11月22日まで約1週間、Aプログラム黒沢美香「渚の風<聞こえる編>」のダンス・イン・レジデンスを鳥の劇場で行った。その最終日、途中経過発表を行った後、劇場が開いていただいた交流会開始前のほんの20分足らずの時間、黒沢さんにお話しを伺った。このあと3月の公演まで何回か続けていく予定です。
<2013/11/22 鳥の劇場にて 聞き手・テープ起こし・編集:水野立子>

>>ミカヅキ会議と黒沢さんの出会い

― 黒沢さんにとってミカヅキ会議の一番、魅力的なところはどういうところなのか、お聞きしたいです。というのは、黒沢さんはいままで、美香&ダンサーズなど、たくさんのダンサーのからだと出会ってきていらっしゃると思いますが、その中でもこのミカヅキ会議の皆さんとは、もう4年ほど継続されているのはどうしてなんでしょうか?

なんかね、活発なんですよ。特別なのかもしれないです。彼らはフットワーク軽く、いろんなことをどんどんやるんですよ、巾広く調査したり研究したり。学生さんは、毎日、学びいろいろなことを教えてもらっているでしょ。でも、意外に学生より先生たちのほうが、活発で果敢な体の動きや、興味の対象が柔軟なんだなと、感じたんです。それで、学生さんではなく、先生の群舞をつくりたいな、とずっと思いえが描いていたんです。

―彼らのからだの素晴らしいところを引き出したい、皆にみせたいという気持ちがずっとあった、ということなんでしょうか?

そうです、あります。ダンサーがダンスを踊るダンスではなくて、ダンスの間口をいろんな角度にもっていきたいと思うんです。ダンスというものは、いじめられて、鍛えられて、ゆさぶったりして強くなっていくと思うんです。そのためには、いろんな人のからだが、踊ろうとする機会を持ちたいと思うんです。私自身は、超ダンスが上手い人、ダンスをビシバシやっていました、というのも素敵だなと思うけれども、よじれているもの、歪んでいるものに惹かれるんですね。20代の時から、ダンスをしていない人のからだというのが、好きなんです。初めて自分の公演を持った時が、20代でしたが、その時からダンサーじゃない人を多く入れていたんですよ。

―アメリカに行かれて、帰ってきたあとですか?

そうです。ダンスをやったことがない人の未知なからだというか、肘がどちらに向くかわからないという、そういう人のからだが動こうとするときの唯一感というのかな、そういうことに惹かれます。

>>ダンスはダンサーのものとはかぎらない。生贄になるからだ。

―そうすると、その経験がない人たちが、だんだん動けるように、スムーズになってしまったら、どうするんですか?

それが、なかなかそう簡単にはならないみたいですね。

―そうですか、まあそうですね。1週間に1回じゃ難しいですね。

いえいえ、私たちは月に1回なんですよ。だからかもしれないですが、ならないんです。

―なるほど、そう簡単じゃないですね。演出家として、一般的な概念でいう、いわゆる踊れるダンスじゃないミカヅキ会議のダンスをどう見せたいか、というところと、ダンサーである彼ら自身の意識は同じなんでしょうか?

ダンスがダンサーのものではないというのが、まずひとつあります。誰のからだにもダンスが起こるという事をみてもらいたい、というのがあります。だから、それのために、なんというんですか、火あぶりじゃなくて、なんでしたっけ・・・(笑) 生贄。

―捧げるということですか?

いえいえ、捧げないんですけどね。これいっちゃうと誤解が出るけど「犠牲。」ダンスのために、ダンサーが踊らなくたって、ダンスというものは成り立つんだ、という問い。ダンスはいったい、どこに立ちあがってくるんだろう、誰に立ちあがってくるんだろう、という問いを彼らが引き受けることになります。

―それは彼らとの共通認識なんですか?

そういう話はしてないですが、でも、ミカヅキ会議だって、ダンサーには負けたくない、っていうのがあるんじゃないですか?いまさら上手くならないですよ。でも、上手いか、下手かがダンサーの価値じゃないから。

―彼らの何をみせたいのか、という意識はどこに持っているのだろうというのに興味があります。美香さんがもちろん、お持ちなのは、わかるのですが、彼らにはどういう考えがあるのだろうか、という問いです。

ひとつには、身体表現に対する興奮があるんじゃないですか。機械で代わりにすごいことができるわけじゃなく、等身大でしかないじゃないですかダンスは。特に前野さんはロボット研究の第一人者だから。でもいまはダンスは自分の関節でやるしかないわけだから、その手ごたえ、手触りの興奮があるんだと思いますよ。だから、誰からもまたやってください、と求められているわけじゃないのに、続けることができたし、関係が続いているんだと思います。
いつか誰かにほかの人に目撃してもらえるという、淡い期待を持っていました。

>>自分たちのダンスは”売り物”になるのか?

―ミカヅキ会議の皆さんは、普段は大学の教授として教鞭をとっている職業をお持ちだから、今回、自分たちの知らない土地での公演に出演するというのは、初めての経験だと思うのですが、自分たちのダンスが“売り物”になるということの意識、お客さんがチケットを買って見に来るということについては、どう思っているのでしょうか?

むしろそのことは敏感だと思いますよ。常に講演やワークショップを行っているわけだから、お客さんがその時間をつくってくれたこと自体が貴重なわけで、プラスお金を払って見にきてくれるということは、ダンサーより強い自覚がある。

ー なるほど。皆さんが自分たちのダンスのどこが売り物になる、と自分で思っているのかに興味があります。黒沢美香まかせじゃ成立しないですからね。

もちろんです。それだとダンスが立たないから、そんなんでは。

―黒沢美香さんの思惑と、本人自身がどう向き合うのかという、その構造に興味があります。先ほどおっしゃった
こぼれたダンス、ゆがんだダンスのカヅキ会議がおもしろいというのはわかるけど、ダンサーが自覚的にやらないとたぶんと成立しないところがあるのでは?そこの関係性はどうなっているのでしょうか?

何もかも一致していると思わないですし、話したこともないですが、むしろ、ダンサーより上手く踊ろうと思っていると思います。ダンスが上手いとか下手とかいう物差をひっくり返したいという、そうという気持ちがあると思います。

―これがダンスなんだ、という意識があるということですか?

そうですね。そういう意識がきっとあるはずですよ。

―なるほど、わかりました。皆さんと話してみたいと思います。

是非、聞いてみてください!