アーティスト・インタビュー/対談・記事
【Aプログラム-A①岩渕貞太】ソロを自分の芯にする。
2017年01月12日

聞き手・テキスト:みずのりつこ

テープ起こし:黒田瑞丈 インタビュー 2016年11月28日 森下スタジオにて

『DISCO』 2016年12月 途中経過発表 @ 城崎国際アートセンター (c)igaki photo studio

「踊2」Aプログラムで初めてのソロ作品を選出した。「作品は自分の思想を表し、踊りは体が思考している状態」と語る岩渕貞太がソロ新作に挑む。ダンスが舞台上にどれだけのモノたちを引き攣れて来れるのか、に期待して選出した。

“舞台上にある体と観客の間に在るもの”を感じてもらうため、構成メンバーを決めた。作品制作の志向性に共通点を感じるという東京デスロックの演出家・多田淳之介さんに音楽の選曲を委ね、言葉をプロジェクションする試みを行う映像に細川浩伸さん、振付アシスタントの酒井直之さんに自分の体を写し込む。そして、振付・出演の岩渕貞太が、このメンバーと共に岩渕のソロ作品『DISCO』を制作していく。

2015年に亡くなった日本を代表する舞踏家の一人室伏鴻氏とは、最期まで一緒の作品制作の場にいた。その1年後に京都で観た岩渕貞太のソロ『UNTITLED』は、その体から匂い立つような獰猛さと繊細さが同居しているダンスだった。影響を受けないわけはない室伏鴻の置き土産をどう受け取り跳ね返すのか。今回のソロ作品制作は、岩渕貞太にとって通らねばならない関所となる。

chapter one

舞踏を知り、室伏鴻と出会った。

室伏鴻の舞踏への憧れと抵抗。

最初に、岩渕さんのダンス歴をお聞きする。

玉川大学で演劇専攻をする演劇青年が、どうも演劇がしっくりこないと悩んでいるうちに、身体表現と出会い、ダンスをやりたくなる。同大学の3つ上の先輩には黒田育世さんがいる。2002年大学2年の時、当時話題になっているコンテンポラリーダンスを片っ端から観たそうだ。白井剛・大橋可也・山田うん etc。

その後、2003-5年いわゆるコンテンポラリーダンスの全盛期に、伊藤キム+輝く未来・ニブロール・山田うんなどの作品に出演し、ダンサーとしての経験を積み多くの影響を受けた。伊藤キムが自分の作品をひっさげて世界に発信していく様子や、ニブロールの舞台に立つことで、ダンサーとしての覚悟を持てたという。

それ以前に遡ると、学校以外に初めて体験したダンスは「舞踏」だったそうだ。舞踏との出会いは、小学生のころ偶然読んだ漫画。田んぼを走る白塗りした[暗黒舞踏]というのをみて、こんなのウソだろと笑っていたら、大学のころ本当に雑誌に載っていてびっくりした。自分とかけ離れている全共闘世代やアンダーグラウンドといわれるものに漠然とした憧れがあった。


大学時代は役者としてできないことが多く、自分がやったことがないことに挑戦しないといけない、と焦っていたころ舞踏の門を叩いた。最初にコンタクトをとれたのは、大野一雄さんの研究所。その後、大駱駝艦のワークショップにも参加している。2005年、6年と自身の振付作品をつくったが、「まだ、あてずっぽうだった」と当時を振り返る。

その後、2007年には、岩渕貞太のダンス人生に大きな影響を受けることになる舞踏家室伏鴻と出会う。

――2007年「踊りに行くぜ!!」アジアツアーで、室伏さんのカンパニーKo & Edge Co.の『DEAD 1』を上演することが決まったのですが、舞踏手に1名の欠員が出たため、新たなにダンサーを募集することになった。その時、岩渕さんに声がかかったそうですね。

一応オーディションあって、三人だけでしたけど、受かったんですよ。「オレが推薦したからだよ」って目黒さんに後から言われましたけどね。(笑)『DEAD 1』のデビューのころ、水野さんに「女の子みたい」って言われました。

Ko & Edge Co. 『DEAD 1』 photo:Hiraku Ikera

――そうでしたね。確かタイがデビューでした。舞踏的に崩れ倒れるところを岩渕さんだけ、膝から下を斜めに曲げてちょこんとやるから、原始的なイメージなのに、なんかホント女の子ちゃんの横座りみたいで。(笑)
Ko & Edge Co.に出演した後、何か変化はありましたか?

それ以前の2004か5年くらいに、山田うんさんと親交があった武術研究者の甲野善紀さんを知って、講習を受けてみたり稽古場や日常生活で試したりしていました。自分はバレエやモダンダンスの基礎もなく、運動神経だけでやってきていたので、ダンサーとしてどこから出発するか、自分の方向性を探していた頃でもありました。3、4年たって体ができて来た頃の2007年室伏さんに出会って以降、リンクするものがありました。若い力でエネルギッシュに擦り切れるまで踊るということに限界を感じていたので、室伏さんの『DEAD 1』を踊った時にしっくりきたんです。初めて参加したツアーの後にも自分の身体に残っている感じがしました。

―― それ、何でしょうね。舞踏は真似るのではなく、そのものになる、という言い方をよくするけれど、室伏さんも「表現するのはダメ、自分に嘘をつかないベクトルの方向へ」とよく言ってましたね。室伏さんのソロの舞台は、唸るものがありました。表現しますというのでも、内向だけでもなく、だけどちゃんとエンターテインメントになっていて。ところで、岩渕さんは「今回は」ソロなのか、それとも今後の活動はずっとソロで行こうと決めているのですか?

ソロを中心にすると覚悟決めた感じですかね。

―― え!?そうなんですか。それはレアな発言ですね。

はい。2016年4月京都での公演『UNTITLED』を経て、ソロを自分の芯にすると決めました。

――やはり室伏さんの影響もある?

もともとソロ作品が多かったこともありますが、影響がないといったら嘘になりますね。室伏さんが亡くなってからいつも頭の真ん中に室伏さんがいました。それから1年以上経ち少し感覚が変わってきた気がします。最近、菊地成孔さんの「レクイエムの名手」という追悼文集を読んだのですが、その本は2015年の11月に出ていて、すぐに読みたいと思っていたけど、全然読めなかったんです。読み終わったときに何かふっと抜けるものがあって、それまでは自分でもよくわからない熱量で動いていたんだと感じました。

―― Ko & Edge Co.のメンバー鈴木ユキオさんや目黒大路さんは、自分の活動の方にシフトしていったので、最後まで室伏さんと密に過ごしたのは岩渕さんでしたね。

たまたまですが、そうなりました。室伏さんは晩年特に自分と違う世代、舞踏に触れてない若手と一緒に過ごす時間も大事にしていたんじゃないかと思います。

――2016年春に京都アトリエ劇研で上演した『UNTITLED』を観て、Ko &Edge Co.のデビュー当時の岩渕さんしか知らなかったので、かなり驚きました。室伏鴻の舞踏を踏襲しながらも、岩渕さんの体からしか捻り出せない踊りでした。人間じゃなくてケモノの声だった。今回の作品は室伏さんの追悼作品という意味もあるのですか?

追悼作品ではありません。昨年春の京都での『UNTITLED』は「追悼でもコピーでもオマージュでもなく、室伏さんから自分が受け取ったものが何だったのかを探る」と宣言していました。けれど、振り返ってみるとやはりどこかで感傷的だったと思います。

今、作品をつくっていて思うことは、あらためて室伏さんのことは室伏さんにしかできない、ということ。“切断”“抵抗”など室伏さんの世界との向き合い方は、ああいうことだったけど、自分にとっては何なのか。例えば“切断”という感覚は、自分にとっては“溶かしていく”になるんじゃないかとか。似ているけど違うものがある。そういったものに僕なりの回答ってどうやって出せるんだろうか、と。

『DISCO』のクリエーションでも痙攣が入ってますが、自分にとってのその意味合いを見つけようとしている。憧れでやるなら、やらない。これ憧れでやっているんじゃないかとか、あの時のあれをやろうとしてるんじゃないかとか、クリエイション中に葛藤することがあります。

chapter two

新作『DISCO』
音楽・誘惑・色気・グルーヴの立つダンス。

「音楽だけは影響を受けなくて与えるばっかり。
生演奏ではないのでどうしても等距離ではなくて神様みたいな立ち位置になる。」


『DISCO』 2016年12月 途中経過発表 @ 城崎国際アートセンター (c)igaki photo studio

――今回の新作のタイトルは、『DISCO』。選曲は多田さんに依頼したのでしたね?

コンセプトと方向性を伝えて、多田さんの送ってくれた候補曲の中から僕が選んでクリエーションを進めています。多田さんが考えていることに、親近感を持ってます。多田さんの作品を観たり、出演した時(「モラトリアム」「RE/PLAY(DANCE Edit.)」)にその曲の使い方に衝撃を受けました。歌詞がちゃんと聞こえる。雰囲気のためだけじゃない。全部強烈なメッセージとして聞こえました。何故そこでその曲がかかるのか、お客さんが考えざるをえない突きつけ方をする。

僕が「音楽」と踊るとき次に挑戦することは、身体の強さが曲の具体性とか、歌詞のメッセージ性をどこまで引き受けられるのか、だと思っています。

―― これは嫌だとは言えないルール?

そんなことはないです。私が作品の始めと中と終わりのイメージをまず送って、それにあわせて20曲以上が送られてきました。クリエーションをしながら、候補曲の中で色々とシャッフルしながら自分で構成しています。

―― 今回の作品は、曲がとりわけ重要な要素になるっていうことですね。

そうですね。コンセプトの打ち合わせをしたときに、音楽の立ち位置について話しました。「観客」「ダンサー」「音楽」の三角関係の中で、音楽だけは影響を受けなくて与えるばっかり。生演奏ではないのでどうしても等距離ではなくて神様みたいな立ち位置になる。

―― 音楽がなければ踊りはないのか、踊りがなくても音楽はあるのか。踊らされる音楽、乗るか乗らないか。グルーヴ感を感じるダンスかどうかも重要。グルーヴがある曲にあえて乗らないのが多いのもコンテンポラリーダンス。音に乗っても乗らなくても、グルーヴ感があるダンスはやっぱりおもしろいよね。無音なのにすごく乗れる踊りもあるし。今回の『DISCO』というタイトルのメッセージ性は、このあたりに関係ありますか?多田さんの選曲は乗れるものとそうでないものがある?

ダンサー、観客それぞれ乗れる、乗れないというのはありますよね。音楽の意味の強さやダンサーとの関係、観客との関係など、どういうアプローチがあるのか最初の段階では分けてあります。僕は、クラブ全盛時代ではあるけど、ディスコとかクラブにはほとんど行かなかった。今までの作品も音楽のリズムに合わせて踊っていません。これまで出演した作品もそういったものがほとんどでした。ここ数年の大谷能生さんや蓮沼執太さんとの作品でリズムに合わせるのではなく自分なりに音楽を身体にどうやって引っ張り込むか試行錯誤して、手がかりを掴めた感じです。その上で、何が踊りなのか、を今回やろうと思いました。

―― 最近思うのは、色気があるダンサーが少ないなあと。室伏さんもだけど、舞踏家はよく、ダンサーはセクシーでないとダメだ、と。1970年代頃は、舞踏公演見にいくと雑誌・薔薇族関系のゲイの人たちが最前列にずらーっと並んでたそうですよ。昔のチラシは広告も出ていた。それ系の人たちが、舞踏家のカッコイイ裸の男のお尻を見に来る。男にも惚れさせる猥雑さ、エロティズムは舞踏の売りだった。聖と俗とはよく言ったものですね。今回の『DISCO』も男のソロの色気はかなり重要。土方さんや室伏さんも、曲にのってイケイケで踊っちゃうみたいなところもカッコよかったなあ。

自分の考えるグルーヴ感をどう説明していいのかわからない。いま、移行期でもあるかな。自分が力の強い音楽のエネルギーを引き連れて、舞台上にいられるのか否か。音楽ってどうしても「私を支えるもの」になりがちですが、「私を踊らせるもの」をひっくるめてダンサー自身が踊れるのか。音楽に踊らされるではなく、その緊張関係の中で踊ることができるのかで、音楽と身体の関係が変わっていきます。

『UNTITLED with animation』 photo:Hironobu Hosokawa

chapter three

誰に届けるダンスなのか。


『DISCO』 2016年12月 途中経過発表 @ 城崎国際アートセンター  (c)igaki photo studio

―― 岩渕さんがこの世界で生きていこうと思ったのは何時頃ですか?

20歳くらいの時です。俳優がだめで選んだダンスの世界だったので、この世界でなんとかしなきゃ、とは思ってましたね。10年後20年後というのはちゃんと見えていなかったですけど。

―― 同世代で似た考えで活動している人はいますか?

少ないですね。自分とは全然違うけど気になる人はいます。関かおりとは色々共有していて、近いところがあると思います。

―― なんのためにダンスをやってるんだ?って室伏さんに聞かれたでしょ。

よく聞かれました。「お前の欲望見せてみろ」「欲望が見えねえんだよ」とか。(笑)

―― わかるー。目に浮かぶなあ(笑)室伏さんの世代が、それを言えるのが最後かもしれないですね。突きつけられて育てられた最後の世代。

私の個人の身体を私の身体だけで捉えるんじゃなくて、身体というものをどれくらいのスパンで考えるか、どう具体的に取り組めばいいのかをよく考えますね。江戸時代の身体観や、システマというロシアの武術など長い年月をかけて残ってきたものに興味を持っているというのはそういった理由からかもしれません。室伏さんが最期の頃に「身体の政治性がさあ」って言っていて、その時は何を言ってるのか意味がわからなかった。けれどそのあとずっとその言葉が残っていました。36年間生きている自分の身体は36年分しか含んでいないわけじゃなくて、私個人だけではない歴史が張り付いてきたりする。それをどう考えて自分で結びつけていくのか。私が何かを喋ったり踊ったりするということは、多くのものが自分にひっついてくる。それをひきつれて踊ることができるのか。今自分にとっての課題というより、大きな問題。

―― そういうことをリアルに感じるにはどう生きればいいんだろうね。私も岩渕さんと同じ、東京で育った60年代追体験派。学生闘争もないし、舞踏の創設期でもないし。自分が憧れるハプニングもなく、なんてつまらないんだろうと思った。こんな生ぬるい生活してても、表現できないなあと。室伏さんは舞台では、いろんなものを引き攣れて立っているなあと思って観てました。観客にはそれが見える。
東京の演劇では、3.11をテーマにするものが多かったですが、岩渕さんはどうでしたか?

東日本大震災以降、多くのアーティストがアートで自分に今何ができるのか考えていたと思います。僕もそういうことが頭によぎりましたが、そういう問題をダイレクトにダンスで表現するという方向にはいかなかった。僕はアクションを起こすのなら投票に行くなり、舞台ではなく別の場所で声を挙げればいいと思っています。僕は作品をつくる上において、それをメッセージにできる気がしない。でも、何も関係ないかと言われればそんなことはなくて、その体験は日常だし、放射能のこと、飯何を食うか、どこの野菜食うか、外食してもいいのか、それは生活のことです。だから確実に影響がある。水道水でご飯を炊くか炊かないか気にしているけど、東京に住んでいる。そのうえで舞台に乗るし、身体をつくっている。その身体と思考が毎日ある中で、どういう世界観を考えるかは重要だと思っています。

自分の36年間のことだけで作品はつくれない。地震以降、誰に向かって踊っているのか、何処とつながっているのかとか考えています。

『錆び』 photo:Kazuyuki  Matsumoto

―― では岩渕さんは誰に向かって踊るの?

ラカンとかレヴィナスの講義は戦争で亡くなった死者に向かって話されていたという話を聞いたことがあります。これが、どういうことだかわからなかったんですが、ずっと残っていて、潜伏期間を経て、少しリアリティーが感じられてきました。自分の肉体がどこから繋がっているのか。これは私につながっているという感覚。それを積み上げていく感覚が日常にはあって、ちゃんとそれが現れるようにしたいです。そういう意味でも先人っていうのはすごいなととみに感じでいます。踊りで言えば舞踏の方たちとか。

―― 舞踏を尊敬してる部分があるのね。

多くは室伏さんを通してですけど、凄いなと思っています。

―― それは、いわゆる日本の”コンテンポラリーダンス“の世界と何が違うと思いますか?

何が踊りか、ってことなのかなと思う。一般的にでなくて、私は何が踊りだと考えているか。私がどう考えているか、があるかどうか。日本のコンテンポラリーも面白いものをつくっている若い世代の多くがヒップホップから出てきた人たちで、KENTARO!!くんや北尾亘くんとか、何がダンスかって考えることでここにきた人たちは、ちゃんと考えている。

室伏さんには何度も「踊るんじゃねえ!」と言われました。例えば痙攣の振りをやっている時、痙攣=震えてるってこと自体が踊りなんだから、わざわざ踊ろうとするんじゃねぇ!っていう。その上で、それが面白いと成立させるのかが重要で。

JCDNの佐東さんが、9月の京都公演を見にきてくれて、その後に飲みに行って、「今回の作品を岩渕君を全く知らない人たちが観たら、どれくらい面白いと思うのかなあ。わかる人だけにわかればいいっていうのではなくて、もう少しエンターテイメントとは何かを考えないといけないんじゃないか。それが最近のコンテンポラリーダンスを面白くなくしてるんじゃないかな。そういう意味でも舞踏ってやっぱり面白かった。」と言われハッとしました。今までわかる人だけわかればいいと、どっかで思っていた。

―― 舞踏はエンターテイメントの塊だからね。

舞踏は、キャバレー回りしてたり、そいうことが鍛えられてたんでしょうね。難しいことを難しくやってもしょうがない。

――『DISCO』というタイトルはそういう意味かなって思いました。見て面白いものが舞踏だと思ってるし、室伏さんはもちろん、エンタテイナーだし。鳥の劇場で上演した時も、舞踏が何かも知らないで初めて観に来てくれたみたおじいちゃん・おばあちゃんが、ほぼアフタートークまで残って帰らなかった。たくさん質問して。それは面白いと感じたからですよね。

僕の大きな課題です。佐東さんから、「何かが足りない気がする。身体だけ考えても圧倒的なダンスっていうのは、生まれないんじゃないか。身体って限界あるからね。作品ってそれだけじゃないんじゃない」って。自分の身体のやるべきことをやっていれば、作品の強度が上がると思ってたけど、それだけじゃ内向きで終わってしまう。今回は選曲の面では多田さんの力があるけれど、僕がそれをどうやって作品にしていけるか。

―― 室伏さんに見せたいよね。成長したよって。

けちょんけちょん言われた後、すぐに亡くなってしまったから。僕のパフォーマンスを観た後、なんで今日の貞太がつまらなかったのか、朝まで飲んで議論して、笑って。これからだって思ってましたから。

―― 目標があっていいね。室伏ソロは騙すテクニックがある。そこは師匠のあざとさを見習うべきなんじゃない。

そうですね。多田さんや細川さん、小暮さん、酒井くんを巻き込んで、これからの行く先を考える新たなトライをします!!