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2/7 八戸公演レポート 終わらないクリエイション。  文:大澤苑美
2016.02.25

踊りに行くぜ!!Ⅱが終わって2週間。

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八戸は、ここ5年ほど、24万人の地方都市にしては、多くのダンス事業を実施している。南郷アートプロジェクトといって、ダンスとジャズのパレード、閉校する小学校とのダンス映画製作、芸能をもとにした作品制作などなど、地域資源を扱ったコンテンポラリーダンスのプロジェクト。かつてたくさんの映画館が立ち並び“シアターのまち”でもあった八戸市中心街の横丁を舞台に、ハシゴしてお酒を飲むように、あちこちでダンスや演劇、コントなどのパフォーミングアーツを楽しむ「酔っ払いに愛を」。また、横浜ダンスコレクションの関連企画「日韓ダンス交流プログラム」などの実施もあった。

そんな今ある八戸のアートシーンは、2008年10月、鮫魚市場で実施して話題になった「踊りに行くぜ!!」がきっかけとなり、2011年2月八戸ポータルミュージアム開館の際に実施した「踊りに行くぜ!!Ⅱ」でドライブをかけたからこそ、生まれてきた。

いつも、八戸のアートシーンの転機をつくる「踊りに行くぜ!!」。今回、八戸としては5年ぶり3回目の実施となった。(なんだか、甲子園みたいな言い方だが…)

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八戸での上演作品は3作品。5月にひとり参加した選考会で、悩みながらも、八戸にベストな3作品を選んだつもり。

今年のAプログラムから、梅田宏明さん。私がこれまで見た梅田さんのダンスは、砂嵐のような映像と音楽で踊る(と簡略化してスミマセン。笑)スタイルが印象的、でも今回は、梅田さん自身は出演せず、彼のメソッドの確立を目指し若いダンサーと取り組む作h人。他の作品と異なり、湿気があるような個人性を排除した、ドライなダンス。メソッドをもとにしているので、ダンスを常日頃取り組んでいるスタジオの先生や生徒さんに見てもらうのもいいのではないかと選ぶ。

○ 梅田宏明「Movement Research-Phase」 photo:梅内弘樹

昨年のAプログラム(再演)から、仙台で見て感動した「ナレノハテ」。演劇よりも雄弁で、ダンスよりも身体が語る。そんな作品に久しぶりに出会ったな、という作品だったのだ。八戸の演劇人や、ダンスとはこうだとポリシーをお持ちの方にもぜひ見てもらいたいなと思って。(その観念を超えるものとして)

○ 目黑大路 「ナレノハテ」 photo:梅内弘樹

そして地元での創作作品、八戸の創造の未来を、岩岡傑さんに賭けた。岩岡作品のクリエイションについては、ぜひ、クリエイションドキュメントを読んでほしいが、彼がもたらした成果(つまり、プラスにとらえるものとして八戸に残ったもの)として、私なりには、以下のように整理している。

ひとつは、お行儀のいい作品や、感動作品ではなく、「なかなか決まらない、まとまらない、立ち上がらない、深まらない、たどり着かない…」というクリエイションの難が集まったような1ヶ月の茨のトンネルを進んだという経験知。(苦労、というのかもしれない)。もうひとつは、上演が終わっても、1ヶ月以上のクリエイションを経てもすっきりしなかった「どうすればこの作品がもっとよくなったのだろう」「どんな作品にしたかったんだろう」「ダンス作品ってそもそも何?何がどうあればよいものなの?」という大きな悩み、問い。

○ 岩岡傑 「けっ!」 photo:梅内弘樹

2週間たった今も、あれが何だったのか、どうだったらうまくいったのか、言葉にするのが難しい。なんだろう、「終われない」この感じ。私も、磯島さんも、日常にや次の演劇の稽古に入った出演者も、きっと頭のどこかで、この「終われない感じ」を引きずっている。(岩岡さんは…どうだろう。)

未だにチームの連絡用メーリングリストの投稿は続いていて、岩岡さんがあの時出してきたアイディアはなんだったんだろう、お正月にみんなにこれは見てねといった映画の世界観と作品はどのように関係していたのか、映画を見た後にどんな時間をもっていたら作品に取り入れられたのか、作品やその作品づくりのプロセスを問うやりとりが飛ぶ。終わっていない。

どうやったら、あの作品が完成させられたのか。ダンスって何をしたら作品になっていくのか。そこに対する消化不良みたいなもの。

2回公演だったら違ったのかもしれない。翌日に、修正点を反映できた。またAプロみたいに巡回作品であれば、少し時間をおき、練り直した作品を提示できた。でも、八戸のBプロは、たった1回きりだったから。

岩岡さんは、八戸でしか食べられないごった煮の鍋のような作品をつくりたいと最初に言っていたが、まさしく、我々は消化不良の鍋を、未だに目の前にして食べ続けている。おなかいっぱいだというのに。

○ 岩岡傑 「けっ!」 photo:梅内弘樹

岩岡さんが八戸に来たことの意味はなんだろうと考える。
八戸のクリエイションが、与えられた設定や振り付けを踊るのではない、悩み多きクリエイションだったことの意味。

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先に、「踊りに行くぜ!!」は、いつも、八戸のアートシーンに転機をもたらすと書いた。それがジンクスならば、岩岡作品は、これからの八戸に何らかの変化をもたらすことになる。その変化は、もう少し先にならないと見えてこないだろうけど、しかし、この終わらない感じは、ただものではない気もする。どんな変化が生まれてくるのか。本当に変化するのか。ここからが正念場。

そんなわけで、クリエイションを終えられなかった私たちは、次なるクリエイションを重ねる。

まもなく幕をあけるはちのへ演劇祭に向け、田中稔さん、田中勉さんは演劇作品を、そして磯島未来さんもダンス作品の創作にいそしんでいる。嶋崎さんは、踊りに行くぜ!!と並行して運営を支えていた現代美術展「インシデンツ」の最終日に、あの意地を携えてのパフォーマンスを終えたところだ。田茂さんは…牛の世話に戻りながら、また踊りたくなるその時を確かにあたためていることと思う。

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次に進みながらも、でも、反芻してしまう。一体、このクリエイションはなんだったんだろうか。

私だったら、混沌というテーマに対してこんな作品に仕上げただろう。あのシーンの代わりに、こんなシーンのほうが強度がよかった。あの振りをあと1週間稽古し続けたら、何かが発露しただろう…。

今となっては、もう本番の予定がないので、あの1回きりの作品を書き換えることができないのだが、きっと、関わったそれぞれは、クリエイションを終われないで、今もなお作り続けている。