報告するぜ!!
【ダンスの現場】 黒田育世@森下スタジオ
2016年12月28日

記録:黒田瑞仁

ダンス作品を自分で作ったりその場に立ち会ったことがなくても、誰もが何かをする現場にいる。職場や、自宅などその場所はさまざまだ。ではダンスの創作はどんな稽古場で、どんな環境で行なわれているのか。もしかしたら作家や作品、集団ごとにまったく違うのかもしれない。あちら側だと思い込んでいたダンスの世界も、その制作現場を覗けば、もしかしたら身近に感じられないだろうか。ダンスを輪郭からアプローチして、稽古場のエスノロジーを試みる。


10/29 黒田育世チーム
天気:くもり/雨 場所:森下スタジオ スタジオA



稽古場所は両国よりも少し南東、セゾン文化財団により運営される森下スタジオの一室。都営地下鉄新宿線・大江戸線の森下駅近くだ。時たまダンスや演劇公演の上演場所になってはいるものの、主な用途が劇場ではないので世間一般にはあまり知られてはいないかもしれない。しかし稽古場としては設備が整っている有名な場所で、東京における舞台芸術の重要な拠点の一つだ。エントランス脇のホワイトボードを見ればその日の各稽古場の利用者がわかるようになっているが、いつ行ってもここには著名な作家やカンパニーの名前ばかりが書き込まれている。

この日、黒田育世チームが利用していたAスタジオは長方形の部屋で、ホームページによれば広さは縦7間半(約13.5m)、幅4間半(約7m)。天井高は4mほど。入って右側の壁は一面鏡張り。入り口側には折りたためそうな会議テーブル、スピーカーなどの音響機器。他にはほとんど物がない、稽古場として造られた広くフラットな空間だ。入り口入ってすぐ左の机の周辺に荷物は固まっておかれていた。とはいえ稽古開始時にはカバンが幾つかあるくらいで、人数に対して荷物はとても少ない。部屋の手前にロッカールームがあるので、そこに私服などは置いているのだろう。部屋はグレーのリノリウムが敷いてあり、がらんとしている。部屋の中央にはTの字型のバミリが一つ。稽古に使うような道具はどこにも見当たらない。



17:00 ウォーミングアップ

稽古は17時からと聞いていたが、入ると黒田さんを含む6人がストレッチなど、ウォーミングアップをバラバラにしているところだった。女性ばかり。空気は和やかだ。6人と言ったが、もうひとり小さな女の子がいる。どうやら黒田さんの娘さんのようだ。自分で歩けるし、喋れる。あまりあてにはならないが、自分は3才くらいだと予想。
広い稽古場の中には、見学者である私ともう1人のために部屋の隅に積んである椅子を出してくれたが、他に椅子は使っていない。全員がストレッチをしながら床に座ったり、寝そべったりしている。

17:15 前日稽古の振返り

バラバラにストレッチをしていたダンサーたちに、集合がかかる。黒田さんを含め、6人で丸くなって床に座る。娘さんは円の内側にいる。稽古が始まったようだ。前日の稽古で何を達成して何が積み残しかを確認。
前日の内容を受けて、シーンの順番の変更やカットなど、構成の変更が発表された。それぞれ自分のノートにメモをとっている。「食べる」「ふくろう先生」などのキーワードが挙がっているが、なんのことだかわからない。だがきっと今回の下敷きになっている『鳥の仏教』と関係しているのだろう。基本的に話すのは黒田さん。昨日からの変更について、指示は細かく具体的になってきた。各自が伝えられた変更点をノートにメモしている。台本のようなものは誰も持っていない。
娘さんも輪に加わるが、ずっと大人しくはしていない。いまは政岡さんのハンコで遊んでいる。ダンサーたちが順番に彼女の相手をする。黒田さんに話しかけられている人は集中して聞いている。全体の雰囲気は和やか。



17:30 各自振付け確認

口頭で伝える作業は終わった様子。立ってそれぞれが振付や、人によってはセリフの確認をはじめた。ダンス作品だが、セリフがあるらしいことがわかる。部屋中央にはダンサーが3人まとまって同じ動きをしている。部屋の奥では黒田さんが新しい振り付けを、政岡さんに伝えている。残る1人は、女の子と遊ぶ。
中央の3人は「イムク、イムク」と謎の言葉を繰り返しながら、振付を確認しはじめた。女の子はその中に「犬する!」と飛び込んで言って、ワンワンと犬の鳴きまねをしている。どうやらそんなシーンがあるらしい。

17:45 続・各自振付け確認

黒田さんは奥で振付を伝え終わると、部屋の入り口側で稽古全体を座り見守る。中央の集団に「話す練習をするように」などと指示。やはりセリフがありそうだ。中央で踊る集団は4人になっている。

18:00 全体振付け確認

ダンサーたちは今度は「ウトゥ、ウトゥ」と言いながら、また別の振付を反復練習。『鳥の仏教』に出てくる鳥たちの呼びかけだ。一人で稽古をしていた政岡さんも集団に合流。次いで黒田さんも入り、6人全員で鏡に向かって振付の確認。あくまで動きの流れの確認のようで、本気で踊っている様子ではない。
音楽の松本じろさんが登場、6人が踊るのを見ながら、女の子の相手をしている。

18:15 振付け確認・再び

黒田さんと政岡さんが抜けて、再びソロの振付を検討しはじめる。さっきは決まった振りを政岡さんに伝えている風だったが、今度は考えながらのやりとり。一方で4人のダンサーは「ウトゥ」の振り付けと「イムク」の振付を行ったり来たり。だんだんと踊るスピードを上げて、動きの流れだけでなく、4人の所作が揃っているかをチェックしている。ちらほら振付けがずれる箇所があり、終わると「ギリギリできない〜!」と悔しがる。だんだん動きの激しさが増し、稽古が熱を帯びてくる。
今度は「キッキュル」という鳴き声と振り付けを確認。鳴き声ごとに、異なる振り付けがあるらしい。これが連なって作品が構成されるのだろうか。ダンサーの一人、矢嶋さんによって、物語を説明するセリフが入る。説明はそれなりに長いが、彼女はすでに空んじている。一通りセリフを言い終わると「できたー」と喜んでいる。確かに踊る時よりはすこし探りながらという感じがした。そのセリフや、別の振付け(ウトゥ、イムクなど)をつなげて稽古しはじめた。



18:30 休憩

黒田さんが休憩を宣言。思えば、ここまで全体進行の指示はほとんどなかった。あくまで黒田育世さんが全体を見ているが、これまでダンサーたちが各自に出された課題を解消すべく、各々の判断で時間を使っていたようだ。
黒田さんは『鳥の仏教』の本を開いて、内容を確認している。ダンサーたちは部屋中央をを離れ、入り口の近くに集まってそれぞれが持ってきたお弁当やお握りを食べたり、スポーツドリンクを飲んだりしている。談笑。娘さんは皆が傍に寄り、広くなった室内をここぞとばかりに動き回っている。

18:45 対面稽古

稽古再開。物を食べていたので長め(たとえば3-60分くらいの)の食事休憩かと思ったが、そうではないらしい。
ここから部屋の中央にいるダンサー5人の踊りを、黒田さんが前から見てチェックする形の稽古がはじまる。休憩前と雰囲気が違う。さっきまではダンサー個々人のための時間だとしたら、ここからは黒田さんが全体の様子を見て、作品を作る時間といった様子。シーンとシーンをつなげながら進めていく。途中でよくわからないところはすぐに止めて、「どうなったんだっけ」と確認しながら進めていく。
ここで初めて小道具が登場。1.2m四方くらいのスカーフのような薄くて大きめの布だ。本番で使うものではないだろうから、稽古用の道具、いわゆる仮道具と呼ばれるものだ。
シーンを順に進めていくが、ダンサーにも演出家にもわかりきっている箇所は飛ばしながら進む。と思うと、黒田さんが気になる箇所で止めて、立ち位置を変えたり、動きの順番を変えたりする。「(全体を)もうちょい面(ツラ。舞台前方のこと)にしちゃおう」など、全体の奥行きに気を使っている。ダンサー同士の位置関係だけでなく、観客からの距離感を気にするということは、すでに本番を見据えた稽古をしているということだろうか。

19:00 鳥たちへの考察

しばらくはこれまで作ったパーツを順に当たっていたようだったが7回くらい展開したところで、稽古が止まる。ここまでは体を使い動き通しの稽古だったが、物語についての考察がはじまった。『鳥の仏教』は鳥たちが種類の異なる鳥たちが仏教を修める話なのだが、登場する鳥たちの行動について黒田さんの解釈が説明される。最初は集団に向き合って説明していた彼女も、考えはじめると集団に入っていき、一緒に踊る。体を動かしたほうが考えが進むのだろう。振り付けの理由を独り言のように言ったり、ダンサーたちに説明したりしている。ダンサーの一人一人に割り当てられた鳥の役は異なるようで、それぞれと考えを共有。この作品ではシーンごとに誰がどの役を演じるかは変わっていくものの、ダンサーが「役を演じる」ことは間違いないらしい。演劇では当たり前のことだが、ダンス作品に於いてはどれほど一般的なことなのだろうか。

19:15 対面稽古・再び

内容の検討ができたところで、黒田さんが今後の稽古の流れを確認。この後、通し稽古があるようだ。もう一度、冒頭からパーツをつなげて稽古している。スピーカーは備え付けのものがあるのだが、これは使わず必要な曲は歌いながら踊っている。仮道具も少し増えてきた。森下スタジオの緑色のスリッパや、ハンカチ、先ほどのスカーフを使っている。それがなんの代用品なのかはわからない。
だんだんと場の集中は高まってくる。稽古の最初のように振り付けを思い出したり確認するのではなく、考えながらの稽古になってきただからだろうか。役の心情については、しばしば意見交換がある。喋るのが黒田さんばかりではなくなってきた。



19:45 休憩と自主稽古

黒田さんは、一区切りを宣言。娘さんを連れて稽古場の外に出ていった。ダンサーたちは何かを食べたり、寝そべって体を休めたり、振り付けを確認したりしている。談笑。
休憩兼、自主稽古の時間だ。少し休むと、5人で振り付けや、先ほど変更になった立ち位置の確認をしている。確認すると、それぞれバラバラになって各自気になる箇所の確認をする。

20:00 進捗確認

黒田さんが戻ってきて、状況をダンサーたちに確認。
「もっと時間欲しかったら言ってください」「欲しいです」「どのくらい?」「15分」「8時15分?じゃあ、20分で」
引き続き自主稽古の時間になった。「エゴー」「ウトゥ」の確認。黒田さんはオムツを替えている。自主稽古に熱が入る。一方で、娘さんは「アンパンマンが見たい」としきりに主張。
各自、振り付けの確認がそれぞれひと段落すると、ストレッチをはじめた。足つぼを刺激のための棒を踏む人も。最低限のものしか持ち込んでいない印象だったので、もの珍しく感じる。黒田さんはiPodのようなものをスピーカーセットにつないで、リハーサルの準備をしている。会話は減り、緊張感が全体を包む。



20:20 通し稽古

宣言通り8時20分から、音が入ってのリハーサルが始まった。ダンサーたちは集中して踊っている。黒田さんは前で見ていて、中には入らない。彼女がいるはずの場所は空いていて、黒田さんの動きが全体のきっかけになる箇所は口で言って補う。時たま、流れの確認だけをするように、全力で踊らない部分もある。
37分間、途中で割愛された箇所もあったが一度も止めずに通した。最初の本番は二ヶ月以上先だが、プログラムとして予定しているだけの長さが既にある。当然これからこれをたたき台に稽古が重ねられ、印象はかなり変わるのだろう。そして明確な起承転結が見て取れるわけではないが、物語、寓話的世界観が全体を覆っていた。

21:00 振り返り

休憩はとらず、すぐに稽古の始まりと同じ形で丸く座って、振り返りがある。黒田さんは普通の会話のボリューム以上は声を出さないが、テキパキと気になったことを指摘していく。内容は稽古場の端から聞いているとすべては聞き取れないが、踊りの質感についての指摘が多い様子だった。

21:20 稽古終了

振り返りが終わると、そのまま稽古終了が宣言される。ダンサーたちは荷物をまとめたり着替えたりと、帰る準備をはじめた。







『鳥の仏教』を自分の体に起きていることに翻訳する

中沢新一『鳥の仏教』(新潮社, 2011)所収の『鳥のダルマのすばらしい花環』は、元はチベットで17-19世紀ごろに書かれた庶民への仏教布教のための経典だ。今回の黒田育世作品はその英訳版タイトル『The Religeon Of BIrds』からとられている。内容は文庫版の解説を引用すれば「カッコウに姿を変えた観音菩薩がブッダの最も貴い知恵について語り、鶴、セキレイ、ライチョウ、鳩、フクロウなどの鳥たちが幸福へと続く言葉を紡ぐ。」というもの。鳥たちが順番に語る仏教の教えが、この物語の大部分を占め、経典としての役割を果たしている。黒田さんはこの本を作品の下敷きに据え、そこに出てくる鳥たちを作品に登場させている。
では、黒田さんはどうやってこのテキストを自分の作品に変換しているのか。本人への聞き取りの最中に、見せてもらった資料がある。『鳥のダルマのすばらしい花環』の中での鳥たちの語り口はとてもわかりやすいが、彼女によればその教えをそのまま作品にしようとしても、説教くさくなってしまいそうなのが嫌だったという。そこでどうするかというと、教訓を我が身と踊りに関することに置き換えるのだ。鳥たちの言葉を全てパソコンで打ち込み、ダンサーたちと分担して一行一行を自分の体に起きていること、踊りのことに翻訳したという。表化したものを見せてもらったが、印刷でぎっしり数ページにわたり、教えは全部で100は下らなかった。
たとえば鳥たちは「ごきげんで気晴らしがてらに快楽を求めると、不安定という災いがもたらされますよ」「意味のないおしゃべりには、がっかりさ」「自分のものでない美しい品物を欲しがる気持ちを捨ててしまえればいいのにね」という風に教えをらテーマごとに羅列する。これを自分のことに置き換えて(対応関係や正確な文言は忘れてしまったが)たとえば「惰性で受けるダンスレッスンに意味はない」「すぐに自分は上手いと調子に乗ってしまう」「誰も見ていないところでも稽古をさぼってはいけない」といった具合だ。大変な思いをしてこの翻訳表も作ったけど、最終的には十何羽出てくるうちの五羽ほどしか作品に登場させられないけど。と言っていた。
ダンサーたちはもし自分がやり辛くなると感じるならば、本を読まないでも構わないと黒田さんは言っていたが、イメージの共有はこうやって図られている。おそらく本当に欲しかったのは表に書き込まれた言葉ではなくて、踊り手の一人一人が身に覚えのあることとして体に翻訳し、鳥たちの仏教を実感することなのだろう。

http://www.shinchosha.co.jp/book/365902/より転載2017/2/15)