03.24
八戸には「ウミネコステーション」がある
3月11日にありました東北関東大地震で被害にあわれた方々に心よりお見舞い申し上げます。
気づいたら踊りに行くぜ・八戸公演から1ヶ月が経ちました。
今回演出アシスタントとして関わりました、磯島未来です。
ウミネコと私の縁は私が八戸に生まれたときには既に始まっていたけれど、今回の「ウミネコステーション」との縁はいつから始まっていたのだろうか、などなど考えているうちに「ウミネコステーション」は終演を迎えていました。
初ブログ投稿でもう終わってしまった日々のことを書くだなんて実に難しいですが、書くことでまたあの日々を振り返りたいので、書いていきます。
12月上旬、八戸ウミネコダンサーズのワークショップの数日間。
2年ぶりに八戸に帰ってきたばかりで時間や温度感覚が取り戻せない頭と身体で市役所に何度か通ううちに、今回の話の規模の大きさをやっと知っていき、日本から離れた場所で呑気に構えていたことを打ち合わせ中にひしひし感じました。
何事も手探り状態で、何かに触れられたのかどうなのか自分の中で曖昧であった12月のワークショップ。それでも、1月終わりの再会を楽しみにさようなら。
年は暮れ新しい年が来て、1ヵ月半ぶりにワークショップを再開する前に1月下旬に前乗り来八してくれた珠実さん。二人で打ち合わせをして次の日からは怒涛の3週間がスタート。
時間は永遠に無く、本番前に時間はいつももっとあって欲しいと願うのですが今回ほど願ったことは無かったです。思い出しても3週間。
あれは3週間かぁ。
演出補佐で関わっている自分であたふたしているのだから、参加した八戸のダンサーズは「?」をもっと持っていたのです。それも分かっていながら強引に推し進めていた毎日でした。「これ、どうなるの」と、この先にある未知の時間にこれまで見たことがない知らない世界に、参加者の方々は私たちに自分たちの身体を恐々と時に勇ましく預けてくれましたがそれを知り見てしまうと、そこに新しい欲が出て新たに別のより高い要求を出してまた「?」が生まれる。でもたくましい。
そのような時間の積み重ねだったように思い出します。
稽古の前には稽古の為の打ち合わせをし、稽古をし、稽古後には今日を振り返って、作品について話し、また次の日になったらその日の稽古の段取りを考えて作品のことを考える。
リハーサルの後半では余裕を持って話し合いをしていたのかどうかすら、何をしていたのかすら、おぼろげで、それでもとにかく毎日稽古に向かってダンサーと向き合う。
28人のダンサー+珠実さんの居る場所、つまりはリハーサル場に着くと、それまでの疲れがどこかに消え去っていて不思議。毎日がその繰り返し。
2月11日の「はっち」のオープニング、そして19・20日の踊りに行くぜ。
怒涛でした。良いことだけとはいえない怒涛の日々でした。(ここを詳しく書こうとするとあと1ヶ月くらいかかりそう。)
19・20日の踊りに行くぜ本番、客席から観れず作品がどのように仕上がっているのか見届けられなかったのは演出で関わっていた以上少し残念でしたが、本番では出演者として舞台袖・舞台上で、出演者の舞台に向かう姿勢、暖かい時間の流れ、皆の呼吸が聞こえるあの時間の中に身を置けて良い時間を過ごしました。
今回、「はっち」オープニング事業など規模が大きかったこともあり、関わってくださった方がたくさんいらっしゃいました。毎度思うことですが、特に今回は地元ということもありその気持ちも一層強いのですが、皆々様に心より感謝します。
たくさんの人たちと出会い多くのことを学び、地域でダンスをする、ことをよく考えた日々でした。
素敵な日々を、本当にありがとうございました。
寝る前にあの本番で過ごした時間を思い出すと、ウミネコダンサーズと共有した時間が遠くのことにも昨日のことのようにも思えて時間の旅をしているかのようです。
またあのウミネコステーションが見たいです。
何かを続けていくことは簡単なことではないですが、いつかまたウミネコダンサーズと会える日が来るよう願ってます。
地震の影響で心身ともに、生活が落ち着かないところもあるかと思いますが、
どうかお身体を労わってください。
磯島未来
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