アーティスト・インタビュー
緒方祐香 ー 不確かだけれども、確かなものがある
2016年03月03日

地元作品の福岡公演で、『反閇(へんばい)』作・振付・出演の緒方祐香さんは、現在、嘉麻(かま)市の弥栄神楽(いやさかかぐら)座長として射手引神社に奉納する神楽を制作しています。そして、今回、神社で奉納する神楽とは全く違った、でも神楽からたくさんのインスピレーションを受けた緒方版神楽ともいえる作品を作成しています。

聞き手:津田朋世

写真・長野聡史

伝統になっていく神楽を「新しく」作る

緒方:嘉麻市の山田というところは、昔は炭鉱があって今は人がどんどん減っていってしまって少子化になりつつある・・・というようなところなんですが、そこの神社の神主さんが「神楽をすれば人が集まる環境ができる」という考えがあって、そこで「新しく神楽を作りたい、創作神楽ではなく、これから伝統になっていく神楽を作りたい。振付をしてくれる人を探している」ということで、お声かけ頂いたんです。

津田:その神主さんは、具体的に神楽を通した「村おこし」をビジョンとして持っていたんですね?

緒方:最終目標が「村おこし」とまでは思ってなかったかもしれませんが、とにかく神楽を作りたいと。その結果、やっぱりそれが町を元気にしているなというのが、私がこの一年間で感じたことなんです。

本当の踊りが出来る。これは嫉妬です。(緒方)

緒方:私はもとから神楽をやっていたわけでもなくて、たまたま私が踊っていたのを見て下さっていて、それで声をかけて頂いて・・・というご縁なんです。私は佐賀県基山町生まれなので、筑豊に行ったことが無かったんですよ。だからまさかこんな筑豊に縁が出来るとは思いもしなかったです。以前から神楽には興味があって、動画サイトでいろんなところの神楽を見たりしていたんです。だから、このお話には「はっ!!まさか!」と思いました。私なんかが神楽の振付なんて、恐れ多くて引き受けていいのかもわかりませんでしたが、「やらしてください!!!」って逆にお願いしました!

津田:どのくらいの期間で制作したのですか?

緒方:お話を頂いてから初奉納まで約1年の制作期間でした。実際、座員の人たちとの稽古は3か月くらいしかできませんでした。その座員さんたちは、踊りなんてやったことのない材木屋さんや、学校の先生などで、でもめきめき上手になってくれて、今は私が嫉妬するほど素晴らしい舞を奉納されています。

津田:見たところ、結構な長編ですよね?

緒方:ほぼ2時間あります。私も中盤位に10分くらい出演します。

写真・長野聡史

津田: みなさん、素人さんですよね?

緒方:そう、みんな「右足はどっちだっけー?」(笑)みたいな。でも、だからこそ、すごいいい本当の踊りが出来るんです。これは嫉妬ですね。シンプルに動きだけが体に入っている。だから私がしたい流れ、たとえば床を踏むからこうなる、とか、シンプルにこちらを見てほしい、とお願いすると、それしか知らないからやってくれるわけです。それができるっていうのが嫉妬です。癖がないってこういう事かって。もちろん、みなさん癖はあるんですよ、別の意味の。猫背だったり、首が前にいってるとか、膝が曲がらんとか(笑)。

津田:右足出してくださいって言ったら、みなさん、装飾もせずただ足を出す動きをする。

緒方: そう、専門的なダンスのように、回るときに首をぱっぱって切ったりしない(笑)。そんな動きを知らないわけですから。そのシンプルな動きを見たときに感銘を受けたし、美しいと思った。西洋的な、バレエ的な美しさじゃない、「太陽を見て、ああ美しいな~」って思うがごとく、シンプルに感じた美しさでした。

※動画/知って得する「しっとく嘉麻」でご紹介されています。

津田: 神楽はもともと誰が踊るものなのですか?

緒方: 町の人です。氏子さんという人です。神社は集落に一つあって、神社はそのひとつの集落を守っていて、そこで守られている人を氏子といいます。その村の人たちが、一年の五穀豊穣を祈るので舞っていたものです。

津田:射手引神社で奉納を行ったんでしたよね?神楽を舞うための場所があるんですか?

緒方:神楽殿と呼ばれるところがあるのですが、うちの神社は、拝殿が特に大きく広いのでそこで踊っています。拝殿では以前からも巫女舞や能が奉納されていました。

写真・長野聡史

津田: 今回「踊りに行くぜ!!」で発表する作品『反閇(へんばい)』でも、神楽が取り入れられていますよね?射手引神社に奉納した神楽と、今回発表する作品の神楽では、やはり違うものなのですか?

緒方: もちろん違います。私の作品『反閇』では、宗教色が薄くなっているし、伝承を目的として作っていない、とか、色々な違いがあります。

津田: 射手引神社に奉納した神楽の振付が、今回の『反閇』の中にも出てくるのですか?

緒方:それは出てきません。『反閇』で踊るのは、ダンサーじゃないとダメなんです。私の中では、『反閇』の神楽は、ダンサーを使っているというのが一つのポイントになっていて、逆にそれに振り回されているところもあります。今日のリハーサルでの意見交換で「美しい」と言われてしまったのですが、それは、ダンサーを使っているからかもしれません。

踊りというのは、今自分が思っている事を舞台に乗せて床を踏むこと。(緒方)

津田:緒方さんは『踊りの力を信じている。 踊りで植物が育つ。 私は信じているし、昔の人も知っていた』という言葉に出会って衝撃を受けたと聞きました。

緒方:踊りで植物が育つわけない・・・ですよね。私も思います。「踊りで植物が育つ??」なんてことを、この時代に信じているのは、いかにもオカルト的ですよね。でも、『どこかの国では、本当に雨ごいの踊りで雨が降る』『般若心経を唱えると空気が浄化される』『柏手を打つと空気がクリアになる』とか、本当に昔の人は信じてきた。そうなってきたからこそ残った文化があるのも事実なんです。

目に見えないけれども直接的に作用される、不確かだけれどもでも確かなものがある。そう考えると物質的に人が踊ることのエネルギーの強さは、計り知れない。踊りというのは、今自分が思っている事を舞台に乗せて床を踏む、今自分が持っているものをそこに乗せるという集大成です。そのことが神楽と重なるんです。

今回作品を作りたいと思ったのは、神楽と出会ったからというのが一番にあります。伝承を目的とせず、でも神楽のような、見えないものが立っていくようなことっていいなと。それをダンサーとやりたいってずっと思っていた。自分のやりたい形でやりたいと思っていたことが出来るように、今模索中です。

津田: 稽古の時に面白いなと思ったのは、実は、この作品「反閇」は、客席に向かっていないんですよね。

緒方: そうなんです、客席とは反対側に向かって作っていて、お客さんが作品を通して別のものを見るように作っています。

津田:「作品」というフィルターを通して見えるものは一人一人違うってことですね。

福岡公演〈イムズパフォーミングアーツシリーズ 2016 vol.1〉

2016年3月6日[日]17:00
イムズホール

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