八戸ー福岡ー伊丹ー とまわり、
東京公演本番の日に、地震が発生しました。 まだ、ツアーが終われない。そう思います。

数日、それでも作品をつくって生きる必然性について思いをめぐらせました。

ずっと、なにか言いたかったけど言えなかった。
きっと、わたしは、作品で言えているであろうことを
素の自分として言葉に発することがなかなか出来ないでいた。
なぜ、言えなかったのだろう。

それは、作品の世界内で言えていることを、日常のリアルとして感じ得ていなかったから。
フィクションのままのような気がした。
ダンスが現実にならない、わざわざ表現しにいかなきゃならないダンスになってる。
つきうごかされて踊るダンスではなく、一生懸命踊りにいくダンス、、
それは、自分がやりたいことじゃない。
やはり、作品は日々生きることの結果なんだと、実感しました。

今回のカレイなる家族は、素の私、日常に対する
願いも込めてストーリーを考えました。

子供時代に、私が感じ取った
人のこころが死んでしまう風景、自分もそれでココロを失いそうになった孤独と絶望
なんていうか、顔の見えない集団、社会に対しての一個人ってやはりとても弱いこと
あおられやすい人の心がある、そのリアリティを、人に共有してほしかった。
でも、同時に、強い面もある。ひとは、けっこうタフでしたたか、
案外ひょんとしたことで、失いそうな心を取り戻しにいく。
その強い、生命力みたいなものを信じたい気持ちがあった。
そういう強さに、出会ったような出会わないような、、、
自分のなかにも、ないようであるような、、
日常で稽古で、どう信じにいけばいいのか、さまよっていました。

それでも、作品をとにかくつくろう、とまず動いてみたことは正しかった。
信じにいくのに、自分ができることが、去年の7月は作品しかなかった。
ひとりでこもっていても、わからないものはわからない、人にあたってみようと。

で、今こうして、言葉を発せられてること自体が、
信じたかった生命力に出会っていることなんだと思う。。
それは、自分のだけじゃなくて、まわりの人達のも。

地震のあと、数日でみた光景
スーパーにもコンビニにも荒れた棚がみられ、
人が何かに気持ちをあおられて、先をあらそった跡がある。

見えない集団の空気、にたいして、一個人はやはり弱いんだと痛感した。
わたしも、こわかった。けれど、その恐怖は自分の中からきていないとも思った。
見えないなにかにあおられて発生するこわさ。
マイペースを失っちゃいけない、とおもった。

それから、互いに声をかけって、一個人どうしがつながろうとする行動が自分のまわりで
起こりました。ツイッターやメールを駆使して。
テレビはオフにした。顔の見えないマスメディアではなく、顔を知ってる一人、の
信頼性にお互いが助けられてた。
そうやって、こころを保とうとする人達が確かにいた。

心を失って生きることをひとつの死とするなら、
その死ととなりあわせに生きることほど、人を生き生きとさせることはないのかもしれない。
でも、そうなるには、一人ではないってことを実感する必要がある。

人のこころに後押しされるように、自分のなかから、
ずっととじこめていた言葉がでてくるのがわかって、
これまでも、ひとの真心に支えられてきたんだと、ひらめくものがありました。
ほんとに、ひとりじゃなかったんだ、と。

心を失って死んだように生きる、人を押しのけてただ生き残るために生きる
それも人のひとつの姿。
けど、それに向かいあい、立ち上がろうとする人の姿を
強く、美しいと感じるわたしがいる。そうだった、今までもそう感じてきてたじゃないか、と。
自分が美しいと感じたものを人にやはり、伝えていたい。伝えることで生きていたい。
ひとりではできないことが多すぎる、だから、まず人に一歩、発してみるために
駆け回ろうと、そのために日々、健康でありたい。