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Vol.4 選考

テキスト:國府田典明

踊りに行くぜ セカンド Vol.4の選考が終わり発表があった。(https://www.facebook.com/odori2
「報告するぜ」は、今年もある模様(?)。どうであれ、まず書く。

ちなみに「報告するぜ」は主にAプログラムの視点で書いている。今回は”経験者枠”があるので、大先輩には、これから書く事はあてはまらないと思うが、やはり、”踊2″が抱える毎度の状況を改善していきたいので、蛇足でも書いてみる。この報告するぜは、作品批評が目的ではない。プロジェクトそのものの検討や、作家の実情に触れ、「作品づくり」を考えてみるものである。第3の視点と、蛇足も任務と思い、書くことにしている。

また一年が始まるのだが、しかし、厳密には来年の3月いっぱいまでだから、既に8ヶ月余りしかない。初演までは6ヶ月程。この自覚が作家にあるか、もしくは、時間がない事が伝わっているか。つい”今年”というように「年」単位のイメージで話す事が多いが、そもそも、各回の踊りに行くぜは10ヶ月もない、世間からすれば、”短期決戦”の「プロジェクト」なのである。

この点が、作家と、主催開催側の、時間感覚のズレが生じやすい部分である。選考通過は一大イベントなのだが、既に作品構想は走っていないと満足に制作できないかもしれない。来年ある保証もないが、次回応募する方は、年明けには構想が始まってもいいくらい。

これは、Vol.1で私が当事者だった事も振返りつつ思い返す。
当時は8月いっぱいの予定で別のプロジェクト仕事があった。もうそれで、ひと月少ない状態。7月のうちに手をつけてもいいくらい。どうだろうか。作品づくりというのは、そもそも時間が読めないものだろうと思う。これを、契約書を交わして仕事的に行うのだから、作家は結構なプレッシャーになるはず。だが、そこまでの実感は私たちには正直なかったと言わざるを得ないか。弁明するなら、先に決まっていたスケジュールを調整できないのも、事実。正直、並行するしかなかったのが私の時の実情なので、たらればは述べないが、

この「踊りに行くぜ」だけに集中する8ヶ月余りを過ごしても、充分価値はあると思う。

人生のうちに数作品しかつくれないとするならば、その作品の一つに対し、この機会は、多くの援助がある。思い切ってスケジュールを絞るのもあり。主催者はそれだけ真剣にやっている。これは言い切れる。

だから、今回選出された皆さまには、ぜひ、今後の他の予定の調整も、作品制作の戦略になるとお考え頂ければと。過去3回とも、作品の内容以前に、制作の進行でつまづく事がほとんどのチームで起きているので、これを食い止めるには、今すぐ手をつける。夏真っ盛りのうちに、ひとしきりの制作が進められて、秋までに完成に向けての課題が並べられたら、本当に有意義。踊りに行くぜのプロジェクト全体としても、次の段階に進めるのではないだろうか。

とここまで、書いたが、今年は状況は違ってくるかもしれない。

さて、今回の二次選考の初日だけ、その様子を拝見した。A,B全体では、選考を通過した4方のプレゼンテーションを拝見できたという事になる。Aプログラムは、4名選出され、黒沢美香さんと森田淑子さんは実際に拝見できた。4名のうち2名はいわゆる経験者枠。もう二方が若手になるが、森田さんは昨年も選出されていて上演できなかったという事情がある。再度の応募で選出となった。

そのような事で今年は、随分状況が違ってくるのか。新しい悩みも出てきそう。

ただ、そもそも、実情としては応募が少ないようだ。「作品」として、求める深さに達していない、という事もあるよう。

作品の深度とは、、、私のつたない思考をするならば、
作家自身が設定したテーマへの思考が、社会性を伴って(自分なりに)見極められたもの。この事を他者に説得したい、という欲求が、作品欲になるのではないだろうか。

本音がなければ、なかなか他人は興味を持たない。そこに到達するには、一人で考えていても難しいだろうし、何度かの試行を経る必要もある。人生経験も必要である。物事や人の出会いも要素だろう。

舞台上の動きが設定できたとしても、その動きの欲求が作家当人になく、何か生まれる事を他人に任せるようでは、選ぶ気にもならないのである。それだけ自分の「意見」でもある作品には、自覚が必要だし、年に何個も作れるものでもないだろう。そのための日々や普段が必要なのでは。(あたりまえですみません。)

(政治がどうなるかわからないが、、)今のところ世界から見れば、まだ概ね平和で自由がある日本で、「作品づくり」には誰でも望めば取り組める状況にある。そのいわば”幸せな”状況においては、芸術が実世界に影響し、事実をつくる事は割と可能であろう。舞台上で生身の人間が「やってみせる」というのは、それだけのインパクトを表出できると、私は思っている。これを「事実」とも言えるのではないだろうか。フィクショナルな手段を利用して「事実」を実現する事で、”同時代”の話題となり得るだろうし、思考によって現実をつくってほしい。これは私的な期待である。自戒もこめて。

思考にリアリティがある事、社会性を伴う事がおそらく必要。このプロジェクトには、国や大規模な組織の協力がある。これは、芸術活動がやはり人間生活の一つの理想行動である事を、期待されているのだと、思いたい。そういう意義があるのではないだろうか。

こんな文章でいいのか。言い訳しつつ。


直接聞くぜ!! 阿吽座談その4・最終章

報告するぜ!!特別企画!
企画した人に直接聞くぜ!! 阿吽座談その4
JCDN 佐東範一 & 水野立子
京都芸術センター大広間/2013年3月8日

「踊りに行くぜ!!」が、「踊りに行くぜ!!セカンド」となって今回で3回目。JCDNが全国規模で繰り広げるダンス作品のクリエイションには様々な裏話がある。課題がある。期待がある。さあどこが上手く行ってて、どこが困難なのか。東京公演が終わると、今度は次回の作家も集めないといけない、今回はどうで、次回はどうなりそうなのか、、、よし、そうだ、直接企画者に聞いてしまおう。というわけで、京都公演のリハーサルの間に、佐東さん、水野さんに根掘り葉掘り聞いてみた。

聞き手/テキスト 飯名尚人
テキスト聞き起こし 今村達紀

<AプロとBプロってどっちがやってて面白いんですか?>

水野
だんだん公演日が近づいてきて、途中経過の発表やると、「えー、、、こんなのやって大丈夫なの、、、」って。公演まで残り一ヶ月なのに、全然作品が出来てないわけですよ。中身が見えないのに宣伝できませんよって。全然セールスポイントがないわけです。

飯名
まだ作品出来てないですからね。

水野
そういう企画なんだってことを共催者に飲んでもらわなきゃいけない。この企画に乗っかってもらうためには、こういうクリエーションの方法に共感してほしいっていうことでしかない。でも、セカンドの3回目の今回、予想外なほど盛り上がってきた。集客も良かった。理解を示してきてくれたという実感が持てた。やっぱりBプロの効果なのかな共催者にとっては。

飯名
Bプロは宣伝しやすい?地元の人と作品作るわけですし。

水野
AプロはJCDNが面倒みて、Bプロは各地の共催者が面倒見る、という関係です。アーティストにもよるんですけどね。でも、すごく真剣に毎日稽古見てくれたりね、やっぱり共感して生まれる現場にいるっていうのはある。

飯名
実際、佐東さん水野さん的には、AプロとBプロってどっちがやってて面白いんですか?

水野
そこは佐東さんと私の意見は違うのかもしれないけど。

佐東
どっちも別もんですよね。Aの方はほんとにプロダクションとしての作り方をしている。Bの方はある種コミュニティ・ダンスというか、地域の人と一緒に作っていくみたいな部分もあるので、逆にその両方を一緒にしたかったっていうのはあるんですよね。

水野
私は、逆にAと同じことをBでやろうというか、目指したいと思ったんですよ。つまり本当に作るってことをBプロでもやってみたいと思った。一人のアーティストがある地域に行って、そこで出演者を選んで、自分のやりたいテーマをやる。その土地とは関係ないことだっていい、でも、その土地の人と作る。Aと同じクオリティを目指して、ああいうやり方で作る。

飯名
JCDNの別の企画だけど、韓国のチョン・ヨンドゥさんが福岡に滞在して作ってる企画っていうのはBプロと似てるじゃないですか。リサーチして地元の人たちをオーディションしてて。WEBサイトで記事を読んでいたら、ヨンドゥさんのあれくらいの作品への質感、強度っていうのが、「踊2」のBプロに入ってくるといいのかなって感じた。

水野
そうね。それを目指してるんですよ。

飯名
その可能性はあるわけですよね?

水野
はい、そうですね。あのアイデアの中味はヨンドゥさんから出たんですよ。

佐東
そうだね、福岡で調査して、っていう作り方はね。

水野
福岡で作るっていうのだけ、こっちで決めて、あとのテーマとか、進め方はヨンドウさんがやった。

飯名
Bプロも同じですよね。作家を公募してるというだけが違う。今回のヨンドゥさんとか、その前のフィンランドとのエクスチェンジ企画で「KITE」を作ったエルビィさんとかの作品の作り方を見てると、僕はなんかBプロにすごく似ている、Bプロそのものだなと思ったんです。

佐東
まあそうですね。

飯名
あのぐらいの強度のものがBプロで出てきたら、きっと面白いんだろうなと。

水野
それを目指したい。

佐東
時間の問題があるのかもしれない。

水野
それはあるね。

佐東
そこに対するお金と時間のかけ方が、Aプロに比べてBプロは小さいんです。その範囲で出来ることが限られてしまうっていうのがある。Bプロをもう少し、30日滞在できるくらいの予算をつけて、事前の調査にも二回か三回くらいいけるぐらいすると、いいでしょうね。

水野
そうなってくると、出演者の方の意気込みも違う。でも、それだけの時間に、地域の出演者がついて来れるかどうか。

飯名
そういう課題はありますね。1日、2日の連続ワークショップくらいだと30人~40人集めやすい、でも、10日間連続ってなったら3,4人ぐらいしか来れない。

水野
そうでしょ。

飯名
っていうのが現状ですよね。実際、そこまでの時間が作れない。

水野
ガッツリとこの人と作品作ってくださいって言ってもねぇ、なかなか。

< 私は、その理由がすごくよく分かった。 >

飯名
例えば、福岡なら、福岡に住んでいるあのアーティストとコラボレーションしたいんだ、っていうような名指しの企画書をBプロで書いてくる作家はいますか?

佐東
今回でいうと、大橋可也さんは地元の音楽家の人とやりたいっていうことで。

飯名
この地域のこの人と作品作りたいっていうパターンと、地元オーディションして、っていうのって、作品の質感は違ってきます?

水野
やっぱり、この人と作りたいって場合は、最初から作品が見えている印象があります。当然そっちの方がクオリティが高いなっていう予想はつく。でも、ほとんどノープランの場合が多いんです。

佐東
そこまでその地域のことを知らないっていうのが実際にはありますよね。

水野
応募の仕方としては、AプロもBプロも新作のテーマとかコンセプトを書いてくださいって明記しているから、同じなんですよ。ただ方法論が違う。そこがうまく伝わらないのは、私たちの責任もあるんだろう。Bプロに応募してくる人に、何でBプロに参加したんですかって、必ず聞くことにしてて、これだったらAプロでいいじゃないって毎回聞くことにしてるんですよ。
あるアーティストをBプロで選ぶときに、その人は「Aと同じことを、Bでやります」って答えた。その人は「自分が作品を作るやり方っていうのは一つしかなくて、自分のカンパニーでそれをやっている。けれど、いつも同じ人とやっていて、それなりのクオリティまでは行ける、でも最近、新しいアイデアが出て来なくなった。だから、自分が長年かけて作ってきた方法を、他の人にぶつけてみて、何か新鮮なものを感じたい。」って、言われた。私は、その理由がすごくよく分かった。だから「じゃあ、やってください」ってなったんです。そういうことが、アーティストにとっての一つの活路になるということは、Bプロの可能性とも言えると思いました。

飯名
別に地域でオーディションしてくれなきゃ困ります、とかそういうことではないってことですね。

水野
オーディションができますとは書いてあるんだけどね、応募要項にはね。でもやりたい方法を提案してくれれば、いいんです。

飯名
でもまあ確かにアーティストがまだ単独で育ってない地域っていうのは、都心部以外はほとんどがそういう状況ですね。そういうところの主催者にとってはオーディションして地域から選んでくれたら、大きな経験になりますよね。

佐東
それは大きいですね。

水野
おっきいおっきい。

<なんか水野さんって要求多いですよね>

飯名
そのことと、いい作品っていうか、つまり興行として成り立つ強度のある作品ってものを、コンセプトの中で同居させるのは、20日間ほどのクリエーションではなかなか困難じゃないですか?

水野
そうなのよね、だから私ももうそれは反省してる。アーティストからも言われた。なんか水野さんって要求多いですよねって。

飯名
いい作品でないといけないし、クリエーションとしても楽しくなきゃいけない。

佐東
参加者も満足しなきゃいけない、ってことを求められてしまうからですね。

飯名
参加者と喧嘩しにくいわけですし、困難さを提供してはいけない空気になるわけですね。

水野
やってきて、それがわかったから、ワークショップじゃなくガッツリと作ってくれていいです、と説明することにしてるんです。最近は。ワークショップっていう言い方しなくって、リハーサルって言うことに全部変えた。参加者のためのワークショップではなく、作家の作品に出演するっていう意識の人じゃないと出てほしくないんだ、とかはっきり言って。だから昨年のBプロのうえだななこさんの作品は、出演者も4人だったから結構厳しく作品を作るっていうスタイルでやったんですよね。

飯名
うえださんの作品は映像でしか見てないけど、Aプロに近い作家性がありましたね。

佐東
うん。Aプロに近い感じだった。

飯名
作家が作品を作る地元の人をきちんとダンサーとして扱って、作品を作ろうとしていたのかな、と。他は、うーん、やっぱりちょっとコミュニティ・ダンスだなーと。老若男女集めて、運動的な振り付けして、、、っていうような。でも地元の人たちは、それでもやっぱり楽しいだろうなとは思う。

水野
最初にコミュニティ・ダンスとしてやってください、とはまったく言わないんですけどもね。そこは作家が作りたい中味に合わせてアレンジしていくよ、という体制をつくっているのですが。

飯名
それはJCDNの功績もあって、コミュニティ・ダンスが流行って来ている、理解されて来ているということだと思います。

佐東
そうなんですよね。

飯名
都心部で、誰が観客か分からないような状況でやってる作家たちが、ああいう風に直接人々と、つまり「ピープル」と楽しくダンスを作りあえるということに望みを持ってるという現れでしょう。

水野
それはあるね。

< やっぱり両方あることが必要かな >

飯名
そうなるとですよ、「踊2」って、作品の強度とか、作家の在り方とか、そういうことって時代遅れなのかな??

水野
えー、それいわないでよー。

佐東
僕が思ってるのは、やっぱり両方あることが必要かな、って。でも、作品に強度を求めてる人たちというのが、どれだけいるんだろう。僕たちはそこを求めるけれども。

水野
寂しいよね、JCDNだけなんじゃないの、みたいな。

飯名
いや、やっぱり観客って、強度を求めてますよ。

水野
そうだよね

佐東
うん

飯名
訓練して鍛錬されたものっていうのに圧倒される。芸能とか芸といわれてるものに。

佐東
そこにいくまでが、すごく入り口が狭いですよね。コミュニティ・ダンスがだんだん広がってきた。コミュニティ・ダンスの功績っていうのは初めてダンスに触れる人が確実に増えていて、今の「踊2」にしてもこんなに各地域でお客さんが増えてるっていうのは影響してると思う。

飯名
確かにそうですね。東京だと、観客よりもクリエイターの方が数が多いと思うんです。ダンスを見に来る人は、ダンスに関わっている人たちで。つまり見に来てる人はほとんど同業者。

水野
京都もそうだよね。

飯名
おばちゃんが踊ってたり、おっちゃんが踊ってたりってなると、明らかに客層は違ってきますよね。バランスを考えると、両方必要だなとは思う。

佐東
そうなんですよ。

飯名
恐らく一つ一つのコンテンツの強度はもちろん高めなきゃいけないという前提ではあるけれども、「踊2」というイベント自体の面白さって言うデザインは必要かもしれない。そんな作品が来てもいいけど、「踊2」って言うあの雰囲気が面白いんだ、とか、世界観が面白いんだとかっていう体験が提供できるといいですね。あー、今回はつまんなかったねーとか(笑)。

水野
そうだね、そうなっていくといいね。

佐東
だけど、まだ3年目なのに、札幌、福岡、仙台もお客さんがいっぱいになった。僕は思ったよりも、そうなるのが早いなって思ってるんですよ。

水野
確かに。

佐東
まだ無名の作り手の作品なのに。地元の人たちが出てるからがんばってチケットを売ってくれるって言うのはあるんだけれども、前よりもボリューム感が増えたと思ってるんです。以前だったら、出演者も一人とか、多くても3人とかね。

飯名
今までは、イベント全体の上演構成が、ソロ、ソロ、ソロ、デュオとかでしょ?一作品10分とか、15分で。面白くない時間があったとしても、30分間一つの作品を見て、うーんとか、そういうのもあっていいとは思います。ちゃんと作ってきた作品だとしたら。

佐東
つまらないと感じたとしてもね、しっかりしてる作りだなっていう、そこはやっぱり感じるんじゃないかな。

水野
そうそう、それは言われた。すばらしい作品とはいえないけれど、力を入れてじっくり作ったものになってるねって、誰かが言ってくれた。

飯名
それはすごい大事なところですね。

佐東
なんかある力のあり方みたいのは伝わって、それでお客さんが札幌とか福岡では受けてるんじゃないかな。

水野
無名だけど、Aプロのことを、箸にも棒にもかかんないねーって言う人はあんまりいない。お客さんの方も、ちゃんと受け止めようっていう空気はあると感じてる。

<次回はどうする!?「踊りに行くぜ!!」>

飯名
次の「踊2」はどうなるんですか?

水野
次年度は、Aプロを2コースにしようと思っている。いままでも新人じゃなきゃダメとか、キャリアがある人はダメとか、とか募集要項には特に明記してないんですよ、一言も。だけどなんか、経験者は参加できないっていう印象を持たれてしまったのかも。応募する方もこちらも、曖昧だった。なので、初めて作品を作る人のコースと、3作品以上作品を作ったことがある人のコースと2グループずつ選ぼうかなと。

飯名
Bプロもありますよね。

佐東
Bプロは、もうちょっとボリュームを出して、予算をつけるのはありですね。

飯名
ヨンドゥさんの企画の方で、Facebookであったり、ウェブサイトの情報量を見てると、確実に進んでる印象を受けたし、見てて楽しい。

佐東
そうなんですよね。

飯名
そういうプロセスをもっと丁寧に見せていくことって大事かなと。やっぱり今回「報告するぜ!!」も、要所要所で報告しているだけにすぎなくって、そのプロセスを見届けている感じはないんですよ。

水野
そういうの、やりたいよね。今回初めて「報告するぜ!!」をやって、作品制作の生の現場がわかるし、主催者以外にレポートしてくれると非常に、このプロジェクトの本質がみえてきますね。意外に「おもしろい!」と言ってくれる方が多く、来年、もっと強化していきたいです。飯名さんまた是非、よろしくー。

おわり!!!


直接聞くぜ!! 阿吽座談その3


報告するぜ!!特別企画!
企画した人に直接聞くぜ!! 阿吽座談その3
JCDN 佐東範一 & 水野立子
京都芸術センター大広間/2013年3月8日

「踊りに行くぜ!!」が、「踊りに行くぜ!!セカンド」となって今回で3回目。JCDNが全国規模で繰り広げるダンス作品のクリエイションには様々な裏話がある。課題がある。期待がある。さあどこが上手く行ってて、どこが困難なのか。東京公演が終わると、今度は次回の作家も集めないといけない、今回はどうで、次回はどうなりそうなのか、、、よし、そうだ、直接企画者に聞いてしまおう。というわけで、京都公演のリハーサルの間に、佐東さん、水野さんに根掘り葉掘り聞いてみた。

聞き手/テキスト 飯名尚人
テキスト聞き起こし 今村達紀

<理解のギャップは確かにある>

水野
名前のある人だけが面白い作品を作れる訳じゃなくて、無名の人だってほんとに考えて、やりたいことを突き詰めれば、いい作品って絶対できるんですよ。それをこの「踊2」で証明したいんですよ。新人がこんな世界観作れるんだっていうことを。ちゃんとやるっていうことは、そういうことじゃないですか?見る観客が何かを得るっていうことでしか、作品制作って意味がない。ただやりました、じゃダメなんです。そういうことを広げていきたいから、できれば十年計画で、その中でどういう芽を蒔けるのか、どういう芽を私たちは受けられるのか、っていうことだと思う。JCDNがどれだけのことを創作過程で提供できているのかっていうと、例えば受かった人に、コースみたいにして、これとこれとこれのワークショップをたてて、こういう授業をうけて、照明でも授業受けてというのは、それもなんかねぇ。

飯名
それはもう教育。企画として違うでしょう。

水野
そう。そこまでは違うでしょう。どこまでやればやり過ぎなのか、どこまでだと足りないのかっていうのが、参加者各々全員違う。そのレベルを見極めることが十分にできているのかっていうと、私としても全然駄目だと思っている。来年からはそういうことに、もっと時間を使いたいと思っていて。途中経過の発表でお客さんが来てくれても、おもしろかった!とか、そういう程度だけになってしまっていたり、作家側がちゃんと感想や意見を聞かなかったりもする。信頼関係がその間に出来てこない。JCDNがいろいろ言っても、作家側が聞く耳を持たない時期もある。何を変なこと言われているなぁ、みたいな。JCDNと作家との間で、「えっ、こんなところまでやんなきゃいけなかったのか」「そこまでのことを望まれてたんだ」みたいな理解のギャップは確かにある。それをどんどんもっと速く埋めていかないといけない。

飯名
毎年、すべての巡回公演が終わったあたりで、ようやく「ああ作品っていうのはこうやって作らないといけないのか」ってなりますね。色々な苦難があって、ようやく実感するんだろうと思うんです。今まで自分たちが作ってた作品とは違うんだなと。それで「いろいろ勉強になりました」って言って帰っていく。問題はその後で、そのまんまそれが続けばいいんだけど、つまり「努力の結果にある喜び」が続けばいいんだけど、その努力ってのがなかなか自力で継続しない。確かに日本のダンス環境が云々という問題もあるけど、一方で作家側の責任も大きい。

佐東
そうだね。

飯名
だから、どっちもどっちっていうか、どっちの課題もある。実際は、アーティストの責任の方がデカイと思う。つまり環境がなくたって、お金がなくたってやらないといけない。やり方を探さないといけない。

水野
本当はそうだよね。

佐東
そうなんですよ。

<褒められたらけなされたと思え、けなされたら褒められたと思え>

飯名
手厚い企画が増えれば増えるほど、気持ちや関係がヌルくなっていく、甘えてく。だからハードでヘビーな企画も大事です。公演枠だけ与えて、選考が通れば好きなことやっていいですよって企画よりも、徹底的に何かを課すような、そういうヘビーなものの方が、挑む価値がある。しかし、作家側からすると、重すぎるわけです。もっと自由にやらせてくれよと。それもその通りなんです。その関係、バランスはすごく難しい。

水野
すごいショックなこと言われたんだけど、「僕たちは褒められて育つんだから、マイナスのことをいわないでくれ」って言われたの。作り手側から。そうか、マイナスっていう風に思うんだ。こっちはマイナスじゃないんだよね。もっと良い作品になるためには、するためには、って思うから言ってるつもりだったけど、作り手は褒められたいって思ってるのか。それで、しゅんってなるんですよ。

飯名
こないだテレビ見てたら、自閉症の子がね、学校行かないって、すごく暴れて、学校の先生が数名でやっと抱えて教室に連れてくんだけどダメ。暴れちゃう。それで、行動分析とか心理分析学とか、そなんやってる専門家が来てね。その人は、ふっとお菓子をあげる訳ですよ。そうすると、自閉症の子がすーっとついて来て、教室に行くわけ。

水野
飴と鞭ってやつ???

飯名
それは自閉症の子供のね、そういう治療法なんだけど。飴と鞭だったら、今飴が増えてる時代です。スポ根世代を経て、飴の必要性が理解されてきた、とも言える。しかし大学教育でも舞台用語でいう「ダメ出し」なんてことを徹底的にやろうとしても全然ダメ。みんな酸欠になっちゃう。現場にいて、それってどうなのかなと思う。でも人類全体がそうなってしまっているかもしれない。

水野
我々が逆行しているのかな。

飯名
どっちがいいのかわかんないけど、教育の中でも飴が多い。

水野
そうなんだね。

飯名
日常生活の中で、飴の多い生活に彩られてるんですね。そういう子たちが作品を作るってなったときに、真逆の鞭の世界に行く訳じゃないですか。観客って存在は、物凄く冷たいわけですし。

水野
そうだよね。私たちの時代は、褒められたらけなされたと思え、けなされたら褒められたと思えって言われて育ったんですよ。稽古していると、苦虫をつぶしたような顔をしている演出家がいるんですよ。それは褒められていると思ってるわけ。それが嬉しかったんです。こう目をかけてもらっている感じ。だから、はい!って一生懸命そこから得ようと思ったなあ。

<作家が決めること>

飯名
学生にダメなところを言ってもどんどん落ちてくだけで、帰ってこないっていうか。反発してこない。自信をなくしていく。もうやめたくなる。そういう風に落ちてしまう。そのときは「はい!」って神妙な表情で聞いてても、1週間もしたら忘れて同じことの繰り返しになります。全員ではないですが、特徴としてはあります。

佐東
そういうときに、学生に対して飯名さんはどうするの?

飯名
なんでそれがダメだと「僕が」思うか、を講評という形式で言うようにしてます。はじめに議論しないで、あくまでも僕個人がそれをダメだって思ってしまった理由を言います。講評だから一人に言うんじゃなくて、全員の前で言います。あとはもう本人次第だから、それをどう受け取るかはその学生の自由なんで、後はあなた達が考えなさいって。結果ダメなものが出来ても、その学生が出して来た答えだから、受け入れる。でも「踊2」の場合は、そこで終わってしまうと興行できる作品ができないんですよね。

水野
作家から私が言われたのが、「僕は傷ついたんです」「落ち込んで出来ませんでした」とか。

飯名
今年もいくつかありましたけど、作家が「やっぱりこういう演出にします」って、いきなりアイディアを変えてくることがよくありますよね、「踊2」の本番前に。時間がないのに。変えるなら変えるで、何故そう変えるのか?というこちらからの質問に答えてもらわなきゃ困る。でも、そういう作家を擁護するわけじゃないけど、変えてきたってことは、それなりに理由があるはずなんです。ところが、変えた理由をきちんと言葉で説明できないから、みんながイライラする。そこで、「いや自分にとって変えたのは、こういう理由で、こう思ったからなんです」って理由が聞けたら、こちらも「だったらしょうがない」「作家が決めることだしね」ってなるわけです。

水野
そう思えるような理由が必要。絞り出したものに必然性があれば、それはいいと思いますよ。

飯名
だけど、どうしても前の方がいいよ、って、スタッフ10人中9人に言われたら、「そうかも、、、」って思って、作り手がブレてしまう。

佐東
そうなるんだよね。

飯名
作り手が、周りの意見を聞き入れてしまう姿をみてると、「お前本当にその意見を受け入れちゃうのか?」って、逆に聞きたくなる。

佐東
ほんとに、まさにそう。

水野
一回目に出演した作家でいたんだけど、「こうだね、これどうなのかな」っていうと、全部「はいはいはい!」って変えそうになった。だから、もう言うのやめようって思った。だからちゃんと自分で考えるだろうな、こいつは、って思う人にだけ、こちらからも言えるわけです、安心して。もしこちらが言った通りに変えられたら、「え、ちょっと、ちょっと」ってなる。

飯名
最終的に決めるのはアーティスト側っていう前提があるということを、忘れられがちなのかな。若い人にとって、プロデューサーとか主催者っていう人が、こうした方がいいんじゃないの?っていうのは、意見として大きいとは思うんですよね。その関係が難しいところですね。関係の作り方が。

水野
自信というか手応えが、作家自身に生まれて、作者が自分の作品をちゃんと距離をおいて見れて、巡回が二回三回ときちんと進んだときに、これでいいやって思うんですよ。でも、そうじゃないときって、ちょこちょこ小手先のアイディアだけを変えて来て、全然面白くなくなってるっていうのが分かるときは、ちょっと言わざるを得ない。

< あら?意外と客が受けちゃった! >

飯名
こういうことってあります?水野さんからしたら「まだこれは全然客も納得しないだろう」「まだダメだわ」っていう状態の作品で、でも本番やってみたら、あら?意外と客が受けちゃった!っていうことってあります?

水野
あるある(笑)。

飯名
なんでこれが受けるのか???みたいな?

水野
それはもうずーっとあるね。でも、確かにそこで受けてくれるのはほっとする。あ、これでよかったんだ、このくらいでいい塩梅だったんだな、って思う。でも、その安心感と自分自身が納得するのはちょっと違う。

飯名
自分が主催者・企画者として、ここまではなんとしても行きたいっていうのがあるっていうことですよね。

水野
自分としては、やっぱり最初っからずーっと作家の話を聞いてるから、この人が何をやりたいのかっていうのは、分かるわけですよ。本番でお茶を濁してるかどうか、も分かってしまう。だから受けるか受けないかじゃないでしょっ!っていうのがあるんですよ。

飯名
それって、作家側もそう思ってるとは思うんですよね。恐らく。最初に企画書だして受かったその内容で、最後までいけるのが一番本人達的にもスマートなわけです。でも何かうまくいかなくて、変えていったら、最初に掲げてたことと全然違うことになって、迷走しちゃう。

水野
ある。そういうのが多い。

< 興行しないとダメ。絶対ダメ。 >

飯名
「踊2」だったら、選考からケツまで、ずーっと周りがつき合って、ついて来てくれる。自分の作品に、つきあってもらってる感っていうのが、どのくらい自覚としてあるのかな。作家たちに個別インタビューすると、「すごいありがたい」とか「こんな企画は他にありません」とか言うけど、、、

佐東
まあそれはインタビューで聞かれるからですよね・・・。自分で本当にお金集めてやろうとした時に始めて、ああ、こういうことだったんだなって多分わかる。

飯名
三年後五年後十年後に、わかってくれればいいっていうのはあると思うんですよ。今わからなくてもね。でもせっかく四カ所、五カ所ツアーするんだから、途中で何かポンと目が覚めるようなことになったほうがいい。最終的にショーイングっていうか、有料の興行があるわけです、「踊2」の場合。先日水野さんが言ってたけど、興行しないとダメなんだ、って。

水野
うん。興行しないとダメ。絶対ダメ。

飯名
クリエーションして、内輪で無料で見せてっていうところで終わってはいかんのだってことですね。「踊りにいくぜ!!ファースト」の頃は、クリエーションがなかったわけですね。興行だけをやっていた。今はクリエーションがメインなんだけど、興行もしなければ意味がない、という。企画したときの感覚ってどういう感じでした?

水野
自分がもし作り手だったら、完成しないで終われる逃げ道ってあるなと。一生懸命やりました、でいいじゃないですか。だけどそこでチケット売って、お金取って、三回、四回やれっていうのがあると、もうそうじゃないと人って絶対本気で作んないですし、背中押されるって必要だと思うんですよね。あと、舞台で観客の前で上演して、わかることってリハーサルだけとは、比較できないくらい多い。本番をやって観客に育たれる、だから興行は必須。その代わり、選考する時は各地の主催者から色々言われることもありますよ。

飯名
共催者に?

水野
だって公演のプレゼンターとして、どんな作品になるのかなんて、全く分からないから。選考会の日に、巡回公演のスケジュールも決めちゃうんですよ。「この内容で俺にチケット売れっていうのかー!」って言われたら、自分だったとしてもたしかにそうですよ。

飯名
たしかにチケット売るのは難しい段階ですよね。

>その4に続く


直接聞くぜ!! 阿吽座談その2

報告するぜ!!特別企画!
企画した人に直接聞くぜ!! 阿吽座談その2
JCDN 佐東範一 & 水野立子
京都芸術センター大広間/2013年3月8日

「踊りに行くぜ!!」が、「踊りに行くぜ!!セカンド」となって今回で3回目。JCDNが全国規模で繰り広げるダンス作品のクリエイションには様々な裏話がある。課題がある。期待がある。さあどこが上手く行ってて、どこが困難なのか。東京公演が終わると、今度は次回の作家も集めないといけない、今回はどうで、次回はどうなりそうなのか、、、よし、そうだ、直接企画者に聞いてしまおう。というわけで、京都公演のリハーサルの間に、佐東さん、水野さんに根掘り葉掘り聞いてみた。

聞き手/テキスト 飯名尚人
テキスト聞き起こし 今村達紀

< ダンスをやっぱりやりたいからだなぁ >

飯名
「踊2」のコンセプトとして「ダンス作品をどう作るか」って謳ってるじゃないですか?演出的なこと、ビジュアル的なことを追求していきがちで、ダンスそのものへの力の入れ加減が少ない気もしています。もちろん、何をダンスとするのかって言うのはあるんでしょうけど。

水野
必ずダンス中心で、ってことでもないんだけどもね。

飯名
例えば何かの舞台作品に要素としてダンスが入ってるっていうのだったら、外枠が演劇でもいいじゃないですか?でもそうじゃなくて「ダンス作品をどう作るか」ってしたときに、何を求めていくのか。

佐東
「踊2」を始めたときに、ファーストのときにはやっぱりソロ作品とか、まあ三人までの作品ってことで、ほとんどの作品が体と、ありものの音を使うって感じで。でも、やっぱりそれでは世界に通用する作品が出にくいなと感じてしまった。プロダクションとしてのダンス作品の作り方みたいなのをもう少しできないかなと。まあやってるとこは既にもうやってるんだけれども、あえてプロダクションとしてのダンス作品をやってみたい。振付家がいて演出家がいて、他の人たちも関わってくるみたいな作り方をしたいと思ったんです。じゃないとなかなかオリジナルな作品っていうのは日本で生まれにくいし、海外見てるとそれが出来てる。日本の環境自体が、お金のこととか、リハーサル会場とかも含めて、プロダクションを作るには貧弱過ぎる。まずは、その環境を作ろうっていうところでセカンドという形が始まった。ところが、なかなかね、そういう視野を持ってやってる振付家が日本には数少ない。

飯名
実際少なかった、っていう現実があったわけですね。

佐東
そもそも環境がないから、作品のことを考えたって具体的に実現しないわけですし、自分で作品作ろうと思ってバイトしながらやって、音楽家頼んで、美術家頼んで、どっかで籠って作品作ろうと思っても、やっぱり無理はあります。

水野
ダンスにこだわるのって、やっぱり私たち自身がダンスをやってきていて、ダンスを見てきて、ダンスをやっぱりやりたいからだなぁ。ダンスで伝わるもの、というか。最終的にはその舞台で、ダンスのおもしろい動きなり何なりでしか伝えられないものを求めてる。だから、「踊2」では、演劇でやるんじゃなくて、ダンスでやってほしい、と。

飯名
ダンスだからこその何かですね。

< 次にやるんだったら、こうやってやったらいいやん! >

飯名
ダンス作品の中で、既成の音楽使うにしても既成の映像使うにしても、なぜそれを使うのかみたいな議論がなさすぎると感じています。いろんなダンスショーケースがあって、みんなエントリーして出れる。でも、なんでこの曲なのって、深く突っ込んでくる人ってスタッフにも、そんなにはいないでしょうね。主催者ですら、アーティストに突っ込んでくる人は少ないわけです。意味が分からないとか、説明してくれっていう詰め寄る主催者っていない。

水野
そういう意味では、「踊2」は詰め寄り過ぎ(笑)

飯名
自由気ままに表現をやってきた人たちにとっては、詰め寄られてびっくりする。(笑)

水野
なんでそんなこと聞かれるの???みたいな。

飯名
主催者がいろいろ言う場合と、言わない場合と、それはそれぞれの企画コンセプトなんでいいですけども、実際に何か言われることに対して、作家側がすごくびっくりしてしまう、っていうのが過去三年「踊2」を見てて僕が思ったこと。主催者やプロデューサーに意見を言われることに対して拒絶感があったり、受け入れらなかったり。クリエーションの初めの頃は、なんでそんなこと言われるのかわかんない、ってキョトンとする。巡回公演の終わり頃には、作家側もだんだん受け入れるようになってくるんだけど。しかし、なんで作家がそういう風な態度になってしまうんだろうというのは疑問としてあります。

佐東
普通だと、どれぐらい稽古するかわからないけれども、誰にも見せずにずっと作ってきて、どっかで発表の場があって、そして発表の場自体がもう最後の地点っていうのかな。それが最後の地点って、みんなわかってるから、みんな良いことしか言わないし、よかったね、みたいな話にしかならないですよ。

飯名
そうなっちゃいますね。

水野
今言ってもしょうがない、みたいなね。

佐東
細かいこと言っても、もう終わっちゃったし、よくやったよね、って言うしかないわけですよ。

水野
作品の感想はいえるけどね。

佐東
僕がもし逆の立場だとしても、終わってからそんなに色々言われてもねぇって思いますよねぇ。作品を見に行って、これがまだまだ続くんだったらね、何か思ったこと言った方がいいかなって思うけど。やりました~、やりきりました~、って言うことだったら、そうかー、よかったねーって言うしかないよね。

水野
「踊2」が関西で人気ないのは、私のせいなのかな、と思うんですけど、言うもんねぇ、作家に。

飯名
水野さんは見終わってからガンガン言いますよね(笑)。

水野
ちょっとさ、この作品、こうでこうで、ここ足りないよね、なんでこうなったの?みたいな。ついつい捕まえて言ってしまう。いや、もちろん自分の主催公演しか言わないですよ。さすがに公演を観に行っただけでは(笑)。

佐東
だから次がある作品なんだったらね。

水野
でも次はある訳じゃん!その人にとっては!

飯名
その人にとってはね、まあね。

佐東
まあね。
「踊2」の場合だと、作品が出来てから、そこからがある種スタートっていうのかな。初めて作品を作る人が多いっていうのもあるけれど、そういうことにまだ気がつかない。

水野
そこは、ちょっと課題ですね。

佐東
大きなカンパニーだったら、何度も公演やって、いろいろ言われて、次があってね。日本の中のダンス界、特にコンテンポラリーダンス界ではそういうこと自体がないから、言われ慣れてない。一つの作品作ったら、それで一年中ツアーして回るんだ、みたいなことになったら、やっぱりもう少し、周りからの言葉も耳に入るでしょうし。

飯名
周りもいろいろと言いたくなりますよね。それはいい環境ですね。

佐東
うん、みんな言いたくなる。次にやるんだったら、こうやってやったらいいやん!みたいな話になる。

< いい作品にしろよなっ>

飯名
これまでに「踊2」に参加していたアーティストで、その作品を再演したって話はありますか?
30分作品だったものを、60分ものに発展させたりとか。

水野
自主的にっていうのはない。新作を作ってる人もいるけど、でもガッツリと作ってるっていう感じはしないですね。

飯名
「踊2」に出て、その作家のその後の様子をみていると、「踊2」でいろんな壁を越えたのかなと期待してるんですけど、実はまた元に戻ってる感じがしてしまいます。「踊2」でクリエーションに1年かけて、周りからしごかれて、落ちるとこまで落ちて、なんとかしなきゃって這い上がってきて、最終的に公演を見ると結構作品として良かったりする。それで期待して、自主公演とかショーケースとかでみかけると、また元に戻って、なんだか足りない感じの作品になってたりする。

水野
自分の身の丈に戻ってしまうんだよね。

飯名
それが何故なのか。課題ですよね。常にケツをたたかれてないといけないのかな、作家は。

水野
そうなのかな?

飯名
外に出た途端にケツをたたいてくれる身内がいない、ということ?

水野
ちょっとそれが寂しいですね。

佐東
望まれる場っていうのがあんまりないのかな。

飯名
望まれるっていうのは?

佐東
「踊2」だと、こっちは望んでいる訳ですよ、いい作品になってほしいって。

飯名
そうですね。いい作品にしろよなっ!みたいな。

佐東
そうそうそう(笑)。
いい作品になってくれることを望んでいるから、いろいろ言う訳です。もちろん、いろいろな環境とかも融通するわけですし。

>その3に続く


直接聞くぜ!! 阿吽座談その1

報告するぜ!!特別企画!
企画した人に直接聞くぜ!! 阿吽座談その1
JCDN 佐東範一 & 水野立子
京都芸術センター大広間/2013年3月8日

「踊りに行くぜ!!」が、「踊りに行くぜ!!セカンド」となって今回で3回目。JCDNが全国規模で繰り広げるダンス作品のクリエイションには様々な裏話がある。課題がある。期待がある。さあどこが上手く行ってて、どこが困難なのか。東京公演が終わると、今度は次回の作家も集めないといけない、今回はどうで、次回はどうなりそうなのか、、、よし、そうだ、直接企画者に聞いてしまおう。というわけで、京都公演のリハーサルの間に、佐東さん、水野さんに根掘り葉掘り聞いてみた。

聞き手/テキスト 飯名尚人
テキスト聞き起こし 今村達紀

< お客さんが増えていった >

飯名
今回の「踊りにいくぜ!!Ⅱセカンド」」(以後「踊2」と表記)はどうですか?セカンドになって3回目。東京公演もありますけど、アーティストの感じとか流れとか率直な感想は。福岡、仙台、札幌、鳥取。観客の反応、主催者の反応とか。

水野
まず言いやすいところから言うと、各地の観客や共催者の反応っていうのは毎回上がってきている。なぜかっていうと1回目を始める時は、 この「踊2」が何なのかということが、 みんな全然わかんなかった訳です。各共催者としては、今までの「踊りにいくぜ!!」をやりたかった。いろんなダンサーが来て、全国区で有名なダンサーや面白いと思われているものを各地で見せて欲しい、とか、地元の人の参加もはっきりしてた。地元枠だけの選考会を各地でやって、地元の人が必ず1組は選ばれて発表する機会を与えるわけですから、すごく分かりやすかったんです。でも、セカンドの企画趣旨を説明したときに、全然分かってもらえなかったところが多かったですね。今までの「踊りにいくぜ!!」をやればいいじゃないかと。何を目的に新作を作るのかとか。ダンス・イン・レジデンスって何よ、とか、合宿が必要なのか、とか。まずは手探りで、でもまあとにかくやってみようって言ってくれたところが6カ所残った。1回目はそんな状態で始まって、だけど2回目3回目となるうちに、Bプロの役割も地域に好評だったし、お客さんも増えていった。びっくりするくらいです。なぜだかわかんないけど。

飯名
本番の集客が増えていったんですか?

水野
うん。それで、Bプロの受け入れに関しても、知らないアーティストが来て、自分たちもオーディションで選んで、その人たちとガッツリ作品を作ってそれを発表するっていうことに対するケアも面白いんですよ、地元の人たちは。作品を作るプロセスに立ち会えるから。3回続けてやってみて、共感を得ながら、この地にとってこの「踊りにいくぜ!!」が重要なんだというモチベーションと手応えはちょっと感じた。そこは自分の予想してなかったところで、成果が出てきたのかな、と思います。

< みんながみんな「こんなのやってらんないわよ!」みたいになる(笑) >

飯名
3回目の今回は、どうですか?

水野
具体的なこととして、1回目、2回目、3回目の比較で言うと、今年は3チームとも、作品への向かい方がバラバラだったんです。

飯名
作品の向かい方ですか。作品の質やテイストじゃなくって。

水野
すなわちテイストにもなるのかもしれないけど。これをやりたいんだということをハッキリと持ってるアーティストと、やりたいことはブレてないけども具体的にどうやればいいんだろうっていうことがわかんないアーティストと。モヤモヤっとした状態でエントリーして、選ばれちゃった。それによって作んなきゃいけないとなった時に、どの方向で作っていけるのかが、もうわかんなくなっちゃう。集めたメンバーも、やっぱり寄せ集めなんですよね。「ねえ、やらない?」って誘って集めたメンバーだから、結局その信頼関係とか、内容へのつっこみ具合とか、そういうものがすごく薄い。各自が地元で通いながら稽古場でやってるうちはいいけれども、合宿でやろうとなると、やっぱり深く突っ込まざるを得なくなるわけですよ。そうなった途端にメンバーが崩壊して、信頼関係がなくなり、特に作者・演出家に対する信頼が落ち、各自が人のせいにして、みんながみんな「こんなのやってらんないわよ!」みたいになる(笑)。

<絶対言うのは、スケジュールのこと>

飯名
それ毎年あるじゃないですか(笑)。レジデンス中にチームが崩壊してしまう。それってなんでなんですかね。

水野
ねえ。佐東さん、どう思いますか?

佐東
一つとしては、あんまりそこまでみんなで突き詰めて、作品を作る機会が少なくなっているのと、突き詰めれば突き詰めるほど、お互いの違いが見えてくるわけですし、それを踏まえて作品を作る方法論っていうのを見つけられていない。今の「踊2」に出る人というのは、作品制作の経験が無かったり、少なかったりするので、やっぱり違う人たちと突き詰めて作るということの方法論の経験が少ないんだろうなという感じはするんですよね。もし、もうちょっと慣れて中心的に引っ張っていく人がいたとしたら、お互いの出し合いみたいなのが抱えられるんだろうけど、第一作目で今回「踊2」で初めて作品を作るっていう人が多い。初めての割には環境的には整っている訳ですよね。この企画は。自分たちで、自主公演で作ってるんだったら別に周りから、やいのかいのと言われないでしょうけども、「踊2」という場は、逆に周りからやいのかいの言われる場なんです。初めて作る人はそんなに自信を持って作ってる訳じゃないから、自信が揺らぐと、身内からは「なんでそんな外の人の話を聞くんだ。あなたはやりたいことはなんなんだ」みたいなことでこっちから突き上げられて、で周りは「なんでそんなことになったんだ?」みたいな話で板挟みに合いながら、だんだん落ちていくんですね。

水野
自主公演というのは、自分がこういうことやりたい!って思ったとき、手軽に公演ができる機会も増えてきたと思います。特に首都圏では多いんじゃないかな?そうすると、会場の人や仲間に「よかったよ」っていわれて、もう作品として出来てる!って思ってしまうのじゃないかな。そういう環境から来た人が「踊2」に参加した途端に、「全然浅いよ」とか、周りからどんどん言われる。最初の企画書の段階から「こんなの幼稚園生みたいじゃん!」とかね。自分の範疇で成り立ってる自主公演とは違う、ということを要求すると、途端に迷走してしまう。

飯名
もちろんJCDNは教育プログラムとして「踊2」をやってるわけじゃないわけで、作り方の方法論っていうのを丁寧に教える場ではないわけですよね。でも、言わないと成立しないところもあるんですね。

水野
そうですね。まず絶対言うのは、スケジュールのことです。いつまでに、何が決まってないといけない、いつ誰がどうする、という全体の基本的なスケジュールです。後は、こういう方法があるよ、ああいう方法があるよということを事例として言います。例えば、こういうアーティストはこうやっているとか。川口隆夫さんみたいに台本作って私小説みたいにやってるとか、飯名さんはこうやってやってるとか。映像使うならこういうのがあるよって、例として提示するようにしています。こういうテーマでやりたいんです、って出てきたアーティストに対して、じゃあこういうの知ってる?とか、こういう作品が昔あったよとか。でも全然勉強してこないですね。今は記録映像だってたくさんあるし、いくらでも勉強できるはずなんだけど。それを見た上で、自分が何をしたいのかをもう一度見つけていくとかもできるはずなんです。自分のやりたいことをダンス作品にするには、どういう方法論があるのか、とか。できるだけチャンネルを増やせるように言ってます。でも全然足りてない。いや、多すぎるのか?どっちなんでしょうね?

飯名
どっちなのかなぁ。

水野
情報が活かされてない。こちらのやり方も、あまり成功してないんでしょうね。

< 劇場に入って、それを活かせるか活かせないか >

飯名
各地のレジデンス先の人たちって言うのはどういう反応?クリエーション期間中ずっとそこにいる訳じゃないですか。劇場に居たりスタジオに居たりしますよね。受け入れ先っていうのは、アーティストとどういう関係なんですか。

水野
ちゃんと受け入れてくれて、やりやすい環境を作ってくれるって言うのはあって、地域によっては違うんですけど、様子を見てアーティストと話をしたり、停滞してるなと思ったら、飲みに連れ出したり、あるいは、途中経過発表は絶対やるんですよね。それに対して意見を言ってもらってます。ただアーティスト側が、そこまでのものが、何かを言ってもらうほどのものが出来てない。そこが問題なんだけど。

飯名
ああ、アーティストのほうがね。そこまでたどり着かないわけですね。

水野
夏に参加アーティストが選ばれ一週間後に、かならずミーティングをして、こういうプロジェクトです、こういうことをやるんですって説明します。レジデンスまでには、必ず自力である程度のところまでやっておいて、それをレジデンスのときに活かせるようにしてほしい、という説明しています。レジデンスのときに、作品をほぼ完成させるということを目指してほしい、と。でも、九割の人がそれはできてない。今年でいえば、カミイケチームは、レジデンスまでの前準備ができていました。

飯名
レジデンスから作品を作り始める、ということが多いのが、時間的に惜しいですね。

水野
レジデンス制作で、劇場の照明とか舞台の大道具を使ってクリエイションができる。カミイケさんの作品は、舞台美術が必要な作品でした。なので、劇場の機構を持ったところにレジデンスしてもらうんです。一週間というレジデンス期間でそれを作っていくためには、とにかくダンスと他の部分は、レジデンス前に作ってこないといけない。劇場に入って、それを活かせるか活かせないか、それによって仕上がりが変わってくるわけです。

<本気でぶつかって来られて、えーっ>

飯名
今回の3作品で、これまでと確実に違うチームっていうのはありました?例えばアーティストの関係とか。

水野
まず、MuDAは、メンバーが今までもずっと一緒にやってきたグループだったので、こういう長めのクリエイションの期間で、ごちゃごちゃしたり、信頼関係がないとか言うのはないですよね。でも何かで彼らの記事を読むと、実は中には萎えた人も出たりとかっていうのもあったから、ちょっとびっくりした。それはMuDAはないんだとおもってたから。音楽の山中透さんと美術の井上信太さんが、今回はいつもよりガッツリとかかわったという意識はあったみたいですね。

飯名
今までのMuDAとは違ってね。

水野
キャリア組の美術と音楽がガッツリと入って、それに対してちゃんとやらなきゃみたいな。ダンサーたちもそうやって循環する訳じゃないですか。今までのMuDAは、わー!って、勢いでやってたところもある。だから、本気でぶつかって来られて、えーって言うのはあったみたい。それが他のグループと比べると、MuDAは全然違いましたね。
カミイケさんのグループは、美術作家が舞台作品を作るっていうのは、我々も初めて。「踊2」というのは、そういうことをどんどん試みでやっていきたいっていうプロジェクトなんですけど。1回目は、美術の村山華子さんが演出家として作りました。

飯名
彼女はダンスで出演もしましたね。

水野
そうですね、自分も出演者として踊ってた。今回のカミイケさんは美術家で、やりたいことがはっきりしていて、舞台作品としてのプランもあったし、彼なりにダンス作品というものを、どうしたらいいのかっていうのがあった。でも、振付家・ダンサーにどう指示を出したらいいか、とか、ダンサー側も振付家ではない人からの説明って、共通の言語を持ってないわけで、そういう難問があったと思う。そこは初めてのことだから、ダンス作品を作るのは難しいなぁっていう感じで。あとは、生島君たちのグループは、もう新人類だよね。私たちにしてみたらね。(笑)

飯名
新人類(笑)

水野
実際、私たちと親子ぐらい年齢差がある。

>その2に続く


ありか、なしか、誰を信じるか

TEXT 飯名尚人 2013.3.13

ちょっと前に、ぼけーっとTVを観ていたら、大鶴義丹がバラエティー番組に出ていた。お、TVで見るのは久しぶり。さらに前、youtubeで「緑の果て」という唐十郎が脚本で、大鶴義丹と宮沢りえが出演しているドラマを観た。「匂いガラス」「安寿子の靴」も同じシリーズでyoutubeにある。いいドラマだった。何一つ物語ってないドラマで、大層なことも何一つ言ってないドラマだった。あの時代のTVドラマってこんな幻想的な物語を放送してたのね、って思う。このところTVやラジオにありがちな教育的・常識的ガイドラインのない強い作家性に彩られたドラマであった。さて、それでその大鶴義丹がたしか「親の七光り俳優集合」みたいなコーナーで、その一人として登場しており、いろいろな”七光り”タレントが並ぶオフザケ質問とその回答。そんな中ほとんど話が回って来なかった大鶴義丹がいきなり「あのー、僕は、もう、人の言うこと聞かないことにしたんですよ」ってニヤニヤして言った。ドープな発言だった。司会者のお笑い芸人は、その先の危ない義丹ワールド(宇宙?)を察してか「この人に質問するのあぶないわー」といって、うまく笑いでスカしたけれど、その番組で大鶴義丹はもうほとんど登場しなかった。聞かないことを決めたというのはモノスゴい宣言であって、それは心の深淵にある末恐ろしい何かで、我々がタブーとしてきたことでもあった。TVが言ってはいけないギリギリアウトなシーンだった。その一方でその発言に僕は魅かれた。

京都公演。
踊りに行くぜ!! MuDA作品で、途中Quickが拡声器で喚き、アジる、ガナる場面。それとこの作品の終わり方。この2つのシーンに、観客は善し悪しを感じたことだろう。これってありなのか、なしなのか。それを良いという人と、悪いという人がいて、感想を聞いていてとても面白い。ハッキリ賛否というものがあって、気持ちがいい。僕としてはこの2つのシーンは「賛」の方で、むしろそれがあってこそQuickだとすら思っている。というのは、この2つのシーンに、Quickの「焦燥の先」があると思ったからである。以前、別の作品でQuickとメールで少しやりとりさせてもらったことがあり、その作品というのは未だ実現せずのままだけれど、水を使った演出でその水の中でQuickが踊るというアイディアであった。「一体どんな作品をイメージしてるのか?」と僕が聞くと、「その水をかき出しても、かき出しても、かき出し足らんっ!っていうことがしたいです」という回答が来た。ああ、彼の本質はそこにあるんだなと思ったから、それ以上でもそれ以下でもなく「その水をかき出しても、かき出しても、かき出し足らんっ!」ってことなのである。ダンス、身体表現に向かうモチベーションというのは、そういう衝動と焦燥なんだなと思った瞬間であった。そんな経験があったから、拡声器でガナるシーンには「伝え足りない何か」という衝動と焦燥を感じて、彼にとって必要なシーンなのだなと理解した。たとえ、それが観客にとって必要のないシーンだとしても・・・。三島由紀夫の最期の演説も、報道のヘリコプターの騒音に演説がかき消されて、ほとんど何を言ってるのか分からなかったそうだし、タルコフスキーの映画「ノスタルジア」で演説をするシーンでも、反応のない群衆に向かって言い忘れた原稿を改めて読むことを諦め、自分にガソリンをかけて火を付ける。どちらも期待が絶望に変わって死を選ぶけれども、Qucikの場合、そこは死には向かわない。そこがラストシーンの意味なのである。僕にとっては。このラストシーンがいい。詳しくは言わないけど、かっこつけて、かっこつけて、その先に辿り着いた行為が、あれである。おそらく。かっこつけた先に男たちが辿り着いたのが、あれ。そう、あれ。カッコつけても、カッコつかない、つけきれない、それでこそ男。

MuDA

佐東さん、水野さんと京都の居酒屋で食事。作家に対してどのような言葉でアドヴァイスをすべきかという話題になる(このあたりのことは、佐東&水野インタビューで近日中に公開予定)。その席で「Quickちゃんに色々言っても、はいはい、とは言うけど、実は全然聞いてないよねー」と皆で笑い話となる。佐東さんが「そこにアーティストとしての芯を感じる」と言った。水野さんも同じ意見だった。以前のインタビューでもQuickは「自分が腑に落ちないと、それはダメってことなんです、周りがいくら良いといってもそれは違うんです」と頑に言っていた。問題の大鶴義丹発言「人の言うことは聞かないことにした」というのは、「もう自分で決めることにした」ということなんだと思う。決めた人の「強度」ってあるなぁと深く感心する。納得したことだけを行動に移す。決めたからやる。そんな頑な人であれたら、少なくとも自分に嘘をつかないで済むんだなと。つまりは人に嘘をつかないで済むんだなと。

MuDA

生島・大迫作品「ダンサーボーイ」。音楽のmmm(ミーマイモー)がなにしろ魅力的で、弾き語りのシーンは何度聴いても心地よい。作品全体は、作家(作者)自身がもっともっと見つけなくてはならないだろう。何を?何かを。そして大鶴義丹になれ。それはちょっと違うか。

mmm(ミーマイモー)

今週末、3月16日、17日は東京公演。踊りに行くぜ!!セカンド、今期の最終地点。着地か、不時着か。どっちでいくか自分で決めるしかないさ。


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