報告するぜ!!
ダンスのこと、語り合おう
2015年12月12日

TEXT:飯名尚人

「ダンス作品を観て、感想を言う」というこの簡単なことが、実は大変難しい。気持ちを言語化することに諦めてしまうことも多いし、気持ちは言葉では表現できないのだ、と早々と結論付けてしまうことも多い。当然どうにもこうにも言語化出来ないダンス鑑賞体験をすることもあるし、そっと心の奥に秘めておきたいときもあるから、何でもかんでも感想を即座にぺらぺらと言えるかと言ったら、そうでもない。言語化に時間のかかる作品もあるし、ずいぶん後になって感想を大幅に修正することすらある。最低の作品が、後日、最高の作品になっていることもある。

或る作品に参加して「舞踏」について考える機会が増えた。わずか数百人の観客の前で上演されたいつかの舞踏が、何十年も人々を魅了している状況について、改めて考えてみることとなった。その舞踏を観たわずか数百人が、SNSのつぶやきで世界に広めていったのかといえば、まったくそうではない。ごく一部に、そこで観た舞踏を言語化した人たちがおり、その言説が広まっている。舞踏が広まったのは写真というメディアの効果も大きい。スマートフォンでみんなが写メしたものが拡散したのではない。舞踏を写真の中で表現した写真作家たちが、舞踏のイメージ化に成功したのだと思う。その写真はドラマチックでセンチメンタルでエキセントリックに現像されて、その鮮烈なイメージに世界が衝撃を受け、舞踏以上に舞踏を知ることになった。生の舞踏を見る前に、言説と写真と出会った人は多いだろう。写真作家たちは、目の前の舞踏を自分の手の中にあるこのカメラで記録し自分のものにしたい、と衝動的に思ったのだと思う。それらは人々の各自の自由な解釈によってワクワクしながら拡散していった。今もなお「君の言ってるそれは舞踏ではない」「いや、これこそ舞踏だ」という議論をぶつけ合い、それぞれに言論を楽しみ、怒り合い、共感し、舞踏を広めている。良い点ばかりとも言えない。専門化されすぎた言説もある。なにか書いてはあるものの読んでもよくわからないのである。だとしても、言語化しようと試みた筆者がいたわけだから、なにも書かないよりは良いんじゃないかとも思う。

コンテンポラリーダンスの時代。時代の背後にはデジタルでプライベートなメディアがフリーに用意され、各自がフリーに言論の場を持つことが出来た、はずだったけど、ダンスを巡る言説は薄まってしまったかもしれない。「おもしろかった」「つまんなかった」「別に」「○○ちゃんが頑張ってた」という感情の表層を素直にアウトプットできるメディアが増えたのはありがたい。写真も自由に公開できる。しかし、ダンスを巡る言説を思慮深くしたためていくことは、あまりないかもしれない。なぜかその機会を失ってしまった。プライベートに公開できる言説は、むしろ発信側と受信側、書く側と書かれる側とで、虚勢し合い萎縮し合っていくことになった。まったくフリーじゃなくなった。それはダンスが原因ではないけれど、その時代のダンスにも影響されていくと思う。

さて、どうしたらダンスについて語らえるだろう。

今年の「報告するぜ!!」は、簡単なことをしようと思う。ダンスについて語り合おう、ということだ。時には、ダンスという概念を語り合うこともいいし、特定の作品や作家について語ることもあっていい。「踊りに行くぜ!!」とは関係のない作品や作家についての対話、鼎談があってもいい。なにしろ、ダンスを巡る言葉を交わすということ。それを記録して、公開してみること。ダンス作品の中で言葉を使っているかどうか、ということではなく、極めて感覚的、直感的に作られたダンス作品であっても、報告するぜ!!チームは、言葉によってそのダンスについて語る、ということをしていきたい。
さて、そうなると、よくしゃべる仲間が必要だ。よく書く仲間が必要だ。前回の「踊りに行くぜ!!」には出演者としても参加した佐々木治己さんは、よくしゃべり、よく書く人だ。劇作、ドラマトゥルグ、舞台製作者として活躍している。未生文庫というアトリエを構え、創作活動をしている。
黒田瑞仁くんは、埼玉県蕨市の一軒家を劇場にしたり、ギャラリーにしたり、稽古場にしたりしながら、仲間たちと舞台作品を作っている演出家であり、国際ダンス映画祭での一連のWebレポートや、各国のダンス映画監督に英語でのインタビューを繰り広げてくれた。

一回目の鼎談は、飯名、佐々木、水野の3人で、「ダンスと言葉」という題目で雑談を交わした。案の定、一切のまとまりなく、着地点もなく、ただただ思いつくまま語り合い、途中、会話というよりは、各自勝手に言葉を発しているようなときもあったが、なぜか話している側は楽しげであり、スッキリした顔をしていたりする。ダンスを観る側からすれば、そのダンスについて語ることは純粋に楽しい。作り手側が手に負えないところまで、ダンスを巡る会話が交わされていく。作り手側からしたら、そんなつもりで作ってなくとも、語る側は好き勝手に分析し、批判し、賞賛し、楽しむ。むしろ作り手とは別のところで勝手楽しまれていることで、ダンスマーケットは拡張していくのではないかとも思う。今回、ダンスについて語る人たちを増やそう、というコンセプトもあるが、急激に増えなくとも、まずは語りたい人がいたら語り合うことにしたい。