2017年01月15日
ゆみうみうまれ インタビュー ②
実施:2016年12月17日
『White Day Dream』
これはどこを見ているの?
松本)「White Day Dream」シリーズで、お兄さんの事を書いてらっしゃいますね。
ゆみ)10年前に脳出血で倒れた兄の事はもちろんきっかけなんですが、私の中で常に思うのは「二面性」っていうことなんです。例えば「夢」と「現実」ってどっちが本当なのか?あと、みんな生きて毎日こうやって学校に通ったり仕事に行ったりしてるけど、本当にこれが現実なのか、寝ててふっと考えてしまう夢の方が現実なのか。特にネット時代になって全てが逆転しているような感覚があって、フェイスブックが本当なのか、ここにいる私が本当なのか。自分にとっても「境界」がすごく曖昧で不思議なんですね。兄貴を見ていると、以前は企業のトップとしてバリバリに働いていて、部下などにも説教しまくっていた人が、今はぼーっと宙を眺めることも多く、たった今食べたものを覚えていないこともある、ものすごい人生の転換があったんです。もちろん、それは個人的な事なんですけど。ダンスに関しても、形だけキレイな踊りを見ても楽しいと思わなくなってきて、白昼夢というようなテーマが浮かんできた。日常で、都会に普通に歩いている人でも、 夢見がちに半分死んだように呆然と歩いている人を見たりする。単純に歩いているだけでも、トランスに入っているみたいなって感じじゃないですか。メルボルンでもギャンブル中毒の人たちと仕事をする機会があって、カジノにも何度か行ったことがあるのですが、そこにいる人たちが、ずっーと何時間も座って、同じ画面を見てるのを観察しました。ここにいながら、ここにいないという「二面性」をもつ存在感。そしてその目もどこを見ているのかわからない。舞台でも「私が見てるの?」それとも「あなたが見られてるの?」という感じ。お客さんが見てるのか、私がお客を見てるのか、みたいなことに興味があった。
松本)お兄さんが高次脳機能障害でしたよね。そのお兄さんが見た世界をするっていうとリアリズムの世界になっちゃうから、お兄さんが見た夢と現実の世界じゃなくて、そこから着想を得て一般的に人々が感じる夢と現実の境界、ゆみさんが「どれが夢でどれが現実なのか」という事に関心があるので、それをテーマに作られたという事になるんですかね。
ゆみ)そうですね。それがきっかけですね。ほぼ全ての人が夢を見るし、夢って言うのはロジックがあるようでない。でもその奥にも深い世界があったり、見えない世界があるんじゃないかと興味を持ちました。テーマは「記憶」と「夢」なんですけど、記憶も夢も、正解があるようでない。自分が絶対そうだと思っていても、実際は違ったりとか。 そこで、「本当」のことってなんだろう?自分の身体ってなんだろう?という 掘り下げる作業に行き着いたといっても いいのかもしれません。
「EnTrance」
自分の課程を振り返るターニングポイント
松本)「DasSHOKU Girl」が大きな転機だったというのは分かるんですが、その後に、再び自分の中に変化がありましたか?
ゆみ)2009年に発表し2012年まで公演ツアーをした「EnTrance」というソロ作品ですね。75分間、1人でずっぱりでした。その当時の集大成となるような作品です。自分は1つのものじゃない気がして、いままで影響を受けてきたと思われる4つの要素を全て作品に入れてみました。自分には舞踏がまず入っていて、キャバレーっぽいエンターテインメントも大好き。また、メルボルンで長年のダンスパートナー、マレーシア出身のトニーから影響を受けたトランスシャーマンダンス。それから、いわゆる西洋的コンテンポラリーダンス。「EnTrance」の創作過程では、この4つの分野のエキスパートの人たちやコラボレーターに10日間ずつ、作品作りを手伝って頂き、最後に自分のソロにしました。この作品は、自分の課程を振り返る一つのターニングポイントです。
[参考資料]
EnTrance
(エントランス2009年ソロ作品)
日常の中で「ぼこっ」と現れたものを
「がばっ」っとつかんで「ばしっ」て投げて創れ、!!
松本)「White Day Dream」シリーズは、DasSHOKUシリーズがあって、「EnTrance」があって、それの延長線上にありますか?
ゆみ)「DasSHOKU」も、「EnTrance」も自分が主演してるんですが、一番最近の「White Day Dream」は振付のみで出演していません。やっぱり自分の中のぐちゃぐちゃした世界をどう人に伝えていくか。振付の時もぐちゃぐちゃ~ってやるんだけど、そのぐちゃぐちゃを普遍化させてゆくのか、そして、今後は彼らのぐちゃぐちゃをどうやって共有していくか、そっちですよね(笑)
松本)内面の事、魂の事をどうやって演じさせるかというメソッド(方法)を表現指導をしされているのか?演出とかをするのかっていう・・・・ 舞踏だとどうやって演出するのかな・・ていう
ゆみ)その人それぞれの本質みたいなものを知っていかないとダメですよね。でも、その人の本質とかすぐにはわかんない。だから今回は、夢日記とかを書いてもらったり、まず、とっかかりを作りました。
松本)夢日記ですか?
ゆみ)そうそうそう、左手で書いてもらってるんですよ。
松本)それはどういうこと??
ゆみ)オーストラリアに移住したての頃、ずっと夢日記を書いていたことがあったんです。なぜかっていうと、その頃、暇で暇でしょうがなくて。朝起きて日記書くのも、時間が有り余っていたから、左手ですごい時間をかけて書いてた。それをずーーーっと365日一日も休まずに書きました(笑)東京で住んでいた時はほとんど見なかった夢を、メルボルンでは毎日山のようにみました。
松本)今回、出演者を募集したじゃないですか。その時にすでにそういう事をしようと決めてたんですか?
ゆみ)普通だったら、一緒に作品を創る人は知り合いだったり、稽古の前に、何回か会ったりするじゃないですか?でも今回は皆オーディションの時に最高6時間くらい会っただけで、その人たちのことを全く知らない状態。じゃあ、せっかくだから、みんなが共通にできることがあればいいなと思って、夢日記書きませんか?って提案した。一か月半くらいやって、「すごく大変だった」とか、「夢日記を書き始めて、一時、生活がすごく崩れた」とか「具合が悪くなった」という人もいれば、「めっちゃ面白かった」という人もいた。その話を聞いていくだけでも、なんとなくそれぞれのタイプが見えてくるし。身体を動かしていく中でも、肉体とか精神とかも探っていくのですが、何か共有していることがあれば、そのとっかかりからシェアしやすくなる。形だけでこうやれ!っていってもつまんないないなと思ってるので。なので、舞踏で演出といっても、今回は、そこまで丁寧に「舞踏」的なことはしていないと思います。昔って、もっと暴力的で「バンってやれ!!!」「おまえやれ!!」って感じでしたけども、 今の時代、私は「笑う」事でやろうと思ったりするんです。
松本)日本って言う社会が、いかに息苦しいかってことを表しているだけの事で、現実ってことをまさに表している、まさにそういうことですね。
ゆみ)昨日、初日の顔合わせだったんですが、みなさんの夢日記の過程や、今回、体で問題がある人が結構いたので、一人一人聞いていき、メモしました。そうすると 昨日は自分が町医者みたいな気がして(笑)。「じゃ、次の方、あなたは今の問題はなに??」みたいな。でも一人一人話してゆくと生きていく姿っていうのが、ちょっとずつ見える。
松本)そういう形のワークショップされてるんですか?
ゆみ)いやいやそこまで入り込んでいくわけではありませんが。でも、もちろん個人的にインタビューはします。例えば移民や難民の方と仕事をするときでも、「じゃあ、こうしてください!」などと、プライベートなエリアに土足で入っていくようなわけにはいかない。個人的にベタベタしたつきあいはできないですけど、どういう考えを持ってる人なのかはやっぱりインタビューして、作品創りに際して本当にその人の考えていることを知ろうとします。今回のクリエーションのために宿題として出演者の人にしてもらったことが、「いままでに感じた怖いことと、楽しいことを書きだして」ということがありました。みんな怖いことは逆に結構ワクワクしてしゃべるんですよね。「あの時がね、こーやってあーやって、怖くてね!」って、そういう時、実は、みんな一番うれしそうに話したりする。そんな豊かな表情ができるのに、舞台やリハになったら急に暗い表情になる人がいる 。表現って、舞台は「あそこ」で日常は「ここ」とか区別したりするけど、実は日常の中で「ぼこっ」と現れたものを「がばっ」っとつかんで「ばしっ」て投げて創れ、みたいな、 そういうナマモノのような気が私はしています。
松本)月並みな言葉で恐縮ですが、ゆみさんのダンス哲学は、そういう所が基本線なんですか?
ゆみ)そうですね、今年8月に北海道でワークショップをしたんですが「誰でもダンス」という呼び方にしてみました。「誰でもダンスはできる」「誰でも芸術はできる」と。ただ安売りしているわけじゃないけど、みんなが持っている生きることそのものをそのまま「がさっ」と体に入れて踊りにする。舞踏性という観点からは、誰でもダンス、のはずですしね。自分独自の身体性を探り掘り下げてゆくといくということですから。土方巽さんは東北の方だったから、東北の闇みたいなものを突き詰めていくダンスだったり、麿さんはお芝居も入っているダンスや、ある種明るいダンスだったり、皆それぞれのダンスがあるように。
松本)それで、今回の作品で、ご自身は出演されないという事ですが、出演しないのは、いつ頃からですか?
ゆみ)今までは、振付しても、最後に必ず自分が入る(笑)。でも2010年くらいから、大学に頼まれて学生だけ使って作品を創ったのですが、全て構成・振付してんですが舞台に出なかった、その時から自分が出ない作品の方向性を探っている感じですね。自分は割と出たがりなんで、出てしまいたいですけど(笑)。
松本)やりたいのは、ダンスですか??
ゆみ)いや~、気軽なダンスはもうしていませんが、ここぞ!という時にバシっと決めたいというか(笑)。やっぱり自分の踊りは続けていきたいとは思っていますから。ただの振付だけじゃなく。
日本版「White Day Dream」
作り替えどころか、全く違うもの
松本)今回は、「White Day Dream」シリーズの日本版という事ですが、メルボルンなどで創ったものとはカルチャーが違うと思うんですが、何か多少演出的に、ちょっとこういうふうに変えようとか、何かありますか?美術とかインスタレーションですとか。
ゆみ)コミュニケーションの方法はもちろん違いますね。日本では日本語でしゃべる、かといって芸術的なことは英語のほうがボキャブラリーがあったりするんですよ。今まで、英語で説明をいっぱいしてきているから。「これ日本語でなんていうんだっけ??」ということがよくあり、逆カルチャーショックになったりします。ですから、 自分の中での文化的な行き来があったりしますね。日本で作るのは本当に久しぶりですからね。
松本)特に作り替えたりとかはないんですね?
ゆみ)作り替えどころか、全く違うものです。題材はもちろん一緒ですけど、それぞれの身体が違うわけですから。
松本)日本語だし・・
ゆみ)同じ台本を持って来たら楽ですけれど、そんな事をしても全然生きたものにはならないんで、まあ、自分には同じことをすることに興味は感じなかったですから。
松本)音楽はどうされているんですか?自分で音楽家の人に説明してするのですか?
ゆみ)そうですね。音楽は6年ぐらい一緒に仕事をしているサウンド・アーティストがメルボルンでお隣に住んでいて。先ほど話しに出た売春婦の人と作品作ったときのディレクターも逆隣りに住んでいて、みんなお隣なんですよ。本当に偶然。そのサウンド・アーティストの男性は、オリジナルの曲がたくさんあるので、シーンによって選んだりします。たとえば、まず、幾つかの曲を聞かせてもらって「あ、この曲のこの辺りを編曲してもらえますか? 」とか。私は音楽を聞くとシーンやイメージが浮かんでくることがあるので、音楽を割と重要視します。今回も5曲くらいは彼の曲を持ってきています。
松本)どういう音楽なんですか?
ゆみ)彼はギターなんですけど、エレクトロニックですね。 ダークな世界に入っていくような曲がつくれる人ですが、今回は 心象的な風景が浮かぶ曲や、ビートの効いた曲、 それからボーカルが入るものも選んでいます。
松本)今回の出演者をみて作るんですね。
ゆみ)そこもポイントですね。作家の意見を持ってきて皆に伝えるっていうのはあるんですが、やっぱり、使う身体っていうのがどういうものなのか、みかんなのかリンゴなのかバナナなのか、、、いきなりこれはバナナだけの振付って言う事は出来ないし。その人の面白いところを私も盗んでみて、そこを引き出したいっていうのがあります。
松本)そういう作り方って主流なんですか・・?
ゆみ)そんなことはないでしょうけれど、題材を与えて動いて動かして、そこから作っていくっていうのは多いと思いますよ。「あなたの持ってる今そのものを踊ってみて」って出させて、出してもらったものを磨いていくっていのが私の役割だと思うんですよね。
「PopUp Tearoom 」
アバンギャルドなお茶の世界
松本)ちなみに、今後、こういうものを作りたいなと思ってるのは、ありますか?
ゆみ)私、お茶を2年近く前から始めたんですけど、茶空間をもとにしたパフォーマンス 「PopUp Tearoom シリーズ」を続けていきたいですね。
[参考資料]
PopUp Tearoom series
(ポップアップ茶室シリーズ、最近のシリーズ2016年)
ゆみ)「お茶」って伝統的で堅いものだとばかり思っていたんですけど、オーストラリア人の先生がメルボルンにいて(今はパリ在住ですが)、その先生に習うことによって、考えが打ち崩されました。その先生は、まだ30代で若いですが、ちゃんとお茶の名前ももらっているくらい、すごい先生で。お茶って450年の振付があるんですよ。「お茶」を点てて出す、という動きの中には静と動があって、自分だけの世界じゃなく相手とのコミュニケーションがある。全てが融合されていて、完全アートのような気がしたんです。舞台作品での振付だけだと、創って出すという作業がオートメーション化してきているのが少し物足りなく感じ始めていて、そんなときにお茶の世界に出会い、晴天の霹靂。「なんじゃこりゃ」って感じでした 。とても深い世界で。昔は、お茶の世界もアバンギャルドなことが行われていたわけじゃないですか。
松本)それはもう千利休も、アバンギャルドだったと思いますよ。織部はバリバリのアバンギャルドですよね。
ゆみ)今見ても織部はアバンギャルドですよね。西洋の人たちにお茶を点てたりすると、それこそさっき話したステレオタイプで「オーニホンジン、ティーセレモニー」とかになりがちなんですけど、私が思うティーセレモニーっていうのは、もっと濃いもので、ただお茶を飲んで伝統的なことをするだけではなくて、その「場」いわゆる「茶空間」を創り、共有することに興味があります。そして、その比較的親密な空間が、場所によってどう変わっていくのか? ポップアップ茶室シリーズでは、ただ茶室を作ろうというのではなく、世界のいろんな場所で、例えば、フィリピンの人が行き交う街中でお茶を点てたり、東ティモールで路上に落ちているごみを集めて茶室空間を作ったりとか、そんな感じで飛び出す不思議な茶空間の実験をしています。客が3人だけとか。ホームレスの子供だけとか。