TEXT 飯名尚人 2013.3.13

ちょっと前に、ぼけーっとTVを観ていたら、大鶴義丹がバラエティー番組に出ていた。お、TVで見るのは久しぶり。さらに前、youtubeで「緑の果て」という唐十郎が脚本で、大鶴義丹と宮沢りえが出演しているドラマを観た。「匂いガラス」「安寿子の靴」も同じシリーズでyoutubeにある。いいドラマだった。何一つ物語ってないドラマで、大層なことも何一つ言ってないドラマだった。あの時代のTVドラマってこんな幻想的な物語を放送してたのね、って思う。このところTVやラジオにありがちな教育的・常識的ガイドラインのない強い作家性に彩られたドラマであった。さて、それでその大鶴義丹がたしか「親の七光り俳優集合」みたいなコーナーで、その一人として登場しており、いろいろな”七光り”タレントが並ぶオフザケ質問とその回答。そんな中ほとんど話が回って来なかった大鶴義丹がいきなり「あのー、僕は、もう、人の言うこと聞かないことにしたんですよ」ってニヤニヤして言った。ドープな発言だった。司会者のお笑い芸人は、その先の危ない義丹ワールド(宇宙?)を察してか「この人に質問するのあぶないわー」といって、うまく笑いでスカしたけれど、その番組で大鶴義丹はもうほとんど登場しなかった。聞かないことを決めたというのはモノスゴい宣言であって、それは心の深淵にある末恐ろしい何かで、我々がタブーとしてきたことでもあった。TVが言ってはいけないギリギリアウトなシーンだった。その一方でその発言に僕は魅かれた。

京都公演。
踊りに行くぜ!! MuDA作品で、途中Quickが拡声器で喚き、アジる、ガナる場面。それとこの作品の終わり方。この2つのシーンに、観客は善し悪しを感じたことだろう。これってありなのか、なしなのか。それを良いという人と、悪いという人がいて、感想を聞いていてとても面白い。ハッキリ賛否というものがあって、気持ちがいい。僕としてはこの2つのシーンは「賛」の方で、むしろそれがあってこそQuickだとすら思っている。というのは、この2つのシーンに、Quickの「焦燥の先」があると思ったからである。以前、別の作品でQuickとメールで少しやりとりさせてもらったことがあり、その作品というのは未だ実現せずのままだけれど、水を使った演出でその水の中でQuickが踊るというアイディアであった。「一体どんな作品をイメージしてるのか?」と僕が聞くと、「その水をかき出しても、かき出しても、かき出し足らんっ!っていうことがしたいです」という回答が来た。ああ、彼の本質はそこにあるんだなと思ったから、それ以上でもそれ以下でもなく「その水をかき出しても、かき出しても、かき出し足らんっ!」ってことなのである。ダンス、身体表現に向かうモチベーションというのは、そういう衝動と焦燥なんだなと思った瞬間であった。そんな経験があったから、拡声器でガナるシーンには「伝え足りない何か」という衝動と焦燥を感じて、彼にとって必要なシーンなのだなと理解した。たとえ、それが観客にとって必要のないシーンだとしても・・・。三島由紀夫の最期の演説も、報道のヘリコプターの騒音に演説がかき消されて、ほとんど何を言ってるのか分からなかったそうだし、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」で演説をするシーンでも、反応のない群衆に向かって言い忘れた原稿を改めて読むことを諦め、自分にガソリンをかけて火を付ける。どちらも期待が絶望に変わって死を選ぶけれども、Qucikの場合、そこは死には向かわない。そこがラストシーンの意味なのである。僕にとっては。このラストシーンがいい。詳しくは言わないけど、かっこつけて、かっこつけて、その先に辿り着いた行為が、あれである。おそらく。かっこつけた先に男たちが辿り着いたのが、あれ。そう、あれ。カッコつけても、カッコつかない、つけきれない、それでこそ男。

MuDA

佐東さん、水野さんと京都の居酒屋で食事。作家に対してどのような言葉でアドヴァイスをすべきかという話題になる(このあたりのことは、佐東&水野インタビューで近日中に公開予定)。その席で「Quickちゃんに色々言っても、はいはい、とは言うけど、実は全然聞いてないよねー」と皆で笑い話となる。佐東さんが「そこにアーティストとしての芯を感じる」と言った。水野さんも同じ意見だった。以前のインタビューでもQuickは「自分が腑に落ちないと、それはダメってことなんです、周りがいくら良いといってもそれは違うんです」と頑に言っていた。問題の大鶴義丹発言「人の言うことは聞かないことにした」というのは、「もう自分で決めることにした」ということなんだと思う。決めた人の「強度」ってあるなぁと深く感心する。納得したことだけを行動に移す。決めたからやる。そんな頑な人であれたら、少なくとも自分に嘘をつかないで済むんだなと。つまりは人に嘘をつかないで済むんだなと。

MuDA

生島・大迫作品「ダンサーボーイ」。音楽のmmm(ミーマイモー)がなにしろ魅力的で、弾き語りのシーンは何度聴いても心地よい。作品全体は、作家(作者)自身がもっともっと見つけなくてはならないだろう。何を?何かを。そして大鶴義丹になれ。それはちょっと違うか。

mmm(ミーマイモー)

今週末、3月16日、17日は東京公演。踊りに行くぜ!!セカンド、今期の最終地点。着地か、不時着か。どっちでいくか自分で決めるしかないさ。

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