ようやくブログ開始します。自分のブログには日々色々書いていましたが、こちらは今日から。しかし、明日からはネット環境に居ないので多少飛び飛びの更新になるかと思われます。まず、明日朝の5時に起きれるのかってのが問題ですが・・・・。

先月の27日に中間発表をした訳ですが、ここでは既に2転くらいしている段階で、やってみて『頭の中のイメージをとにかく繋げてやってみたけど、全然腑に落ちなかった』という感触でした。

後は、自分たちは8月からこの作品に取り掛かっている為、もはや客観的に観れていないってことを痛感しました。まあでも、これはこっから2/4の初演まで続くことなので、どうにもならん訳ですが。

それよりも、そもそも何を一番伝えたいのか?というところ。

ここがブレてしまうと、一気に訳が分からなくなるのですよ。例えばコンテンポラリーダンスを観たことがない人に対して、分かってもらいたいポイントはどこなのか?そもそも、分かりやすさが自分にとって本当に大事なのか?例え分かりずらいとしても、ここだけは!ってのは、何なのか?これは、和歌山で徹底的に突き詰めたいポイントのひとつです。

森下を終えて気付いたこと。

「作品を創る」ということを目的にしたら、本質がブレる。

作品の先にあるもの。それはこのプロジェクトに参加した想いでもあり、個々の持つ身体の歴史。

身体の向こうにあるその人そのものの奥行きが伝わるかどうかが、この作品の最大の鍵。だから、本当はテクニカルのことや美術のことをレジデンス中に詰めていくのが賢いのだろうが、そこに到達出来るかは、正直分かりません。でも、ここでソフトの方に重きを置いてしまうと、多分この作品は、ブレたまんま、何やったのか分からない30分になってしまうと思う。

集中するし鬼にもなるけど、のびのびいきたい。