報告するぜ!!特別企画!
企画した人に直接聞くぜ!! 阿吽座談その3
JCDN 佐東範一 & 水野立子
京都芸術センター大広間/2013年3月8日

「踊りに行くぜ!!」が、「踊りに行くぜ!!セカンド」となって今回で3回目。JCDNが全国規模で繰り広げるダンス作品のクリエイションには様々な裏話がある。課題がある。期待がある。さあどこが上手く行ってて、どこが困難なのか。東京公演が終わると、今度は次回の作家も集めないといけない、今回はどうで、次回はどうなりそうなのか、、、よし、そうだ、直接企画者に聞いてしまおう。というわけで、京都公演のリハーサルの間に、佐東さん、水野さんに根掘り葉掘り聞いてみた。

聞き手/テキスト 飯名尚人
テキスト聞き起こし 今村達紀

<理解のギャップは確かにある>

水野
名前のある人だけが面白い作品を作れる訳じゃなくて、無名の人だってほんとに考えて、やりたいことを突き詰めれば、いい作品って絶対できるんですよ。それをこの「踊2」で証明したいんですよ。新人がこんな世界観作れるんだっていうことを。ちゃんとやるっていうことは、そういうことじゃないですか?見る観客が何かを得るっていうことでしか、作品制作って意味がない。ただやりました、じゃダメなんです。そういうことを広げていきたいから、できれば十年計画で、その中でどういう芽を蒔けるのか、どういう芽を私たちは受けられるのか、っていうことだと思う。JCDNがどれだけのことを創作過程で提供できているのかっていうと、例えば受かった人に、コースみたいにして、これとこれとこれのワークショップをたてて、こういう授業をうけて、照明でも授業受けてというのは、それもなんかねぇ。

飯名
それはもう教育。企画として違うでしょう。

水野
そう。そこまでは違うでしょう。どこまでやればやり過ぎなのか、どこまでだと足りないのかっていうのが、参加者各々全員違う。そのレベルを見極めることが十分にできているのかっていうと、私としても全然駄目だと思っている。来年からはそういうことに、もっと時間を使いたいと思っていて。途中経過の発表でお客さんが来てくれても、おもしろかった!とか、そういう程度だけになってしまっていたり、作家側がちゃんと感想や意見を聞かなかったりもする。信頼関係がその間に出来てこない。JCDNがいろいろ言っても、作家側が聞く耳を持たない時期もある。何を変なこと言われているなぁ、みたいな。JCDNと作家との間で、「えっ、こんなところまでやんなきゃいけなかったのか」「そこまでのことを望まれてたんだ」みたいな理解のギャップは確かにある。それをどんどんもっと速く埋めていかないといけない。

飯名
毎年、すべての巡回公演が終わったあたりで、ようやく「ああ作品っていうのはこうやって作らないといけないのか」ってなりますね。色々な苦難があって、ようやく実感するんだろうと思うんです。今まで自分たちが作ってた作品とは違うんだなと。それで「いろいろ勉強になりました」って言って帰っていく。問題はその後で、そのまんまそれが続けばいいんだけど、つまり「努力の結果にある喜び」が続けばいいんだけど、その努力ってのがなかなか自力で継続しない。確かに日本のダンス環境が云々という問題もあるけど、一方で作家側の責任も大きい。

佐東
そうだね。

飯名
だから、どっちもどっちっていうか、どっちの課題もある。実際は、アーティストの責任の方がデカイと思う。つまり環境がなくたって、お金がなくたってやらないといけない。やり方を探さないといけない。

水野
本当はそうだよね。

佐東
そうなんですよ。

<褒められたらけなされたと思え、けなされたら褒められたと思え>

飯名
手厚い企画が増えれば増えるほど、気持ちや関係がヌルくなっていく、甘えてく。だからハードでヘビーな企画も大事です。公演枠だけ与えて、選考が通れば好きなことやっていいですよって企画よりも、徹底的に何かを課すような、そういうヘビーなものの方が、挑む価値がある。しかし、作家側からすると、重すぎるわけです。もっと自由にやらせてくれよと。それもその通りなんです。その関係、バランスはすごく難しい。

水野
すごいショックなこと言われたんだけど、「僕たちは褒められて育つんだから、マイナスのことをいわないでくれ」って言われたの。作り手側から。そうか、マイナスっていう風に思うんだ。こっちはマイナスじゃないんだよね。もっと良い作品になるためには、するためには、って思うから言ってるつもりだったけど、作り手は褒められたいって思ってるのか。それで、しゅんってなるんですよ。

飯名
こないだテレビ見てたら、自閉症の子がね、学校行かないって、すごく暴れて、学校の先生が数名でやっと抱えて教室に連れてくんだけどダメ。暴れちゃう。それで、行動分析とか心理分析学とか、そなんやってる専門家が来てね。その人は、ふっとお菓子をあげる訳ですよ。そうすると、自閉症の子がすーっとついて来て、教室に行くわけ。

水野
飴と鞭ってやつ???

飯名
それは自閉症の子供のね、そういう治療法なんだけど。飴と鞭だったら、今飴が増えてる時代です。スポ根世代を経て、飴の必要性が理解されてきた、とも言える。しかし大学教育でも舞台用語でいう「ダメ出し」なんてことを徹底的にやろうとしても全然ダメ。みんな酸欠になっちゃう。現場にいて、それってどうなのかなと思う。でも人類全体がそうなってしまっているかもしれない。

水野
我々が逆行しているのかな。

飯名
どっちがいいのかわかんないけど、教育の中でも飴が多い。

水野
そうなんだね。

飯名
日常生活の中で、飴の多い生活に彩られてるんですね。そういう子たちが作品を作るってなったときに、真逆の鞭の世界に行く訳じゃないですか。観客って存在は、物凄く冷たいわけですし。

水野
そうだよね。私たちの時代は、褒められたらけなされたと思え、けなされたら褒められたと思えって言われて育ったんですよ。稽古していると、苦虫をつぶしたような顔をしている演出家がいるんですよ。それは褒められていると思ってるわけ。それが嬉しかったんです。こう目をかけてもらっている感じ。だから、はい!って一生懸命そこから得ようと思ったなあ。

<作家が決めること>

飯名
学生にダメなところを言ってもどんどん落ちてくだけで、帰ってこないっていうか。反発してこない。自信をなくしていく。もうやめたくなる。そういう風に落ちてしまう。そのときは「はい!」って神妙な表情で聞いてても、1週間もしたら忘れて同じことの繰り返しになります。全員ではないですが、特徴としてはあります。

佐東
そういうときに、学生に対して飯名さんはどうするの?

飯名
なんでそれがダメだと「僕が」思うか、を講評という形式で言うようにしてます。はじめに議論しないで、あくまでも僕個人がそれをダメだって思ってしまった理由を言います。講評だから一人に言うんじゃなくて、全員の前で言います。あとはもう本人次第だから、それをどう受け取るかはその学生の自由なんで、後はあなた達が考えなさいって。結果ダメなものが出来ても、その学生が出して来た答えだから、受け入れる。でも「踊2」の場合は、そこで終わってしまうと興行できる作品ができないんですよね。

水野
作家から私が言われたのが、「僕は傷ついたんです」「落ち込んで出来ませんでした」とか。

飯名
今年もいくつかありましたけど、作家が「やっぱりこういう演出にします」って、いきなりアイディアを変えてくることがよくありますよね、「踊2」の本番前に。時間がないのに。変えるなら変えるで、何故そう変えるのか?というこちらからの質問に答えてもらわなきゃ困る。でも、そういう作家を擁護するわけじゃないけど、変えてきたってことは、それなりに理由があるはずなんです。ところが、変えた理由をきちんと言葉で説明できないから、みんながイライラする。そこで、「いや自分にとって変えたのは、こういう理由で、こう思ったからなんです」って理由が聞けたら、こちらも「だったらしょうがない」「作家が決めることだしね」ってなるわけです。

水野
そう思えるような理由が必要。絞り出したものに必然性があれば、それはいいと思いますよ。

飯名
だけど、どうしても前の方がいいよ、って、スタッフ10人中9人に言われたら、「そうかも、、、」って思って、作り手がブレてしまう。

佐東
そうなるんだよね。

飯名
作り手が、周りの意見を聞き入れてしまう姿をみてると、「お前本当にその意見を受け入れちゃうのか?」って、逆に聞きたくなる。

佐東
ほんとに、まさにそう。

水野
一回目に出演した作家でいたんだけど、「こうだね、これどうなのかな」っていうと、全部「はいはいはい!」って変えそうになった。だから、もう言うのやめようって思った。だからちゃんと自分で考えるだろうな、こいつは、って思う人にだけ、こちらからも言えるわけです、安心して。もしこちらが言った通りに変えられたら、「え、ちょっと、ちょっと」ってなる。

飯名
最終的に決めるのはアーティスト側っていう前提があるということを、忘れられがちなのかな。若い人にとって、プロデューサーとか主催者っていう人が、こうした方がいいんじゃないの?っていうのは、意見として大きいとは思うんですよね。その関係が難しいところですね。関係の作り方が。

水野
自信というか手応えが、作家自身に生まれて、作者が自分の作品をちゃんと距離をおいて見れて、巡回が二回三回ときちんと進んだときに、これでいいやって思うんですよ。でも、そうじゃないときって、ちょこちょこ小手先のアイディアだけを変えて来て、全然面白くなくなってるっていうのが分かるときは、ちょっと言わざるを得ない。

< あら?意外と客が受けちゃった! >

飯名
こういうことってあります?水野さんからしたら「まだこれは全然客も納得しないだろう」「まだダメだわ」っていう状態の作品で、でも本番やってみたら、あら?意外と客が受けちゃった!っていうことってあります?

水野
あるある(笑)。

飯名
なんでこれが受けるのか???みたいな?

水野
それはもうずーっとあるね。でも、確かにそこで受けてくれるのはほっとする。あ、これでよかったんだ、このくらいでいい塩梅だったんだな、って思う。でも、その安心感と自分自身が納得するのはちょっと違う。

飯名
自分が主催者・企画者として、ここまではなんとしても行きたいっていうのがあるっていうことですよね。

水野
自分としては、やっぱり最初っからずーっと作家の話を聞いてるから、この人が何をやりたいのかっていうのは、分かるわけですよ。本番でお茶を濁してるかどうか、も分かってしまう。だから受けるか受けないかじゃないでしょっ!っていうのがあるんですよ。

飯名
それって、作家側もそう思ってるとは思うんですよね。恐らく。最初に企画書だして受かったその内容で、最後までいけるのが一番本人達的にもスマートなわけです。でも何かうまくいかなくて、変えていったら、最初に掲げてたことと全然違うことになって、迷走しちゃう。

水野
ある。そういうのが多い。

< 興行しないとダメ。絶対ダメ。 >

飯名
「踊2」だったら、選考からケツまで、ずーっと周りがつき合って、ついて来てくれる。自分の作品に、つきあってもらってる感っていうのが、どのくらい自覚としてあるのかな。作家たちに個別インタビューすると、「すごいありがたい」とか「こんな企画は他にありません」とか言うけど、、、

佐東
まあそれはインタビューで聞かれるからですよね・・・。自分で本当にお金集めてやろうとした時に始めて、ああ、こういうことだったんだなって多分わかる。

飯名
三年後五年後十年後に、わかってくれればいいっていうのはあると思うんですよ。今わからなくてもね。でもせっかく四カ所、五カ所ツアーするんだから、途中で何かポンと目が覚めるようなことになったほうがいい。最終的にショーイングっていうか、有料の興行があるわけです、「踊2」の場合。先日水野さんが言ってたけど、興行しないとダメなんだ、って。

水野
うん。興行しないとダメ。絶対ダメ。

飯名
クリエーションして、内輪で無料で見せてっていうところで終わってはいかんのだってことですね。「踊りにいくぜ!!ファースト」の頃は、クリエーションがなかったわけですね。興行だけをやっていた。今はクリエーションがメインなんだけど、興行もしなければ意味がない、という。企画したときの感覚ってどういう感じでした?

水野
自分がもし作り手だったら、完成しないで終われる逃げ道ってあるなと。一生懸命やりました、でいいじゃないですか。だけどそこでチケット売って、お金取って、三回、四回やれっていうのがあると、もうそうじゃないと人って絶対本気で作んないですし、背中押されるって必要だと思うんですよね。あと、舞台で観客の前で上演して、わかることってリハーサルだけとは、比較できないくらい多い。本番をやって観客に育たれる、だから興行は必須。その代わり、選考する時は各地の主催者から色々言われることもありますよ。

飯名
共催者に?

水野
だって公演のプレゼンターとして、どんな作品になるのかなんて、全く分からないから。選考会の日に、巡回公演のスケジュールも決めちゃうんですよ。「この内容で俺にチケット売れっていうのかー!」って言われたら、自分だったとしてもたしかにそうですよ。

飯名
たしかにチケット売るのは難しい段階ですよね。

>その4に続く

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