報告するぜ!!
【東京Cプログラム:アオキ裕キ】思えば、今この公園は奇妙な“市”(イチ)である
2016年12月25日

猫が集まる東池袋中央公園。アオキ裕キ率いる「新人Hソリケッサ!」がパフォーマンスを行った。半月に一度の「炊き出しの日」とのことで、多くのホームレスと思しき人々で賑わっている。定期的に行なわれているこのパフォーマンスは、アオキのライフワークとも言えるだろう。

記事:曽和聖大郎
写真:飯名尚人
2016年11月26日(土)晴れのち曇り
木曜日は東京に初雪が降ったが、昨夜はそれにも増してひどく冷え込んだ。ニュースによると11月の初雪は54年ぶりとのことだった。家の犬は冷気を帯びたフローリングには足を踏み入れるのさえ躊躇し、もっぱら畳の上に敷いた座布団の上で丸まっていた。いつも軒先きを足早に通り過ぎていくあのブチの野良猫は何処でこの凍てつく寒さを凌いでいたのだろうか。イイナさんから、ソケリッサというダンスグループの取材をしてくれとの依頼があった。聞けば、ソケリッサというのはアオキさんというダンサーがホームレスのおじさんたちを誘ってダンスをしているグループということだ。「面白そうですけど、僕、コンテンポラリーダンスとかあんまりわかりませんよ」と言うと、「そのほーがいいんだよ」とイイナさん。
16時から東池袋中央公園でソケリッサが踊ると聞き、電車で向かう。高層ビルに囲まれたその小さな公園に着いた頃には、曇天はすでに暮れ始めていた。半月に一度の「炊き出しの日」とのことで、多くのホームレスと思しき人々で賑わっている。フットサルコートほどの広さもない公園である。中央には水の止まった噴水があり、その右手には「はり灸」と看板を掲げたテントが建てられている。左側を見るとビニールシートが敷いてあり、パイプ椅子に座った老人が散髪をしてもらっていた。これらも炊き出しボランティアの一環なのだろう。人々の足元を縫うように一匹の猫が走って行った。噴水奥の木陰で猫に餌をやっている人もいる。よく見るとそこかしこに猫の姿がある。ここは猫の集まる公園なのだ。
噴水の前は石畳の広場になっており、そこで三人の男が手足をブラつかせながら石畳の感触を足裏で確かめるようにウロウロと歩いている。二人は裸足、一人は靴下を履いていた。おそらく彼らがソリケッサだ。ウォーミングアップというやつをしているのだ。やがて広場の脇に「新人Hソリケッサ!」という幟が立てられ、三人の男たちは石畳の広場で一定の距離をとって向き合い、三竦みのように静止した。下手に立った太った男は、坊主頭に似合わないつぶらな瞳を見開いていた。上手に立った白髪混じりの背の高い男の体は、風に吹かれる葦のように微かに震えていた。二人に挟まれて正面にいる男は、他の二人と比べると遥かに無駄な肉のない体をしている。この小柄な体に鷹のような眼をした男がアオキさんだった。後で聞いたところによると、太った男は横内さん、背の高い男が小磯さんという人で、二人は元路上生活者らしい。
三人の体がゆっくりと近づき踊りが始まった。園内のホームレスたちはステージの前にはほとんど集まって来ない。噴水から一定の距離を保ちながら、遠巻きに様子を窺っているようだ。それぞれ思い思いの事をしながら、時折舞台に目をやる。僕の隣にいた若いホームレスはスポーツ新聞のヌードグラビアを見ていた。三人が集まりゆっくりと腕を天に揚げ、倒れこみ、また掌で膝を打つ。つぶらな瞳の横内さんが顔をしかめながら、羊膜を掻き破ろうとする胎児のような動きを始めた。それは壊れた盆踊りのようにも見える。公園樹の葉の騒めきに混じって、環境音をサンプリングしたようなBGMが聞こえていた。長身の小磯さんは両の手を額の前で合わせ、離し、また掲げ、体に絡みついた藻類を振るい落とそうとするウミウシのように背を反らせ、ぎこちなく全身を伸ばし、また撓ませた。アオキさんの動きは流石に指先にまで神経が行き渡り、ダンサーとして訓練されたものである。アオキさんには、横内さんや小磯さんのような歪な肉体性が希薄だ。だからこそ、テクニックでは太刀打ちできないものにあえて立ち向かおうとしているようにも見えた。胡座をかいたアオキさんが石畳にコップを置くジェスチュアをした。ステージの前を猫が横切っていく。彼らのダンスはサービスを提供しようとしていない。目を見張る技巧があるわけではない。観客を誘惑しようとする姿態も見られない。誰もが踊りたくなるような音楽があるわけでもない。何かをこの場に施そうとはしていない。彼らは彼ら自身のためだけに踊ろうとしているように見える。
思えば、今この公園は奇妙な“市”(イチ)である。貨幣の流通しない瀬戸際のマーケット、贈与によって成り立っているカリソメのバザール。本来ならここは“市”とは言い難いかもしれないが、しかし今この場所は確かに“市”なのである。このダンサーたちとそれを見るともなく見ている観客たちとの間に、「施し」の場から逸脱した緊張感が疼いていた。
その疼きが、この場では貨幣でない何ものかが流通しているのだと主張している。ここは奇妙な“市”である。“市”には“芸”がつきもの。市から芸が発するのか、芸が市を産むのか。
BGMはアルヴォ・ペルトのミニマルな音楽に変わっていた。しかしやはりピアノやヴァイオリンの音に合わせて踊っているのではなさそうだ。それぞれ何らかのイメージを体で表現しようとしているのだろうか。三人のダンサーは連なり離れ、また見合い、シャツやズボンを交換し合った。アオキさんの小さなズボンを履いて踊る長身の小磯さんの鼻から
は青っ洟が垂れている。目は中空に向けられていた。青っ洟を啜り上げ、震えながら片足を後方に上げる。一瞬、その揺れる肉体が祈っているようにも見えた。横内さんや小磯さんは、何を思って踊っているのだろうか。アオキさんは彼らと踊ることに何を見出そうとしているのだろうか。そして、踊る彼らの体温はどこに向かっていくのだろうか。
30分間の公演が終わると、陽は沈み、周囲の気温はグッと下がっていた。アオキさんは「また炊き出しの日に踊っていこうと思っています。新しいメンバー募集中です!よろしくお願いします」と頭を下げた。乞うばかりと思われている人々が乞われている。終演後、挨拶に伺うと、アオキさんは鷹の目を細めて「今日はもう一人おじさん来るはずだったんですけど、来ませんでした」と笑った。
ソリケッサは、来春にこの公園で発表する新作ダンスの制作に入るのだという。僕は彼らの踊る意味を、そしてこの奇妙なダンスがどのようにして作られているのかを追ってみたいと思う。次回は彼らの稽古場にお邪魔して話を聞いてみよう。
また夜が来る−−−池袋の猫たちは今夜どこに帰るのだろう。都市部の方が郊外よりも暖をとれる場所が多かったりするのだろうか。寒い夜に眠るためには“熱”が必要である。
曽和聖大郎
和歌山市立砂山小学校卒業
Yachaoo Cinema Label代表