報告するぜ!!
閲覧注意:ネタバレトーク 岩渕貞太『DISCO』 編
2017年03月03日

話:

佐々木治己

黒田瑞仁

水野立子

司会:飯名尚人

収録:2017年2月9日

<「なぜディスコか?」が「なぜ人はディスコに行くのか?」っていう疑問に置き換わってきたんです。>

飯名:福岡公演で観た黒田君から、どんな風に観た作品でした?

黒田:なぜ『DISCO』なのか、ということを僕は考えていて・・・。福岡ではプログラムの3作品のうち一発目で、冒頭爆音で音が入って、門外漢である僕のコンテンポラリーダンスのイメージを吹き飛ばした。心づもりと違う音楽と映像が入ってきた。両方ポップで、でも色はなかったり、要素が絞られている。その中でよくわからない動きをしている人を見ることに、まず単純に惹きつけられた。

「誘惑」を作品のテーマとして挙げていて、水野さんも岩渕さんとの対談で「色気を持って欲しい」というようなことを言っていた。そういう色気とか誘惑みたいなものを見てるうちにだんだんと感じ始めた。性的なものじゃなくて「僕も加わりたい」っていう欲望です。踊りたいわけじゃないけど、僕も居てもたってもいられないみたいな気持ちになりました。自分はダンサーでもなんでもないのに。それがなんなんだろうと思った。今までもダンスを観て、そうなったことがあって。じゃあもしかするとそれが踊りの色気なんじゃないかと思ったんです。岩渕さんがうごめいている感じが、「ディスコに行きたい欲求」にも見えた。「なぜディスコか?」が「なぜ人はディスコに行くのか?」っていう疑問に置き換わってきたんです。答えのない欲求が自分の中にあって。それをなんとかする一つの形が、ディスコなのかな。自分の内面にいる、岩渕さんがやっていた欲求のバケモノみたいな奴を、どう満足させるかで皆色々悩む。やり場に困る。その行き先がディスコなんじゃないかと思ったんです。

飯名:ディスコという場所性ではなくて、ディスコというものが持っている観念的な雰囲気。その中に彼がいるっていうことですね。

黒田:そうですね。僕はディスコ通いをしたことがないし。物質的にディスコがあそこにあったとは思わない。

<ダンスにおいての誘惑、魅力、色気って何か?>

飯名:誘惑、色気というのが、当初のテーマとしてはあったんですよね?水野さん。

水野:ええ。踊りの持っている本質的な部分ですね。最近は舞台作品の中で影を潜めているように思うのですが、見てはいけないある種の猥雑さがダンスには必要かなと。仙台・福岡のお客さまからは色気があった官能的だったという声も多く聞きましたが、私は欲張りなので、もっともっと踊りの持つ色気を感じたいかな(笑)。

飯名:作品ではなくて、岩渕貞太というダンサーの持つ色気?

水野:そうですね、それももちろんあると思う。ええっと、話しがちょっと外れますが、仮タイトルの「誘惑」から本タイトル「DISCO」に決まった時点で、作品のハードルが上がったかなって思った。当初やろうとしていたことは、「誘惑」というキーワードから体・ダンス・音楽・観客それぞれが連動して、色んなベクトルで誘い合うための仕掛けを作っていくことでした。そこにもう一つディスコという設定をプラスした。音楽を全部反対にしてるんですよ。

飯名:反対?

水野:本来やりたいダンス、見みせたい踊りにぴったりくる曲とか、ダンスが際立つ曲を主体に探すのではなく、そことは関係なく、別の目論見で選曲をしている。ダンスありき、ではなくディスコっていう括り・テーマで選曲している。曲に抗う部分も出てくるわけで、いやそんなのに踊らされないぞっていうダンスをやるしかない。「誘惑」の持つ意味がもう一段複雑になった。岩渕さん自身の言葉でいうと「自分に負荷をかける。」ということですね。

飯名:作品におけるコンセプトというものを、もう一段階進めている、チャレンジしているということ?

水野:そう思います。難しいチャレンジだけど面白い方法だなって思う。挑戦していることが、ダンスを見せる、という意味においてとってもハードルが高い。選曲にどれくらい思い込みをもってアクセスできるかどうかでも、結構、左右されます。

飯名:岩渕貞太という魅力的で色気のあるダンサーが踊ってますよっていうことではない、ということですね。ダンスにおいての誘惑、魅力、色気って何か、ということが「ディスコ」というキーワードにつながっていくんですね。

<踊れないダンスミュージック、踊らない空間>

水野:最後に使ってる曲は、岩渕さんが実際にライブで聞いた時に、今回の自分のテーマはこれだって、はっきり決まったそうですよ。

黒田:『Party Maker』ですね。

水野:そうそうあの曲は、「もっともっと」ってお客さんを踊らせようとする曲なんだけど、それに簡単に乗らないで抵抗したり引き受けたり、体が曲と岩渕流に駆け引きをしながら、結果、色気のある誘惑できる踊りを客席と自分両方にどう提示できるのかに挑戦している。だから難しいことをやってると思います。実際に舞台上の岩渕さんの体は、ガンガンくるダンスミュージックの中で、音楽に乗せられる体ではなく、その渦の中で佇む姿が印象に残るわけで、そこがいいなと思えた

飯名:すこし前ですが、Portishead(ポーティスヘッド)っていうイギリスのバンドが流行った。なんで流行ったかっていうと、踊れないクラブミュージックっていう(笑)。

水野:(笑)タテ揺れ?

飯名:タテ揺れもヨコ揺れもできない、ただじっとして聴くクラブミュージック。

黒田:暗~い感じの。

水野:へー。

飯名:それがカッコよかった。不思議と踊れないクラブミュージックというのが成立している何かがあった。

水野:一体何を楽しみに行くの?

飯名:音楽としてじっくりダンスミュージックを聴く、みたいなこともあるかも。クラブミュージックという浮遊感を楽しむような感じかもしれないですね。「クラブ的」な空気だったり、「クラブなるもの」がある。岩渕さんの「DISCO」も実は、現存するディスコ空間ではないような気がしたんです。佐々木さんはどう見ましたかね。

<乗っ取られてもいい。乗っ取られたい願望が人にはあるんじゃないか>

佐々木:「誘惑」というのが、当初のテーマにあったというのは興味深いです。こういう当初あったものというのは、どういう形であれ残ると思います。まあ、これはカッコよくないものの僻みだと思ってもらって構いませんが、岩渕さん自身が男前でカッコいいので、そりゃ立ってるだけでカッコいいですよ。しかし、カッコいいだけが誘惑かというとそういうことではない。色気などの誘蛾灯のような誘惑もあるのかもしれないけれども、「誘惑する」「誘惑される」となると少し変わってきますよね。誘惑するという演技に誘惑される演技が答えるというのがあるような気がするんです。互いに何かに乗っ取られていくっていうか。自分自身が何かに乗っ取られて何かをしているっていうことが多分誘惑の根本にあるような気がするんですよね。

ディスコっていうのも、その場において何かを演じる、何かに乗っ取られるという場なのではないでしょうか? 例えば、いくら曲がかかろうが、それにノる必要はありませんよね。体が勝手に動いちゃうって私は嘘だと思っていて、そもそもノろうとしてる、乗っ取られてもいいと思ってるからノるわけだと思います。無意識的かもしれませんが、乗っ取られたい願望が人にはあるんだと思います。岩渕さんが目指しているのはそこなんじゃないかと思うんです。乗っ取られたいという願望、知らずのうちにやってしまうことを許す場を開き、そして「なぜするんだろう?」という態度を思わせるように、ノらずに、フトやってみる。岩淵さんを見ながら感じた距離の測れなさは、こういうノらなさ、が生んでいるんじゃないかと思うんです。と、こんなに喋りましたが、ディスコってあんまり知らないので、『サタデー・ナイト・フィーバー』の絵しか出てこないわけですが。

飯名:古い(笑)。

佐々木:ディスコって何かキメポーズをしなきゃいけない場所なのかな?というのがなぜかあって、キメポーズって自然な動きじゃないですよね。やっぱキメて、人にどーだって見せつける。キマってるだろ?と了解を求めるようなものが、ディスコのキメポーズなんじゃないかと思うんですね。だから人に見せつけるっていうのがディスコの踊りだと思うんですよね。鳥などの求愛行動に近いのかもしれませんよね

水野:ちょっと待って。面白いなと思ったのが、ノせられるって言ったでしょ?

飯名:佐々木さんは、「乗っ取られたい」という話でしたね。

水野:あ、そうそう、それだ。ダンスに乗っ取られる、って面白いですよね。っていうのは、客席でいい踊りを見ている時、曲に乗っていく、というのとはちょっと違って、舞台上のダンサーの踊りが自分の体に入ってきて、ゆらゆらゆれる感じがあるんですよ。それが本当にキター!っていうか、いいダンスだなって思う時で、それは「乗っ取られる」と言う感覚がぴったりかもしれない。リズムでもビートでもメロディでもなくって、ダンスが乗り移る瞬間っていうのかな。それをこの「DISCO」での岩渕ソロダンスで感じるのは最高だね。

佐々木:いいダンスを見たときにそうなるというのは、どこかで見ながら乗っ取られてもいいと思うんですよね。

水野:乗っ取られたいよ、そりゃ。

佐々木:乗っ取られたい、乗っ取られてもいいっていうのが起こって乗っ取られていくっていうのがある。「誘惑」の関係がある。

水野:乗っ取られたいから作品を見に行くっていうのがありますね。

佐々木:わかります。そもそも劇場に行くっていうのは乗っ取られたい願望があるから行くと思っています。それが希望でもあります。

<孤独とChill Out>

水野:孤独感なのかな?なんて言ったらいいんだろう。

黒田:僕はディスコに来てそこで思いっきり外見的には楽しんでる人の内面、みたいなイメージで見ました。

水野:なるほど。面白い深読み。本当はディスコに楽しめてない人か。

飯名:チルアウト(Chill Out)っていうのがあって、爆音からちょっと外れて、静かなクールダウンした音楽だったり場所がクラブの中にあったりする。岩渕くんの「DISCO」には、そのチルアウトがあって、ディスコミュージックでガンガンのりのりに踊るわけじゃない。彼が居る空間はチルアウトしていて、だからディスコの中の喧騒の中にある静かな穴みたいな。だから暗さだったり孤独感みたいなのが出てくるんじゃないですか?でも、「誘惑」っていうテーマと、それとはちょっと違うかもしれない。だって『サタデー・ナイト・フィーバー』のジョン・トラボルタは、モテたいわけですよね、女の子に。

佐々木:求愛行動ですね。

飯名:そう、まさに求愛行動!でも、その求愛行動とは違う現代的な誘惑というのが背景にはあるんじゃないでしょうか?岩渕くんがイケメンである、という状況だとすると、あれが太ったどうせモテなそうなやつがやってるってなると、誘惑の矛先が変わりますよね。切実さみたいな。

佐々木:激しく共感するものが(笑)。

(了)

<LINK>

巡回公演地からの声・レコメンド集① 岩渕貞太 『DISCO』

https://odori2.jcdn.org/7/?p=1273

公演情報

東京公演3/17-19 チケット取扱

https://odori2.jcdn.org/7/?tag=loc-tokyo

京都公演 3/25-26 チケット取扱

https://odori2.jcdn.org/7/?tag=loc-kyoto