踊りに行くぜ!!

アーティストインタビュー

2015年1月23日
今津雅晴インタビュー[B リージョナルダンス:仙台]

今津雅晴さんの作品「舟」のレジデンス・クリエイションが12月18日から始まり、23日には公演会場の仙台市宮城野区文化センターにて途中経過発表が行われました。その翌日、経過発表を終えて感じていることや創作することなどについてお話しを伺いました。


2014年12月24日
会場:せんだい演劇工房10-BOX box-2
聞き手:千葉里佳(からだとメディア研究室代表)
校正:伊藤み弥(からだとメディア研究室)
撮影:北本麻理(JCDN)

<作品について~家族、喪失感~>

千葉:途中経過発表、おつかれさまでした。終わってみてどうでしたか?

今津:そうですね。自分がやりたかったことと、これから先にやることも含めてですが、「ライン」みたいなものがしっかり出ればよいなあ、と。
それまで稽古でやってきたことはもっとちゃんとしてたのに、(途中経過発表では)ぬるっと出ちゃった、という感じがして…まあ、それは人の眼があったからかもしれないけれど、でも実際公演になったらもっとたくさんの人が来るわけで、それで舞い上がって本当に表現したいものが出なくなってしまうのは困る。しかも何日も練習してきたことが全然違うものになってしまうのは、ちょっと違うなという感じがありました。
だからそのためにこれから先の作業としては「どこへ向かうのか」ということ、作品の流れつく場所をしっかりさせておいた方が良いのかな、と思います。

千葉:昨日観ていて思ったのは、出演者それぞれが今津さんのつくる「舟」という作品の中に乗ることを許されたのに、船長さんから言われたことだけをやっていて、自分でまだ役割を見つけきれていないなあということです。それがすごく歯がゆいと感じました。

今津:そうそう、言われたからやっている感がすごくあった。例えば、ここから向こうへモノを動かすにも「まあこんな感じだっけ?」ってやるんじゃなくて、「この移動が、ポジションが必要だからここへ動かすんだ」という実感が欲しいんですよ。それが感じられなかったのはちょっと残念でしたね。

千葉:そこまでできるようになると作品にも厚みがでてくるような気がしますね。クリエイションの最初の2日間くらい、今津さんは出演者にそれぞれの喪失感ということを聞いてそれを形にするということをしていて、今回の作品では「喪失感」とモノとしての「箱」がポイントになるのかなと思いました。その喪失感と作品に出てくる箱をつないでいるものは何ですか?

今津:箱について言えば、人間が一番最後に入る箱、つまり「棺」というアイデアが最初にありました。自分が震災後に見た写真で一番ショッキングだったのは、遺体があまりにも多すぎて棺が間に合わなくて入れられないという状況で、自衛隊の方がその遺体に対して「申し訳ない」って拝んでいる写真だったんです。僕はあの遺体を一体でも棺に入れてあげたいって思って…なんて言うんだろう、(人生の)ゴール地点さえ取り上げられてしまったという感じがして、すごく寂しかったんですね。
その写真を見たときに感じた喪失感、そしてこのゴール地点さえないということを「もしぼくが死んだ人間だったとしたらどういうふうに思うだろう?」「じゃあ箱と一緒に生きていくってことはどういうことなんだろう?」と考えたところからインスピレーションが湧きました。

千葉:やはり東日本大震災のことがあった。

今津:そうですね、自分がカナダから日本に帰ってくるきっかけが震災のことだったので。

千葉:以前、今津さんが言った「生まれる前は母親のお腹の中に、生まれてベビーベッドの中に入れられて、その後も家の中に、学校の中に、会社の中に…というふうに、私たちはどこに行っても箱の中にいる」という話がとても印象的でした。その発想が私にはなかったから。そして、死んだときも棺に入る。私たちはずっと箱の中にいるんですかね?

今津:それだけじゃなく、箱を「扱う」存在になっていくと思うんですよ。例えば、家を建てたりとかね、成長していずれ箱を扱う存在にはなっていく。箱を扱って、いろいろな仕事をしたりすることで、浮き出てくるものが「生きる」ってことだと思うんです…って分かりづらいかぁ(笑)。だから「箱」を見せたいわけじゃないんだよなあ。

千葉:その発想のきっかけは何ですか?

今津:やっぱり、箱を設定したときに「その中に入ったら動けない」って思ったからです。 狭い、密封された箱の中で動きを生み出すのは難しいなと思いましたし、やっぱり抑圧されている感じがすごくありましたね。そして、「あ、ここから出たら動きが生まれるんだ」とも思った。
今ふと思い出したんですけど、小学生のときに親父がベニヤ板で乗れる車を作ってくれたんですよ。自分の足を出して漕いで動かせる、車輪のついてるやつね。あのときに自分の中で、箱の中にいることが「落ち着くなあ」って思ったんですよ。でも、同時に「ずっと箱の中にいることはできないんだな」って思ったのは実感としてあります。その中でずっと生活することはできないし、それで移動することもできない。小学3年生ぐらいのとき。
親父が作ってくれた箱ということで、すごく覚えてますね。

千葉:今津さんは子供の頃にお父様をなくされたと伺いました。ご自身の体験として、そういう喪失感とか「何か欠けている」という感覚が、作品創作だとか何かにつながったことはありますか。

今津:そうですね。親父を亡くしたことが逆に自分自身を強くしたと思います。確かに10歳のときに親父が亡くなったということはすごい喪失感ではあった、だから余計に「父親がいる人には絶対に負けないぞ」ってすごく思いました。もしかしたらその喪失感がバネになっているところはあるのかもしれない。

ちば:踊っているときの今津さんのエネルギー源になっているのが喪失感だったりする感じですか。

今津:うん。それはすごくあります。踊り始めたのは高校を卒業してからなんですけれども、踊っているうちに思ったのが、親父って37歳で死んでいるんですけど、その「生ききれなかった分」をもらったからその分生きよう、その分動こうって思っているところはあるのかもしれないですね。失ったモノがあって、からだの中に空白があるから、それを埋めようっていう気持ちはあると思います。

千葉:ご自分がお父さんの年齢を超えたときってどんな感覚になるんですか。

今津:ああ…なんかねえ、わからないんです。親父が死んだのが37歳で、その後祖父が面倒を見てくれんですね。だから、働き盛りの男っていうのがわからなくて。

千葉:あ、そうか!

今津:そう。だから、理想的な働き盛りの男の姿を自分でつくっているところがある。麿赤児さんか誰かもそんなことを言っていた気がしますけど。でも、その気持ちわかるなあ、とか思ってて。

千葉:2つの喪失がありますね。お父さんを亡くしたことと、その「世代」の欠落と。

今津:そうそう。それはすごくある。だから、喪失感って埋まるものじゃない、何かで埋めようとしても埋められないものなんじゃないかって、ちょっと諦めの気持ちもありますけど…それが今回の作品を生むきっかけにもなっていますね。

千葉:今回の作品アイディアは、Bプログラムに応募するにあたって湧いてきたものなんですか。

今津:そうですね。(先に述べた)写真を作品にしたいなとは思っていましたけども、モントリオールから帰ってきたときは、それがまだリアルすぎて、扱えないと言うか、思い出すのも寒気がすると言うか、そんな感覚がすごくあって。それが震災から何年か経って、ようやく冷静に見れるかな、と思えるようになった。
箱と言えば、以前、ブリュッセルでシディ・ラルビが箱を扱った作品の現場に立ち会ったりしたこともあったんですけど、そのときはただの箱としか見れなかったんです。でも、今自分たちがこうやって箱を扱うやり方は、舟だったり、バスタブだったり、こたつだったり、と日常生活に密着している。それはたぶん、出演者とワークしたときに「家族」ということをすごく思ったからだと思います。みんながこれまで失ったものやこれから望むものになぜか家族みたいなものが多かったから、余計にこの箱がそういう存在になっているところはあるなあ、って気がしました。

千葉:「将来なりたい自分はどんなものですか?」って聞いてましたね。

今津:はい、みんなのいろいろな意見を聞いていて、いろんなことを通してみたときに、一番ちいさな「世界」は家族なんだな、と思いました。それが最初にあって、それが投影されて社会になっていくんだな、とこの数日のクリエイションを通して実感したところです。
失ったモノとか、欲しいモノってなると、それ(家族)が出てくるのがすごいなあって思って。

千葉:確かにそうですね。日常生活では忘れていたり、昔のいかにも良き家族像のようなものも崩壊しているのに、結局はそういうところに拠りどころを求めている感じがおもしろいですね。

<仙台で作品をつくるということ>


今津:でも、どうなんだろう…東京でこんな作品をつくったことはないけども、そこに東北だとか、仙台だとかそういう感じがする。それで、僕が思う「仙台」っていうのは、つまり彼らを通して見ている仙台なの。

千葉:じゃあ、それを何かに例えるとしたら?

今津:なんだろう…雪、かなあ。やっぱり雪が違う。

千葉:雪が違う?

今津:モントリオールの雪ってさらさらと風で飛ぶような粉雪なんだけど、仙台の雪ってびしゃびしゃしてますよね、湿っぽくて。湿気を含んだじとじとした雪って以前は嫌いだったんだけど、今はちょっと良いなあって思う。まあもちろん、モントリオールの雪の良さもあるんですけど、湿っぽい雪も「外は寒くても中は温かい」というところに繋がっているような気もします。

千葉:作品の中にクリエイションする土地の何かしらが反映されると思いますか?

今津:思いますね。ほかの土地でやってないから何とも言えないけれど、仙台らしさは出ていると思う。
あ、そう言えば、村本すみれさんの「ツグミ」(「踊Ⅱ」vol.3仙台公演のBプログラム)の中で使った樹を使いたいってすごく思ってて、すみれさんに聞いたら「たぶんこけし工場に行って、こけしになっちゃったよ」って話ですごくがっかりしたんですけど、前年の作品に使った一つのものを共有していくのっておもしろいんじゃないかって思ったんですよ。

千葉:なるほど。今度そういうお題にしてみようかな、Bプログラム。「次はこの箱をテーマにつくってください」みたいな(笑)

今津:それと、昨日の発表を見た磯島未来さん(「踊Ⅱ」vol.2仙台公演のBプログラムアーティスト)が「みんな自分のクセで踊っている」って言ったのね。そう言われても、僕は今までの彼らの踊りを見ていないから何とも言えないなあとも思ったんだけど、でもそれはダンサー自体がこの土地の素材としてずっと在るっていうこととも言える。じゃあどういうふうにお題を出していくべきなのかと。磯島さんのそういう感想を聞いたときに、ダンサーたちに「じゃあ違う踊りを頼みまっせ~!」と思ったけど、でも正直、彼らが出来ることの180%出せるとは思えないんですよ。自分も含めてですけど、超人になれるわけではない。
でも、あと10%、20%っていうふうに少しずつでも大きくしていきたいし、それが彼らが少し変わるきっかけになると良いなと思ってます。

千葉:Bプログラムの出演者は「自分を変えてもらいたい、今まで出会ったことのない自分と出会いたい」という期待があり、アーティストは創りたい作品があって未知の土地へ乗り込んでくる。そこに一種「折り合いをつける」ことがBプログラムの難しさだと思うのですが、その辺はいかがですか?

今津:そうですね。これからめちゃめちゃ稽古やって「さあフォーサイスの動きやってくれ」って言ったって出来ないですからねえ(笑)。でも、結局のところ、自分を変えていくのは自分だと思うんですよ。

千葉:私もそう思うんです。

今津:昨日、MILLA(リハーサル・ディレクター)も言ってたけど、結局、自分を変えていくのは自分であって、「あ、ここが違うな」って思ったところを各自が掘っていくしかないと思うんですよ。だから、その作業をどの程度できるかがすごく大事になってくるし、稽古中にみんなに出したお題にしてもそうだけど、もっともっと掘り下げてって欲しいし。もともとクリエイションの時間が少ないですから、それを発破かけていかなくちゃいけない。

千葉:確かに、時間が限られているということをどのくらいみんなが理解しているか、心配に思うことはありますね。
ところで、オーディションのときに「箱に入れたいもの」をみんなに持ってきてもらいましたが、今津さんだったら何を入れたいですか。

今津:僕だったら「石」かな…親父が死んでお墓を建てるところにあった石ころがあって、それがすごいまんまるだったんですよ。「ああ、いろんなところを転がってまんまるになったんだね」って話をして。それ、今も実家に大事に取ってあるんですけど、それを入れたいかなあ。あれだったら、燃え残るだろうし。

千葉:「残る」ことに意味があるんですか。

今津:んー、なんか残していきたいなっていう気持ちはあります。

千葉:「自分が居た」という証拠みたいなことですか。

今津:そうです。それが残って欲しいんです。でも、目立たなくてもいい。ひっそりと、「なんだこの石?」みたいに。

千葉:まだ創作過程ですけど、仙台で制作しているこの作品が今津さんにどんな意味を持つ、または持つだろうと思いますか?

今津:僕がいつも振付しているのが、ダンサーだったり、普段からだを動かしている人ばっかりだったんですよ。でも、今回思い切って、ダンサーを生業としていない人たちを選んだ。ダンスって踊れる人だけのものではないし、技術だけではない。出し方だったり、どこまで自分自身と向き合っていけるかっていうことが、元になっているような気がします。
で、みんながクリエイションしているときの、例えば箱の扱い方とか見ていて、「あ、俺こういう動かし方は嫌いだわ」とか思っていることに気づいたりしていて、今まで気付かなかった自分に出会っている感じがしているんですよ。

千葉:ほう。今津さんご自身が作品を通して新しい自分と出会っているんですね。

ある日あるとき、震災というあまりに非日常的な、未曽有の出来事が起きた。
日常にある怒り、嘆き、悲しみ、埋められないなにかをバネにして作家は作品をつくっている。どちらも日常から繋がっているところにあるのに、震災のことも、作品をつくるということも、どこか日常からちょっと離れたところにあるものとして見られている気がする。今津さんと話をしてふと、そんなことを思った。
箱を扱う人たちの姿は、日常生活そのものだと今津さんは言う。箱の中で生きる私たち。最後に入る箱は「棺」。私たちの日常は死と共にある。抗えない現実。それを受け容れつつ、生きる!ということを今津さん、出演者はどのように捉え、観客に投げかけるのか。
本番までのクリエイションを見守っていきたい。
(千葉里佳)

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