11月に鳥取市鹿野町・鳥の劇場でおこなわれたAプログラム黒沢美香作品のダンス・イン・レジデンス。その時チームに“目撃隊”として同行した大崎晃伸さんが『ミカヅキ会議』の稽古について寄稿してくれたレポートより、後編をご紹介します!いよいよ明日、黒沢美香さんの新作「渚の風<聞こえる編>」はレジデンスをおこなった鳥の劇場にて初演をむかえ、このあとも福岡⇒東京⇒京都へと各地で上演がつづきます。作品を観る前に、観た後に、ぜひご一読ください!

3) かけ合い・やり取り・応答
もうひとつ、黒沢氏が稽古の時に重視されていたことがある。それは「かけ合い」であった。これも先にまとめておくなら、ダンサーが相手の身体、動きのことを無視せず、それらを受けつつ自らも動いていくということだろうか。

横山氏と武藤氏のデュオの部分で、2人が並んで同じ動きをする場面の稽古をしていたとき、黒沢氏のダメ出しが入った。2人は、腕など上半身の動きも加えつつ、同じ動作で回転を進めていく。黒沢氏はそこに「かけ合い」が欲しいと言う。

「あのね横山さんね、武藤さんと「あなた先やるんですね、いや私先やります」っていうかけ合いがあれば先やるのはいいんだけど、勝手には先にできない。」 「いつもこのテンポでやりましょうとか、決めることないんですよ。武藤さんが先だったり、横山さんが先だったり、あるいは一緒だったり。」

2人で同じ動きをやっていて、片割れの動きが1テンポ早く出ることもある。早くなること自体はOKなのだが、それはかけ合いがあっての上でなければいけない。

「いま、やりとりが薄かったですよね。ひとりでやってますね。」

相手の身体を見て、動きを感じとり、その動きを受けて動かなければいけないということだろう。となりには動く身体がある。その身体を無視して、ひとりで淡々と振付を進めてはいけない。動きにOKが出されたときには、黒沢氏はこう言った。「今のが土台だと思いますよ。2人で進んで行こうね、っていうやりとりが見える。」 与えられた振付を2人がそれぞれやればそれでいい、というわけではない。きっと、振付は2人で進めていくものなのだ。相手の動きに遅れが生じれば、その遅れを受けて自分も動く。そうすると、一連の動きのなかに伸び縮みというか、粘りのようなものが出てくる。

「今、(横山さんが)起こされて、これ(腕を振り下ろす)をいつやるかっていう駆け引きが、まずあるはずなんですよ。それに(武藤さんが)乗るか乗らないかの駆け引きが、ここで2つ目に起こると思うんですよ。」腕を振り下ろす動作ひとつにしても、単に2人がそれぞれの振付をやればいいというわけではなく、「間(ま)」をめぐる駆け引きを意識しなければならない。相手が差し出してきたものにすぐに乗るか、それを受け流して、ずれたタイミングで動きを始めるのか。黒沢氏は、常にきっちりと振付のタイミングを合わせなければいけないと言っているのではないと思う。ずれたり、合ったりで構わない。しかしそこに、「駆け引き」や「やり取り」がなければならない。

「かけ合い」や「やり取り」と似た意味で、稽古場で黒沢氏が使っていた言葉に「交流」がある。武藤氏と前野氏がそれぞれ両手を広げて、2人で球のようなものを抱えるように、円を描いて歩いていく、という場面を稽古していた。そのとき、黒沢氏はこう言った。「1番はデュエット・・・2人で、いま、「見つけようとしている」というものが見えたいです。」

そして、2人の動きにOKを出したときにはこう言った。
「はい、今のほうが、交流があるのが見えます。」

先の横山氏と武藤氏のデュオ部分にしろ、この武藤氏と前野氏の場面にしろ、単に動くだけではいけない。その場で2人が探っているものが必要なのだ。振付や動きの指示があるけれども、重要なのは、それを実際に動いているとき、つまり踊りを通じて、2人がなにかを差し出したり受け取ったりするなかで、2人のあいだにあるものを探っていく、ということなのではないだろうか。

例にあげた2つの場面だけではなく、「常に、やりとりがあることを意識してほしい」と黒沢氏は言っていた。 

4) ミカヅキ会議の稽古はどのように進められたか?
最後に、ミカヅキ会議の稽古はどのように進んだか、あるいは黒沢氏はどのように稽古を進めるか、ということに触れておきたい。

 黒沢氏は、欲しい動きに向けてダンサーの動きを訂正していくとき、問題の原因となる地点を探しあてて、修正するということをしていた。はじめに例にあげた横山氏のソロ部分について言えば、手が先に背中を下りていき、その手にひっぱられる力が動きの理由になり、それによって身体が回転する。黒沢氏によれば、その手は「道しるべ」である。回転のなかで、その「道しるべ」、引っぱられる力が弱くなる地点がある。

黒沢氏はその地点を、何度も横山氏の動きを見て、手をとって彼女を引っぱり、さらに自分自身がその動きをやってみることで探りあてていく。横山氏と武藤氏の「駆け引き」の場面でも同じであった。

「どのへんが、応答が薄くなりますか? ありますよね、薄くなるところが?」 

2人のあいだのやり取りが薄くなるところ、黒沢氏はその具体的な場所とその原因を探しあてようとする。この場面は、斜めに並んだ2人が、180度ずつ回転していく。よって、常に後ろのダンサーは前に立つダンサーの動きが見えるが、その逆はできない。だから、ここでは後ろのダンサーが勝手に動き始めてはいけない。前のダンサーは、後ろのダンサーのことが見えないから、動きに反応するということが難しいからだ。この場面で「かけ合い」が生まれるかどうかは、常に後ろのダンサーが、前のダンサーの動きを受け取るか受け流すか、という選択に集中してくる。しかし、180度の回転によって、ダンサーの前後は入れ替わる。「かけ合い」の主導権を握る立場もそれによって変わるのだが、2人はそれに気づかず、ただ回転をしてしまっていた。回転後の自分の立場を意識することで、「かけ合い」が見えてくる。

このように、黒沢氏は、動きにOKを出せないとき、何度も動きを繰り返させて、原因となる場所を探りあて、そこを掘り下げることで解決しようとしていく。その際、黒沢氏が、自らその動きをやってみるなかで、その場所を探りあてようとしていたのが興味深かった。ある動きの次に踏み出す足の方向について考えているとき、黒沢氏がダンサーと同じ動きをやった。そのとき「うーん、この足はこっちに出たいかなあ。」と黒沢氏が言ったのだが、その言葉が非常に印象に残っている。

また、黒沢氏は、「今、決めません」という言葉をよく言った。どれくらいの距離をあけて動きをやるか。動きの流れのなかに、なにかひとつ別の動きを挿入するとき、その大きさやタイミングはどれくらいなのか。決めないで、とりあえず動きを稽古してみる。「探ってみてください」とも言っていた。稽古のなかで、偶然出てきた動きがよしとされることもあった。「そっちに行くこともありかもしれないですよ。」「可能性がないでもないよ。」

これが、ダンスが正に作られている現場なのだと思った。振付家の頭のなかには、実現したい動きのイメージや、OKを出せる動きの基準がある。しかし観客が目にすることができるのは、振付家の頭のなかにいるダンサーではなく、ここに実際にいるミカヅキ会議の3名だ。彼らが動いてみなければ、彼らがどのような動きを実現するのかはわからない。それは、あまりにも当たり前のことかもしれないが。動きを見て初めて、振付家は、自分のなかにある基準に基づいて判断を下せる。

ある幅を持たせた範囲のなかで、動きを試す。そのなかでOKな動きを探していく。あるいは、偶然生まれた動きによって、その幅自体が思わぬ方向に広がることもあるかもしれない。そのなかでまた、試していく。動きを作る作業とは、こういう時間のことを言うのだと思った。

とにかく、やってみなければわからない。やってみて、展開が変わることは常にある。それは、動きのひとつひとつについても、より長い一連の場面についてもそうだろう。正解はどこにあるのか分からない。そのなかで正解を探す行為をする。無からなにかを作りだすとは、そういうことかもしれない。
 
ダンスを作る現場に立ち会うことは、とても興味深い体験だった。踊りを作っていくとはどういうことなのか、自分なりに考えることができた。ミカヅキ会議のみなさん、黒沢美香さん、鳥の劇場のみなさん、貴重な機会をいただき、どうもありがとうございました。