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【京都公演】対談 | 山下残 × 田村興一郎 「未来の振付家について語る」
2017年03月09日

構成・編集:中山佐代
対談日:2017年2月7日 @餃子の王将北白川店

山下残さんと田村興一郎さんの出会いは、残さんが京都造形芸術大学で教鞭をとり始めた2013年、田村さんが大学3年生のとき。先生と生徒の関係から、「踊りに行くぜ!!」Ⅱ(セカンド)という同じ舞台に立つ関係になった今、同じ道を歩む先輩として残さんと、若き振付家・田村さんが大学付近の懐かしい餃子の王将でダンス談義に花を咲かせた。


山下「田村くんは自分で踊りが上手くないって言うけど、身体性の方が強いんですよ。」

田村「何でダンスやってんだって、今でも思ったりするんですよ。」


山下:田村くんはどういう風に活動していきたいというのはあるんですか?結構色んなところで名前を見るけど、あまりやりすぎると田村興一郎は何でもやるんやなって思われるじゃないですか。

田村:ああ、要するに自分のブランド的なことですかね。

山下:そういうのは全然こだわりないん?

田村:今はないですね。

山下:話がきたときに無理だな、と思うのはあるでしょ?

田村:俺じゃなくてよくない?っていう意味ではあります。僕自身は踊りが上手いと思っていなくて、パフォーマーとしては悲観的なんですよ。だから、技術がすごいカンパニーや振付家のところに行くと、俺以外にいっぱいおるやんって思ったりするんですよね。そういうところは自分ですすんでオーディションを受けたりはしないです。この人よりもっとすごいダンスを作ってやるという気持ちの方が強いですね。まあ、残さんの振付けは受けたいです。

山下:え、何て?ありがとう(笑)。

田村:それから、何を考えてるか分からないような人になりたいです。ルイス・ガレーのワークショップとか受けたかったですね。振付けを情報みたいに教えられるんじゃなくて、この人はどういうことを考えてるんだろうと自分も考えることができる現場にいたいです。

山下:もうダンスに関わる仕事しかできないでしょ?何歳からダンスやってるんだっけ?

田村:高校1年生のときに部活で始めたので、8年になりますね。

山下:まだ田村くんが学生の頃に、「造形大のクラスはみんな女子だから男子ひとりで心細いやろ」って聞いたら、「高校のダンス部のときから男子ひとりなんで、全然気にならないです。それでもダンスが好きだったからダンスを続けてるんです」という答えが返って来て、すごいなと思ったことを今でも覚えてる。

田村:女子ばっかりの環境だったからこそ、今の自分があるのかなと思います。踊り上手くないし、踊りで注目されることはなかったんですよ。だけど男だから注目される。それで、構成的に違う衣裳を着たり、違う役をやったりとか、ちょっと仲間外れだったんです。もちろん一緒に踊ることもあったんですけど、そういう環境にいて、踊り上手くなってやるみたいな気持ちもありつつ、逆に自分がどうやったら認められるようになるんだろうって考えたりしていたので、もしかしたらそれが積み重なって今があるのかもしれません。どんな環境でもやっていくぞ、という闘志はありますね。

山下:田村くんは自分で踊りが上手くないって言うけど、身体性の方が強いんですよ。卒業制作でも、田村くん個人の身体から作品世界が立ち現れていて、それはなかなか難しいことやな、と思うんです。僕も作品を作っているけど、自分の身体性と振付けはなかなか噛み合ない。そこを一生かけてやってる、みたいなところがあります。卒業制作の作品では田村くん自身と作品全体の世界が見えたんですよ。だから、身体感覚が優れているな、っていう印象があります。


山下残『左京区民族舞踊』札幌公演  撮影:yixtape

山下:肩書きは、振付家・ダンサーですか?

田村:そうですね、一応。

山下:一応って何(笑)。

田村:いつかはダンサーが薄れてパフォーマーみたいな、分かんないです(笑)。もっと色々やりたいなと思ってます。何でダンスやってんだって今でも思ったりするんですよ。元々絵が好きで描いてたり、音楽も好きだったり。残さんと同じで僕もミュージシャンになりたいとずっと思ってました。創作意欲がすごくあって、それがダンスに行き着いたんだなっていうのはすごく思いますね。

山下:僕の場合は、肩書きにダンサーをつけてもいいんだけど、自分の身体を鍛えたり、ダンサーという意識を日々保つのはなかなか難しい。でも振付家としては、作品どうしようかなとか常に意識が働いてるから、そういう意味で肩書きは振付家だけにしています。ダンサーとして時々舞台に出演するけど、そういう意識が時々なくなることに引け目があって、だからダンサーって名乗れないです。

田村:僕はどっちもですね。これは作品にできるな、というようなことはいつも思っていて、なおかつそこで自分が思い浮かびます。自分が好きな踊りがあって、それを固めていきたい、大事にしていきたいというのがあります。それが磨ければ自分はずっとダンサーでいきたいなって。


山下「田村くんのその考え方はコンテンポラリーダンスという枠の中ではちょっと居心地悪かったりしないですか?」

田村「します。僕はむしろコンテンポラリーダンスって呼ばれたくないというか自分で呼びたくないんですよ。」


山下:やりたい動きってどんなんですか?僕やったら例えば身体の力を限界以上まで抜く。抜いてどれだけフリーな、ぐにゃぐにゃした動きが出来るか。そこから身体が軽くなって、空気よりも軽くなって、実際に飛ぶことは不可能だとしても、バレエダンサーのように跳ぶんじゃなくて、ちょっと重心を低くふわーっと浮きたいとか、何かそういうイメージです。

田村:元々はアニメーションダンスとブレイクダンスがしたくてダンスを始めたんです。色んなダンスに寄り道しても、アニメーションダンスのアイソレーションのような独特な動きとか、ブレイクダンスのアクロバティックな感じとかがいいなと思っていて、今でもそれをやりたいという気持ちがあります。表現芸術をやり出して、色んな技術をとりこんでも、結局自分がやりたいのはたぶんそういう感じのパフォーマンスなのかなと思います。今回上演する『Yard』も少しアニメーションぽい感じがあるんですよ。出演者は僕と山本梨乃さんで、山本さんはバレエなんですけど、僕の理想の踊りのイメージとすごく近いんです。

山下:ちょっと短絡的に考えると、そういう世界ってエンターテインメントやと思うんですよ。田村くんの初期作品はわりとエンターテインメント性が高いけど、徐々に実験的というか、エンターテインメントと対極なものに向かって行っているような印象があります。それは通過点で最終的にまたエンターテインメント的になるってことですか?

田村:僕はマイムパフォーマーの室田敬介さんと福祉施設を回ってお笑いダンスをするムロタムラという活動も行っていて、そういったエンターテインメント性のある、ダンスのそもそもの面白さを伝える活動を持続していけるのであれば、最終的に自分の本質のダンスはエンターテイメント性とかけ離れた作品世界を追及していくのかなと思います。でもやっぱり、内々でちっちゃくやりたくないんですよ。新しい身体の使い方を開発したところで、昔から認められたパフォーマンスにはオーディエンスの数も、経済的にも勝てない感じがするので、ダンス作品は難しいと思っている人たちに少しでも面白いと思ってもらえるようなダンス活動がしたいです。だから、僕が好きなアニメーションとかブレイクの技術はあくまで面白く動く手段として、作品に取り入れているというのはあるかなと思います。

山下:田村くんのその考え方はコンテンポラリーダンスという枠の中ではちょっと居心地悪かったりしないですか?

田村:します。僕はむしろコンテンポラリーダンスって呼ばれたくないというか自分で呼びたくないんですよ。色んなダンスのジャンルが確立していて、どれにも当てはまらないものがコンテンポラリーダンスになってるというけど、自由なダンスを型にしようとしている気がします。何か型を欲しがっている。だからコンテンポラリーって僕にはずるく聞こえているところもあって、僕は今感じて今思うことをそのままやる、それがオリジナルダンスという風にしていきたいなという意識があります。本当に何も知らない人に、分かりやすく説明するためにコンテンポラリーダンスって言葉を使うことはあるんですけど、あくまで説明のひとつの手段として使っています。


田村「僕、本当にダンスバカです、ダンスが好き過ぎて。ダンスを始める前は悲惨な人生だったので、良い人生を送りたいっていうのもあるかもしれないです。」


山下:田村さんは拠点を東京に移そうと考えているそうですが、それをやるにはやっぱり東京の方がいいんですか?京都の方がダンスシーンと距離を置きやすいようにも思うし、田村くんに芯があれば流されることはないと思いますけど、訳の分からないものを作るなら京都の方がいいんちゃうかな、と話を聞いてると思いますけどね。

田村:そうだと思います。東京では「京都から来てるの」みたいに盛り上がってくれたりはするんです。ただ、東京でもっとパフォーマンスをしたいですし、東京には色んなダンスの仕事もありますよね、PVの撮影とか、振付けの仕事とか、そういう経験もしてみたいなと思うんですよ。それから、東京に行く理由はもうひとつあるんです。地元の新潟でお世話になった人にダンスを届けたいというか、新潟でダンス活動できるんじゃないかなって考えています。東京にいたら、新潟にも行けるし京都にも行ける。でも京都にいたら、東京には行けるけど新潟にはなかなか行けない。だからもうちょっと地元に通いやすいところにいたいと考えてます。それに、新潟の高校生に素晴らしい逸材がいっぱいいるんですよ。でも新潟って広くて、関東や関西みたいに他の県にわざわざ舞台を観に行ったりとか、ワークショップ受けたりとかそういった刺激をもらうことがあまりできないからもったいないんですよね。だから、東京や京都で活動している僕が新潟でも活動することで、ダンスシーンを盛り上げていきたいです。新潟への愛は負けないです。東京で活動していきたいもうひとつの理由はそれですね。

山下:田村くんて、ぱっと見たらたダンスバカなんかな、って感じがするけどそうじゃないんだね。色んな表現欲求があって、もしかしたら僕の方がダンスバカなんかもしれん。ダンスにこだわり過ぎてちょっと変なことになっちゃうみたいな。

田村:僕、本当にダンスバカです、ダンスが好き過ぎて。ダンスを始める前は悲惨な人生だったので、良い人生を送りたいっていうのもあるかもしれないです。

山下:ダンスを始める前って中学生でしょ?中学生のとき良い思い出ないんですか?

田村:一切ないです。モテないし、いじめられてたし、勉強できないし、スポーツできないし、このままじゃやばいって。

山下:スポーツできないっていうダンスの人は意外に多いです。身体の、なんというかあんまり動けなかったっていう引け目が逆にダンスに転嫁する人って意外に多いんですよ。

田村:意外にいますね。僕は何もできなかったんですが、ただ絵は好きで描いてました。幼稚園の頃にポケモンとかデジモンとか見て、すごく憧れをもってコピー用紙にモンスターを描きまくってたんですよ。ちょっと自慢話なんですけど、小学生の頃に描いた絵で賞をとったことがあります。ザリガニの絵を描いていて、赤色のクレヨンをちょうど切らしてしまって、ぱっと手にとったのが茶色のクレヨンだったんですよ。それが小学生が描いたとは思えない良い感じの色合いになって、特賞をとってしばらく小学校に飾られていました。その頃は何で飾られてるんだろうって思ってたんですけど、今思えば何か持っていたのかなと。でも物心ついたときには絵を描かなくなっていて絵の道には進まず、スポーツも中途半端で、どうしようってなったときに、ちょうどダンスに出会って、かっこいいなぁと思い始めましたね。今は、昔の絵心、センスみたいなところもちょっとずつダンスに繋がってきているんじゃないかと思います。

山下:コンテンポラリーダンスという言葉にはあまりハマりたくない、と言いますけど、でもやっぱり今の話を聞いていると、コンテンポラリーダンスシーンが立ち上がってきた流れを汲んだ申し子のようなイメージがありますね。僕らのときはコンテンポラリーダンスという言葉がなくて、モダンダンスだったんですよ。とにかく身体で見せるという普遍的な作品がある中で、色んなアイデアや身体とかけ離れたものをミックスさせていくというのを意図的にやっていた。そうしないとオリジナルな作品にならないですからね。でも田村くんはあらかじめ色んなものが興味の対象にあって、そこからダンスが立ち上がってきたという感じがあるんですよね。それはまさにコンテンポラリーダンスじゃないですか?

田村:(笑)。

山下:コンテンポラリーダンスって、勝手なイメージかもしれないけど、極力無駄を省いた世界の中にどれだけ理論的な説明ができるかというのがある気がするんです。でも田村くんは説明とかせずに膨大な創作で、自分の解釈が追いつかないくらいの仕事量で攻めたらいいんじゃないかと思うし、そういう人が今必要な気がしますね。


山下「田村くんは踊れるし、振付けもできる、振付けを超えてキュレーションも出来るという意味では、すごく現代的な感覚やなという気がします。」


山下:田村くんは、何を考えてるのか分からないやつになりたいって言ったけど、田村くん自身の訳の分からなさというよりは、人をどう見てるのかっていう部分の方が、訳が分からない感じがするね。『余裕の朝』(2016年)のメンバーもすごく魅力的だけど、統一感とかありそうでないし、何でこの3人なんだろうと。今までRevoに出てたり田村くんが一緒に舞台してた学生ってたくさんいるけど、目利きというか、声掛けた人はみんなそれぞれの道で頑張ってるから、何を考えて人を見ているのかなというのは興味がありますね。人を見るときに気にするポイントあるんですか?

田村:昔はなかったけど、今はあります。学生のときは何十人も集めて振付けたりしていたので、その分人も見てきました。だから、今までの人になかった新しいものを求めるというのが前提にあります。今回の作品で一緒に踊っている山本さんは、動きに一目惚れしてすぐに連絡したんですけど、それはかなり稀ですね。基本的には、ダンサー同士で色んな化学反応が起きそうだったり、良い意味で僕の振付けに抵抗がありそうな人を選んでいます。

山下:山本さんをそういう風に見たっていうのも不思議なんですよね。確かに山本さんは良いダンサーだと思うんですけど、明らかに小さい頃からバレエをやってるわけじゃないですか。田村くんみたいな訳分からないことをしようという作風で、ダンサーとして誘うとなると普通は振付家として躊躇すると思うんです。だから見てすぐ連絡とったというのはすごい。

田村:なんか、絶対良い作品を作れそうと思ったんですよ、直感ですね。

山下:それで実際に作れているからすごいよね。

田村:ありがとうございます。山本さんの場合は、山本さんが良かったから一緒に何かやりたいという超イレギュラーなケースですね。僕は基本的にやりたい作品があって、じゃあ誰がふさわしいんだろうっていうところから始まるんです。しっくりくる見た目、踊り方、性格みたいなことをどんどん消去法で選んでいって、最終的には稽古場の事情とか、どこに住んでいるとか、お金のこととかに繋がる、そういう感じのプロセスで作っています。それから、アンチとまではいかないけど、何でもこなせて踊れる人というのは、僕はちょっと違うかなと思ってます。何かしらひとつ欲しいんですよね、例えば超不器用とか、無駄に身長が高いとか、太り過ぎとか、そういうちょっとした不完全さがある個性的な人の方が僕は振付けのやりがいを感じます。容器の中に色んなものをつっこんで、ガチガチして、何かが生まれるのを見てみたいんです。あと、僕は結構後ろで踊ってきたので、目立ちたいのに目立てない後ろの人の気持ちに共感できるんです。だから基本的に僕が振付けをする作品では個人を良く見せるシーンは必ず作ります。せっかく僕の振付作品に出てもらっているのなら、この人を100%活かして、僕の作品に出て良かったと感じたり、田村の作品に出て名前が売れたとか、僕以上にすごいことが起きて欲しいという願いが常にあるんですよ。


田村興一郎『Yard』横浜ダンスコレクション2017 撮影:bozzo

山下:コンテンポラリーダンスの歴史とか好きじゃないかもしれないけど、ちょっとそういうお話をさせていただくと、元々、作品を発表するのはダンサーでないといけなかったんですよ。それが振付家という人が出てきて別にダンサーじゃなくてもよくなったんです。それ以前はダンサーは振付家でもあったし、振付家はダンサーでもあったけど、振付けだけやる人というのが出て来たんですよ。踊れなくても振付けはできるという人。これからは、振付けもダンスもできない、人を選ぶことだけが出来るダンスメーカーというか、ダンス作家が出てくるような気がするんですよ。田村くんは踊れるし、振付けもできる、振付けを超えて人のキュレーションも出来るという意味では、すごく現代的な感覚やなという気がします。簡単じゃないと思うけど、キュレーションとか、ディレクターとかやったら?それだけ独特な人を見る目があるんだったら、見てみたいよね。

田村:なるほど、キュレーションですか。

山下:まだ具体的なことは分からんけど、例えば舞台の世界だとドラマトゥルクとか、仕事が細分化されていくように、これからダンスの仕事もダンスそのものから、役割が細分化されていくと思うんですよ。今まで色々まとめてやっていたけど、何かに特化した人というのが注目される。逆に色んな素質を持っていたとしても全部できる人は目立ちづらい。ダンサーでも振付家でもない、これをやることがダンスメーカー、ダンス作家と呼べるんか、みたいなことが起こるんじゃないかと思います。どんどん更新されていくのがダンスの歴史だから。田村くんは、踊りを踊りたいというところから始めたけど、でも実は色んな視点を持っていて、それが最終的に細分化されていくのかもしれない。何かあったら踊れるぞ、何かあったら振付けできるぞ、でもいざとなった全部手放してイラストだけ描いて、キュレーションした振付家に、これでダンス作ってくださいって。そしたらこれが俺のダンスやって言えるし。

田村:あるかもしれないですね。これからダンスの歴史がどうなっていくか分かりませんが、僕はダンスの可能性を追求して、それを生き甲斐にしていく、ただそれだけかなと思います。

山下:最後に「踊りに行くぜ!!」Ⅱ(セカンド)への意気込みを聞かせてください。なかなか一緒にできるメンバーじゃない、すごく良いメンバーじゃないですか。京都芸術センターでの「踊りに行くぜ!!」Ⅱ(セカンド)も久しぶりだし。

田村:やっぱり共演者の方々がすごいというか、まさか自分がここに出ると思ってなかったので、感謝と同時に期待に応えられるように良い作品にできればなと思います。『Yard』は2月の横浜ダンスコレクションで上演していて手応えもあるし、評価もよかったので、関西でやれるのはすごく楽しみですね。それから、僕はみなさんと世代的にも違うので、自分の世代を背負って自分はこういうことを考えているんだということを押し出して行きたいなと思います。

◎山下残インタビュー「|左京区|民族|舞踊団 じゃなくて|舞踊|」はこちらからお読みいただけます。https://odori2.jcdn.org/7/?p=207