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【仙台Bプログラム:北村成美】対談 ① 小岩秀太郎 × 北村成美
2017年01月07日

【仙台Bプログラム:北村成美】対談 ①


郷土芸能とコンテンポラリーダンス。
異なる角度から「踊り」に向き合う。

対談 小岩秀太郎 × 北村成美

《なにわのコリオグラファー・しげやん》こと北村成美がみちのく仙台にやって来るからには、《東北》をもって迎え撃つのが正しい歓待のあり方だろうと思われた。彼女はJCDN主催「三陸国際芸術祭2016」への参加を経ていっそう東北に心惹かれていたし、東北の人との出逢いを求めていたからだ。
からだとメディア研究室はそんな北村氏と東北の“これぞ!”という人物との出逢いを企んだ。
その白羽の矢を受けたのは小岩秀太郎氏。郷土芸能の魅力を伝えるべく日本全国のみならず欧米、アジアと縦横無尽に飛び回り、自身も鹿踊(ししおどり)の継承者として八面六臂の活躍ぶりが目覚ましい岩手出身の好漢である。
郷土芸能とコンテンポラリーダンス。異なる角度から「踊り」に向き合う二人が出逢い、はたしてどんな化学変化が起きるのか。話を聞いた。

小岩秀太郎(こいわ しゅうたろう)
岩手県一関市舞川地区出身。東京を拠点に全国の芸能のネットワーク作りを行う。震災後は被災地の郷土芸能の復興支援にも取り組む。公益社団法人全日本郷土芸能協会職員。舞川鹿子躍保存会会員。東京鹿踊代表。縦糸横糸合同会社代表。北村成美とは2016年「三陸国際芸術祭」で出会う。

聞き手 伊藤みや(からだとメディア研究室)
対談撮影 千田優太(アーツグラウンド東北)

恐怖と異形のダンス
初めて獅子舞を見たときの感覚

小岩秀太郎 (以下、小岩):
(鹿踊の頭を見せながら)東北には山伏修験という信仰があって、山駆けして精進潔斎して自分を高めることが世の中も良くしていくと信じていた人たちがいました。その山伏修験の人たちは神仏習合、つまり神様と仏様を一心同体のものと考えていたんですね。でも、神様や仏様はそこに姿を現すものではなくて、目に見えない存在だったから、見える存在にするために獅子舞をつかいました。東北の獅子は顔が黒く、目も歯も金色をしている。それを権現様(ごんげんさま)と呼んでいます。「権」は仮という意味で、「現」は現れるという意味です。権現様は山伏が信仰し、また民衆に教えようとしている最高神を表すものになった。鹿踊はその威力を借りようとこういう権現様っぽい形になっていたのではないかと思われます。その後、いろんな意味付けをされて、装束が派手に豪華になっていって、人びとに「ああやっぱり凄いものなんだ」と思わせるようになったんじゃないかと思います。形になって見えると人は「ああそういうものなんだ」と納得できますから。

北村成美(以下、しげ):
伝統ってそうやって作られていくものなんですかね。

小岩:
僕は伝統のことを考えたことがなかった。形に残っているから「ああこういうもんか」と思ってやっていました。うちの鹿踊は300年くらいの歴史がありますが、古いものは1600年代からと言われているものもある。巻物に描かれているものを見ると、今の形とはちがうものだったみたいです。

− 今回、作品をつくるキーワードに「異形」や「恐怖」があるそうですね。

しげ:
インドネシアの小さい村のダンススタジオで二週間ぐらい滞在制作をしたんです。向こうはイスラム教の国やから、朝の5時前に全国的にお祈りの放送が掛かるんですよ、まだ真っ暗なうちから。それでみんな起きて活動してて、例えばお医者さんとか文房具屋さんが、5時とか6時にやってるんですよ。
自分もその放送で起こしてもらえるから朝5時ぐらいから1時間ぐらい歩いて、プールが開いている時は泳いで帰ってくるんです。もともと日課で朝ごはんたべる前に自分のトレーニングをするんですね。で、その習慣をそのままインドネシアに持ち込んだときに、いろんなものに出くわすんですよ。
まずその朝のコーランの放送でみんなお祈りするわけです。滞在していた家にもお祈りする場所があるんですけど、朝、顔を洗いに行こうと思って通りかかったら、そこに装束つけたその家の奥さん居る。でも、音も何の気配もしないんですよ。一瞬まったくの他人に見えたんですよ、「知らん人が家に居る!」みたいな感じで。立ったり座ったりして一通りお祈りしはるんやけど、一切しゃべらんし余計な物音も立てずにやるから、いないんじゃないかと思うんやけどそこに居はって、そのことに「はっ!」となるんやけど声も掛けられへんし、顔も見てないからその人が本当にその家の奥さんかどうかはいまだにわからない。もしかしたらあれは隣の奥さんかもしれん…ぐらいな雰囲気で。
で、顔洗ってウォーキング行こうと思ったら、舗装されてない道、ケモノ道みたいのが続いてて、薄暗くて霧がかかってる。そこへ何か生き物が「さささささっ」てやって来るんですよ。それが黒い鶏で。鶏は日本でも見たことありますけど、向こうの鶏はトサカまで真っ黒なんですよほんとに。一瞬何が来たかわからんぐらい。そのさっきのお祈りしてる誰かわからん人と同じぐらいの近さと急に居る感じがね、コワいんですよ。クロネコが通るとかの比じゃないんですよ。まず鶏と認識できない。で、けっこうな数が居るんですよ。最初に出会うのは2、3羽なんですけど、気づいたらそこらじゅういっぱい居てる。「こ、ここウォーキング行くの!?」って躊躇するくらいの肝試し感があって。鶏は家畜として飼うてはるんですけど、檻も何もないから村全体で野放し状態。でも不思議なのは、「この鶏はうちのだ」ってみんなわかってるんですよ。で、毎日同じコース歩いてるとさすがに鶏にも慣れてきて、2週間もいるとね、雛が孵ったとか、その雛がだいぶ歩くようになったとか、成長とかも見えるんですよ(笑)。すごい面白くて。でも猫もおるねん。犬もおるねん。なんかもう全部おるんやけど、共存してるんですよ。それぞれ成り立ってるんですよ。
そこの村では全く普通のことなんやけど、よそから来た私にとってはすべてが異形のものに見える。でも、私自身がその村にとっては異形のものなんですよ。だから、私が毎朝歩いているのをみんな不思議そうな目で見るのは、私が鶏と出くわしてるのとまったく同じ感覚なんですよ、きっと。はてさて、どっちが異形のものなのか。回りまわれば私が異形のもので、それが日常の中にあるっていうことを感じたんです。
ほんで、プールに行ったんですよ。フツーに水着をきて。で、更衣室のドアを開けたらそこにいた全員がざっ!と引いたんですよ。「なんでやろ?」と思いながらも、フツーに泳いでた。そこに女の子が何人か来たんですけど、そしたら全員、服着てんはんねん。肌見せたらあかんかったの。なんなら黒いチャドルみたいなのかぶって、ジャージみたいのを着て泳いでた。で、それを見たときに「あ!あかんことをしたんや!」と気づいて、プールから出るに出られへんようになってしもうて。で、人が引くのを待って、ばっと上がってばっと着替えたんですけど、それこそ異形ですよね。次の日からはちゃんとTシャツ着て短パン穿いて行きました。

小岩:
どういうふうに思うんでしょうね。全くちがう変な生き物みたいに思うのかな?

しげ:
その違う生き物が「同じプールに入っているなんて!」という雰囲気もあったんですよ。だから「す、すみません…」みたいな感じになって。

− 異形と言えば、鹿踊の造形もかなりの異形ぶりですね。

小岩:
脅かされたりはしないけど、僕は見守られ感があるね。あと、人間として常にプレッシャー掛けられている感じがある。

しげ:
子どもの時、初めて獅子舞を見たときの感覚って憶えていて、コワいとか言うよりなんか固まる感じがあったんです。で、鹿踊を見たときもその感じがあって。鹿踊を初めて見たのは新長田(*)やったんですけど、あの周辺っていかついジャージ着たやんちゃな人が多いんですけどね、でも鹿踊が来たらしゅっ、て黙るんですよ。それ見て「みんな日本人やなあ」って思いました。

小岩:
そう、「この前では一応襟を正そうかな」って感じがある。慣れてきてもそんな気持ちになる。

(*)2012年6月10日、国立民族学博物館主催「みんぱく研究公演」にて岩手県大船渡市の仰山流笹崎鹿踊保存会が神戸市長田区の若松公園鉄人28号広場で演舞を披露した。

− 恐怖や異形という感覚をダンス作品にしようという理由は?

しげ:
あのねえ…これはたぶん子どもの時からの感覚なんですけど、「獅子舞のあの中はどうなってんのやろ」みたいな、「怖いけど見たい」みたいな感覚があるんですよ。すごい魅了されるじゃないですか。ぴっと体が固まるんやけど、同時にすごく入って行きたい感じと言うか、怪しさ、あやかし感と言うか、「気がついたらついて行ってる」みたいな感じ。なんかね、ダンスってそういうところがあると思うんですよ。私がやりたいのはどちらかと言うとそっち側と言うか、なんかそういう「その深みにはまってみたい」みたいな感じ。だから、いつまででも踊り続けられるという「禁断の仕掛け」みたいなことをすごく作りたい。だからそのために黒い鶏というものを、それこそ「借りる」、その形を借りてダンスの坩堝に入って行きたいという気持ちがあって。

− 踊っている最中はどんな感じなんですか?

小岩:
僕は、踊りを踊ろうとすることは恥ずかしいんですよ。装束をかぶっていれば平気ですけど、装束をつけないで「じゃあそこでやってみて」と言われたら恥ずかしい。つまり踊りたいという欲求とか視点じゃないんですよ。装束を脱いだらやらないし、やれない。たぶん僕だけじゃないと思いますけど、自分をさらけ出した「表現」というものを民俗芸能の人がやれるかと言うと、そうじゃないなという気がしています。で、例えば神楽をやっている人たちが踊るのは、「自分がこうやっている」という感覚ではなくて、一つの手の振りがあって次にこういう動きになっていくという「流れ」をやることが目的なんだと思う。だから、あまり自分を出したくないという人が多いかなという気がする。

踊りの個性
その人が見えない踊り

− そうすると、芸能において「個性」とはどのように扱われているのでしょう。

小岩:
「この部分では個性を出していいよ」という機会を与えてくれるんです。例えば最初の踊りは全員で踊って、儀式的に場を清めて見ている人たちをいったん落ち着かせる。その後に、たたかう踊りなど物語性のある演目は個性を出していいことになっている。で、最後に締める踊りはまた全員でやる。そういう三段構成の踊りが多いかな。
個性を出してもいい踊りの時には「こうやってみようかな」とか「ちょっとかっこつけようかな」という気がちょっとあるかもしれない。でも、踊りよりむしろ歌で個性を出すかな。

− それはどういう意味での個性なのでしょう。

小岩:
「うまく歌おう」っていう意識です。踊りは「うまく踊ろう」という意識じゃなくて「押さえるべきところは押さえる」ぐらいの感じでやるけど、歌は抑揚があって調子を作って…と歌い手の個性が出る。

− では、踊りにおけるうまさや良さとは何でしょうか?

小岩:
しげやんはどうおもいましたか?(三陸国際芸術祭2016で)鹿踊を見てらっしゃいましたけど。

しげ:
変な言い方ですけど、「その人が見えない踊り」が良かった。

小岩:
ああ。

しげ:
その踊り手が振り向いたんじゃなくて、鹿が振り向いたって見える踊りですね。練習の時に、みんな装束をつけないでやってはるんやけど、でもこなれている人っていうのはもう鹿の顔になってはる。だから、言ってみれば「エアで鹿をかぶれる人」ですよね。踊りに入るともう鹿になってる人は、やっぱり聞くと長年踊りをされてる方やし、すごく熟練されてるし、みんなをまとめてたり指導してはったりするんですよね。それは年齢とかじゃなくてね、「ああこの人の踊りには惹き付けられるなあ」という魅力がありますね。
で、コンテンポラリーダンスもね、「この人の表現」とか「個性を出す」とは言われているんですけれども、でもやっぱり何かを仕掛けないと、私らも踊るのは恥ずかしい(笑)。私、よく露出した姿でわーっとやってますけど、あの衣装を着ないとできないんですよ。「いまここでやってください」と言われても「いまちょっとそれは…すみません」ていう感じですね。だから衣装を着て、メイクして、あのモードに入るからやれてるんであって。で、そうなるとね、そのときは何も考えてないから、虎舞のハシゴの上とかにまで登れるんですよ。今はとてもできないですよ、「なんてことするんや!」って思うし。

小岩:
なるほど、そっか。

しげ:
でもね、あの姿でもやっぱり少し畏れがあるのね。ハシゴのてっぺんまではよう行かんかった(笑)。

小岩:
はははは(爆笑)

しげ:
てっぺんまで行ったらあかんような気がして、ちょうどいいとこらへんでとめてたりするんですよ。それはやっぱり「この一線は越えられへんな」って気持ちが何かあるんですよ。よく女子を乗せてくれたもんだと思います。会長さん含めて「ああいいよいいよ」ってなってたから「ホンマ〜?」みたいな感じで行かしてもらったんですけど。

小岩:
祭りの場っていうのはそういうことができる場所、個性を出せる場をつくるんだなあと思うんです。いつもとちがう日だから、ちょっと異形のもの、変わった人が出てきて、その人たちがその日だけは輝けるような場所をつくってくれてることがあるんですよね。
ところで、しげやんはどうして踊り始めたんですか?

アイドル
私のオンステージが繰り広げられていた

しげ:
最初はアイドルになりたくて自分ちの床の間で踊り始めたんですよ。床の間って舞台に見えたから。ほんまは床の間でそんなことしたらダメなんですけど、置物をよけて、私が立つという。私のオンステージが夜毎に繰り広げられていたんですよ。

小岩:
観客はいたんですか?

しげ:
家族なんですけど、まあ最初だけ「ふんふん」って見て、あとはもう無視してるわけです。で、私が「見てやー!」ってなる、みたいな感じ。でもそのうち誰も見てなくても踊るようになったんですよ。

小岩:
誰も見てなくても踊るときには、今度はどこに向かって求めはじめるんですか。自分に向き始めるんですか?

しげ:
それが不思議とね、自分じゃなかったんです。誰も見てなかったとしても誰かが見てるものとしてやる、みたいな。誰に対してやっていたのかはよくわからないですけど…何か大きなものに対してですかね(笑)、子供なりにね。毎日自分なりに踊りを作ってたんですよ。音楽がないから、テレビから流れる歌番組をバックに。歌番組の時間になったら「はいっ」て踊り始めてた。

小岩:
踊りを作るということは、同じ踊りをやるの?それとも毎日ちがう踊りになるの?なんとなく振りが決まってきたりするものなのかな。

しげ:
当時の歌番組って、アイドルが或る一定期間同じ歌をうたうから、「この歌にはこれ」って決まってたと思います。

小岩:
例えば一つ良い振りができたから、それをもう一回つかって、ちがう踊りにも当てはめるみたいなことってないですか?僕は昔、片足跳びみたいな振りをずっとやってた時期があったんですよ、学校の廊下とかで。これがすごい面白くって、毎日やってた。自分で作った踊りってそれしかないと思うんだけど、何かあった時に、嬉しい時にそれを踏むとかね、そんな感じを今思い出しました。そういうことはあるのかなって思って。

しげ:
あったと思いますよ。自分の得意技みたいのは作ってたと思うし、いま動きは思い出せないですけど、でもそれは気に入って毎日やって、それをいろんなふうにアレンジしてたと思います。
私はダンサーというよりは振付家を目指していたフシがあって、でも小中学生の頃はバレエやってたんで、「他のダンスやりたい」なんて言うといじめられそうやなあと思ったり、競争から外されたくない気持ちもあったのと、バレエも好きやったしバレエもうまくなりたかったから、振付のことを考えているということをひた隠しにしていた。当時、ノートに自分で舞台図を書いて「ここからダンサーが出てきて、こっちから照明がきて」ってびっしり書いてた振付ノートがあったんですけど、でもそれを同級生に見られたら「ああもうこの子はバレエうまくなりたくないんや、この競争に乗ってないんや」と見なされると思ったから、書いては全部捨ててたんです。(一同「もったいない…」ねえ、もったいない。でも「もったいない」と言うより今見たらゲラゲラ笑えると思うんです。アホなこと書いてたから(爆笑)。テレビで見たものとかそのまま書いてあったり。

テンツク
訳のわからない舞踊譜を渡されて、解読していく

− 小岩さんは新しく踊りをつくらないんですか?

小岩:
うーん…つく「れ」ないな。いちどステップを一つ増やそうと思ったけどダメでした。やっぱり合わない。笛、太鼓、歌もあるので、何か一つ増やすと流れ的に次の動きに移れなくなっちゃうんですよね。誰が始めてどういう経緯で今の踊りの形にしたのかわからないですけど、今ある完成形の「こう動いたら、こっちになるよね」という流れが途切れちゃうんですよ、何か別のことにしようとすると。いま僕は「東京鹿踊」というユニットをやっているんですけど、それは首都圏に居る岩手の一関出身の若者たちが郷土の踊りを忘れないようにと思ってやっています。でも出身者だけでは人数がそんなにないし、もともと芸能にはいろんな人が関わっていたから、敢えていろんな人が関われる実践の形態としてやっています。そこで教えるときに、踊りを数(カウント)で捉えようとする人がけっこう多いんです。あと、「右足出したら次は左足」とか、動きの流れを右・左とカウントで解釈しようとする。でもね、うまく行かないんですよ。僕は「その場でこういう流れになっているから、こうなる」と言うしかないんだけど(笑)。なんか難しいなあと思って。

しげ:
私が鹿踊を習いに行ったときに同じことが起こりました。何人かで習いに行ったんですけど、そのうち一人はインドネシアの方だったんです。日本語では感覚がわかりにくいから、自分のわかる言葉で直そうとしはるんですね。だから、「テンツク、テンツク」とやるのを最初「ワン、ツー」でやってたんだけど、それやと数が合わないし、リズムになってこない。それならテンツクでやった方がいいってことで、一生懸命ローマ字で「TEN-TSU-KU」って書き下ろして、たどたどしいけどその言い方でやってはった。
私も西洋のダンスを長年習ってきてるから「これはその通りに習わないと絶対に無理やな」ってことがわかるんですよね。カウントではどうしても取れない部分がある。最終的には先生に私の手を持ってもらって(太腿をポンポンと叩きながら)、拍子取ってもらって体で覚える。で、先生が手を放してもできるようになるまで何回もやってもらったんですけど、たぶんそういうふうにして踊りは伝わってきてるんちゃうかなって思うんですよ。
習う前に「これ見といてください」って譜面が送られてきたんですけど、でも、縦にテンツクテンツクっていうのが書いてあって「こ、これが譜面?」って思った。歌詞とも言えへんし、どんなリズムかもどんな雰囲気かもわからへん。で、次に送られてきたのが動画で、「この譜面がどうしてこうなるの~?」みたいな、どう考えてもまったくわからなくて、取りあえず現地に行って「動画も見て楽譜も見たんですけど、さっぱりわかなくて、スミマセンお願いします」って(笑)。眼の前でやるのを見ると、「あ、こうやってたのか」「こう流れてたのか」っていうのがようやくわかって。それを習ってから譜面見て初めて「ここの、これだな」ってわかってくるんです。やっぱりね、伝承していくことって結局からだとからだでやるしかないんや、と感じました。
話は変わるんですけど、振付を英国のラバンセンターで学んでた時期に、「ノーテーション」という舞踊譜を習う授業があるんですよ。最近は映像で記録を残せるから廃れてきてると言われてるんですけど、しかし、舞踊譜を読み解くってことはすごく奥深くて、実は映像では読みとれないことがこれでは読み取れるんです。その試験課題で「この舞踊譜を読んで再現しなさい」というものがあるんです。ある舞踊譜を渡されて、解読していくんです。縦に線が並んでいて、これが背骨で、脚で、手で、と一人の人間のからだを分けて書く。細部まで書けるようになっていて、それを下から上に読んでいく。

小岩:
へえ~。

撮影:フォートセンター惣門

しげ:
おもしろいんですよ、これが。でね、最初一人やと思ってやっていると、違う手が出てくるから、「あ、これ2人組なんや」ってことがわかる。しかもこの組とこの組が出会うってことは、「あ、2組で踊るのか?」って。結局それは行ったこともない国のフォークダンスだったんですけど、最終的に4組8人で踊る踊りやなってことがわかって、それをリハーサルして、試験の日にダンサーに来てもらって踊ってもらって実演して「ハイ、正解」みたいな。正解までたどりつけない場合もあるんですよ。「人数までは合ってたけど、このターンは全部逆です」とか。でも、すごいおもしろいんです、読んでいくのが。テンツクと同じで、とてもそんな簡単には読めないんだけど、読んでいくとわかる。映像で見るよりもおもしろいっていうかね、実際のからだとその譜面でやるっていうことのおもしろさがあるんです。で、どんなに映像が進歩してもノーテーションで残すってことは大事で、それはなぜかと言うと、どこをどう細部まで使ってるかということはやっぱり映像ではわからない。あと、間合いっていう感覚は西洋にはないらしく「カウントでは割り切れない」っていう言い方をしてたんですけど、そういうものがノーテーションには書き込めるという利点がある、という。

− ちなみに小岩さんはそういうテンツクを読みながら踊りを習ったんですか?

小岩:
いや、まず口で教えてもらって、それを聞きながらですね。本は後でもらうんですよ。その本をもらうまでは口伝えです。最初、「じゃあお願いします」って公民館へ行くわけですよ、で、先輩に「んでまず、そこへ立ってみろや」って言われて「んで、やっか。《ざっざかざかざか》。はいやってみろ」だけ。こっちは「えぇ?!」ですよ。

しげ:
うわ~(笑)

小岩:
もう「ハイ、わかりました」ってやるしかないですよ。すると、「まず右から歩けばいいんだからさ。ほら、《ざっざかざかざか》ってやればいいんだ」ってそれだけ(笑)。「ざっざかざかざか」「バンバン」って言いながら、そういうのを何回かやって、で、「まあ今日はこんなもんだ」「じゃあ2週間後な」って。そうやって2週間くらいやってから、「書いたものがあるから見てて」って本をもらうんだけど、けっこう分厚いのが渡されるんです。それが唱歌本(しょうがぼん)。

しげ:
エラい世界や…(笑)

小岩:
それを見ると、ざっざかざかざかと習ったことや歌の文句が書いてあるから、その間合いをあてはめれば動きになるというのがわかるので、ノーテーションと同じように読み取っていける。昔はそういうものはなかったから、本当は全部耳で聞いて覚えていく。それをカタカナにして書いたのが唱歌本なんですけど、「文字を読みながらカラダを動かす」と言うより、「口で言いながらカラダを動かす」と言う方が合ってますね。練習でホワイトボードに書いて「ざっざか…」ってやると合わなくなってくる。

しげ:
あくまでも目安でしかないですよね。

小岩:
そうですね。でも、間合いと太鼓調子を覚えてしまえば、カラダがこっちに動く、あっちに動く、と流れで行ける感じがするので、それでやってるのかなっていう気もします。

対談②に続