各開催地レポート
【札幌公演】公演を終えて。

文:太田真介(NPO法人コンカリーニョ)
撮影:yixtape
 

2017年1月14日
 

踊りに行くぜ!!Ⅱ vol.7 の初演地、札幌公演が幕を開け、そして1日限りのダンスの競演が幕を閉じた。
 
もう、約一ヶ月も前のことだ。
 
今年の札幌公演を一言で表すならば、月並みだが「挑戦」という言葉が真っ先に思い浮かぶ。
僕が「踊2」に関わるようになってまだ3年だが、今回の公演は「挑戦」に終始したように思う。
プラグラムとして、Aプログラムが1作品、Bプログラムも1作品、そしてCプログラムが2作品ということで、例年より地元色が強く出ていたことも理由の一つだろう。
 

巡回公演の初演地であるがゆえに、Aプロ作品も”ここから磨き上げられていく”という感があり、だからこそ面白くもあるし、ブラッシュアップされた作品の行く末を見られないことが悔しくもある作品だ。
不条理にも感じる”振付家”(だと思った)の指導。しかし、それに反感を覚えつつも、必死に食らいついていく様に日本人を感じた。結局、一人では舞踊団ではないし、良くも悪くもコミュニケーションと協調を得意とする日本人という民族でもないのだろう。
紆余曲折を経て、最後の一本締めに向かう高まりが、強く印象に残っている。そこに何かしらのエネルギーを感じ、最高潮で迎える終焉を期待してしまった僕は、間違いなく日本人だったのだろう。
 


Bプログラムも、今回は波乱続きだった。出演者のやむを得ない降板、そして作品の再構成、伊藤千枝さんが目指す新しい手法での作品づくりに、短い期間の中で向き合い、悩み、積み重ねて本番を迎えた3人は本当に素晴らしいチームだったと思う。
この作品は、小屋入りしてから、一気に一体感が増した。決して一体感を求める作品ではないが、千枝さんが言うところの「感覚を開いて、客席に伝える」という感覚を、観ていて明らかに感じるようになった。観客と演者という会場全体の意味での一体感だ。
惜しまれるのは、それが会場入りしてからだったこと。気持ちはわかるが、その前に到達していたなら…という期待を抱かせる作品だった。
そして、いつも、踊2を観にいらっしゃっている方(お名前は伏せさせていただくが)からも、とても嬉しい言葉もいただくことができた。
’現地制作の作品はこの何年か…みんな、胸に響くものばかりだなぁと回想しています。
暢気に暮らしていた二人”何か災害?が起こって、かけがえのない日常を発見して、でもそこにもとどまらずに、守られているだけではない自分(と目の前の相手) に向き合う…そんな物語を勝手に感じでいた『次は、あなた。』でした。あの布は、家でもあり、シェルターのようでもあり…。
バリバリのプロ・ダンサーではないお二人のダンスだからなおなのか、あの舞台の全容が「祈り」なんだと思えました。
流れ星のようにも聴こえた鈴の音色が、最初のは身近な日常の内側に、最後のはそこから外の世界のためにも響かせたい音色に聴こえました。つまり、希望です。誰かではなく、自分が次は祈る番だと感じました。叶わないから祈らない、は、間違いなんだと。一瞬の流れ星の消え行くしっぽにすがりつくように祈ることをやめたくない。平和のために。”

 

Cプログラムは再演と新作が1作品ずつ。鈴木明倫さんの作品は、香港での初演時に叶わなかった構想を地元札幌で実現できるとあって、しっかりと作りあげられていた。これから先へと向かう自身の「道」を描いた作品だったが、Cプログラムの枠としてふさわしい作品だったのではないだろうか。
この作品には、初演が海外だったという不思議な縁がある。出演の声を掛けた時には、日本で上演する予定もまだなかった。それが、モチーフとなったアイヌの地、北海道の地で上演することになったのは、巡り合わせなのだろう。全国的にも活動していた鈴木明倫さんが、本格的に活動拠点を札幌に移す、今年の始めにこの作品を上演したことは、これから彼と、僕たちが歩む道に善き繋がりを期待させてくれる。まさにKAMUIRUだ。
 

もうひとつの作品、松崎修さんの「北海民謡物語」は、北海道に根付く民謡を改めて発信していくという想いが見え、Cプログラムの理念に適っていたように思う。作品が出来上がるまでには紆余曲折があったが、それを越えて作られる過程がこのCプログラムの意味であり、重要な部分なのだと、妙に納得できた。
この作品では、作家としての松崎くんの成長をなくして語れない。ドラマトゥルクとして途中から関わってくれたイトウワカナさん、おかしゅんすけくんとのディスカッション、そして、取捨選択を妥協せずにすることで作品として磨き上げられたのだろう。
正直、ダンス作品ではないのかもしれない。しかし、今まで”演劇”の土俵で、言葉と体を使い表現してきた彼が、”ダンス”という手法で想いを表したこの作品は、彼にとって間違いなくダンス作品なのだ。今後、様々なダンサーや表現者との関わりを増やし、彼がダンス作品作家としてもう一度この踊2に帰ってくる日を期待している。
 

4つの個性が詰まった札幌公演。
正直、幕が開いてどういう評価になるか予想が出来なかった部分もたくさんあったが、蓋を開けてみれば、好評のうちに幕を閉じたと言えるだろう。
どの作品も、紆余曲折、一筋縄ではいかない道程だったといえる。
初めてのダンス作品づくり、自分の限界、時間との闘い、誰もがみな挑戦して打ち克ってきたからこそ、こうして公演を終えることができた。
 
それもひとえに、伊藤千枝さんチーム、山下残さんチーム、鈴木明倫さん、松崎修さんチーム、そして公演を支えてくれたスタッフみなさんのおかげだ。
札幌公演に関わったみなさんには、本当に感謝の気持ちしかない。
 
 
山下残さんチーム(その中でも田島さんは強烈な印象を残してくれました。笑)はこれから、東京、京都と公演が続いていくことになっているが、その中で、作品としてさらに磨き上げられていくことを期待してやまない。
出来ることなら、東京公演か京都公演に行き、見届けたい気持ちでいっぱいだ。


レコメンドのコメントをいただいた方の中にも、田島さんの魅力に取りつかれた人が多かった。(笑)
 
今回の踊2も、札幌・仙台・福岡と3都市での公演が終了し、折り返しを過ぎたところ。
ここから、残り2都市、さらに盛り上がっていくことを期待している。
 

 

【札幌公演】レコメンドコメント紹介!

札幌・道内外で活躍する各方面の方々に札幌公演をご覧いただき、コメントをいただきました!
その全てをご紹介します!!

 
 

【Aプログラム】 山下残作品「左京区民族舞踊」 recommend!


 
櫻井幸絵(演出家、劇作家、劇団千年王國) http://sen-nen.org/

サイババにしか見えない師匠の田島さんにのっけから目を奪われる。

とぼけ顔で必死に師匠についてゆく弟子たちの様子がたまらなく可笑しい。音と舞踊が、呼吸という命の音をベースにして、吐き出し、吸われ、ほどけ、ぶつかり、不器用に織りあげられてゆく。混沌がスッとひとつになるラストが美しい。確かに神話の成り立ちを目撃した思い。

 
真下百百子(真下教子バレエ研究所) www.mashita-ballet.com

「この人たちは、なんなんだ?!」

左京区から突然現れた異民族たちは、その、えも言われぬ存在感で札幌の観客を大いに戸惑わせ、笑わせ、最後なんだかわかり合えたような気持ちにさせた。左京区に行ってみたい。

 
端 聡(現代美術家、CAI現代芸術研究所代表取締役) http://cai-net.jp/aboutus/hata-satoshi/

左京区民族舞踊は観客を笑いの渦に巻き込みつつ、人類が構築してきた社会システムを風刺する。

力ある者と、それに従う者の奇妙で滑稽な関係性を言語とユーモラスな身体運動で表現!
これは現在の日本なのであろうか?

 
イトウワカナ(劇作家、演出家、intro代表) http://intro-sapporo.com/

ダンスというものに思い込みなどわたしにはない、と思っていた。

が、そうではないと山下残さんの作品を観ていて3分で気づいた。軽くショックを受けたそこからは、存分に楽しんだ。滑稽なのに、格好いい。愉快で、不穏。それをビシビシ受けて客席の幼児が笑い転げ、泣き、また笑う。「なんだこれ笑」と心の中で呟くときは、喜んでいるときだ。
 
全4作品を観た。(そのうち1作品はわたしがドラマトゥルクで関わった作品であるが)
 
どれもそこに身体があり、それはダンスの世界では当然のことかもしれないが、そのことがとても刺激的であった。他人の身体だけをじろじろと、好きなだけ見ることなんてない。さらに、次々と変化する身体から発せられた何かは、うまれては消え続けていく。それを逃すまいと、じっと、見ているしかないのだ。
 
わたしは川を見るのが好きなのだけれど、あのときの感じにとても似ている。川を見るときと違うのは、踊り続けているひとをじっと見ていると、ふっと自分の身体も一緒に動いてしまう瞬間があって、なんだか気恥ずかしくなるというところである。

 


 

【Bプログラム】 伊藤千枝作品「次は、あなた。」 recommend!


 
本間恵(図書館情報専門員) http://www.city.sapporo.jp/toshokan/

守られ、包まれていたいという内向きな願いが、「祈り」へと結晶していく一部始終を目撃。

利己から利他へ。だからこのダンスは、人間の関係性の最小単位「2人」から始めなければならなかったのだなぁ…

 
端 聡(現代美術家、CAI現代芸術研究所代表取締役)

無関係な関係性とも言えるのか?

二人のパフォーマーは目を合わさない。そこに存在するのは空間と対峙する二人の独立した在り方。予定調和とも言える常識や社会から解放される時、初めて個が成立し、真実の個と個の関係性が見えてくる。

 


 

【Cプログラム】 鈴木明倫作品「KAMUIRU」 recommend!


 
榮田佳子(俳優) http://sen-nen.org/

人間の身体だけで様々な色の表情に変化する空間に想像力を掻き立てられました。

身体に浮かび上がる影にまで物語を感じ、圧倒的な存在感に支配されてしまう快感にすっかり酔いしれてしまいました。

 
端 聡(現代美術家、CAI現代芸術研究所代表取締役)

自然に対する尊敬と畏敬の念、アイヌ文化には自然と共生するカムイがある。

産業革命以降の大量生産、大量消費から我々が学んだものは空から降るゴミの山なのか?
鈴木明倫は、古の叡智を自らの身体で現在に示唆している。

 


 

【Cプログラム】 松崎修作品「北海民謡物語」 recommend!


 
端 聡(現代美術家、CAI現代芸術研究所代表取締役)

明治時代に10万人とも言われる出稼ぎ漁師が鰊を求め全国から北海道に渡った。

当時の沖上げ音頭「ソーラン節」をモチーフにコミカルな身体パフォーマンスで北海道開拓史を表現しつつ、現在のヨサコイソーランと対比させ時の道を照射する。

 


 

【踊りに行くぜ!!Ⅱ vol.7 札幌公演】 recommend!


 
杉吉貢(墨絵師)

とにかく、見てくれ!

見て、感じて、笑って、泣いて、呆れて、驚いて、何だかわかんないけど、面白かったと思ってくれ。

 
漆崇博(アートコーディネーター、一般社団法人AISプランニング) http://ais-p.jp

無理やりじゃないと伝わらないこと。無理すると伝わらないこと。

理由や理屈では伝えられないその無限の余白が表現の可能性だ!

 
前田透(演出家/劇団・木製ボイジャー14号) http://mokuseivoyager14.blog.fc2.com/

「ダンス見に行かない?」と誘われたのは初めてのことだった。

演劇や音楽ライブ、絵の個展、ファッションショーなどに誘われ足を運ぶ、という経験はしばしばあったが、僕が興味なさそうにしていたのか誰かに「ダンス見に行かない?」と、お声がけしてもらう機会がこれまでなかったのだ。二つ返事で了承し、足を運んだ初めてのダンス公演がこの『踊りに行くぜ!!II  vol.7 札幌公演』。
 
見終えた僕は焦った。
 
まずは、『どうして今まで誘ってくれなかったんだ!』と、ありとあらゆる人に伝えたい。
会場のコンカリーニョには観劇目的でよく行く事がある、公演をしたこともある結構馴染み劇場だ。しかし、今回の客席はいつもと全く雰囲気が違うように感じた。実際はそうじゃないのかもしれないが、僕にとっては、「ダンス公演」というだけで、いつも以上に知らない顔ばかり並んでいるようにみえたのだった。いつも自分が好んで座るやや後ろあたりの席に座り、舞台を見てみる、舞台上にはリノリウムが敷かれているだけで、何も無い。演劇の場合でも特に珍しいわけではないのだが、初めてのものに触れる僕は、いままで以上に素舞台に心惹かれてしまっていた。本当に何が始まるのだろうか、4つのダンス作品が上演されるとのことだが、いったいどんな人がどんな事をやるんだ?そもそもダンスの公演ってどんなものなんだ?等々、想像が膨らんでいく中、暗転した。
 
記念すべき最初の作品は、『左京区民族舞踊』。京都からやってきたダンスチームらしい。
暗転の中、風が吹いているような音が聞こえてくる。しばらく聞いている内にどうやらマイクで拾った人間の深い呼吸の音なのだ、という事がわかる。明るくなると、そこにはタンバリンを持った上下黒い服の三人の男たち、そして、後方にいる長髪の怪しげな男。僕はこの構図に完璧にやられてしまった。どうやら面白いものが始まるらしいのだ。という期待感が高まる。恐らく僕はすでに笑顔だったと思う。事実、この作品では、何度も声をあげて笑っていた。見ていると、どうやらダンスの練習なのだろうという気がしてくる。誰もそう明言していないのだが。そして、違う、という演出らしき男のダメ出し、彼からの無理難題に苦悩しながらなんとか表現しようとするダンサーたち。彼らの動きの一つ一つを興味深く見ていた。かなり、クセになる。やがて稽古に熱が入り、主張しあうダンサーに指示を飛ばす演出。激しくぶつかり合う彼ら、物理的にも本当にぶつかり合う。そして本番らしいものを迎える、本番はついやりすぎてしまうところもあるのか生み出されたエネルギーはとてつもないものだった、そして彼らは打ち上げへ行くのだった。と、振り返ればこのように説明はできるかもしれないが、どれも、僕にはそう見えた、というだけで、そうではないのかもしれない。さらに、彼らがどこに行くのか、どこに行ってしまうのか、という事を思いながら見ていると、時折置いていかれそうに、そして、実際どこか遠くに行ってしまっていたのだと思う。なのに、なぜだろう、とてつもない快感だった。そういえば、後ろに座っていた演出家らしき男がタンバリンを持ち替え――改めて考えてみると、日常では全く見たことがない動作だ――それを叩くと、ベースのような音とドラムのような音が聞こえてきた。なんとも奇妙な楽器で、あとで調べてみると奏者の田島隆氏による「タジバリン」という名のオリジナル楽器なのだそうだ。ぜひまた生でみてみたい。
 
二作品目は、『KAMUIRU』という作品。
北海道出身のダンサー、鈴木明倫氏の作品だ。鈴木氏のことは僕でも知っている、というのも、演劇で彼の踊りを観た事があったからだ。舞台上で見た彼のダンスはとても綺麗な身体で、それをまたエラく逞しく動かすので「あの人は霊長類じゃないのかもしれない」というような冗談で友人と盛り上がった事を覚えている。そんな彼の踊りを間近で見れるという機会に、僕はワクワクしていた。もちろん、この『KAMUIRU』でも思う存分、鈴木氏の身体を見ることができた。冒頭、天井から床まで垂れ下がっている白い半透明の布の前にぽつんと立った彼が照らし出される、空からは紙やダンボールなどのゴミが降ってくるのだが、彼は立ち尽くしている。何かが落ちてくるのを待っているのか、それとも、ただ耐え忍んでいるのか。やがて、彼は白い布を引きずり落とし、その中に埋もれていき、一度舞台が暗くなる。明転すると、膜の中から彼は起き上がり、生活を始め、やがて踊り、歩き出す。そして、また踊る。小さい一人の人間の瑣末な生活の一部を描いているようでありながら、本能的で、そして何より雄大な作品だった。あの舞台に、ひとり、それがより一層力強い画となって僕の中に落とし込まれてくる。白い布を尾のようにして、コンカリーニョの舞台上を歩いているという動作が、いまだに目蓋の裏に浮かび上がる、動物のように逞しく、しかし立って歩く人間の彼の姿が。どうやら、チラシによるとタイトルの意味は『アイヌ語で「神の帰り道」(中略)アイヌ文化では熊や獣を神に例えることもあるのでカムイルは「獣道」という意味もある』とのことだ。作品中でも、脈打った動物の動きを堪能する事ができた。”身ひとつ”で力強く踊る彼を見ていて、彼は戦っているんだろう、と思い、心が震えた。作・振付・出演すべて彼一人だというのも、さらに僕を興奮させたのかもしれない。観客席に座っている人間たちと、舞台上にいる獣あるいは、人間。獣は目の前で、自由に美しく踊り、生きている。なぜか言い知れない歯がゆさを感じた。
 
10分間の休憩中、僕はしばし、舞台を見つめていた。
 
これからの二作品、何が待っているのか。そのうちの一作品は、僕もよく知っている人間だった。
二人で共同演出をしたこともある、結構な仲間である。その彼が、どんな作品を創るんだろうか。大きな興味と、「僕が知らないこの世界に君はすでに触れていやがるなんて・・・!」という子供じみた嫉妬心を併せ持ちながら、休憩が明けるのを待った。
 
その作品のタイトルは『北海民謡物語』。
舞台奥にひっそりと明かりがつき、ガクガクと震えている青年が見える。厚着をしているので、どうやら寒さで震えているのだろう、と推測できるが、不安で震えている青年にも思えた。手前には三味線をもった女性がひとり、彼の母あるいは祖母にも見える年齢の女性だ。彼女はやがてその楽器を弾き始める、青年は、手袋をはめる。女性が歌を歌い始める。北海民謡だ。細く、しかし、はっきりとした歌声で開拓の頃の人々の暮らしを歌い上げる。すると、青年が踊り始めるのだが、青年がしている手袋は”めおと”を模した青と桃色のものだ。それが布でつながっていて、近づいたり、離れたり、その民謡が唄われたのだと思しき当初の北海道の男女の恋模様を想起させていく。その模様が描かれていくのに対し、僕は青年と三味線弾きの女性との出会いも何かで結びついているのではないか。と思えてくる。女性は三味線を置き、ソーラン節をラジカセから流し、踊りだす。すでに踊るのを止めていた青年も促されソーラン節を踊る。なぜ、彼は踊っているのだろうか、踊りながら青年も考えているのだろうか、そもそも青年はここに一人で何をしていたのだろうか。とにかく、彼は踊っていた。女性と出会い、踊っていた。女性ではなく、踊りと出会ったのだとも言えるだろう。それだけのことだが、彼にとっては、ひとつの大きな出会いなのだ。それにしても、三味線弾きの女性がなんだかチャーミングであった。冒頭の寒さに震える青年をどこか辛そうに見つめていた時の心境とは対照的に、終演後は青年と女性のこの後を楽しみながら想像していた。確かに僕の心は動かされていたようだ。
 
最後の作品は『次は、あなた』というタイトル。
伊藤千枝さんという、僕でも名前を聞いたことがある人の演出・構成、振付に加え、札幌で活動している二名が参加して作った作品だった。男女二人が、距離を取る、それだけでも想像力が掻き立てられる、身体表現ひとつにもそうした情報が存在するのにも加え、衣装もポップで、その紋様や色彩が印象的だ。彼らが初めにいた場所の下には、90cm×180cmほどの大きさのブランケットが敷かれていた。僕はそれが抜け殻のように思えた。音楽も軽快で、シーンが変わりゆく度に生まれていく二人のストーリーや関係性によって新たな世界が展開されていく。取り込まれるようなこの空気の中で、ステージは変化を繰り返す。彼らの色に染められ、埋められていった。ここはコンカリーニョなのか。気がつかないうちに知らない空間に塗り替えられてしまっていたのではないだろうか。身体はのびのびとしていた。胎動し、移ろう、二つのタマシイを見つめる。彼と彼女は羽ばたき、抱き合う。そして、ブランケットをかぶり、目のない一つの虫のようになって、蠢く。時折、彼が彼とも、彼女、とも見え、彼女もまた、そのように見える。入れ替わっていたのかもしれない。多くの記号を残し、僕の脳内で多様に変容していくこの作品に包まれながら思考を巡らせていく中に、ただただこの二人を眺めているだけのひとりの人間=自分がいたのかもしれない。以上の四作品を見た。このレポートを書いている今、僕は焦っている。まだ見ぬダンス作品がこの街以外にどこにでも在るのだということに。
 
そして、僕がそれら全てを見に行く事は困難なのだということに!
 
 
小佐部明広(演出家/クラアク芸術堂代表) http://www.clark-artcompany.com/

1月14日(土)、琴似のコンカリーニョで「踊りに行くぜ!! Ⅱ vol.7」を観ました。

僕は演劇から舞台に入った人間で、あまりダンスの文脈とか流れを持っていない人間なので、素人のような舞台評になるかもしれないが、それは演劇ばたけの人間の言っていることなので、ただの素人の一感想だと思っていただきたいです。
 
近年では、言葉よりも身体を重要視している「演劇」もあり、言葉を喋る「ダンス」もあるので、どこからが「演劇」でどこからが「ダンス」なのかという境界線が曖昧になってきているような気がしています。そもそも境界線なんていうものがもう必要ないかもしれません。しかし、僕が今回の4作品について、「これは演劇だと思いますか? それともダンスだと思いますか?」と聞かれれば、「演劇というよりは、ダンスだと思います。」と答えると思います。うまくはいえないけれど、それはきっとどの作品も、「言葉」を使ってなにができるか、ではなく、「身体」と「音楽」を使ってなにができるか、という発想から作られたもののように感じたからです。コンテンポラリーダンスとかよくわからない人がみたらきっと「これダンスなの?」って思うようなものもありましたが、僕は「これはダンスなんだな」と思いました。
 
『左京区民族舞踊』はナンセンス系なコントのような風合いで始まり、物語はよくわからなかったし、あるのかもわらないし、あったとしても別にわかる必要などないのだと思いました。観ていて、最後はちょっと高まりました。
 
『KAMUIRU』は、布が一枚垂らされていて、上から降ってくる、ゴミ、ゴミ、ゴミ。そういうゴミのようなものに心が埋もれてしまった男の心象風景かもしれません。途中で半裸になり、しがらみを脱ぎ捨てていったのかもしれません。というは観ているときは思わなかったけれど、今思い返してみるとそうかもしれないなと思いました。
 
『北海民謡物語』は、民謡にのせて男が踊っていて、その男の手袋がおじいさんとおばあさんのようになっていて、そのふたりが少し触れ合うようなシーンは、少し胸が暖かくなりました。欲を言えば、その手袋のパートをもっと多く見たかったのと思いました。演奏や歌にも温かみがあり、懐かしさのようなものを感じました。
 
『次は、あなた。』では、男女が踊りながら、近づいたり遠ざかったり、ひとつになったり……というのをブランケットのようなものも使ったりして表現していました。特に終盤、獅子舞のように、二人でひとつの動物のようになっているところは、印象に残りました。
 
これは素人目で思ったことなので聞き流してほしいのですが、5分くらいの作品なら話は別なのですが、20分とか30分の作品となると、やはりもう少し積み重なっていく「展開」のようなものがほしかったです。それぞれの作品にアイディアがあり、テーマがあったのだと思うのですが、そのアイディアなりテーマなりをそのまま出されたように思えてしまいました。「Aです。」ではなく「A、からのB、そしてC、最終的にD」というような展開を見たかったと思いました。

 
 

【札幌 Bプログラム】”作品の強度”を生み出すものとは?

2016年11月11日

 

札幌のBプログラム、伊藤千枝さんの作品クリエイションが始まった。
作品に出演するのは、オーディションで選ばれた、札幌で活動するダンサー・役者の3人。
例年、6~8人の出演者で構成される札幌のBプログラムとしては少ない人数だ。
その裏には、「強度のあるダンス」を創りたいという、伊藤さん、そして「踊2」プログラム・ディレクターの水野さんの想いがある。もちろん札幌の私たちとしても、地元のダンサーたちが「強度のあるダンス」というもの体験し、創り上げる礎となることを願い賛成した。

 

すでに公開されている選考理由にもあるが、今年からBプログラムの作家が依頼制になったことで、伊藤千枝さんを札幌に招くことができた。
”高いダンステクニック”に支えられた、奇抜ともいえるポップな表現をこの目で確かめたい、札幌の観客にも紹介したい、その想いが念願かなって実現されたのだ。
高いダンステクニック、と言ってはみるものの、それは具体的にどのようなものを指すのだろうか?
テクニックとは、もちろん易々と身に付くものでなく日々の研鑽の積み重ねが生み出すものであるのは間違いない。
9月に開催された札幌メンバーのオーディションの時にも、伊藤さんが実践する、高いダンステクニックが必要な理由が垣間見えていた。それは決して特別な力ではなく、振付というものを正しく理解し、自分の体を通して表現するという、一見当たり前に見えることを「当たり前」に実行する力のことを指すのだと、私は捉えることができた。

 

 

オーディションの前半は、コミュニケーションと洞察力を深めるための鏡写しの動きをするプログラム、そして、与えられた課題から自分の表現を生み出していくプログラムへと続いていった。どちらも、ダンサーの持っている発想を引き出すために、良く考えられたプログラムだと感じた。
新しい表現を引き出し、より面白いものに発展させていく手腕はさすがとしか言いようがなかった。それこそ、このまま組み立てていけば一つの作品になるのではとすら思わされるものだった。


そして後半、伊藤さん自身が渡す「振付」を実際にダンサーたちが踊った時に、改めて「当たり前」のテクニックの大切さを感じた。
振付を踊るときに、身体がどこを、どう通っていて、どんな速さで、どんな角度で踊っているのかを瞬時に捉えて動く。もちろん、鍛えられた身体でなければ再現することも難しい動きもある。

参加者のダンサーは四苦八苦していたようだ。
これが作品を創る段階であれば、与えられた振付の意味を理解していることで、振付家に対して、更によい表現を提案することもできるようになるのだろう。
それこそが、”振付家”と”ダンサー”が共に「作品」を創り上げる、ということなのではないかと私は考える。振付家の作った振付を、与えられたように踊るばかりではなく、お互いに理解し、試行し、更によい形を提案しあう。「当たり前」のことかもしれないが、妥協せずに「当たり前」と向かい合うことは、大変な作業に違いない。だが、その積み重ねこそが作品の強度に繋がっていくのではないだろうか。

 

 

札幌チームのクリエイションはまだ始まったばかり。
伊藤千枝さんと、3人のダンサーで創られる「強度のある」作品が、札幌の観客・ダンサーにどんな影響を与えるのか、期待は膨らむ。

 

 

文:太田真介(NPO法人コンカリーニョ)