稽古の様子をアップしたよ。
このままで本当に構成やら、ダンスやらができるのかどうかが不安でたまらない。なにを表現するのかをこの短い期間で伝えられるだろうか?まだ構成を組み替えるところまでもきてない。この後の長い道のりをみんなだけでどうにかつめることはできるだろうか?今日もほとんど休みなしで、みんなよくついてはくる。休みあけには本当につめなくてはいけなくて….そうして1月8日からは通ししかできない。それまでに衣装も音も照明も決定しなくてはいけない。ここから全員を使う構成と1人の構成と2人デュオやトリオの構成にわけなくてはいけないのに….できてないけど次にいくために、メールで構成の組み替えを伝えようかな。いつものようにダメだしや演出ができるところまではきていないので…それは次からにして。今一度撮ったビデオをみて構成をきめて、後でみんなにメールしようと思う。本当は新しいところももっとやりたいのですが、どのようにつめてゆけばいいかがみえない。今でほぼ30分になっているのですが、どうしてフレーズがたりないように思う。みんながどのくらい踊れるか?どのくらいダンスを理解できるかにかかっている。リアリティーのないものが嫌いな私はリアリティーのある身体を求める。みんなが持っているテクニックや表現の限界を探し、そこに新しいダンスをみてゆくことなのです。それが松山にしかない、みんなの、出演者個人、個人のダンスになってゆくのです。それに年齢など関係ありません。今できる自分自身の表現がそこにあれば、私は世界にむけて発信してゆけるものだと思っている。松山のダンサー達が他と比べておとっているとすれば、もっと貪欲に、この踊りはなんなのか?と考えぬくだけのことのような気がする。

この振りは無くなり、もう舞台に立てないかもしれない。という驚異みたいなものがないからかもしれないのかもしれない。私は、稽古場でダンサーが泣くのを目にするが、泣いたところでどうにもならないし、ケガしたら、そこのダンスが他の人にまわるだけのことなのだ。みんなわかっている。なによりも作品至上主義なのです。それでも、他のスタッフに言わせると、私はついつい出演者全員のことを考えるクセがあり仲間意識が強くなる。どうにか、出演者みんなを良きものにしたいと思うのです。そうして、みんなどうにか踊らせたいと思ってしまう。それはダメなことなのかもしれないけれど、その人なりの輝きかたがあるからね。

みんな辛いけど、楽しいといいながら本当によくついてきている。本当だったら弱音をはく人もいるはずだ。これだけの量のダンスを憶えて、うごいて、つめこまれて、また変更。
みんなとは初めて一緒にやっているのに本当によくついてきている。しかし、作品のことを考えるときらなくてはいけないシーンは山ほどあり、これから本当の意味での作品への取り組みが始まる。