テキスト:國府田典明

村山華子さんは、踊りに行くぜセカンドのVol.1のアーティストである。私もこの回では出演した立場である。飯名とともに話を聞き、通しリハも拝見してきた。

2011年の公演時とは、作品との距離感があるという。出演するメンバーそれぞれの価値観も変わってきていると感じているらしい。自分はディレクターのつもりで今回取り組む、仕事をするような気持ちだという。

村山さんは、数年前にデザイナーとして仕事をしていた時期に体調を崩した。その回復期に体調の改善を図る事も含めてダンスを始めたという経緯がある。その流れの中で踊りに行くぜに応募した。彼女にとってダンスをする理由は実利的な側面もある。応募当時に比べれば体の調子は改善していて、思いや人生観も変わっているから、作品が過去のものに感じる、という事は想像できる。

通しリハを拝見した。映像で使用している出演者の顔つきと、目の前の顔に差を感じた。微妙な差でも顔は感じるものだなと。(老けたという事ではない、一応。)

実演を見るのは2年半ぶり。30分という時間は舞台として短いが、ほどよい満足感があった。30分完結の作品は、どのようないわば興行ができるだろうか?

この作品の意味内容やテイストは、子供向けに活きると思う。村山さんは美術も手がけるから、彼女ができる事を詰め込んだポートフォリオのような作品でもある。舞台作品の展示会のような機会を利用するのもありなのかもしれない。今回は、札幌公演だが、鳥取・鳥の劇場のような、特に地域の顔が見える劇場にも向いていると思う。制作段階での貢献が大きかったという、和歌山の上富田でも季節的なプログラムとして上演できないものか。

『カレイなる家族の食卓』は、「パッケージ」タイプの作品構成である。詳細な台本があるようなつくり。内容も作者から独立して社会に出ている感じがする。だから、作家自身が作品から”気持ちが離れても”作品が自立しそうだ。作品を客観視できた時、その再演出も考えられるだろう。どれだけ時間をかけられるかによるが、遊びも利く状態なのではないだろうか。

VOL.1当時は完成させるのに必死だったが、今となっては、少し引いて見られる状況だと思う。作品がよりどういう価値を持っていけるのか、社会の中での立ち位置など、そのディレクター視点で検討される事を期待。作品が成長していく事こそが、踊りに行くぜセカンドの本質だと思う。