NEWS
NEWS

BLOG

上富田レジデンスレポート

Text 國府田典明
2012年12月15日

01

和歌山県西牟婁郡上富田町。
東京からは空路、南紀白浜空港から入るのがスムーズ。関西圏からはJR特急で2時間半程。
上富田文化会館へは、町内の朝来駅から徒歩でも15分程度でたどり着けた。

温泉地の白浜や歓楽街がある田辺へは、車で10~20分でそれほど人里離れたという印象はない。
農地や紀伊山地の山々を見渡す、穏やかな景色が広がっている。八百屋ではみかんが箱で販売されていた。
カミイケタクヤ率いる作品制作陣は、1週間程、この地で滞在制作を行い、私は最後の試演会に参加した。

05

上富田文化会館は、踊りに行くぜの関連では最も広い施設で、この設備環境で1週間なりを、自由に使って制作作業出来る。本当に贅沢である。
「ダンス・イン・レジデンス in かみとんだ」としては3年目、担当の那須さん筆頭に、非常に協力的なテクニカル体制で、踊りに行くぜとしても、大きな貢献を受けているとの事。本公演の開催地とはなっていないが、企画の工夫で、ここから生まれた作品をはじめ、関連作品の上演を期待したい。

02

試演会は30名程の地元の方々が訪れ、踊りに行くぜとして最大規模の”動員”となった。
上演後のお客さんの発言は積極的であり、かなり地域の理解度は進んでいるという印象。
前向きに作品に接しようという、モチベーションを感じた。
非常に率直に、見た印象を発言する様子は、私自身も鳥の劇場(鳥取)でも経験したが、
この辺りは、当地の劇場スタッフの方々の、日々の尽力を感じる一面である。

03

会の後は、本公演スタッフを交えてビデオで改めて振り返り、意見を交換する。
この作業で、作品の最終型に向けた、作家と主催者(製作)の方向性の確認をするのだが、
ほとんどのケースで、ギャップが露呈され、作家がかなり悩む、というのが常となっている。

04

試演まで作品制作陣は、自らの美学のみに沿って、作品を構築していけばいいのだが、
踊りに行くぜは「興行」でもあるため、売れるものにしていく、というベクトルも持っている。
また、はっきりとした客目線を、ここで初めて獲得するため、
イメージのギャップが生まれるのは当然の事なのであるが、ここから本公演に向けて、
作家は最も精神的にハードな期間に突入する。
カミイケも例外なく、前夜の水野の指摘による徹夜対応も重なり、ハードな一日だったようだ。

夜はレジデンス最終日という事で、上富田としての打ち上げへ。
カミイケは、おそらく睡眠不足と、考えている事も当然あるであろう、静かな様子だった。

カミイケ本人に、ここまでの作業の感じについて、軽く話を聞く。
今回参加するまでは、舞台美術として(舞台)作家の隣りからの目線でいろいろ発想するものがあったので、挑戦しているが、
やはり当事者(作・演出家)となると、自分が使っていた思考回路と別のものが必要で、この事を痛感している、と。
美術であれば、他人がいないので、自分のテンションとペースで、集中して制作に投じていけるが、
ダンス作品となると、人が相手になり、いろいろな事を合わせていかなければならない。
意図やイメージ、動きの説明の仕方の「言葉」が難しく、時間がかかってしまって、すまない気持ちになったり。

レジデンス作業については、那須さん(会館のテクニカルスタッフ)はじめ、出会いがあり、想定外のプラスになっているようだ。
人間関係が良好だと、作品も発展していくような感じがしているとの事。(他の現場でもそのように感じている。)
今回はその点は満足しているそうだ。

カミイケ自身にとっては、上富田は地元香川と似た環境で、落ち着いて取り組めた。
このチームは、作家は香川、ダンサーは新潟、音楽家は東京にそれぞれ住んでいて、会う時間は限られてくる。
彼は自主的に新潟にも滞在して、ダンサーと創作していた。

カミイケは美術家としても他の作品も並行しているが、
抱えている作品の思考回路を利用し、時に入れ替えたりしながら、創作していく、という事を話していた。
これは意図的にそうしているそうだ。

最後に、今の心境を語ってもらった。
「見えているようで、底がない。どこまでいっても底がない。」


意味の有無 MuDA

Text 飯名尚人
2012年11月29日

京都。
稽古場訪問。
そしてインタビュー。

この日のインタビューは、後日テキストに起こして公開するので、しばしお待ちを。

Quickの話は、混じり気なしのストレートな内容であった。雄舌ではないし、言葉足らずとも言えるが、ああなるほど、だからMuDAはこういう身体表現なのね、ということが妙に納得させられる。
信仰めいた祝祭、クラブカルチャー、ラリった歪み、、、そんなようなものを感じさせる。南米だったか国は忘れたが、山の上の教会に行くのに、途中でコカの葉を噛む。坂の途中ではラリって転げ回ってる。彼らは口々に、神に近づくにはこの葉っぱを噛むんだよ、と言っている。近代的な生活において儀式というものは、ある程度の時間が経つとその意味を正確に語れる人間は少なくなる。誰もが夏に公園で盆踊りをする理由など気にしなくなる。行為の意味の無さ、をこうやって考えていくと、納得できる。

MuDAが醸し出すトライバルでありながらもデジタルな何かは、シュワルツネッガー主演の映画「プレデター」みたいな、謎の生命体を思わせたりする。僕は「プレデター」を観るたびにプリミティブな土着的な信仰を感じる。
仏教に対する信仰がある、とQuick。そのあたりの話はインタビューで詳しく。

ではまた。


何処へ行く、ダンサーボーイ!?

Text 飯名尚人

2012年11月28日 森下スタジオ

大迫、生島作品の進行具合を見学、取材しに森下スタジオへ。この日は、JCDN水野さん、報告するぜメンバーの國府田くん、照明の高田さん、そして、わたくし飯名というメンバーで、いわば「ネタ見せ」、要するに「出来てるとこ見しておくれ」という日である。

<ダンサーボーイの行方>

ところが、ダンサーボーイが行方不明であった!つまり「何も出来ていない」という状況であった。ん、やばいか?うむ、やばいな。「できているところまで見せてー」「どんなアイディアか見せてー」というのが不可能な状態。彼らが考えていることは、ある。テキストやコンセプトシートは、ある。むしろしっかりしたものが、ある。しかし、それはすべて頭の中にある「概念」であって、舞台上で見せるためのビジュアル化の作業がまったく進んでいない。これはちょっとまずい。概念や理論だけではダメなのである。なにしろ初演は1月14日。のこり40日程度。さあ、どうする、ダンサーボーイ。

例えば文章を書くとき、まず頭の中でうねうね考えていく。あーでもないこーでもないと考えて、なかなか筆は取らない。喫茶店で珈琲でも飲んでいるときに、あるいは川縁を散歩しているときに、突然「よし!これだ!」という閃きが起こったりして、いままで頭の中でうねうねと自由に泳いでいた漠然とした個々のアイディアが一気に構成されて文字となって書き上げられていく。舞台作品を作るときもそうだと思う。バラバラのものが最後に一気に繋がる。そういう体験をしたことがある作家であれば、バラバラなアイディアを頭の中で泳がせていく楽しみを知っているかと思う。

であるから、ダンサーボーイも最後に一気に組みあがる可能性はないわけではない。しかし「いや、これはちょっとまずいな」と僕は思った。コンセプトシートは出来ているけれど、スタジオでの時間の使い方のほとんどがディスカッションになってしまっているからだ。このパターンは、一番よくないと僕は思う。もちろん、自分たちが自分たちの手法を見出すために、いろいろな思考を巡らせて、最終的に手法、メソッドを導き出すのは必要だ。しかしクリエイションの過程で、複数の人間がスタジオの中で議論しすぎると、最終的に「ダンスとは何か」「芸術とは何か」という大義にむかっていき、「世界とは何か」「宇宙とは何か」というような、大きすぎる問題に行き着き、さらに最終的には「おれらは、なんでダンスなんて作ってるんだろ、金にもならないし」という真逆の小義に入り込み、ネガティブな思考だけがスタジオに充満する。もしディスカッションをするなら、スタジオでクリエイションする前に、陽のあたる緑のある喫茶店でやるべきである。あるいは銭湯にでも行って、湯船に浸かりながら話し込むのがよい。メンバーとスタジオに入ったら、具体的な作業をしないといけない。
そのための準備がされていなかったとすると、うーむ、どうか、どうなのか。
ひとまず、もうディスカッション禁止。手を動かすべし、ダンサーボーイ!


「踊りに行くぜ!! Ⅱ」の実情

Text 國府田典明

(早速連投です。)もう既に2年経とうとしているのですが、Vol.1(上本竜平/AAPA「終わりの予兆」)に参加した時の、私自身の実感や実情を示してみようと思います。この文章は、あくまでも私の記憶と実感でしかない事を、予め断っておきます。

応募したのは2010年の初夏頃。私は、AAPAのメンバーとして、それまでは劇場外で舞台空間をつくる、というコンセプトで活動していました。生活環境、現象を、どのように舞台として捉えて行くか、というような事に取り組んでいました。

そのようなグループが、踊りに行くぜ!!に応募するのは、挑戦でした。普段の感覚を表現の材料としたく、劇場外で活動していた訳ですが、では、我々の純粋な上演力はどのようなレベルなのか、、、。はっきりいって、わかっていなかった所がありました。純粋な舞台作品の力量を強化したいという、タイミングでした。

舞台上の表現の構造としては、ダンサーとともに音響や映像が並列し、それぞれが表現を行う事。表現のテーマとして「終わりの予兆」という、演出の上本の文章を基礎とする。このやり方はAAPAとして続けてきた手法、異なるのは、舞台となるものが実環境でなく、劇場だという事でした。

選考が通ったのは7月。これ以前に、私たちは8月から5週間程の別のプロジェクトの予定があり、この作品の具体的な創作に取りかかったのは9月でした。しかしながら、11月に別の公演の予定もあり、内容をかぶせたり、隙間を縫って作業しました。週何度かの稽古を、主に地域の集会所を利用して取り組みました。

10月下旬に最初のレジデンス作業を鳥の劇場(鳥取)で行いました。都市と全く対照的な環境、コンビニすら身近になく、日常生活からも距離を置き、しかしながら自炊はするという、創作作業とシンプルな生活の数日間でした。ショーイングがある事で、作業に緊張感が生まれ、まとめていくための、程よいきっかけとしても機能したと感じています。

そこでの成果は、成果以前に、作業の進め方の問題点を指摘されます。シンプルに記すと、演出家と表現者のコミュニケーションについて。良くも悪くも舞台業界から外れて活動してきた事も一つの要因。私自身も受け取れていなかった問題に、ようやく気づきはじめました。この問題は、グループで何年もやってきた習慣があるが故に、明快な打開方法を見いだすには至らず、最後まで引きずる事になります。

私たちは、生真面目にひたすら時間をかけて作業をする傾向があり、朝から晩まで、かけられる時間すべてを使っていました。それまでの作業時間があまり取れておらず、それを取り戻したい、という気持ちもありました。また、思考に遊びがないのも弱点です。
鳥の劇場がある鹿野は、本当に穏やかな環境です。手がほとんど入っていないであろう小川や草花が咲く光景に出くわし、これこそ原風景というものなのか、とさえ感じる程です。外に出るとそのような豊かで、すぐリフレッシュしてしまえる環境が周囲にあります。
ただ、当時の私たちにとっては、逃げてしまえる手段がなく取り組むしかない、その状況はかえって、精神状況を厳しくさせていた可能性も否めません。本来は、もっと創作が進んでいる状態で、コミュニケーションがある程度深まっている状態で、レジデンスに入るべきだったのです。この感覚は、当時はわかっていませんでした。

このように、作品内容とコミュニケーションの二重の課題がある状態で、年越しを迎え、非常に精神力を使う時間が過ぎました。創作が進んでいるような、いないような。わかりやすい事をやっても仕方ないのですが、他人が見て文脈を見いだす事ができるのかどうか。思考は始終巡らしていて、深まった気はするけど、これが答えに成り得るのか。そして、最終決断は演出家に委ねるしかない、という、歯がゆい時間でした。

時間は止まる訳なく過ぎ、1月末から二度目の鳥取レジデンス、期間の終わりは初演です。この段階で、作品の完成度に不安を感じていました。音の役割でありながら、舞台上に立つ事になっていた自分が、何かわかりやすい見せ場を作れないか。これは運が良かったのだと思うのですが、舞台上を走り回りながら叫び、音響効果をつくる、という案にたどり着きました。

ショーイングを挟み、初演へ。演出家の周囲は結論に導こうと、いろいろ助言するものの、当人は確信ある大きな決断に踏み切れていなかったように思います。おそらく自らに開き直れなかったのだと思うのですが、彼なりには悩み向き合っていたのでしょう。なかなか難しい事です。言われた事を言葉で本人は理解出来ても、その結論を演者にやってもらわなければならない。創作の思考回路と、人づきあいを同時に行わなければならないのです。

その後、私たちは福岡、伊丹、そして東京と、都市部での公演が主でした。3カ所目の伊丹で初めて、上演後のいい反応を頂いたのを記憶しています。ただ、一度として同じ段取りを取らず、毎度(改善のつもりで)修正を行っていたため、結果として身体的に深める時間がなかったのは事実で、演者は悩んだ事でしょう。

いよいよ最後の東京公演というところで、震災に出くわします。公演は延期、日常生活に不安を抱えつつ、一旦ブランクを置く事になりました。ふた月後の五月に振替公演を行います。2011年3月まで、忍耐強く関わってきた出演者との波長が結局合わず、振替公演では、演出自ら代役を担うという事になりました。

決して美談でもなく、ただ、事実としてこのようなケースもあるものなんだ、と、ひとまずは自分として受け止めています。創作過程においての悩みというのは、作品内容だけにとどまらないのです。

このように、実行する事で参加する当人たちは得る物事が必ずあり、この点では有意義です。ただ、運営としては、きちんと熟成させた作品を上演したいと思っている。創作過程こそ大事で、支援したいと思っている。

新人は慣れていない事も多々あるので、業界的に礼を失する事もあるのですが、この点は運営側はフォローしてくれます。この点を気にしすぎる参加作家がいるのも事実で、話をしていても時間がかかりすぎてしまったり、余計な気をつかうがあまり、余計な作業をしている、という事もあります。

実は、このような状況が毎年起きつつあり、時間が足りないという事なのか、作家が大人になるべきなのか、選出確定からのスケジューリングなのか、日本の社会問題(職の環境)なのか。選出から上演まで半年あるのですが、作業時間としては、その間の週の半分以上を割く、というのが理想と感じます。では、仕事の都合はどうするのか。作家活動しているなら、なるべく多くの創作機会(別の企画)を持っておきたいのも本音でしょう。ならば、選出から1年くらい時間を取ればきちんと調整出来るのか。運営としては、受ける助成が年度毎が主、しかも毎年取得出来る保証はない。今の社会的には、これが実現出来る精一杯の時間である。一年の中で募集して創作もして上演までやる、しかない。

そういう実情なのです。


改めて「踊りに行くぜ!! Ⅱ」とは?

Text 國府田典明

この記事が最初になります、「報告するぜ」担当コウダです。
私は、普段は舞台音響(ダンス、舞踏が多いです)や個人的にDJの活動(10年程やってます)を行っています。なぜ、この担当をする事になったかというと、踊りに行くぜ!!セカンドのVol.1に上本竜平/AAPAとして、クリエイションに参加しました。以後、Vol.2では広報の手伝い等をする、という事をしており、今年は「報告するぜ!!」をやってみようという事になりました。

そういう訳で、目線としては、割と参加アーティストに近い所にあるかと思います。批評出来る程のスキルはありませんが、舞台周りで日々感じている事も踏まえて、このVol.3における、正直な感覚を記していければいいのかなと思っております。

この「セカンド」という企画は、率直に、アーティストにとっては待遇のいい内容と認識しています。公募選出から上演まで、半年ちょっと程、この間の生活すべてを確保してくれる訳ではありませんが、数週間のレジデンス制作中の交通費や生活費は充分カバーしてくれますし、上演については、チケットノルマなんかなく、むしろ出演料が支払われ、これらとは別途にしっかりした制作費が支給されるのです。

これら経済面だけでなく、レジデンスは大都市圏で行わずに、国内の各地で行う事で、充実しつつある当地の劇場施設を活用しています。これによって、実務的な芸術文化の循環が促され、作家、施設関係者、地域住民にとって、いい刺激を作りだせる可能性が含まれています。

そのような観点で非常に優れた企画であり、良き事を真摯に実行しているJCDNの皆様に尊敬するばかりです。

まず、これが、大前提として。
このように優れた企画なんですが、(参加した私も含めて)参加作家がこの環境を活かしきれているのか。これがVol.1から議論されています。もちろん、制作・上演を通して、作家当人には、何かしらは実現されているので、これでもサポートされた事にはなるのですが、企画側としては、もっと熟した作品をつくりたい、と思っているのも、正直な実情なのです。

果たして、これが日本の若手のレベルなのか、まだ、そのレベルの人に出会えていないのか。新人といっても学生でもなく、でも作家として売れてもいない所で、作品を作りたくてしょうがない人はいないのかー!!(ディレクター談)という所を狙っているので、ニッチなのも確かなのですが、これらを日々、より適切な状況にしていく、という任務が、運営側としてあるのです。

この「報告するぜ!!」は、その辺りの現場の実情を取材し、意見し、またより多くの皆様に、この「踊りに行くぜ!! セカンド」に興味をもっていただけるような切り口も示していければ、と考えております。


ダンサーボーイってなんだ?? vol.1

text 飯名尚人(SKYPEインタビュー 2012年10月20日)

鳥取の鳥の劇場にレジデンス中に、生島翔、大迫毛太、mmmの3人にインタビュー。スカイプで。彼らの作品は『真・奇想科学世界ダンサーボーイ』というタイトル。ダンサーボーイ?どういうことか?悪ふざけか??などと色々な予測をしつつ取材開始。

(続きを読む…)


3 / 41234
pagetop