昨夜から、東京は嵐です。
嵐に合わせるように、ぜんそくがひどいです。背中と腰に痛みがきます。
自然がそうなら、わたしもそうなんだろう、今日は家にいようー、と。

そこで、最近きになった2冊の本を眺めました。

一冊は、けっこう共感、一冊は、ちょっとだけ違和感 を感じた、2冊です。
「一銭五厘の旗(昭和46年初版)」と「世界を救うショッピングガイド(2009年初版)」。

戦後の日本人の意識が、弱者から強者になった、
物質的な豊かさが、そのまま人の 強・弱 と認識された、
その変遷を感じさせる組み合わせな気がしました。

ショッピングガイドには、フェアトレード商品が詳細に掲載されています。

わたしがフェアトレードに興味を持ったのは、2004年のこと。
友人が会社を立ち上げ、エクアドルのコーヒー農園とのフェアトレード商品を売り出していました。
そのコーヒーやチョコは、他のものよりおいしくて、パッケージがかわいくて、
アクセサリーが自分の肌の色に合っていて、うれしかった。

うれしかったから、飲んで食べて着けて楽しんだけど
フェアトレード、という言葉については、考えていました。

だって、人同士ってどんな状況でも、あくまでも、もともと、フェアだと思う。
一人で生きてるなんて、ありえない。もともと、役割分担してみんなで生きてるはず。
それは、どんなに都市化した場所でもそう。
それは、雨が雨単独で、いきなり空中から現れて降ることがないのと同じだ。

友人の場合は、エクアドルの○○さんっていう人と一緒に何か、というところから
始まったと聞いていたから、そのつながりは、フェアトレードと呼ばれなくても
もともとフェアであって、すごく自然なつながりだと思っていて。

わざわざ、フェアとつけなくてはいけない、トレードがある背景に、
もともとフェアであってもらってはよろしくない、と思う物質的な強者、が見え隠れしてる気がして。
あー、なんか気持ち悪いなぁー、と。

ショッピングガイドを眺めたとき、「助けてあげよう」という言葉が目に入った。
買い手は、自分だけは、死と隣合わせにならないし、死なないと思っているのだろうか。
もちろん、そういう商品だけが掲載されているわけじゃない。
カラダや環境に負担がかからないものが欲しい、と思ったら、すごいよい買い物ができると思う。
普段から、カラダや環境の死に直面している人達のつくったものほど、よくできているものはないと思える紙面もあって。

特許庁意匠課に勤めていたとき、医療機器のデザインの調査仕事をしていた。
毎日大量の資料を、機械的に審査するストレスはあっても、なぜか、医療機器はいやじゃなかった。

死や傷、痛みと毎日直面する現場から生まれるデザイン。
死に直面する痛みは、どんなに経験しても薄れないんだなと思った。
頭を切らないでも手術できるカテーテル、痛みのないインシュリン注射機
カラダの痛み、心の痛みをすこしでも、和らげたい、ともに背負いたい、という願いが
日々、大量に形になって、図面におこされてくる。

生活がぎりぎりだったり、常に死と隣り合わせに生きる人達、死に行く人達が望むとすれば、
物質的に持っていること、を「豊か」とする人達に、
明日、体をうしなっても、つまり、物質的に死んでも、悔いがない状態を望む。
今を図々しいくらい生き生き、生きたい、その思いを共感してもらうことを望むと思う。

体を持たなくなることを、死とするなら、
生き物の死亡率は100%。自分だけが死なないと思ってほしくない。
だから、今生きてることが大切だ。そう思ったら、何をするかな。

私の場合、好きに生きることを選んでると思う。
だから、東京での生活、って面でいれば、すっごい大変です。お金にならないし。
でも、今は、ぎりぎりまでお金にならなくてもよいことを選んでるし。
もちろん自然にお金になってくこともある状態。

買いあさるように、自分から取りにいくことはしたくない、
けど、自然に巡ってきたものは、受け止めたい。

去年の春夏は、お金も食べ物もなくなって、「東京で飢餓」という言葉が頭をかすった。。
お金をとりにいくこと、そうしないこと、さまよった時期。
でも、体にくると、これはヤバいと思って、
でも、一人でガツガツお金をとりにいくんじゃなくて、
そうだ、まず、人に助けを求めようと思いました。
「このように困っていて、助けが必要です。」
助けてもらえるときもあったし、助けてもらないときもありました。

人をたよってみる。利用するんじゃなくて、信じて相談してみる。
そっちの方が、精神的に豊かだと思うし、それをキープしたいと思う。
信じて裏切られることも、たしかに多くある。ほとんどそうかもしんない。
でも、今、私が生きてるってことは、信じてよい人や状況も同じくらい、いやそれ以上に
あるってことかもしんない。

きついなーと思っても、「たーいへーん」と、とりあえず笑い飛ばせてるし
そういう人間が、東京に一人でもいることが、なんか、必要な気がする。

毎日作品をつくって、踊ろうと思うし、描こうと思う。
せきの痛みが、もー、背中にも腰にもくるし、体はいたって不自由だけど、心のままに踊る。
踊りがきつくなったら、手だけでも動かす、あとは、歌うか!体をゆらしてうたう。

すごく、シンプルなんだな、と思う。
これは、もう一冊の本、「一銭五厘の旗」をつくってはためかせた人の
こころなんじゃないかな、と思った。

あたしはここで図々しく生きてるぞー、と旗をふりたい。
ありあわせの布でも、センスでいいかんじの旗にする。
いままでだって、どーにかそうやってきたし。

チラシのモデルで海に行ったとき、小道具に旗をリクエストした。
カメラマン大橋さんと話して、「わざわざつくらないで、今あるものでやろう」となって、
衣裳もやめて、その日着ていった服で、その日巻いていた99円のストールを、海に向かってふった。
「おーい、ここにいるぞー」と。海風でふらつつきながらも、気持ち的には仁王立ちしました。
振替公演のチラシ、その写真が載っていた。なんかうれしいな。

明日から、森下スタジオで稽古がはじまります。
というか、振替公演が決まったこともすごい大きいけど、立派なスタジオまでついてきちゃった。
おー、これ、すごいよー。でっかいプレゼント巡ってきたよぅー、と思って。
もうこれは、セキしながらも、好きに踊るしかないな。