03.28
浅草の非日常
あのものすごい地震から、二週間ちょっとたちました。
被災地の皆様には、本当に心よりお見舞いと、一刻も早い復興を願うばかりです。
ウェブはしばし凍結なのかと思っておりました…。
………が!
そもそも踊りに行くぜ!!Ⅱはまだ終わってない!!ということで、
やっとあの日のことを、若干距離を置いて眺められるようになってきた今日この頃です。
水野さんの日記読みながら、すごいいろんなことが鮮明に思い出されたのですが、
地震のとき「止まれ~!」と叫んでいたのは私です…。(うろうろ日記参)
というのも、実際地震はかなり怖かったんですけれども、
あまりに長く揺れが続いたものだから、途中から、「天下のアサヒのビルが壊れるはずない」と、
変に冷静になってきてしまって、それより何よりこのままじゃ公演ができなくなる!!!
って考えが頭を支配して、お願いだから止まってくれと必死に願うばかりだったのです。
その願いもまったく天には届かずでしたが…。
アサヒは耐震性のつくりのようで、実際の震度より感度的には大きかったようです。
すごい巨人が指であのビルをつまんで笑いながらゆすっているようなイメージがぴったりです。
夜な夜な歩きまわって探しあてたホテルは、あんな状況でなかったら絶対に出会わなかったなという感じでしたが、
すごい昭和レトロ感にあふれていて、一生忘れられない宿になりそうです。
(むしろまた行きたいくらい…)
土曜日になり、中止の報告を聞きましたが、
テレビで状況を把握していたので仕方がないなと思いました。
でもやっぱりここまできてこんな終わり方と思うと、
関わってくださったたくさんの人たちが思い出されて涙が止まりませんでした。
締めの挨拶を求められても、起こった出来事の威力の大きさと、
それによって起こったどうしようもない現実、
自分含め、みんなのたくさんのいろんな思いがブワーッと自分の中を渦巻いて、
やっと二言くらいを発するのが精いっぱいでした。
でもひとつだけよかったなというか、こんな終わり方だったけど救われたのは、
アサヒのビルを出るときに見送ってくださった関係者の皆さんでした。
私はハグが大好きですが、ここはアメリカではないから、
恋人でもないのにハグをするのはアヤシイ行為と取られますが、
自然とハグができるような関係を持てた、築けたっていうのは私にとってはすごく大きな財産だし、
みなさんの優しい言葉に、すごい勢いで心が潤っていくのを感じました。
でもきっと、この震災によってそういうことを再確認できた人はすごく多いんじゃないかと思います。
家族や恋人をはじめ、電気・ガス・水道のようなインフラもそうだし、むしろ自分が生きているという事実すら、
私たちが当たり前だと感じていたいろんなことが、本当は一番大事で、
生きていくことに最も不可欠だったっていうこと。
400年だか1000年だか(全然違う)に一度の巨大地震と言われますが、
実際的な被害の少ない首都圏に住む私たちには感じられにくいかもしれないけれど、
きっと知らないところで、時代時計(あの地球温暖化のカウントダウン時計みたいな)は
150度くらい進んだんじゃないかと思っています。
というか進むべきというか、よく言われる「閉塞感」というヤツに別れを告げるときだと思います。
格差とか勝ち組・負け組とか、そういう価値に代替する価値が生まれて、
(ついでに原発に代替するエネルギーも充実して)
日本がシステムとか経済的な側面だけでなく、新しい意味で「豊かな」日本になることを願いたいし、
私はまだまだ未熟者ですが、今後まだ平均寿命で考えれば60年くらい生きるんだから(!)、
そんな日本を作る1ナノメートルくらいの細胞でいいからなりたいって思います。
ボランティアにもいけず、大きな義援金も出せない無力な私ですが、
自分のやれることを精いっぱいやっていこうと、思いを新たにする今日この頃です。
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