今年11月に鳥取市鹿野町・鳥の劇場でおこなわれたAプログラム黒沢美香作品のダンス・イン・レジデンス。その時チームに“目撃隊”として同行した大崎晃伸さんが、『ミカヅキ会議』の稽古についてレポートを寄稿してくれました。前編・後編にわけてご紹介します。

―鳥取レジデンスのとき、ミカヅキ会議はどのような段階にあったか?―

11月16日から23日まで、鳥の劇場で行われたミカヅキ会議の稽古合宿の初日から第3日目までに同行、稽古の見学をさせていただいた。そのとき、ミカヅキ会議は発表までの作品作りのプロセスのなかで、どのあたりの位置にあったのだろうか。今年の5月ごろから、メンバーの勤務地である日吉や綱島にある黒沢氏の稽古場に月一回集まって、身体を動かしていたという。しかしこの時点では「踊りに行くぜ!!」への出演も決定していなかったため、あてどのない稽古であった。夏に、「踊りに行くぜ!!」への出演が決まり、稽古を積み重ねてきた。

作品作りのプロセスの初めの段階で、彼らは、振付のもっとも小さく短い単位となる動きの部品のようなものをたくさん作った。その部品自体は、彼らによれば、「テキトーに作られた」ということである。(それらには「ヤング武藤」「壁」「雨あがりステップ」「円卓」などの名前がつけられている。このレジデンス中に新たに生み出され、名付けられた動きもあった。黒沢氏はそれらの動きを付せんに書きとめ、貼りつけて整理した下敷きを持参されており、それを見ながら振付の作業を進めていた。)

それらを大元の材料にして、そこからその先の動きを探り、継ぎ足し、少しずつ部品を長くしていく、という作業をしてきたようだ。私が鳥取の合宿に参加したときには、数分間の連続した踊りのピースがいくつかできている状況であり、そのピースのひとつひとつにさらに振付を継ぎ足して長くし、洗練させ、そしてピースをつなげ合わせていく段階にあったようだった。私は見ることができなかったのだが、レジデンス最終日前日の11月22日には、JCDN水野氏や鳥の劇場の劇団員のみなさんを前にしたショーイングが行なわれ、30分の作品を発表することができたということである。
 
では、鳥取の合宿で行なわれた振付の作業は、具体的にはどのようなものだったのか。「作業のときに重視されたこと」と「作業の進められ方」を軸に振り返ってみたい。

―動きの理由―

私がミカヅキ会議の稽古のあいだで、いちばん耳に残っている黒沢氏の言葉が「理由」という言葉である。「武藤さんの身体が、前に行く理由が見つけられない」「いいですよ、理由が見えました」という風に、たびたび「理由」について彼女は言った。今ダンサーが目の前でやった動きに対して、OKを出す基準が「身体の動きに理由が見えること」のようだった。そして「理由が見えること」は、動きの形やタイミングが合うことよりも重要なことであり、より根本的に守られるべき基準であるように思えた。

 「理由が見える」とはどういうことなのだろうか。先に抽象的にまとめていうと、その動きの全体を支配している力、あるいは動機のようなものが、動きを通じて見えてくるということかもしれない。しかし、ここでは具体例をあげて考えてみたい。

 合宿2日目、横山氏のソロの部分を作っているときのことだった。黒沢氏は、「背中にかぎ型につけた右手が、左にひっぱられその力で身体全体が回転するような動き」を横山氏に自ら動いて提案した。横山氏は動きを試したが、回転の方向の違いや動きのゆがみを指摘されていた。足の運びもうまくいかなかったし、最終的に到達する足の場所も黒沢氏のそれとは違っていた。しかし何度も訂正された後にOKが出される。そのとき横山氏は「手にひっぱられるってことなんですね」と気づきを口にし、「そう、それが理由だから」と黒沢氏は言った。

「手にひっぱられる」身体であったとき、たしかに横山氏の動きはスムーズであり、黒沢氏がやった導線と同じ動きをたどっていた。それ以前の横山氏は、自分から回転していたのである。そうではなく、手の動きが先にあり、その力にひっぱられて体幹が動き出し、回転する。この場合は、手の動きがそれ以降の動きの理由になっている、ということだろう。黒沢氏は「それ(手)に連れていってもらう」という言い方もしていた。ある力が働き、ある動きが身体に始まったならば、ただ漫然と動いたり、自分から動いたりするのではなく、その動き、力に乗っていくということなのだと思う。そのとき、「理由が見える」動き・身体になっているのではないか。

しかし、始まった動きに従い、力に乗っていくという流れには、いつか終わりが来る。動きや引力はいつまでも続くものではないからだ。このことを黒沢氏は、「死」という言葉で表現していた。再び横山氏のソロ部分の稽古を例に説明したい。黒沢氏は横山氏に「両手を平行に、右ななめ上に上げていきながら、その両手に身体全体がついていって回転するような動き」を求めた。つづいて横山氏が実践した動きは、「両腕を上げてクルクルと回転するような動き」であったり、車のワイパーが移動するときのような動きだったりした。黒沢氏は、「ただ回るのではなくて、雑巾がけをするときの両手であるようにやる。それが理由で進んでいく」と解説した。そのとき黒沢氏が再度やった動きは、円柱の中心に立っている人が、回転しながらその円柱の内側を雑巾がけしていくような動きに見えた。

「(両手の動きをやりながら)これで死んじゃうと思いますよ。いつまでも回れるものではない。死んじゃうというのは、こうやって押してる感触ってどこかで消えるから。消えたら消えたでいい」と、黒沢氏は言った。廊下を雑巾がけするときのように、両手がななめ上の空間を押していく。その押していく力が動き全体の理由となり、その手と腕に連れていかれた身体が進んでいく。しかし、押している感触はいつか消える。現実でも、いつまでも続く雑巾がけというのはない。広げられていた両手は力が抜けて、腕以下の動きもそこで止まる。

黒沢氏はこうも言った。「この引っぱるの(動き)は死んじゃうから、いつまでもやってるのは不自然なんですよ。嘘だし。死んじゃうところで殺しちゃってください。」なにやら穏やかではない言葉だが、黒沢氏の考え方がとてもよく伝わる言葉だと思う。身体を動かす力に乗っていくのはよいけれど、力が収束したら、身体もそれに従わないといけない。動きに理由がなくなっているのに、惰性的に動きが続いていくのは嘘なのだ。

ここまでをまとめてみたい。ある地点で、身体を動かす理由となる力が生まれる。そのきっかけはふとした拍子かもしれないし、ひとつ前の動きのなかに力を生み出す原因が含まれていたのかもしれない。いずれにせよ、生まれた力は必ず死ぬ。身体は、力が死んだという事実に従う。しかし、こちらの都合で勝手に殺してはいけない。自然に死ぬまでは生きさせる。そのように動いたとき、身体が動く理由が見えるのではないか。

「理由」について、もうひとつ付け加えておきたい。前野・武藤・横山の3人が横一列に並び、平行した直線状を前後に行ったり来たり歩く場面を稽古しているときだった。直線の端まで行ったときに片方の足に体重をかける。もう片方の足は浮いている。今度はその浮いた足のほうに体重が移っていき、身体の重みで前進あるいは後退する。足に体重が移ることが、この動きの理由になっているのだろう。このとき、前野氏の動きは、ほかの2人の動きとは異なり、つんのめりになって耐えきれず前に飛び出していくような動きになっていた。

「この前野さんのやり方は独自ですよ。でも嘘っぽくないなあ。二人にはないやり方なんですよ。でもたしかに引っぱられている感じがする。理由が同じなんですよ。理由が同じで形が違うっていうのはおもしろいですね。」それぞれのダンサーで出てくる動きの外形は違っていても、動きの理由が同じなのが見て取れれば、この場面はそれでOKなのだ。黒沢氏は、振付が形としてそろうこととは、別の次元の基準を持っているのだと思う。それが「理由」なのだ。

はじめ、私にはこの「理由が見える」ということがどういうことなのかまったくわからなかった。黒沢氏が「今のは理由が見えませんでした」「今度は理由が見えました」と言っても、その2つの動きの違いがわからなかった。稽古が終ったあと、どうして動きの違いを見分けられるのかが気になり、「黒沢さんは何度も同じ動きを見ていらっしゃるのに、毎回毎回新鮮な目で動きを見られるものですか? 私には難しかったです」と質問した。同行されていた首くくり栲象氏が、「それは大崎君がこの作品を作っているからではなくて、黒沢美香が作っているからなんだよ」と言われた。あとから、そうかと思った。基準は私の中にあるのではなく、黒沢氏の中にあるのだ。

筆: 大崎晃伸
≪後編につづく≫