことでその土地にいるという実感が湧いてきます。身体が馴染むというか。来たばかりだと身体もよそよそしく感じますからね。今はまだ滞在場所の住宅地と稽古場の倉庫街の周辺しか見ていませんが、そのうち仙台駅周辺の街も歩きたいですね。

-仙台では今年度初めてBプログラムの出演者オーディションを行ないました。人を選ぶって、大変なことだなあと感じたのですが、出演者を決めるにあたり、佐成さんは応募されてきた方たちに何を求めていたのでしょうか?選出する決め手となったようなものを聞かせてください。
ワークショップ+オーディションが終わった直後は、全員で作品を創ろうと思いました。みんなからやる気を感じたので。それさえあればなんとかなるでしょ、と思って。でも実際の限られた稽古期間のことなど考えると、ちょっと厳しいかもと。それと自分が何をやりたいのかを含め、もう一度考え直しました。
僕はシンプルなことをしている時の身体を見ています。例えば、ただ普通に歩くとか、ゆっくり歩くとか止まるとか。そういうことが僕は重要だと思っているし、その人の持っている身体の感覚や感性など少なからず見える気がします。ダンスのテクニックはそんなに重要だとは感じていません。舞台にしっかり立つことが出来ればそれでいいのです。
それと全体的なバランスを見て決めて行きました。今回はたまたま10代が4人、40代が2人と変わった構成となりましたね。この対比も面白いなあと思って。

— 先日、クリエイションの中で出演者たちに「存在感のステキな人たち」とおっしゃっていましたが、佐成さんにとって「存在感」とはどういうモノ/どういうことなんでしょうか?
何なんですかね?目に見えない、とても感覚的なことなんですけど、きっとその人が持っている生命エネルギーのようなものなんでしょうね。
よく立っているだけで素敵だとか、そこにいるだけで圧倒されたりすることがあるのですが、それがその人が持っている存在感なんだと思ってます。

— 作品の中に登場する「本たち」は、佐成さんの作品にとってどういう役割を担っているのでしょうか?
本をモチーフに初めて使ったのは、ダンス白州でのパフォーマンスの時です。その時は役者とのコラボレーションだったのですが、相手が或る脚本を題材に演技をするなら自分は本を持って踊ろうという単純な発想だったんです。
いざやってみると、 その時の身体の状態が面白くて新鮮でしたね。本の一点に常に視線を集中しながら歩いたり、いろんな動きをしてみたりとか。視線を固定すると、簡単なことでも難しくなるんです。本を読みながら歩くとか動く、「○○しながら◇◇する」といった二つのことを同時にするということはものすごく集中しないと出来ないですし。だから、本を読みながら歩いている人ってあんまりいないじゃないですか。実際危ないですよ。その「ありそうでない感じ」が好きなんです。
それで、その後も本は何度か作品で使ってます。もちろん本の存在はビジュアル的にも印象的ですし。また、本は開いて始まり、閉じて終わりますよね。その繰り返しがいろんな事を連想させるんです。今回の作品は夢と現実がテーマとしてありますが、夢は寝ている時に見て、起きると現実ですよね。言ってみれば夢と現実は、寝ると起きるの繰り返しです。生まれてから死ぬまで誰であろうが、時代も年齢も関係無く永遠に繰り返されていることです。生と死ももしかしたらそうかもしれません。繰り返しとかサイクルというのは、生命の基本的活動だという気がしています。
この作品の中での本は現実と夢を繋ぐ役目としての存在です。現実と夢を行き来する重要な存在なのです。

ー佐成さんは、なぜ踊っているのですか?
とにかく何かを表現したいという思いは小さい頃からずっとあって、それでデッサンや作曲、ボイストレーニングや演技、ダンスを習ったんです。やりたいと思ったことを手当たり次第になんでも始めたんです。そうした結果、いまダンスをしているわけです。

—「表現したい」とは「人前で何かしたい」ということですか?
最初は、それはあまり考えなかったですね。まずはカタチにすることからです。もちろん最終的にはそれを望んでいましたが。
それで今、実際に人前で踊っていますが、単純に踊ることが好きなんです。その踊りたいという欲求がどこから来るのかはわかりません。でもその欲求は常にあるんです。
踊るということは、自分の存在を自分の身を持って表現するものだと思うし、生きているという実感を強く感じる瞬間でもあります。極端なこと言うと、この身体と共に生きているということ自体がダンスなのかもしれません。

— 今回の「夢を見ているわけじゃない」という作品を通して伝えたいことは何ですか?
この作品で一番表現したいことは、「夢から覚めた瞬間」です。痛切に現実を感じる瞬間のひとつだと思っています。夢という世界を自分は現実だと思っていたのに、違っていた。夢だったのです。でもきっと、夢の中の自分に「夢を見てるの?」って問われたら「夢じゃない」って答えると思います。
普段の生活でも自分はこういうつもりだったのに、実際は違っていたということはたくさんあって、そういうことに「気付いた時」と「夢から覚めた瞬間」とは同じような感覚があります。なんだか嬉しかったり、辛かったり、いろんな感覚が押し寄せる瞬間ですね。いまこの瞬間も夢だったとしたらなんて絶対思えないですけど。いつだって夢の中だって自分は現実を生きていると思っているんです。

-日常生活のなかで「アレ?」っていう気付きと、夢から覚めた瞬間に同じような感覚があるって、確かにそうですね。「夢」と「現実」ってまったく異なるもののように思っていましたけど、何だかこうやって考えると、どちらも不確かなものなのかもしれませんね。
そうなんです。それで「目が覚める」「気付く」その瞬間が、より今を確かに感じる時のひとつだと思うのです。だからそこにフォーカスを合わせたいと思っています。

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紙を置く。拾う。紙を撒く。拾う。
何度もくり返される動き。

ひたすら何かがやってくるのを待つかのように、じっと出演者を観察している佐成さん。
最初は、何をさせられているのかわからず、ひたすらやってみている出演者たち。
集中するほどにギャグを連発している佐成さん。
佐成さんのギャグに「え?わからない」と反応する10代の出演者たち。
そんな、なんとも云えない不思議な距離感で進んでいくクリエイション。
今までのBプログラムのときとは、様子が違っていて大丈夫かなあ、と思いながら
稽古を見守っていた。

けれど、レジデンス6日目に行われた「途中経過発表」では、
出演者たちのカラダ、いくつもの動きの紙片から、佐成さんが描こうとしている世界が見えてきていて、なんだか夢の中にいるような感覚になった。

オーディションによって佐成さんに選ばれた、という点だけでつながった出演者たち。
正直言って、まだ、信頼関係が生まれているとは思えないし、どちらかというと曖昧で、お互い遠慮しているような関係に近い。
そうやって考えてみたら、約束だって、ルールだって、信頼関係だって、“絶対”なんてものはなくて、“不確かなもの”だらけなのかもしれない。

でも、そこに、確かに何かが見えてきているのだ。

じゃあ“確かなもの”って、何なんだろう?
“確かなもの“ってどこにあるんだろう?そんなことを、考えたりしていました。

今さらながら、Bプログラムならではのマジックを感じています。
この先、作品も、佐成さんと出演者との距離感も、どのように展開していくのか、
愉しみです。



巡回初演地・札幌は満席御礼!!

レポート:千代苑子(JCDN/踊2制作スタッフ)
撮影:GO(go-photograph.com)

札幌公演 会場:生活支援型文化施設コンカリーニョ

1月10日(金)いよいよ雪の札幌から巡回公演がスタートしました。今回の公演、なんと2日前からチケットは売り止め!!年が明けていちだんと冷え込み、北海道の人も驚くような寒さの中、たくさんの方が足を運んでくださり当日は満席となりました!お越しいただいた皆さま、ありがとうございました。3月までの全国巡回に向けて幸先よいスタートをきることができました。

札幌公演のラインナップは4作品。各作品のようすを上演順にご紹介していきます。

まず始めに、再演プログラムとして3年ぶりの上演となる村山華子作品『カレイなる家族の食卓』。この作品はvol.1のAプログラムで制作され、最終地の東京公演は3.11の影響で中止となりましたが、2011年5月に振替公演をおこなって以来の再演となりました。映像や美術を効果的に活かした、まるで物語を見ているような楽しい作品ですが、その奥にある強いメッセージに、村山さんのぶれない芯の強さを感じます。ダンス・イン・レジデンスで村山華子作品と森田淑子作品が滞在制作した和歌山・上富田文化会館の那須文彦さんがはるばる札幌まで駆けつけてくださり、メンバーと3年ぶりの再会を果たす場面も。今回は一度きりの上演となり残念ですが、札幌のたくさんのお客様とともにこの貴重な再演の場に立ち会うことができ、とても幸せな時間となりました。

次にご当地作品として上演するのは、東海林靖志作品『アフタートーク』。やわらかく自由に動く東海林さんの身体はとても興味深く、12月に行われたワーク・イン・プログレスに参加した観客の方からは、「ダンスも曲も変わりましたね。ワーク・イン・プログレスに参加し、作品がどのように変化し完成したか、制作者の思いも知ることができ、ただ見るだけではなく大変よかった。」という声もいただいた一方で、作品のコンセプトやテーマを深めていくという作業の中では東海林さん自身、かなりの試行錯誤があったそうです。今回の札幌公演で他のプログラムの作品を見たり、アーティスト同士交流する中で多くの刺激を受け、たくさんの気づきを得ることができた、と話してくださいました。この経験を活かしたこれからの東海林さんの活動に期待を寄せたいと思います。

休憩を挟み、Aプログラムの森田淑子作品『ヤマナイ、ミミナリ』。これから始まる全国巡回を前に、重要な初演をむかえました。2年ごしで作品制作に取り組む森田さんの想いは強く、作品の構想もいっそう深まっているようす。美術や音楽担当も含めたフルメンバーで札幌入りし、テクニカルスタッフとの最後の調整もおこなって、ようやく初演の幕があがりました。このあと仙台・東京・京都と再演を重ねていく中で、森田さんがどのようにこの作品と向き合っていくのか。期待を募らせ、クリエイション・ドキュメントを追いかけながら、注目していきたいと思います。

札幌公演のラストを飾ったのは、WSオーディションで選出した札幌のダンサーとともにつくられた隅地茉歩作品『Avecアヴェク~とともに』。ややあどけなさが残る中高生の2人が現れトークが始まると、そのかわいい笑顔にお客さんも和みます。ところがこの2人が踊り始めると、劇場の空気はガラッとかわりました。この作品の出演者は全員5年以上の経験をもつダンサーです。次々に登場するダンサー1人1人の迫力、貫禄。私は11月のオーディションのときに一度皆さんにお会いしていたのですが、公演までのクリエイションの中で隅地さんの手によって見事に1人1人の個性が引き出され、さらにうまく調合されて、年齢・経験さまざまな男女6人によるアヴェクの世界が描かれていました。打ち上げのとき、フレーズのすべてを隅地さんが振付けたときのようすを語る表情から、札幌の地で育まれたこの作品や出演者に対する隅地さんの大きな愛を感じたような気がしました。

札幌公演は盛りだくさんの内容であっという間の2時間40分でした。アーティスト自身が綴るクリエイション・ドキュメントでは、制作過程のようすや作品に対する作家本人の想いを覗くことができます。また、PHOTO(Flickr)では巡回公演のようすをどしどしアップして各地の熱をリアルタイムでお届けしていきたいと思います。引きつづき、ご注目ください!

森田淑子クリエイション・ドキュメント
https://www.facebook.com/odori2morita

隅地茉歩クリエイション・ドキュメント
http://ameblo.jp/dance2-seleno-maho/

札幌公演のようすはこちら(PHOTO)
http://www.flickr.com/photos/106107123@N02/



巡回公演開始。今日は札幌公演です!

 
 明けましておめでとうございます。2014年いよいよ巡回公演の幕開けです。
「踊2」のプログラム・ディレクターの水野です。3月までの巡回公演まで、どうぞよろしくお願いします。
1月のスタートは、雪の札幌コンカリーニョから。
 7月の公募選考から約半年間、紙の上での新作のプランを実際に舞台作品としてつくるまで、Aプログラムはチームメンバーでダンス・イン・レジデンスを経て、Bプログラムは各地に振付家が滞在してその地で制作を重ねてきた。各チーム、あるときはのぼり調子、あるときは停滞気味になり、紆余曲折・試行錯誤しながら、それでも幕の開く時間は待ってくれず、作品の完成の帳尻を合わせてきた。

 「踊2」は有名無名を問わずダンス作品をつくりたい、つくりたい作品がある作家すべてにチャンスが開かれているプロジェクト。
年内に約半年でつくり、年明けにその作品を3-4か所で発表する公演の場が用意されている。作家にとってタイトなスケジュールやプレッシャーはあるが、各地での集客の心配もせず、作品発表に集中できる環境が確実に保障されている。
 誰もまだ見ぬ新作がどのようなものになるのか、各地の主催者もわからない。とてつもなく衝撃的な作品か、はたまた凡庸なものか、同時代性の高い作品になるのか。。。ただ、半年間、作品制作に集中してむかった作品だということは大きい。

 いまこのような時代に、商業的な派手さもエンタテーメント性もないイベントだが、私たち観客の隣にいる人が、ひとつの自分のこだわりに向かい、それを舞台作品にとして完成させつくりあげること、そのことに興味を持ち見つめる時間というものは、かけがえのない尊いものだと信じこの踊2を開催している。

 今夜は4作品を上演します。
Aプログラムより今年度の新作初演 森田淑子作品「ヤマナイ、ミミナリ」、2010年度再演村山華子「カレイなる家族の食卓」の2作品。
Bプログラムより隅地茉歩作品「Avec アヴェクとともに」(札幌出演者と制作)
ご当地プログラム 東海林靖志作品「アフタートーク」

2時間半の上演時間予定、雪の札幌を舞台熱が溶かしそうです。

 



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