Text 國府田典明

(早速連投です。)もう既に2年経とうとしているのですが、Vol.1(上本竜平/AAPA「終わりの予兆」)に参加した時の、私自身の実感や実情を示してみようと思います。この文章は、あくまでも私の記憶と実感でしかない事を、予め断っておきます。

応募したのは2010年の初夏頃。私は、AAPAのメンバーとして、それまでは劇場外で舞台空間をつくる、というコンセプトで活動していました。生活環境、現象を、どのように舞台として捉えて行くか、というような事に取り組んでいました。

そのようなグループが、踊りに行くぜ!!に応募するのは、挑戦でした。普段の感覚を表現の材料としたく、劇場外で活動していた訳ですが、では、我々の純粋な上演力はどのようなレベルなのか、、、。はっきりいって、わかっていなかった所がありました。純粋な舞台作品の力量を強化したいという、タイミングでした。

舞台上の表現の構造としては、ダンサーとともに音響や映像が並列し、それぞれが表現を行う事。表現のテーマとして「終わりの予兆」という、演出の上本の文章を基礎とする。このやり方はAAPAとして続けてきた手法、異なるのは、舞台となるものが実環境でなく、劇場だという事でした。

選考が通ったのは7月。これ以前に、私たちは8月から5週間程の別のプロジェクトの予定があり、この作品の具体的な創作に取りかかったのは9月でした。しかしながら、11月に別の公演の予定もあり、内容をかぶせたり、隙間を縫って作業しました。週何度かの稽古を、主に地域の集会所を利用して取り組みました。

10月下旬に最初のレジデンス作業を鳥の劇場(鳥取)で行いました。都市と全く対照的な環境、コンビニすら身近になく、日常生活からも距離を置き、しかしながら自炊はするという、創作作業とシンプルな生活の数日間でした。ショーイングがある事で、作業に緊張感が生まれ、まとめていくための、程よいきっかけとしても機能したと感じています。

そこでの成果は、成果以前に、作業の進め方の問題点を指摘されます。シンプルに記すと、演出家と表現者のコミュニケーションについて。良くも悪くも舞台業界から外れて活動してきた事も一つの要因。私自身も受け取れていなかった問題に、ようやく気づきはじめました。この問題は、グループで何年もやってきた習慣があるが故に、明快な打開方法を見いだすには至らず、最後まで引きずる事になります。

私たちは、生真面目にひたすら時間をかけて作業をする傾向があり、朝から晩まで、かけられる時間すべてを使っていました。それまでの作業時間があまり取れておらず、それを取り戻したい、という気持ちもありました。また、思考に遊びがないのも弱点です。
鳥の劇場がある鹿野は、本当に穏やかな環境です。手がほとんど入っていないであろう小川や草花が咲く光景に出くわし、これこそ原風景というものなのか、とさえ感じる程です。外に出るとそのような豊かで、すぐリフレッシュしてしまえる環境が周囲にあります。
ただ、当時の私たちにとっては、逃げてしまえる手段がなく取り組むしかない、その状況はかえって、精神状況を厳しくさせていた可能性も否めません。本来は、もっと創作が進んでいる状態で、コミュニケーションがある程度深まっている状態で、レジデンスに入るべきだったのです。この感覚は、当時はわかっていませんでした。

このように、作品内容とコミュニケーションの二重の課題がある状態で、年越しを迎え、非常に精神力を使う時間が過ぎました。創作が進んでいるような、いないような。わかりやすい事をやっても仕方ないのですが、他人が見て文脈を見いだす事ができるのかどうか。思考は始終巡らしていて、深まった気はするけど、これが答えに成り得るのか。そして、最終決断は演出家に委ねるしかない、という、歯がゆい時間でした。

時間は止まる訳なく過ぎ、1月末から二度目の鳥取レジデンス、期間の終わりは初演です。この段階で、作品の完成度に不安を感じていました。音の役割でありながら、舞台上に立つ事になっていた自分が、何かわかりやすい見せ場を作れないか。これは運が良かったのだと思うのですが、舞台上を走り回りながら叫び、音響効果をつくる、という案にたどり着きました。

ショーイングを挟み、初演へ。演出家の周囲は結論に導こうと、いろいろ助言するものの、当人は確信ある大きな決断に踏み切れていなかったように思います。おそらく自らに開き直れなかったのだと思うのですが、彼なりには悩み向き合っていたのでしょう。なかなか難しい事です。言われた事を言葉で本人は理解出来ても、その結論を演者にやってもらわなければならない。創作の思考回路と、人づきあいを同時に行わなければならないのです。

その後、私たちは福岡、伊丹、そして東京と、都市部での公演が主でした。3カ所目の伊丹で初めて、上演後のいい反応を頂いたのを記憶しています。ただ、一度として同じ段取りを取らず、毎度(改善のつもりで)修正を行っていたため、結果として身体的に深める時間がなかったのは事実で、演者は悩んだ事でしょう。

いよいよ最後の東京公演というところで、震災に出くわします。公演は延期、日常生活に不安を抱えつつ、一旦ブランクを置く事になりました。ふた月後の五月に振替公演を行います。2011年3月まで、忍耐強く関わってきた出演者との波長が結局合わず、振替公演では、演出自ら代役を担うという事になりました。

決して美談でもなく、ただ、事実としてこのようなケースもあるものなんだ、と、ひとまずは自分として受け止めています。創作過程においての悩みというのは、作品内容だけにとどまらないのです。

このように、実行する事で参加する当人たちは得る物事が必ずあり、この点では有意義です。ただ、運営としては、きちんと熟成させた作品を上演したいと思っている。創作過程こそ大事で、支援したいと思っている。

新人は慣れていない事も多々あるので、業界的に礼を失する事もあるのですが、この点は運営側はフォローしてくれます。この点を気にしすぎる参加作家がいるのも事実で、話をしていても時間がかかりすぎてしまったり、余計な気をつかうがあまり、余計な作業をしている、という事もあります。

実は、このような状況が毎年起きつつあり、時間が足りないという事なのか、作家が大人になるべきなのか、選出確定からのスケジューリングなのか、日本の社会問題(職の環境)なのか。選出から上演まで半年あるのですが、作業時間としては、その間の週の半分以上を割く、というのが理想と感じます。では、仕事の都合はどうするのか。作家活動しているなら、なるべく多くの創作機会(別の企画)を持っておきたいのも本音でしょう。ならば、選出から1年くらい時間を取ればきちんと調整出来るのか。運営としては、受ける助成が年度毎が主、しかも毎年取得出来る保証はない。今の社会的には、これが実現出来る精一杯の時間である。一年の中で募集して創作もして上演までやる、しかない。

そういう実情なのです。

このエントリーをはてなブックマークに追加